2005-02-05

「夢」のパリと「現実」のパリ

 わたしが住む寮の同じ階に、イラン人女性とパレスチナ人男性が同時期に居住していたことがある。最近、見かけないので退寮したのだと思う。アラファト議長がパリで息を引き取ったとき、共用キッチンに行ったら、偶然、そのイラン人とパレスチナ人がいた。英語でパレスチナの独立問題について論じていた。不思議なもので三人とも、フランス語よりも英語を得意とするのに、フランスに来ている。いずれもその理由は「現在のアメリカ合州国には行きたくない」というものであった。
 「アラファト議長にはパレスチナが国家として独立した姿を見て欲しかったですね」と私が口をはさむと、パレスチナ人は拍手し、「そういってもらえて、とても嬉しい。私もまったく同感だ」といった。
 自分が住む寮には小国や中東から来た学生が少なくない。日々、異文化体験でき、私は満足している。そういえば、寮に住む別のイラン人3人から「おしんはいいドラマね」といわれた。

 パリを初めて訪れた男性から、何年前だったか、
「いやあ、パリには黒人が多いんで、びっくりしたよ」
 と聞いた。たしかに、黒人を街でよく見かける。寮にも黒人は1割ほどいる。街では私のような東洋人・中東系の姿もよく見かける。フランスはヨーロッパでもっともイスラム教徒の多い国であるし、アフリカに植民地を持っていたことから、アフリカから移住してくる人も少なくない。パリというと「花の都」のイメージが日本では強烈で、旧植民地問題・移民問題がさほど認識されない。その結果なのだろう、パリにあこがれて来たが、「夢」のパリと「現実」のパリのギャップに悩まされる人が少なくない。