2010-12-04

お部屋2140/お笑い芸人と「ごっこ右翼」

次回から著作権に関するメタ弱視問題に進みますが、その前に「ポットチャンネル」がらみの話をしておきます。

一昨日の「ポットチャンネル」を観ていただいた方々はありがとうございました。アーカイブはこちら

端々に「なべやかんがいかに偉い人間か」を入れ込んだつもりなのですが、単なる下ネタの連打にしか思えなかったかもしれない。なべやかんの偉さはしばしば下ネタの中で出てくるものですから。

彼は、芸人自身が気づいていない面白さを発見して、それを引き出し、拡大させることが得意で、そこは才能であるとともに、人のステージをちゃんと観ていたり、長時間話しているからこそできることです。

元氣安のネタを見た人は、ものすごい変人だと思うでしょう。事実、そうなのですが、あれもなべやかんがいたからこそ出来上がった芸人です。

元氣安も「ポットチャンネル」に呼びたいのですが、自分のどこがどう面白いのかわかっていませんので、うまく誘導しないと、普通のことしか言わない。その意味では常識人でありまして、「芸人なんだから、ちょっとは面白いことを入れろよ」と突っ込みたくなります。

ところが、その常識人の隙間にところどころ暗闇が潜んでます。とてつもなく非常識、とてつもなく反社会的なところがあるのを発見して引き出したのがなべやかんです。

彼は今なお母親や妹に欲情できることがおかしいとは思っていません。誰もが家族を性欲の対象にできると信じて疑っていない。

80代の寝たきり老人に夜這しようとして皆に止められたこともあるわけですが、そういった老人世代に欲情できることが圧倒的少数に属することにも気づいていませんでした。

なべやかんが元氣安にこう聞きました。

「元氣さんが今一番したいのはどんなセックスですか」
「ロリコンはしてみたいですね。どうせだったら男の子がいいです。変態と言われる行為をしてみたいです」

自分の親族に欲情することも、80代の老女に欲情することも、ネコや初日の出でオナニーができることもすべて変態に属する行為ですけど、彼にとっては当たりまえのことなので、当たりまえではないことをしないと変態にはならない。だから、ロリコン。しかも、男の子。そんなことをしなくても、すでにど変態であることがわからないくらい彼は自分を客観的に見られていないわけです。

私もなべやかんに合流して、元氣安の面白さを拡大していったわけですが、一昨年だったかの正月、元氣安から新年一発目の電話があって、「今年も僕の面白さを引き出してください」という内容でした。

珍しい新年の挨拶ですが、「自分の面白さに気づけていない」ってことだけはすでに自覚しているわけです。一般に「天然」と言われる芸人も、半ば自覚してそれをやっているし、そうじゃないと芸になりません。元氣安は天然ではなく、天才と呼ばれていますけどね。

元氣安は芸人でよかったですよ。ひとつ間違ったら犯罪者ですから。

なべやかんが言っていたように、芸人たちは精神を病んで病院に入ったり、自己破産したり、住んでいるアパートをゴミ屋敷にして大家に訴えられたり、5人もの愛人がいて妻に逃げられたり、アルコール依存症だったりと、社会性のない人たちが多いわけです。なべやかんの先輩筋に当たる、どっかの知事だってねえ。

一般社会の常識的行動や感覚とズレてしまっている自分を晒して笑いをとるのが芸人であり、芸人である限り、そのズレは肯定される。むしろ、ズレがなければ、笑いはとれないとも言えます。

芸人ではない部分では非常識な人間として非難され、訴えられたりもするわけですが、舞台にそれを持ち込んだ途端に笑いのネタになる。つくづく社会性のない人たちにとっては、芸人という受け皿があってよかったと思います。

しかし、ここにも才能というものが必要なわけで、自分の滑稽さを笑われる勇気と、笑われる存在であることの自覚がなければ、芸人としてはやっていけません。

その能力がない小心者は「ごっこ右翼」になります。「ごっこ右翼」になれば、欠陥だらけの自分をごまかして、あたかも自分が日本をしょって立つかのような錯覚に陥ることもできます。こんなヤツらにしょって立たれるほど、日本という国は情けない存在ではないでしょう。

瀬戸弘幸、西村修平、黒田大輔らがこうもネットで高い注目を浴びているのは、滑稽だからです。有門大輔の「パトラッシュ事件」のネタもすごかったなあ。

彼らの場合はその滑稽さに気づけないところがまた笑われる。大爆笑をああも巻き起こしながら芸人にはなれないわけです。

ヲチャの間で、おつる人気が高いのも、彼女の自己評価と現実がとんでもなくズレている点にあって、自分の滑稽さをまったく理解していないでしょう。泡沫候補が限りなくお笑いに近づくことをまさに彼女は実践しています。

桜井誠も笑われる存在になってきています。「G2」をまだ読んでないので、詳しい論評は避けますが、隠したり、ウソをついたり、パニクったりしなければ、こうも注目されることはなかったろうに。出身地がどうであれ、家庭環境がどうであれ、学歴がどうであれ、堂々としていればよかっただけです。みっともない。

「ごっこ右翼」
に比べて、東村山の矢野・朝木両市議の人気がいまひとつ高まらないのは、彼らは滑稽というより狡猾だからでしょう。彼らの支持者である中村克の人気が高いのはマヌケさを隠せないからです。お笑いはわかりやすくなくっちゃ。

わかりやすいのか、わかりにくいのかもわからない元氣安。

このエントリへの反応

  1. やってる当事者もちんどん屋右翼って言う役割を理解してやってるわけですが、今更、そのことを得意満面に指摘ですか?

    自分たちの役割を理解して、それを突き進む。なんのぶれもないっす。

  2. 私がここに書いているのは「笑われる存在であること」「滑稽な存在であること」の自覚がないってことです。それをあなたは「自覚しているのだ」と言うわけですね。
    笑われ、バカにされることが自分たちの役割だと。わざと誤字を乱発し、ベランダのウンコで大騒ぎして、逮捕されてまで、笑ってもらいたいたかったのですね。
    だったら、これからも心の底からバカにして笑い続けてやります。よかったね。