2007-06-13

参院選に臨む栗原君子「新社会党」委員長に聞く

インターネット新聞・JANJAN』に【
参院選に臨む栗原君子「新社会党」委員長に聞く
】という記事を書きましたので転載します。

 1996年1月に村山富市氏を党首とする社会民主党を割って結成された「新社会党」が今夏の参議院選挙で、「護憲」を旗印に広範な政治的ネットワークをつくろうとしている政治団体「9条ネット」に全面協力する。栗原君子・委員長が「9条ネット」の参院比例区の候補者として立候補する。結党から11年が経ち、党勢が低迷する「新社会党」の栗原君子・委員長に今夏の参院選にかける思いと、政治に関わるようになった個人史を聞いた。

栗原君子・委員長が平和運動に入ったキッカケ

――栗原さんが平和の問題を考えるようになったのはいつですか?

 私は1946年1月に生まれました。45年8月、廣島に原子爆弾が投下された当時、私の父親は中国の南の方にあったと言っていましたが、要するに侵略戦争のため派兵され、兵役を終え帰っていました。村役場から「何か、ようわからんが、廣島でおおごとな事が起きたそうな……。救援に行くように……」と言われて廣島に救援にはいりました。 私は小さいときから父親が見た被爆の実相を聞かされて大きくなりました。高校は広島市内にある私立の女子高でしたが比較的、爆心地に近いところにあったため、多くの教職員や生徒が原爆の犠牲になった学校です。私が在学中、教職員の中には顔や腕をはじめ身体に大きなケロイドを持つ方が何人もいらっしゃって痛々しそうで、お気の毒に思いながら見ていました。そのなかのお一人に「あおぎり」で有名な被爆の証言活動をされている沼田鈴子先生もいらっしゃいました。沼田先生とは現在もお付き合いさせていただいています。
 私は政治に関わるようになって「戦争につながる一切のことに反対します」「徹底して弱者の側に立ちます」の2点を常に心に刻みながら活動してきました。

――平和運動をはじめ市民運動に関わったのはいつが最初ですか?

 私は19歳で結婚、広島市内から現在の熊野町に転居し家事と3人の子育て、生活費捻出のため新聞配達や毛筆の内職に追われる毎日でした。広島市と呉市のベットタウンであるために生徒の急増、学校給食が無い、保育所不足でわが子が保育所に入れないなどと嘆きながら署名活動などで動いていました。
 27歳の時、社会党から声をかけられ社会党の政策を何一つ分からないまま、そそくさと入党して熊野町議会議員の補欠選挙に立候補したものの落選、それから2年後、75年の統一自治体選挙で初当選させていただき92年の参議院選挙告示までの17年間、社会党の町会議員でした。この間、PTA活動や子ども会育成会、生協活動なども行いました。

――平和運動に関わるキッカケは何ですか。

 党活動をするようになってからです。根底には父親からの戦争体験の話や女子高で先生方から伺った被爆体験談があるでしょうか。お二人とも亡くなりましたが原爆詩人の栗原貞子さんや広島県被団協理事長の伊藤サカエさんたちの影響もありました。なかでも私は核問題に関心をもち原水禁代表委員の故森滝市郎先生が「核と人類は共存できない」「人類は生きねばならぬ」といわれたことに同感です。

イラク戦争、統一地方選挙の結果、新社会党の存在意義

――イラク戦争の開戦前にどのような行動をしましたか。

 開戦前、原爆ドーム前での座り込み行動、街頭でのマイクでの訴えやチラシ配り、アメリカ大使館と当時の小泉首相や外務大臣宛に抗議文を送付、広島県知事宛には協力しない旨の申し入れ行動などおこないました。

――2007年の統一自治体選挙の結果をどう受け止めていますか。

 市町村の合併や定数の削減など、反体制派の側にはきびしいものがありました。労働組合の多くは民主党、残りの少数が社民党でした。新社会党への支持・支援は極めて少なかったのですが、日頃の活動と、憲法を守り生かす勤労者・労働者の政党としての頑張りが、働く人たちの共感をよんだと思います。そのため、反動化が進む中でも現状維持できました。この勢いを参院選に結びつけ改憲阻止勢力の前進をはかりたいと決意を新たにしています。全党的に活力が出てきたと思います。

――新社会党が解党せず存続している理由は何ですか。

 新社会党は、綱領で明らかにしているように、額に汗して働く労働者を先頭とする勤労者の政党です。人口の9割を占める勤労者の全てが真に解放されるためには、搾取のない、人権が守られる社会にしなければなりません。新社会党は、こんにちの日本社会を支配している多国籍資本化した巨大資本(財界)と、その政治部である自民党を倒すことをめざす変革の党です。弱肉強食の競争による市場原理は、世界の民衆を貧窮のどん底に落ち込ませています。アメリカの現代帝国主義といわれる新自由主義路線に従属しているのが、財界と歴代自民党政権です。これに対決できる一貫した路線をもつ新社会党こそ21世紀の政治を担う変革の党であり、たたかいの中で民衆の支持はだんだんと広がると考えています。

――日本になぜ新社会党が必要なのか。

 新社会党が必要かどうかは、国民・民衆が決めることですが、右翼化・反動化の進む中で、結党いらい12年間闘い続けてきた党の運動の歴史が何よりの証明だと思います。

――何故必要と言えるのでしょうか。

 この度の参院選は、改憲阻止のたたかいにとって「関ケ原のたたかい」と言える重要性があります。新社会党は、護憲派結集の「共同候補の擁立」を提唱し、市民運動、有識者、学者、弁護士、労働運動有志、そして無所属議員などの多くの人たちの賛同を得て「9条ネット」という共同戦線の政治組織が結成され、新社会党はその構成の一員です。そして10人の共同候補(比例9人、選挙区1人)を確定し、たたかいがはじまっています。新社会党は「9条ネット」の一員にすぎませんが、重要な歯車として頑張ります。現実の情勢が新社会党を必要としているのです。

――既成の革新勢力で物足りない点は何ですか。

 「既成の革新勢力」がバラバラに選挙を闘っていては、ますます後退するばかりです。「なぜ各党は共同しないのか」という民衆の声が大きくなっています。この民衆の声に応えるべきです。

――新社会党と他党とのちがいは何ですか。

 新社会党は、日本社会の変革をめざして、直面する改憲阻止、「9条」擁護を全力で闘います。自民・財界がすすめる新自由主義の不正と搾取強化、重税政策と対決します。労働者のたたかいのなかで、階級性のある労働組合の再建、強化をかちとる労働政策を前進させます。「連合」の方針がますます改憲容認と財界寄りになりつつあることに批判を強めます。「大衆迎合の選挙党」でないのが他党との相違点だと思っています。

改憲を巡る動向、今夏の参院選の取り組み

――昨今の憲法をめぐる動向をどのように評価していますか?

 安倍内閣は3年後の改憲発議をめざして、「新憲法草案」の合意(民主党を含めて)に全力を傾注するでしょう。そして、集団的自衛権の行使や道州制の実施、日米軍事基地の拡大・強化とミサイル防衛などによって、憲法の完全な空洞化をはかると見られます。したがって、これからの3年間は、憲法を生かす大衆運動の盛り上げによる反撃の時です。衆・参の国政選挙も、もう一度づつこの3年間にあります。護憲勢力が結集した共同のたたかいを実現することが決定的に重要です。

―――新社会党がめざす社会は何ですか。

 既に述べましたが、搾取と重税がなく、政治的自由と人権が守られる国家体制です。そして、福祉・医療の充実、特に老後に不安のない国です。また、軍隊のない国、基地のない平和な国です。

――今夏の参院選にどう取り組みますか。

 参院選で新社会党は「9条ネット」の一員として闘います。すでに10人の「9条ネット」公認候補が決まっています。供託金と闘争資金も全国のカンパで準備しています。

―――「数々の困難」をどうクリアしていきますか。

 こんにちの選挙法は革新側にとっては最悪の法です。少数派をつぶすための選挙法になっています。マスコミの大部分もこれに同調しています。しかし私たちの「9条ネット」はこの権力の壁を打破して頑張る体制をつくりつつあります。勝つために9条を守る民衆の力を総結集することに努力します。