2007-09-11

隅々から伝わる「生きる情熱」 仏のパリ市長ドラノエ氏の自叙伝 

_12_0144.jpg

日刊ベリタ』に【隅々から伝わる「生きる情熱」 仏のパリ市長ドラノエ氏の自叙伝】というタイトルの記事を執筆しましたので転載します。

【本文】
 フランスのパリ市長ベルトラン=ドラノエ氏の著作がこのほど、「リベルテに生きる パリ市長ドラノエ自叙伝」として邦訳され出版された。同氏は上院議員時代に自ら同性愛者であることを公表し、2001年に保守系の市長を破り、パリ市長に当選した異色の人物。出版を契機にドラノエ氏の思想、人となりに迫ってみた。 
 
▽田中前長野県知事と共通点 
 
 フランスの首都パリの市長ベルトラン=ドラノエ氏とはどんな人か、と問われれば、田中康夫参議院議員(前長野県知事)の体型をスマートにして、彼の性格をまるくしたような人物だと私は答える。 
 
 徹底した歳出削減による財政の健全化、市民と真摯に対話する車座集会の実施や長く続いた過去の保守系市長の下で決められた無駄遣いの撤廃。情報公開・説明責任が十分に果たされる「ガラス張り」の行政、託児所の増設など手厚い社会保障政策、自動車優先の見直しによる大気汚染対策など数々の環境政策...。 
 
 ドラノエ氏がパリ市で実行したこれらの斬新な政策と、社民主義者であり、国に「物言う」首長であり、またタブーに常に挑戦しメディアの脚光をいつも集めていることなど、田中氏とドラノエ氏の共通点は多い。 
 
▽同性愛者を公言 
 
 ただし、大きく異なる点といえば、性的指向に関することだ。ドラノエ氏は自身が同性愛者であることを公言している。 
 
 ドラノエ氏は上院議員だった1998年11月22日、民間のテレビ局「M6」の報道番組「立ち入り禁止地帯」に出演し、インタビュアーの「ドラノエさん、あなたは異性愛者なのですか、同性愛者なのですか」という質問に、「そうです、私は同性愛者です。」と答え、「今日(この場で)、行っている議論の重大さを私は承知しています。しかし、私はもう48歳です。自分の信念を持って生きなければならない」「私が同性愛者であることなど、フランスの市民は気にしないで欲しいと思います」といった。 
 
 さらに、ドラノエ氏はこう言い切った。 
 
 「自分のキャリアなど、私にとっては最も重要なことではない」 
 
 この告白よって自らの政治的生命が絶たれる危険性を覚悟した上での勇気ある発言だった。しかし、ドラノエ氏の発言は好意的に受けとめられ、2001年3月には現職市長を破ってパリ市長に当選する。 
 
▽信念の人 
 
 そのドラノエ氏が自身の半生と思想・政治哲学を綴った著書が日本語訳され、ポット出版から今年6月下旬に「リベルテに生きる パリ市長ドラノエ自叙伝」が刊行された。本書は邦訳通りドラノエ氏の自叙伝であると同時に、平和やテロ、貧困、格差、自由、人権、平等、友愛、連帯、芸術、民主主義、都市、グローバリズム...といったテーマに関する同氏の哲学が披露されている思想書だ。 
 
 ドラノエ氏が信念の人だということは、本書の次のような箇所からも分かる。 
 
 「『ベルトラン、あきらめてはだめよ』。ダニエル=ミッテラン元大統領夫人は、2001年5月9日、私に会いにきた時、こう言った。フランソワ=ミッテラン大統領選出20周年記念に際して、私は彼女を、自分が着任したばかりの、そして彼女が足を踏み入れたことのなかった市庁舎に招いたのである。私たちは1981年の勝利を思い出し、胸が詰まった。心に決めた問題に熱情をもって闘い続けるあの偉大な反逆者からの、それは励ましと承認だった。私はあきらめない。あきらめるという言葉は私の気性にも哲学にもない」 
 
 印象に残る言葉やエピソードはたくさんあるが、その何点かを紹介しよう。 
 
 同性愛者に対する差別について書いた部分では、「寛容の精神だけでは不十分だ。理解も必要である。」(要約)と述べている。 
 
 フランス人は同性愛に対して寛容になった。最新の世論調査では65%の成人が同性愛者に異性愛者と同じ権利が与えられるべきだと答え、61%が同性カップルの結婚合法化に賛成している。 
 
 さらに、極右支持者ですら71%が「同性愛という生き方は受け入れられる」と答えている。だが、ドラノエ氏はいう。 
 
 「寛容さだけでは、他者を本当に認めることにはならない。多くの人が心からの優しさをもって同性愛者と接しながら、同時に、同性愛はどこかおかしい、ふつうではない、実のところは劣っているという目で見続けることもあり得るのだ」 
 
 そして、子どもを持つ親に問う。もし、自分の子どもが同性愛者だったら生物学的、心理学的に何がまずかったのだろう...と思わないか、と。 
 
 同性愛の子どもを、異性愛のそのきょうだいと同じように自慢に思ったり、少なくともせめて同じだけの愛情を注いだりする家族は「非常に稀だ」とドラノエ氏は指摘する。同性愛者が受容されるためには、同性愛が何かの過ちの結果ではないとして、この性的指向を正しく“理解”する必要もあるのだ。 
 
▽テロの芽にも厳しい目 
 
 2004年3月11日にマドリードで200人近くの死者と2000人近い負傷者を出した列車爆破テロが起きた後にドラノエ氏がとった行動も感心させられる。翌週の金曜日の夜にマドリードで事件に抗議する大規模なデモが行われると知り、彼はスケジュールを空けて、それに参加する。 
 
 米国の9・11テロやマドリードのテロの時、ドラノエ氏は「もしこれがパリで起こったら」と思ったという。パリ市長としてこれらのテロを「他人事とは思えない」といい、あらゆるテロを「私は認めない」と宣言する。 
 
 そして、「宗教の名の下に殺戮を行う者は、解放運動の継承者ではなく、ファシズムの継承者である」と断言する。しかし、テロを非難する側の姿勢もドラノエ氏は問う。 
 
 イラク戦争を「偽りの口実」で始められたと非難し、米兵によるイラク人囚人への虐待やグアンタナモ米軍基地におけるタリバン兵らへの非人道的な拘束状況を厳しく批判する。 
 
 「我々自身が下劣な存在に堕さぬよう」に襟を正していなければならないと指摘し、「手本として押し進められるはずの民主主義が、実際にはかえって疑わしいものにされてしまったとは、どれだけ嘆かわしいパラドックスなのか」と嘆く。 
 
 そして、チェチェンやパレスチナを例にして、テロの芽となる圧政をやめてこそ、テロの根絶につながると指摘する。「テロとの闘い」を口実に攻撃さえすればいいわけではない...という真っ当な意見をドラノエ氏は持ち合わせている。 
 
▽女性差別撤廃にも尽力 
 
 パリ市長になってから同市の男女比を勘案して、33人いる助役のうち女性を18人、男性を15人にしたという話も興味深い。パリ市役所においてはあらゆる男女差別が撤廃された。 
 
 受付や秘書を女性にだけやらせるということはなくなり、女性が要職に就くようになった。パリ市役所の21ある部局のうち、部局長は女性が11人、男性が10人だそうだ。ドラノエ氏は「口舌の徒」ではない。率先して差別徹底して取り組んでいるのだ。 
 
 パリ市郊外の集合住宅(シテ)で2002年10月4日、当時17歳の少女スワンヌさんが顔見知りの男たちによってガソリンを全身にかけられた末に、火をつけられて焼き殺されるという事件が起きた。 
 
 シテにおける女性の地位は一般に低く、「女性は従順であれ」という考えが未だにはびこっている。その延長でスワンヌさんの事件が起きた。 
 
 事件に「深く衝撃を受け」たとドラノエ氏はいい、シテで暮らす女性たちの状況に心痛めている。シテで暮らす無名の少女たちが裸となって2003年にヌード写真集を出したことについても理解を示し、彼女たちは「私たちの身体は美しく、貶めるための道具ではない。裸体の自分を見せるのは、この美しさを分かち合いたいからだ」と思っているにちがいないとドラノエ氏は語る。「女性の裸体」に眉をひそめるのではなく、真意を汲み取ろうとする同氏は差別される女性たちの哀しみや痛みに心から同情する良き理解者であろう。 
 
▽社民主義のグローバル化主張 
 
 ドラノエ氏の「社会民主主義をグローバル化する」という言葉も含蓄がある。貧困と格差の拡大や搾取、「米国の一人勝ち」といったグローバリズムの負の側面が今日、報じられている。しかし、グローバリズム自体は避けがたい現実のものとドラノエ氏は受け止める。そして、人権や自由、平等が尊重される「社民主義こそをグローバル化していこう」と訴える。単なるアンチ・グローバルではないのである。 
 
 本書は「生きる情熱がある限り」...という思わせぶりな一文で結ばれる。ドラノエ市長の「生きる情熱」が本書の隅々から熱く伝わってくる。日本語訳のレベルはたいへんに高く、事細かな注・解説もつけられているので、フランスやヨーロッパについて知らずに読んでも困ることはない。一読をすすめたい書である。