2012-08-15
敗戦の日に……
戦後50年の1995年8月15日に当時、首相だった
日本社会党の村山富市氏は日本の戦前・戦後について
総括する談話を公表しようと考えていた。
当時は自民党・社会党・新党さきがけの
三党連立政権。
村山首相は推敲してかき上げた談話起草文を
全閣僚、とりわけ、自民党の閣僚に見せ、
意見を仰いだ。
平沼赳夫「たちあがれ日本」代表が
運輸大臣で、いわゆる「日本遺族会」の
会長だった橋本龍太郎・副総理も目を通した。
橋龍さんからの訂正の意見は、
「終戦」という曖昧な表現を「敗戦」に
変えろ、というものであった。
村山首相はそれを受け入れた。
村山談話は後に受け継がれていき、
アジア侵略への反省を、より真摯な
表現で謝罪する小泉談話へと
受け継がれた。