2008-12-17
お部屋1737/未来が開けた瀬戸弘幸
お知らせ1:新刊『風俗お作法』(しょういん)が一部書店で大変好調です。お近くの書店にない場合は取り寄せするか、アマゾンでご購入ください。この影響で、「風俗ゼミナール」シリーズの「女の子編」と「上級お客編」がアマゾンでまた動いているようです(「お客編」と「上級女の子編」は品切れです)。在庫は少なく、これ以上、増刷はされないと思いますので、お早めに。
お知らせ2:私も企画に関わっているDVD「嗚呼、涙のハードコアお笑い劇場」(大洋図書)が先日が発売になりました。こちらも書店流通で、アマゾンでも取り扱い中です。
お知らせ3:品切れになっていた書店もあるかと思いますが、『エロ街道をゆく』の4刷が決定しました。私の文庫では『魔羅の肖像』に続く好成績です。売れてないものが売れてくれた方がいいんですけど、この際、なんでもいいです。
やっと年末進行を一通り終わらせました。あとは、年明け早々入稿の原稿を送って、打ち合わせをやって、忘年会に出るだけですので、今後は年末まで原則毎日「黒子の部屋」を更新する予定。
「瀬戸弘幸とは」シリーズに戻る前に、ここ数日のことを書いておきます。
年末進行で忙しいワシらが休んでいる間に、瀬戸弘幸は幸福の科学をヨイショ。これは予想しませんでした。
瀬戸弘幸に最期の一撃を食らわせるのは、一体誰なのかが私はずっと気になってました。長年東村山の問題に取り込んできた宇留嶋さんが瀬戸弘幸をも追いつめるのか、荒井さんが情報の裏取りを済ませて決定的な事実を突きつけるのか、皆が瀬戸弘幸のことを忘れ去った10年後に橋本さんが始末をつけるのか。それとも、3羽の雀さんか、shinok30さんか、ワールドワイドウェブさんか、それ以外か。
ところが、瀬戸弘幸を決定的に追い込んだのは瀬戸弘幸自身でした。
「宗教感謝年間」として片っ端から宗教団体に入った時期に、私は幸福の科学の誌友会員になり(期間限定なので、1回しか会費を払いませんでしたが)、大川隆法の本もいっぱい読みましたので、幸福の科学には詳しいです。
その私から言わせてもらえば、過去の発言の転載だとは言え、【かつて大本教率いる出口王仁三郎氏が夢見た<霊的革命・神聖国家樹立>という“未完の意思”を体現する人物こそ大川氏その人である】などと言う瀬戸弘幸は完全に終わったと言っていいでしょう。マスメディアを批判したことに限定しての支持ではなく、教祖の礼賛ですからね。
宗教団体はしばしば他教団を批判します。信者獲得のためには、宗教に依存しないで済んでいる人たちを狙うよりも、すでに信じている人たちを改宗させた方が簡単ですから。幸福の科学が他宗教のおいしいところを剽窃しつつ、他教団を批判することで、信者獲得を狙い、なおかつ仮想敵を作ることで、内部の結束を図った点は大変合理的です。その対象となっているのが創価学会で、朝木明代の死を利用するのも当然かと。事実かどうかなんてことはどうだっていいわけですから。
幸福の科学は、今の時代の教勢拡大や組織づくりにおいて「よくできた宗教」だとは思いますよ。だから、短期間にああも大きくなったわけで。しかし、宗教に対する耐性の強い私は幸福の科学を信じるはずがなく、バカにさえしてます。
なお、3羽の雀さんが紹介している「ギュイアール・レポート」がカルトとしている日本の教団のひとつであるイエス之御霊教会にも私は入っています。やめた記憶がないので、たぶん今も信者です。どんだけ宗教が好きかと。ここはいいんですよ。洗礼を受けた時でさえも、金をとりませんでしたから。
イエス之御霊教会はペンテコステ派から生まれた教団です。信じるかどうかは別にして、見るものとしてペンテコステ派は面白いです。歌っているうちにトランス状態になって異言を語り出したりして。その様子は別の宗派の教会で見ていて、イエス之御霊教会は、一回教会に行って洗礼を受けただけなので、詳しいことは信者の私もよく知らないですが、たぶん面白いです。どうせ入るなら面白い方がいいでしょ。
同じくカルトとされている神慈秀明会は滋賀の本部に「取材させてくれ」と申し入れたことがあるのですが、断られました。日本の新宗教界では、世界救世教とその分派が一大勢力を形成していて、ここもそのひとつですし、やはりカルトにされている晴明教もそうです。この辺の諸団体にもしばしば問題が生じているにせよ、我々日本人がイメージするカルトという言葉には似つかわしくないです。
一時の幸福の科学は反社会的な行動に走っていたとは思いますが、それでもやはりカルトというほどの問題があるとは思えず、まして、イエスの御霊教会のようなゆるい教団がカルトにされているってことは、この報告書で言うカルトは相当に幅が広いです。「創価学会はフランスでカルトに認定されている」というフレーズをやたらと好きな人たちがいますけど、たいした意味がないかも。フランスに進出したら、日本の新宗教はことごとくカルトにされてしまいそうです。
それはともあれ、右翼としてももはや先はなく、幸福の科学と結託する以外に道はないと判断したのは、瀬戸弘幸としては珍しく冷静に自分を見据えた結果かも。今後は「集団ストーカー被害者」たちを対象に、大川隆法の本とリンゴを売りつけて食って行けばいいのではなかろうか。
すでに「日本よ何処へ」のコメント欄に残っているのは「集団ストーカー被害者」と幸福の科学の信者と、瀬戸弘幸の別ハンのみです(「瀬戸弘幸をおちょくって遊ぶ会」の会員たちを除く)。それ以外に道はないと私も思います。頑張ってください。
コメント欄に残っているのがどういう人たちかを知るためには、12月16日付のエントリー「自民・公明党との連携を見直し」の以下のコメントも参考になります。
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「WN」さん、コメント(12月16日 20:14)ありがとうございます。はじめましてですね。
「WN」さんが中段にコメントなさっていることにつきましては「通行人」さんへの返答と重複してしまうので控えさせていただきますが、「WN」さんが矢野穂積氏に反感をもたれているということはわかりました。
しかし、私の「宗教法人創価学会」には数多くの「前科」がありますというコメントに、
「矢野穂積氏にも数多くの前科があるわけですが」ですとか「それを言うなら瀬戸先生だって前科あるでしょうにねぇw」というご返答があるということに一抹の「違和感」を感じるのですよ。創価に対しては私もありふれた「一国民」であり「一大衆」ですから。
「WN」さんや「通行人」さんは、普通の一般国民大衆とは全く違った切り口をお持ちの方なんだなあという感想です。
無用な誤解を生まないためにも、まずはご自身のお立場とご意見をわかりやすく明記なさったほうが不毛な対立は生じないような気がします。とりわけ「WN」さんや「通行人」さん、一部のコメンテーターの方は「この件」に関してはどうも大変造詣が深い方のようですから。
Posted by せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会 at 2008年12月16日 21:05
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【「宗教法人創価学会」には数多くの「前科」があります】とせと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会が書き(ここでの「前科」は刑法上のものではないみたい)、【それを言うなら瀬戸先生だって前科あるでしょうにねぇw】というコメントがつけられ、これに対して第三者であるはずのせと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会が【創価に対しては私もありふれた「一国民」であり「一大衆」ですから】と書くのはおかしいです。
もともと意味のわかりにくい悪文ですが、瀬戸弘幸の前科と、創価学会の前科を同列にすべきではなく、前者は一国民であり、後者は政権党である公明党につながりのある宗教団体であると言いたいのでしょうが、だったら、ここは「私」ではなく、「瀬戸弘幸」じゃないと意味が通じません。意味が通じたところで、瀬戸弘幸だって、政党の役員であり、政治家を目指した人間ですから、「一国民」では済まないでしょうけど。
もしかすっと、せと弘幸blog「日本よ何処へ」読書会は瀬戸弘幸本人なのか。だとすると、「一大衆」などとおかしな言葉を書くのも理解しやすい。無用な誤解を生まないためにも、まずはご自身のお立場をわかりやすく明記なさったほうがよろしいでしょう。