2010-04-25
お部屋2043/インタビュー原稿のルール 2
「[ツイッターを疑え!]を疑え」について論ずる前に、改めてインタビューはどのように作られているのかを三点から説明しておきます。
あくまで私の考えであって、異論もあるかと思いますが、商業誌に掲載されている多くのインタビューはおおむね以下のようなルールに基づいて作られているはずです。
●依頼について
通常、原稿依頼にせよ、インタビュー依頼ににせよ、コメント依頼せよ、編集者やライターが、企画趣旨を文書で(今ならほとんどはメールです)、あるいは口頭で説明します。
オーソドックスな文書としては、雑誌そのものの説明があり、その特集の発売日、タイトル、ページ数、企画趣旨、その中で何を書いて(語って)欲しいのかが記載されています。
雑誌がツイッターの記事を出すとして、「1時間ほどインタビューさせてください」とだけ言う人はいない。口頭で済ますとしても、ツイッターをどう取りあげるのか、何を語って欲しいのかの企画趣旨を説明します。
この趣旨に納得できなければ断ればいいだけ。あるいは別のアイデアを提示して、企画趣旨を変えてもらえばいいだけです。それが受け入れられなければ、その段階でやっぱり断ればいい。
ちょっと前に、私のところに「ツイッターが日本を滅ぼす」という記事をやりたいとの話が持ち込まれました。批判的に取りあげることはいいとして、あるいは目立つタイトルをつけるのはいいとして、日本を滅ぼすほどの力はないですから、事実として間違っています。
「それは無理ってもん」ということで、この時は別の切り口を提案して、その方向で記事が作られることになりました。
それをせずに執筆やインタビューを承諾した場合は、当然、趣旨に同意したということになり、その範囲で協力するしかありません。どこがどうして日本を滅ぼすのかを考えるしかない。契約書があるわけではないですが、契約成立ってことですから、あとになってとやかく言うのはなしです。
●加筆について
インタビューにもいくつかの種類があります。質問と答えを並べるもの。インタビュアの言葉を地の文として入れるもの。インタビュアの言葉を残さず、インタビュイの言葉だけでまとめるもの。インタビューということを記載せず、本人が書いた原稿のような体裁にするもの。
それぞれまとめ方やそれに伴うルールは少しずつ違ってきますが、どれにしても、「語られた言葉を一言一句そのまま文章にする」なんてことはごくごく稀です。あり得ないとまでは言いませんが、過不足なく求められる文字数分、求められる内容を話せる人などほとんどいない。
多くのインタビューは、語られた膨大な言葉の中から必要な部分を抽出して、自然に話が流れるように前後を入れ替え、文章のテンポを整え、事実関係を確認して修正し、不足した言葉を補ってまとめられます。
そうしてもらわないと、語った側も困ります。話し言葉をそのまま文字にしても読みにくいだけであり、たいていバカに見えます。たまに「あー」だの「うー」だの「えーと」だの「じゃん」だの「だべ」まで残すインタビュアがいて、効果を狙ったものならいいとして、そういう意図がなく、そのまま出している。それが間違っているとまでは言えないのですが、私は削って欲しい。
つまり、自分で書く原稿と違って、インタビュー原稿には編集部やインタビュアの判断がどうしたって入ってくるものであり、インタビュア(および編集者)とインタビューイとの共同著作の意味合いが強く、自ら書いた原稿とは大きく違うものと言っていいでしょう。
もちろん、一般の原稿でも、編集者の意思が反映され、時には編集者の文章が加わりますが、誤字脱字の類いを除き、直す場合も書いた本人にやらせるのが原則です。
ちなみに私がかつて編集した『ワタシが決めた』では、「どこまで直していいのか」について、選択制を導入。直しの範囲を書き手が決定していい。「誤字脱字まで」「趣旨が変わらない範囲で」「すべておまかせ」の三項目だったかな。
書き手のほとんどはライターではないので、直しは必須なのですが、本人に直させようとしても、うまく意思疎通ができないかもしれない。かといって、こっちで手を加えると、ルールを知らないがために、「勝手に直された」だのと文句を言われる可能性があって、こういう方法を採りました。合意さえあれば、どれだっていいわけです。
実際、同趣旨の別の本(出版社が解体して結局出なかった)では、すべて本人に直させるようにしたのですが、説明に手間がかかる上に、原稿が戻って来ないので、時間が通常の数倍かかりました。
それでもなお本人が書くことの意義があるとこの時は判断したのですが、インタビューをライターがまとめた方がずっと楽で早いですし、ソツのない文章になりますから、雑誌ではしばしば話し言葉をまとめる方式がとられるわけです。
私がインタビュアをやる場合、地の文章を入れることが圧倒的に多く、言葉が足りなければ地の文章で補足することができますが、インタビュアが原稿で過剰にしゃしゃりでるのは避けたいため、現場で私が語ったことを相手が同意していれば、相手がすべて話したように処理することもあります。いくら突っ込んでも、ほとんど言葉が出てこない人がいるものですから。
私がやっているインタビューの多くは、本人のキャラまでを見せていくものですから、言葉の癖もそのまま残すようにします。たとえば「私は本を読むのが好きな人だから」という言い方は私にとっては不快ですが、そのままにしておいたり。方言もそのまま残すようにしますが、すべて残すと読みにくいため、適度に残すことで、その語り手が方言で語っていることを示します。
しかし、週刊誌の特集記事などでよくある「インタビューをもとにした原稿」では、キャラを見せるのではないので、大きく手を加えるものです。
政治家でも芸能人でも小説家でもAV嬢でも誰でもいいのですが、名前で読ませるインタビューと違い、週刊誌の特集記事では、言葉の個性は消されます。人称も「俺」「僕」が「私」に統一されたりする。
企画趣旨に沿った内容が求められ、編集部なりライターの意向がより反映されるわけです。そのためには、趣旨説明は必須と言えます。
その場合に、「どこまで変えていいのか」「どこまで言葉を加えていいのか」の考え方は編集部やライターによっても違うでしょうが、私がインタビューされた経験で言っても、しばしば自分が言っていない言葉、言っていない内容が加えられます。
時にそれは望ましい加筆であり、「そうそう、オレが言いたいことはこういうことだったのだ。よくまとめてくれた」「そういえば、この話を語るのを忘れていた。加えてくれてよかった」ということもあります。話し言葉ではどうしてもミスが起きやすく、言い忘れることもありますので、こうしてくれた方がいい。
こういうインタビューは、本人が書いている暇がない場合、文章を書き慣れていない場合の代用の意味合いもあるでしょうが、本人が書くと雑誌のテイストに合わない文章になったり、企画趣旨が反映されなくくなるためになされることの方がおそらく多い。同じ特集内ではトーンを合わせた方が読みやすく、より正確に企画趣旨を理解している人がまとめた方が雑誌にとっては望ましいわけですから、最初から雑誌が求めるものを実現する手法だとも言えます。
それがために、納得できない直しや加筆をされることもよくあります。一般読者にわかりやすいように言葉に説明を加えたり、詳細な情報を加えたりするのはいいとして、ことごとくが間違っていることもあります。インターネットで調べて丸写ししたのでしょう。
あるいは録音しないライターだと、こちらが言ったことと180度違うことを書いていることもあります。
その結果、手直しに時間がかかり、「これなら最初からオレに原稿を書かせろ」と苛立つこともあります。インタビュアは3万円、こっちは5千円だったりしますから。
しかし、それを修正する機会が与えられている限りにおいて、なおかつ合意された企画趣旨の範囲において、インタビュアによる加筆は批判されるべきではないと考えます。
●内容のチェックについて
「原稿チェックをさせて欲しい」と申し入れてもチェックさせてくれない媒体もありますし(原則、新聞のコメントはチェックさせてくれない)、黙っていると、そのまんまということもありますが、多くの雑誌では、要求すれば、まとめられたものに問題がないかを確認するために原稿チェックをすることが可能です。
ライターがまとめ終わった段階でチェックするか、レイアウトまで終わったゲラの段階でチェックするわけです。
このチェックがないインタビューでは、おのずと手を加える範囲に制限が出てきてしまい、細かな言い回しはともあれ、本人が語った言葉でまとめるべきですし、大きく加筆する場合は、「これこれこういう内容を加えていいですか」と確認すべきかと思います。
しかし、チェックがあるなら、加筆修正していい範囲は広くなってしかるべきです。
チェックという手続きがあるのは、インタビューイのためであるととにも、インタビュアのためでもあります。チェックがあった方がインタビュアの裁量の余地が膨らみますので。
インタビューイもまたこの段階で、言っていないことを加えたり、削られた内容を復活させることができます。ただし、これも合意がなされた企画趣旨の範囲でなければならないのは言うまでもありません。あるテーマについて語ってもらいたいのに、自分の宣伝ばかりされたら、出版社はたまったものではない。
この修正において文字数を守ることもルールのひとつです。どの段階でのチェックかによるのですが、チェックのあとで文字数変更があると面倒なので、文字数はフィックスされていると考えてほぼ間違いない。インタビューイは、この文字数の範囲で、内容に手を入れてもかまわないってことです。
たとえば千字、二千字程度の原稿で、二行や三行の変更は、行替えの位置を変える、小見出しを入れたり外したりする、記号や数字、漢字の表記を変えるといった方法で調整が可能ですが、十行といった単位になると、編集部はレイアウトを変更するか、再度原稿を削ることになりますから、インタビューイが大幅に文字数を変更した場合は、「編集部でもう一度手を加えていい」と承諾した見なされてもやむを得ないでしょう。
事実、私もそうすることがあります。どうしても削れなくて、「あとはまかせた」と。この場合は意に添わない修正をされても文句は言えない。それがイヤなら「自分でやれ」ってことですから。
その直しに対して、編集部は「その話は他の人が触れているので外したい」といったこともあって、その齟齬が生じた時は調整していくしかない。
最終的に合意に達しない場合はそのインタビュー自体を外すしかないのですが、締切が近づいてきている時に、それもできない。
この場合は、インタビューイの意向を尊重した上で、二度と起用しないのが賢明かと思います。そもそも人選にミスがあったということなのですから。
続きます。
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