2008-09-21

お部屋1658/公開討論会なんてめっそうもない

この二日ばかり、公開討論をめぐって面白いことになっていますね。私も原稿の合間にチェックだけはしてました。

公開討論を提案するのは自由、それを拒否するのも自由。そもそもコメント欄は公開討論をすることを前提にしたものではないのですから、事情など説明するまでもなく拒否してよく、拒否したところで非難されるべきではありません。

いきなり別のルールでやり合うことを提案しているのですから、「これからは英語で討論だ」「暴力で決着をつけよう」「しりとりで勝負だ」というのと同じであり、その新ルールを必要とする側が頭を下げて頼むべきことです。そんなもん、無視したってなんら問題なし。

ただし、公開討論会を受けるのが当然であるかのようなことを言った人たちは、誰かからの公開討論の申し入れを拒否する理由をすでになくしています。すべてに応じるがよろしい。

荒井さんが条件つきで公開討論参加の意思を表示し、「宇留嶋さんとか松沢呉一さんを誘ってみてもいいし」と書いてますけど、私はシャイ人見知り口下手あがり性なので、とてもとてもそんな場には行けません。でも、出ちゃるぞー

本当にやるんだったら、私の希望も出しますが、その前に「せと弘幸vs.ワールドワイドウェブ」の公開討論がどうなるのかを見守ることにしましょう。

でも、いよいよ私はせと弘幸との議論は成立しないと結論を出しつつあります。すでに皆さんご指摘のように、「ジャーナリスト」せと弘幸が依って立つ根拠は、朝木直子の「印象」でしかないのですね。【私にとってこれ以上の“確信”などあるはずもないのです】だってさ。ここはカッコつきではないジャーナリストの多くが唖然とする箇所かと思われます。

さほど深いつきあいがあるわけでもなく、知り合って間もないのに、なんでこうも盲信できるんですかね。しかも、文字を大きくして、色までつけて、自らの信用を失うようなことをなぜ書くのか。何かここに特別な事情がありそうに思えます。

「印象」「思い込み」による確信を最大の根拠に語る人と、事実を根拠に語る人たちとが議論をしようとすること自体が無理です。「あんたの内面なんて知らねえよ」って話であって、公開討論会では、事実を差し置いて自分の内面を根拠に語り続ける「ジャーナリスト」の実像を見せていくことが主眼になるのかな。

これだからこれっぽっちも調べないのですね。なにしろ確信が先にあるわけです。他人には通じず、検証もできない確信が。

それにしても、気になります。「草の根」を主導する矢野穂積の名前を出さず、どうして朝木直子の名前だけこの人は書いているのか。朝木直子が【お亡くなりになったその日の朝まで一緒にいた】のであれば、矢野穂積は「お亡くなりになったその直前まで一緒にいた」のに。

考えられる可能性は以下。

1)矢野穂積は悪人であることを見抜いている
2)矢野穂積は体調を崩していて印象が薄い
3)弘幸は直子に恋してる
4)ほか

どれが答えかは各自考えるように。

このエントリへの反応

  1. 弘幸は矢野に恋してるがぬけてますよ^^

  2. 本命を前にすると緊張して話すこともできないことがありますね。そこで、先にその友だちと仲良くして外堀を埋める作戦でしょうか。

    「ほか」ってことで、4に一票。

  3. 瀬戸さんとそれ以外の方の論争を見させていただいておりますが、筋道だった話では、どうみても瀬戸さんに勝ち目はないと思います。
    世の中には事実と論理を拠り所とする人種と、直観を拠り所とする人種とがいると仮定すると、瀬戸さんは後者に属するのでしょう。

    ただ、世の中では時々、直観を拠り所とする人種が結果として勝つということが起こります。
    例えば、95年のSPA誌執筆陣における、小林よしのり氏VS宅八郎氏等のオウム真理教をめぐる論争があります。
    当時自分はSPAの読者で、論争の行方をドキドキしながら見守っておりました。自分としては、宅氏が論理的な議論を展開しているのに対し、小林氏は直観に基づく支離滅裂で乱暴な議論を展開しているように感じました。
    で、次第に他の執筆陣を紙面で罵倒しだした小林氏をアホだと思うようになりました。
    しかし、結果としては坂本弁護士事件にしても、地下鉄サリン事件にしても、オウム真理教による犯罪であるという点に関しては、小林氏の主張が正しかった訳です。

    今でも、十分な証拠もなく誰かを犯人だと決めつける当時の小林氏の態度は支持できませんが、この事件では結果だけをみると小林氏が正しかったと言えます。

  4. あの時の論争は、「実際にオウムがやっているのかどうか」とは別に、「その手続きが適正かどうか」という問題でした。宅八郎はよく「99%やっているだろうけど、だからといってそれを決めつけるには手続きが必要」といったことを語ってました。結果オーライにはならないのです。単に勘が正しかっただけで、手続きはどこまでも間違ってます。

    例えば、警察が勘で逮捕し、検察が勘で立件し、裁判所が勘で死刑判決を下し、法務大臣が死刑執行を命じた場合、あとでよくよく調べたらやっぱり犯人であったから「よかったね」にはならない。

    今回の話で言えば、勘で動くのがいけないのでなく、勘の裏付けくらいとれよってことです。

  5. ↑ 直観× 直感○
    大変失礼いたしました。

    たしかに、手続きが不適正であるので、あの時の問題としても結果オーライとは言えないですね。

    今回の問題にしても、現行の日本の法制度の枠内で、朝木明代さんの他殺を立証し、犯人を有罪に持ち込むことは、新たな証拠を提示しない限り、まず不可能でしょう。

    ただ、自分としては、朝木明代さんが自殺したという説明が、どうしてもまだ腑に落ちないもので、なんとなく今回の事態が95年のSPA誌上におけるトラブルと相似にみえてしまったわけです。(勘で言っているだけなので、議論の対象となる話ではまったくありません)

  6. なんとなくの宗教のうさんくささ、なんとなくの創価学会のうさんくささで言えば、「殺された」という話に飛びついてしまう人たちがいるのもわかるのですけど、腑に落ちないのであれば、勘でとやかく言うのでなく、宇留嶋さんの本や『東村山の闇』を読んでみてくださいな。それでも納得できなければ、現場を見て歩いてくださいな。

    もちろん、どこまでいっても自殺であることの断定はできないですが、他殺である合理的な根拠がない以上、自殺、あるいは事故死としてかまわないでしょう。自殺であることを100%断定できないのであれば、自殺の何割かは他殺としていいことになってしまい、勝手な犯人を想定していいことになります。遺書だって無理矢理書かせられたと言えますし、証人がいても、偽証の可能性があるとどこまでも言えるわけで。

  7. せと氏のブログのコメント欄を荒らし、粘着投稿をしていたから、せと氏から公開討論会をしようと言われたのだよ。わかる?それなのに公開討論会にでないのも自由?何馬鹿なこと言ってるんだよ。わかる?
    もとはといえばWWWなどが粘着や妨害コメントをしたからだろ。これがなかったらこんな騒ぎにはなりませんよ。わかる?正常な人間ならすぐにわかるよ。

  8. とりあえずそうしてみることとします。

    あと、自分は大学院時代、高所からの転落事故の安全対策の研究で、人体相似模型を用いた転落実験、並びに被験者による高所からの飛び込み実験を海で実施した経験があります。それらの経験からも上腕部内側の青あざの原因についての宇留嶋氏の説明に納得がいかないので、余裕があれば相似模型による実験、力学的な検証も行おうと思います。

  9. それはぜひともやっていただきたい。ずり落ちた時にはつき得ないのか、落下してフェンスにぶつかった時にはつき得ないのか、痴話げんかで体を押さえられただけではつき得ないのか。私も知りたいです。

  10. [...] 私はその内容を公開することを前提にしない限り、お会いする意味も、電話で話す意味も感じていないことはすでに書いた通りです。にもかかわらず、そのようなことを言ってきたのは、私も参加を表明した公開討論をやりたいとの申し入れだと解釈してよろしいのでしょうか。それなら、多くの方々が望むところでしょう。 どのような条件で公開討論をするのかの希望をコメント欄にお書きください。追ってこちらも条件を出します。わざわざ二度も電話をしてきたくらいで、何か気にしていることがあるのでしょうから、公開で私に聞けばよろしいでしょう。それとも公開では聞けない事情でもあるのでしょうか。 [...]