2007-10-13

才能と情熱の人・黒川紀章さんが命をかけた最後の闘い

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私にとってとても哀しい知らせでした。

世界的な建築家の黒川紀章さんの突然の訃報に驚かされました。黒川さんのファンだったので、正直、ショックです。心からご冥福をお祈りいたします。

オーマイニュース』に「才能と情熱の人・黒川紀章さんが命をかけた最後の闘い」を記録したルポルタージュを以前、発表していたので転載いたします。

主題:密着ルポ!黒川紀章氏の珍道中
副題:自身は落選、「共生新党」も壊滅

【本文】

 7月29日に投開票が行われた参院選で、東京選挙から出馬した世界的な建築家として知られる巨匠の黒川紀章「共生新党」党首はドクター中松氏の票を約2万も下回る7万0275票しかとれず、落選した。

一方、黒川氏の妻で女優の若尾文子氏(73)が名簿に名を連ね比例区に臨んだ「共生新党」は比例区に臨んだ全政党・政治団体の中で得票数最下位の14万6986票しかとれず、全候補者が落選した。

 今春の都知事選に続き、大敗を喫した黒川紀章氏は一体、どのような選挙戦を闘ったのか。全国をお騒がせした珍道中に密着取材した。

第一声は都庁

 黒川氏が若尾氏と共に第一声に選んだのは都庁前だった。黒川氏は「(都知事選で)落選したのは苦くつらい経験だったが、ゼロに戻るという意味でこの場所を選んだ」と述べ、「若尾が当選して党首が落選したらいいネタになる。そういうネタは提供しないようにしたい」と語った。途中から雨が降り出したため、夫婦で相合い傘をすることになった。若尾さんは「舞台初日の方が気が楽」「何としても黒川紀章を当選させたい。そのためにはできる限りの努力をする」と述べた。

巣鴨で大人気

 黒川氏は若尾氏と共に7月18日、「お年寄りの原宿」で知られる東京・巣鴨を遊説した。

黒川夫妻が30分遅刻してベンツで巣鴨の「とげ抜き地蔵」商店街に到着すると、待ちかねていたお年寄り約300人が「キャー」と歓声をあげて、2人を出迎えた。

「若いわ~」「きれいね」という声があちこちから飛び、若尾氏の周わりに群衆が殺到した。黒川氏は白いスーツを身にまとい笑顔をふりまきながら歩いたが、群衆に突き飛ばされる始末。「あまり強く押さないでね」と苦笑いした。熱狂的な若尾人気を目の当たりにして「僕の奥さんどこかな~。みんな美人で分からないや」とボソッと一言。

 黒川氏が演説を始めると、若尾氏が横に寄り添った。しかし、若尾氏からサインをもらおうと行列ができた。黒川氏が「僕は74歳とちょっとになります。奥さんも74歳です」と年齢を1つ間違えると「ウソよ!」と一言ピリャリ。

「え~間違えました。来年70歳になります」と黒川氏は取り繕い、「ここは特別な美人だけが来る原宿。皆さん本当にお美しくて、どれがウチの奥さんか分からなくなっております」と聴衆をほめあげた。その後、商店街を練り歩くが若尾氏の周りには常に約100人の人だかりがあるのに、黒川氏には誰も寄りつかない。1人孤独にまんじゅうを頬張りながら歩いた。

あの人にバッタリ遭遇! 若尾氏の初の単独遊説

 巣鴨で旋風を起こした翌日の19日、黒川氏が都合により来られなくなったため、若尾氏は東京・品川区の戸越銀座商店街で単独遊説を行った。

 買い物客でにぎわう中、若尾氏がマイクを握り、「黒川紀章をよろしくお願いします。災害に強くて、より豊かで、少しでも住みやすい国を作りたいと思います」と訴えると、聴衆から拍手がわいた。そこへ偶然、現れたのが同商店街を練り歩いていた丸川珠代氏の一行だ。丸川氏の応援には、塩崎恭久官房長官と片山さつき衆院議員がかけつけていた。

 塩崎氏は共生新党の選挙カーを見かけると、「若尾さん?」といって、演説を終えた若尾氏のもとへ走り寄っていった。「きょう、ダンナさんは」と質問する塩崎氏に「黒川は急用で、私1人で演説に参りました」と若尾氏は答えた。

 片山氏は「若尾さんのサイン欲しい」とつぶやき、若尾&塩崎のツーショットに割って入り、報道陣の写真撮影などに収まった。商店街を20分ほど遊説した若尾氏は記者団に「夫がいないから、しっかりしなきゃと思って……。緊張しました」と感想を述べた。

自家用クルーザーがついに登場

 7月20日、新木場にある夢の島マリーナに、この日の朝に届いたばかりという新車「アストンマーチンDB9」に乗って登場した。

 そこで、自家用クルーザー「ガバナー号」に黒川紀章氏は乗った。購入金額は約6000万円。クルーザーは約10トン、全長11.43メートルで定員は12人。キッチンやシャワー、ダブルベッド完備。6月に進水式を終えたばかりの新品だという。

 東京・夢の島マリーナから、かちどき橋までクルーザーで優雅に移動した。クルーザーによるパフォーマンスは封印中とのことで、あくまで移動の手段と説明。しかし、客船を見つけると、黒川氏は反射的にデッキで立ち上がり「おっ! 観音様!!」とつぶやき、両手をグルグルまわして支持を訴えた。

 東京湾を眺めながら、記者に対して「今回は奥さんと一緒だから心強いね」「奥さん、ボクより人気だから党首、譲っちゃうか」などと呟いた。黒川氏は夜の有楽町で、若尾氏と合流して街頭演説会を行った。2人の出会いについて語り、「男と女が『共生』していくのは危険なこと。形のうえではなく、心が通じ合うことが大切」と語った。

夫婦揃って九州入り

 21日、午後の日航機で黒川夫妻は公示後、初めて東京を離れて福岡入りした。福岡市内で共生新党から福岡選挙区に出馬している秀南(しゅうなん)高行氏とともに第一声を上げた。

 22日には宮崎県に黒川夫妻は入った。初めに向かったのが、宮崎市内の社会人サッカーチームが練習するグランドだった。黒川氏は共生新党と白地で書かれた緑色で背番号「96」のゴール・キーパー用ユニホームで現れた。「昨日のサッカーの試合を見ましたか。私はハラハラしてテレビを消しました」と述べると、「『96』はクロカワのクロ。永久欠番だね。どお、似合う?」などと自慢した。

 そして、脈絡もなく「君たちはW杯に行ける! 頑張ろう」と突拍子もないエールを選手たちに送った。グラウンドでは黒川氏によるPKが予定されていたが、この日の宮崎は、最高気温36.7度とこの夏一番の暑さだったことから、黒川氏はドタキャン。次の遊説先となる市の中心街の演説会会場へ向かった。

 会場では黒川氏や若尾氏らによる盆踊りが予定されており、やぐらが設営され、和太鼓隊が待機していた。黒川氏ははっぴ姿で、若尾氏は薄ピンクのスーツに身を包み登場した。和太鼓に合わせて黒川氏が軽快に左右にステップすると、若尾氏は手拍子をしながら笑顔で見守った。

 その後、黒川氏は約300人を前に演説をした。黒川氏は盆踊りに参加する予定だったがまたもやドタキャン。「盆踊りはホテルの個人演説会でやりま~す」と言い残し、市内のホテルへ直行した。ホテルでの個人演説会で若尾氏は「ひとりのつまらない女として言います。このままでは主人は『徒労のおの』です。みなさまのお力で、主人を当選させてください」と涙を誘うように訴えた。

 記者に対し若尾氏は「主人は当選するまで何度でも選挙に出るでしょう。体調も心配だし、今回でなんとか、選挙を終わらせたいと思った」と説明した。次に演台に立った黒川氏は「次の衆院選では政権を取る」「少年サッカーチームを作って、日本代表の選手を出す」と新たな構想を披露した。

明治座前で若尾氏が独り演説

 黒川紀章氏が札幌に遊説に行ったため、24日、都内4カ所で若尾文子氏は単独遊説を行った。

 初めに選んだ場所は明治座前。24日10時10分には里見浩太朗さんが主演する「水戸黄門」の千秋楽で、明治座前は大勢の舞台ファンでごった返していた。「皆さんがお芝居に入る前にごあいさつさせてください」「皆さん、水戸黄門の千秋楽、心からおめでとうございます」と訴えながら登場すると、すぐにファンが周りに詰めかけた。

 「残る人生、最後の時間を、国民が安全で、少しでも生活しやすい国にしようと、夫の黒川と必死に頑張っております」と訴え、「国が出すお金で、地震に耐える建物になるんですよ」と、共生新党のマニフェストの目玉である木造2階建ての耐震化を説明した。

 午前11時には日本橋三越前に到着した。「(政治が)おかしいと思っても、私たちの声は実際には届かないと思っていました。でもいつまでもそんなことは言っていられません」と聴衆に訴えた。

若尾氏の故郷・宮城入り

 黒川紀章氏と若尾文子氏は26日、宮城県入りした。仙台は若尾氏が高校時代を過ごした第2の故郷といっても過言でない。足を踏み入れると、「もう何十年ぶりかしら」と感慨深げにもらした。

 仙台のホテルで行われた演説会で若尾氏は「多感な時期を仙台で過ごしました。ここでは母と兄を亡くし、悲しい思いをしました」「しかし、親友と図書館で読書をするなど楽しい時間もありました。印象に残っているのは田山花袋の『蒲団』。仙台は女優としての原点。第2の故郷です」と故郷への熱い思いを語った。

 JR仙台駅前の街頭演説では「私はこの地で、焼夷(しょうい)弾が落ちる中を必死で逃げまどいました」「だから、安全で、少しでも豊かな国にしたいと思い、夫婦で立候補しました」と有権者に支持を訴えた。疲労気味の黒川氏は「もう覚悟はできた。無理がたたって、死期が早まっている。『死ぬ前に少しだけでもいいことをした』と言われれば本望」と演説した。

最終日に黒川氏がダウン

 そして、最終日の28日。黒川氏と若尾氏は八王子→二子玉川→渋谷→新宿をまわり、新宿で派手にフィナーレを飾るはずだった。

 しかし、黒川氏は疲労のため、渋谷の遊説でギブ・アップ。静養のため事務所近くのホテルへ直行した。若尾氏は1人で最終ステージのJR新宿駅東口前へと向かった。

そして、7月29日の投票日(ロイター) そこでは、特設ステージが設営され、和太鼓3張、ホラ貝、たいまつ30本などがスタンバイ。若尾氏が1988年に出演したNHK大河ドラマ「武田信玄」のテーマ曲が流れる中、若尾氏はステージに上がった。若尾氏は「明日の投票日は共生新党、黒川紀章と書いていただきたい。それが今の最大の私の望みなのです」「残る人生を『政治のためにささげたい』と言っている黒川紀章に投票してください」と訴えた。

投票日、「衆院選で政権獲得」と黒川氏

 そして、投票日の7月29日。若尾氏は自宅で待機し、会見場には黒川紀章・党首が姿を現した。結果は黒川氏、共生新党ともに全滅。

 さぞや、気落ちしているだろうと思ったが、黒川氏は意気揚々としていた。大勢が判明した深夜に会見で「都知事選から半年、共生新党ができて3カ月で、ようやく認知度が上がってきたところ。参院選は2段目で、3段目になる次の衆院選ではいきますよ」。

 加えて、「僕は最初から6カ月後に衆院選があると見切って動いてきた。次はたくさんの当選者が出せるようにする」「政権奪取に向け、きょうからスタート。衆院選に向け、いかに共生新党が必要な政党かを訴えていく」と衆議院選挙に出馬することを早くも宣言し、おまけに政権獲得まで公約、「自民、民主の大物を落とすために出馬します。菅(直人代表代行)を落とすか、小池(百合子防衛相)を落とすか……(石原慎太郎)都知事の息子もターゲットだな」と続け、記者を失笑させた。
 
 長きに渡った珍道中はこうして黒川氏の失笑発言で終わったのだった。