2010-12-05
お部屋2141/著作権と「メタ視力」(追記あり)
初めての方は以下を先にお読みください。
2139/「メタ視力」リンクまとめページ
話が終わる前に飽きてきているので、とっとと進めます。
ここまでを簡単にまとめると、「メタ能力が劣っているのは子どもの特徴であり、ごっこ右翼は子どもである」ということになりましょう。そう考えると、彼らの行動が理解しやすくなる。
彼らには「自分の都合」しかなく、その都合が通らないとなると、暴力、恫喝、嫌がらせをする。議論では勝てないですから。「自分の都合」があかたも国のため、正義のためであるかのように錯覚できる出来の悪い子どもの集団が「ごっこ右翼」です。
「この国のあり方は間違っている。警察や裁判所も工作員ばかりだ」と言いながら、いざ追いつめられると、「通報しろ」「裁判に訴えるぞ」と騒ぐ。「先生に言うぞ」と騒ぐガキそのもの。「教師は工作員ばかりだ」と言わないだけまだガキの方がマシ。
判断基準は「自分の都合」だけなので、その都合に合致しない人たち、自分を批判するのは工作員。テレビドラマを見ている子どもが「父ちゃん、あの人は正義の味方なの? それとも悪の手先なの?」と聞きたがるのと一緒。二種類の人間しか認識できないわけです。
自分の利害に関わることが起きた時に、客観的な判断ができない。これが彼らの特徴であり、「メタ弱視=客観なき人々」の特徴です。
「シナ・中国産の食品を全面輸入禁止せよ!」と言いながら、中国製健康食品をを買わせようとする瀬戸弘幸は滑稽でしかないですが、本人の中では一貫しています。「中国を叩けばカンパするヤツがいる」と考え、「健康食品を売れば儲かる」と考える。「金が欲しい」という「自分の都合」という点では同じなのです。この一貫性は、他者には通じるはずばないってことも瀬戸弘幸には理解できない。
「ごっこ右翼」のように、違法な行為までを肯定し、社会のゴミ、ダニと化す暴力集団はそうはいないでしょうが、「社会としてどう考えるべきか」という客観が求められる時に、「個人の都合」を持ち出す人は決して少なくありません。
『売る売らないはワタシが決める』にも出てきますが、売買春の議論では、しばしば「私は売春なんてできない」と言い出すのが出てきて頭を抱えます。
たとえばある法律によって生活ができなくなるという個人的事情によってその法案に反対することは当然あっていい。生活権が脅かされるわけですから。
しかし、「私はできない」と言われても、「はあ、そうですか」と答える以外にどうしろと。「誰がおまえにやれと言った」って話ですし、現にできる人たち、している人たちがいるのですから、「できない私」を基準にして売春を否定していいのであれば、「できる私」を基準に肯定していい。肯定する人と、否定する人が共存するためには、売春を合法とした上で、したくない人はしないという選択が合理的ですから、「私はできない」という人も合法化に賛成すべきって結論にしかならないわけです。
他者が耳を傾けるべき個人の事情と、無視していい個人の事情との区別がつかず、「私の都合」「私の感情」に他人や社会が合わせて当然というバカな発想をしてしまう人たちがいる。
もちろん、個人の都合、個人の感情を表明するのは自由です。2133/客観のない人々で取りあげた「や」さんも、言いたいことは「私はミスチルが好き。それをおちょくる松沢は嫌い」ってだけのことでしょう。そう感じるのは自由、それを表明するのも自由ですが、こっちとしては「どうぞご自由に嫌ってください」って話であって、彼の個人的感情に他者が従う理由はない。
「メタ視力」とは無関係の話として、私は今まで「著作権法ないしは著作権そのものを理解できない人がいる」といったことを繰り返し述べてきています。条文や解説書を読んでもわからないし、人にわかりやすい言葉で説明されてもわからず、正しく著作権法に則った著作物の利用ができない人たちがいるのです。マスコミ内にもいます。
一般に法律は理解しにくいということがあるにせよ、中でも、知的所有権、つまり無体物の権利という考えそのものがわかりにくいということはあるにせよ、我々が実感として得ている「パクリはいけない。しかし、無制限に権利を認める必要はなく、引用等の利用法はあってよく、保護期間に制限があっていい」というルールを成文化しただけのことですから、どうしてそうも理解できないのかがわかりません。
日本の法律では制作した段階で権利が発生するため、それが他者に利用されたり、金を生んだりするわけではないにしても、小学生を含めて多くの人が著作権を所有していますし、ほとんどすべての人がさまざまな形で頻繁に他者の著作物を利用しています。つまり、自分の利害にからむために客観的な判断がつきにくくなるのだとも考えられます。「タダで自由に利用したい私の都合」「タダで自由に利用されては困る他者の都合」の折り合いを客観的につけられない。
著作権や肖像権が理解できないという特徴も「ごっこ右翼」は見事に体現してくれています。これについては1991/槇やすともと瀬戸弘幸のお笑い著作権などで繰り返してますし、その仲間である矢野穂積も新聞記事を捏造したことがありましたね。その支持者である中村克の壮大な「パクリ騒動」はもはや伝説の域です。
また、中曽千鶴子やクロエらも、ブログで無断コピーとしか思えない写真をベタベタ貼付けています。フェアユースではありえず、いかに「自分の都合」しか考えられない人たちかがよくわかります。
その果てに、まきやすともや黒田大輔らは、次々と著作権侵害や肖像権侵害で訴えられています。
こういう事態を想定して、1991/槇やすともと瀬戸弘幸のお笑い著作権で私はこう書いています。
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私は天下国家を偉そうに語りながら、著作権に無頓着な人間を信用できません。いざとなったら、いつでも敵がつけ込める弱点をさらけ出しているような人間の言うことなど、まともに聞く必要はないでしょう。
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私は本当に親切で、「著作権や肖像権をないがしろにすると、そこを突っ込まれるだけだぞ」とアドバイスしてやっていたようなものです。それをちゃんと受け入れていれば、こんなことにはならなかったものを、受け入れようにも理解できる能力がないのですから、どうしようもないです。
こいつらは訴えられ続けて潰れていくしかないとして、「ごっこ右翼」ではない人たちは、彼らを反面教師としていただきたい。これほど優れた反面教師集団はなかなかいない。彼らが世の中の役に立てるのは反面教師としてだけです。
続きます。
追記:情報検証能力ゼロの「メタバカ」がかっぱらいをするとこうなるという格好の例を瀬戸弘幸がまた提供してくれました。こういう写真を使用する時はFBIに相談してからにした方がいいんじゃないですかね。このマヌケさで国防を語り、いよいよ愛される存在になる瀬戸ちんであります。
【瀬戸っち失笑シリーズ(6)】 国土交通省記者会所属の自称ジャーナリスト・瀬戸弘幸サン、ネタ記事を真に受けてコラ写真を堂々掲載(そして差し替え)