2011-11-02

ルネ=ユイグ『闇は暁を求めて』全3巻

政治家として”大物”であり文人として”大家”であるアンドレ=マルローはシャルル=ドゴール政権の下で文化相を長く務めた。同氏の小説『希望』は、希望が見えない世の中だからこそ、示唆に富む。

マルローは1976年に没したのだが池田大作SGI会長と対談し、本になっている(『人間革命と人間の条件』)。はじめにフランス思想研究(とりわけ、ヒューマニズム)の碩学・桑原武夫先生が解説を書いている。

SGI会長がフランス美術史・美術論の大家・ルネ=ユイグと『闇は暁を求めて』という全三巻の対談集を出していて、未だに手に入ることが分かったので、発注した。日本語でユイグの新刊が中古でなく新書として手に入れられるのはこのシリーズだけなので楽しみである。

シャルル=ナポレオンが書いた『ナポレオンによるナポレオン論』(未だ邦訳されず)を読んで感銘を受けていたので、SGI会長と今年に入って出した対談本も発注した。

読書の秋ではないが、最近、1日1書を、多忙ながら、心がけている。

にゃ~んてことを書き連ねたのは、『幸福の科学グループ』の大川隆法・総裁はなぜ著名人と対談せずに、亡くなってから、霊言という形で”対談まがい”のことをやるのか不思議でならないからだ。ピーター=ドラッカーにいたっては晩年にも来日講演しており、私は聴きに行った(サイン本をもらった話は以前したとおり)。

『もしドラ』が流行ってから、大川総裁は突如、ドラッカー礼賛を始め、今までに、ドラッカーの霊言を3冊出している。
読むに耐える内容ならよしとしよう。しかし、死者を冒涜するような”まがい物”だから、手に負えない。
エンターテイメント性はあろう。しかし、30分あれば読破できるジャンク・ブックをどんな人が買うのだろう。
といいつつ、雑誌『イチゼロ』から『幸福の科学を科学する』原稿を求められ、自分は買っているのだが……。

大川総裁が公に文化人と対談をしたのは、私の記憶する限り、渡部昇一氏と田原総一郎氏とだけ。
霊言は”方便”と自身で宣言しておきながら、世界の一級の知識人と対話するでもなく、霊言に拘るのは、醜悪だ。
「方便の時代は終わった」と1994年に霊言の中断を宣言したが、いま、『方便の時代が始まった』と自身で宣言するのが誠実な態度なのではなかろうか……と思う今日この頃、稲垣五郎。