2004-09-14
年金問題の本質は、積立金の管理形態だ〈国家主権か、国民主権か〉
この半年間は、日本の戦後史の上で初めて「年金」が集中的に語られた期間だった。新聞、テレビ、雑誌に「年金」のテーマが踊り、多くの人がこれまで知ることのなかった制度の舞台裏をかいま見た。一四七兆円の年金積立金という言葉も、去年よりはずっと広がった。
国会では、政府・与党提案の年金関連法案が無傷で通ってしまったから、形の上では「完勝」だが、当面の観測結果が出てくるのは参議院選挙の結果いかんであることは言うまでもない。与党筋が経験則で言うように「人の噂も75日」であるならば、私たちの「敗北」は深い。しかし、年金問題に注目した人々の徒労感と落胆は、そう浅いものではないだろう。それが、大量の棄権票になるのか。自民・公明両党に対する責任追及の怒りの一票につながるのか??私たちは、投票に行こうと愚直に働きかけていく以外にない。
年金制度創設時からの願望成就の年
年金の歴史を調べようと、国会図書館で分厚い『厚生年金史』や『回顧録』を取り寄せて読んでみた。すると、グリーンピア事業や株取引の失敗は、その時々の官僚たちによる事業判断の過ちというよりも、年金制度がはらんできたDNAのなせる技だったと妙に感心する記述で溢れている。
厚生年金の前身となったのは、一九四二年(昭和一七年)の労働者保険法である。この制度設計の立役者だった当時の初代厚生省年金局年金課長の花澤武夫氏は、「すぐ考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。この資金があれば、一流の銀行だってかなわない。これを、厚生年金保険基金とか財団というものを作って、その理事長というのは、日銀総裁ぐらいの力がある。そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。何千人だって大丈夫だと。金融業界を牛耳るくらいの力があるから、これを必ず厚生大臣が握るようにしてければならない」と考えたことを回顧録(厚生年金保険回顧録・厚生団編)で語っている。
花澤氏ならぬ年金OBの述懐からは、「莫大な積立金」の管理運用権限をめぐって、大蔵省と争ったことが書かれている。「国家財政の一元運用」を曲げない大蔵省が預金部(後の資金運用部)で一括管理すると、厚生省を説き伏せた形になっているが、花澤氏によれば裏があったようだ。
「『最終的には運用については、大蔵省が一元的にやらないで、厚生大臣と相談して運用する。株式を買ったりする時には、株式の銘柄などは厚生大臣が指定したものを買って差し支えない』そういうことになっていたので、(年金制度を)始めた頃は、なんでも利回りのいいのを買おうではないかということで、当時、満鉄がいちばん利回りがいいというので満鉄の株を買ったはずですよ」(同回顧録)敗戦を経て、満鉄株が紙屑となってしまったのは御存知の通りだ。
戦後、花澤氏の大蔵省と厚生省の裏協定も消えてしまい、年金資金は大蔵省の一元管理の時代が続いた。資金運用部に集められた年金資金は、郵貯・簡保などの資金とともに事実上の「第二予算」として、財政投融資として特別会計、特殊法人、地方自治体へ流れていった。グリーンピア事業や福祉施設が作られたのは、「年金福祉還元」を旗印に年金福祉事業団(現在の年金資金運用基金)が次々と施設を作り続け、住宅融資事業にも乗り出したからに他ならない。
年金積立金の大蔵省と厚生省の争奪戦は、今度の年金法案によって六〇年に及んだ綱引きの大逆転が記された。財政投融資は廃止され、年金積立金は全額、厚生労働省の下に入る。そのための年金積立金管理運用独立行政法人も、メディアが「未納ドミノ」に釘付けになっている間に、ほとんど議論なく成立してしまった。
労働運動と年金闘争
戦前の花澤氏が抱いた野望は、六〇年後に成就した。そして、日銀を上回る資金量の巨大金融機関をついにつくりあげたのである。この国の不思議は、長年にわたって必要より多く保険料を支払い続け、その結果として膨張した年金積立金一四七兆円に、ほとんどの人々の関心がないということだ。いや、存在さえ知ることがなかったと言っても過言ではない。
グリーンピア事業や年金住宅融資で失敗した。保険料で公用車や職員住宅も建てていた??そんな「無駄使い」に対しては、「冗談じゃない。やめて下さいよ」と怒りの声は洩れる。しかし、一四七兆円全額を資金運用する巨大な金融機関が誕生することには、メディアも世論も鷹揚だ。
将来、二百兆円、三百兆円と国民の積立金を操る巨大独立行政法人が、厚生労働省の下に出来たんですよ??と、声を大きく知り合いの記者に説明しても、「はあ? 保坂さん何をいきりたっているんですか」と逆に首を傾げられてしまう。「難しすぎて、一般国民の関心は届きませんよ。年金財政全体がどうあれ、自分がいくらもらえるかしか考えていませんから」という声も聞く。
簡単に絶望してはいけないと自分に言い聞かせながら、この国の現状はひどすぎるぜ、と言いたい。メディアと労働組合が健全に機能している社会なら、間違いなく、街頭デモはとどまることを知らぬ勢いで広がるだろう。これから莫大な保険料を供出していく側の労働組合はなぜかくも恭順なのか。
年金闘争は幻と消えた。旗ひとつない国会前を見渡して、悔しさを噛みしめる。誰のせいでもない。この現実を作っているのは私たち自身だと自覚しよう。私たちが直面している時代は、すでに「国家主権」の空気が充満している。国家とは官僚である。官僚の構築する虚構の言説と、全面対決しこれを乗り越えていくような「国民主権」の年金闘争を一から準備する時、それが今だ。
(初出:『労働情報』[連載●5]年金一揆の旗を掲げて/2004年7月1日)
年金
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