2012-05-07

サルコジ大統領のゴールイン

これほどの嫌日大統領も珍しかった。

任期5年で公式訪問したのは2008年の洞爺湖サミット、一回。
G8首脳会議で6人の首脳と会談したが、ホスト国の日本の
福田康夫・首相との会談は避けて帰って行かれた。

日仏150周年で3回、その年は来日するはずだったが、
洞爺湖の一回のみ。翌年に訪問するといったものの、
翌年一月の大使館ホームページには、大統領来日の
延期を知らせる文書が掲載された。

外交は大統領、内政は首相という
慣例なのにフィヨン首相が代わりに
毎年のように、来日した。
石巻市を訪問して被災状況を視察した。
現地の市民と交流したのもフィヨン首相だった。

サルコジ大統領は3.11以降、突如、電撃来日。
先進国の首脳として最初に日本入りしたと喧伝した。

シラク前大統領は回顧録Ⅱでサルコジ大統領の
日本嫌いは自身が大の親日家だったことが
影響している、と評している。

経済失策が敗因にあげられよう。
130万人が任期中に職を
失った事実は重い。

しかし、同氏の罪はムスリムを第二次世界大戦前夜の
ユダヤ人化してしまったことだろう。

公の場におけるブルカの着用を禁じるなど、
イスラム教の“異人”化が進んだ。

包摂より排除。

大統領選ではEU域内の移動の自由を保障した
シェンゲン協定の見直しを公約し、内外から
“極右”との非難を浴びた。

フランス国民が願うのは経済危機からの脱却である。
ただ、願わくは排斥から包摂への社会へと変容させる
政策を期待したい。

また、フランス共和国-日本の友好関係の構築を
期待したい。選挙直前に選対責任者・ローラン=
ファビウス元首相が来日したことからも
関係改善への意思が伺える。