2008-08-04

お部屋1610/赤塚不二夫の偉大さ

赤塚不二夫が亡くなって、少なからず動揺をしています。自分にとって、そんなに大事に存在だったのかと改めて気づかされているところです。

生まれて初めてサインをしてもらったのは赤塚不二夫でした。当時、「もーれつア太郎」が大好きで、サイン会に行ったのです。小学校4年の時だったと記憶します。

その頃までは熱心に少年漫画雑誌を読んでいたのですが、それ以降はまったく漫画を読まなくなり、高校時代に再度読み始めて以降も赤塚不二夫を読むことはありませんでした。

したがって、熱心な読者だったのは「おそ松くん」「もーれつア太郎」だけだったかもしれません。

それでも「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」のアニメは見てましたし、本人もまた雑誌やテレビによく出ていましたから、その存在を無視することは、私らの世代では無理なことです。

その赤塚不二夫は。今から20年以上前に、「噂の眞相」が出した荒木経惟の別冊で、男優をやっています。大先生ですよ。それが全裸でモデルとハメていたのであります。素晴らしいです。今の時代にこれができる漫画家の大家がいましょうか。

赤塚不二夫という人物の偉大さとともに、これも時代との関わりなしでは語れません。

さて、リニューアルされて、外からは数字がわからなくなってしまいましたが、先週はページビューが急増。なにかと思ったら、MCプレスの話があちこちにリンクされてました。

私の周りには、「週刊文春」がMCプレスを叩き、ネットでもそれに追従する人たちが現れ、それに対してMCプレスがエロ雑誌4誌をすぐさま休刊にし、会社まで解散したことにブリブリ怒っている編集者やライターがいます。気持ちはよくわかります。

なにしろこの世の中には、二元論でしか物を見ることができず、「草の根」を批判すると創価学会の擁護になるとしか考えられないタイプの人がおられますので、ちゃんと説明しておかないと誤解されそうです。ちゃんと説明しても理解できないかもしれないですが、ここで改めて私の立場を述べておきます。

「毎日新聞」「消せない:児童ポルノと性犯罪」なるキャンペーン記事で、与党の児童ポルノ法改正案を露骨にバックアップしたことについては大いに批判的です。

「あれやこれやの表現規制」シリーズは、不評につき打ち切りにして、具体的に批判する原稿は「マツワル」で配信しましたが、「消せない:児童ポルノと性犯罪」の内容はデタラメです。

論理的に言えば、あらゆるポルノは所持禁止に至らずを得ず、それどころか、あらゆる表現は規制されていいということに帰結する内容で、それを新聞社が恥ずかしげもなく主張することに対しては怒りさえ感じます。

「こんな新聞、潰れてしまえ」とまでは思いませんが、「潰れても仕方がない」とは思います。

だからと言って、毎日新聞社およびその周辺のすべてを批判する気はありません。MCプレスがあの毎日新聞社の本社内でエロ雑誌を作っていようとも、それとこれとは話が別であり、新聞社の系列会社がエロ雑誌を作っていたところで、とやかく言われるべきではないでしょう。

会議室でエロ雑誌の撮影をしていたことを不祥事とするのは内規の問題であり、外部の人間がとやかく言うべきことではありません。エロ系の出版社では、会議室や編集部で撮影するのはよくある話です。屋上や非常階段での撮影は公然わいせつになりかねないので、最近はどこも控えてましょうけど。

今だって、スポーツ新聞や夕刊紙では、社内で乳を出して撮影していることがあるんじゃなかろうか。

「ナックルズ」の連載でも何度か書いてきたことですが、かつて文藝春秋は雑誌「漫画読本」でヌード写真を掲載し、トルコ風呂のガイドをやっていた時代があります。今では考えにくいのですが、大物の作家先生たちがそれを書いていたのです。今も「週刊文春」「淑女の雑誌から」という「他人の褌」方式のエロページを連載していますし。

「サンデー毎日」「週刊サンケイ」「週刊読売」も、別冊で風俗ルポを掲載し、本誌でもそれに類する記事が出ていたことがあったかと思います。「週刊読売」はかつて海外配信のヌード写真を毎号掲載し、すでに書いたように、読売新聞社は清岡純子の少女ヌード写真展も後援。毎日新聞社も少女ヌード集を発売しています。

「週刊朝日」は過去にも積極的にはヌードやエロ記事の掲載はしていなかったかと思いますが、朝日新聞社は広岡敬一のトルコ風呂のルポを出していたものです。ガイドではないにせよ。

ところが、ここ20年ほど、性の表現、性の情報を新聞社や大手の出版社は排除していく傾向があって、社会事象としての性についてのルポさえも敬遠するようになってきています。

テレビも同様です。「11PM」はホントにいい番組でした。政治ネタと社会ネタとエロネタが同居していて、そのエロも、「トゥナイト」的な単なるガイドではなくて、文化や社会事象としてとらえる側面が強く、あれで私は大人になりました。

先日来書いているように、ラブホテルは危機的な状況になっています。30年前であればテレビも雑誌もこぞってこれを取りあげて、反対の声を上げたでしょう。しかし、今の時代にあっては、メディアは完全に沈黙。お上に楯突くことですし、しかもエロです。二重苦。

「毎日新聞」の姿勢はまさにこの延長にあって、与党のやることを無批判にヨイショするキャンペーン記事を出し、その危険性についてはきれいに目をつぶる。

「新聞社の系列がそんな雑誌を出していていいのか」という批判もまたこの流れの延長にあって、それだけを取り出すのなら、私は「何がいけないんだ」と反論します。

しかし、毎日新聞社については、「おまえら、どのツラ下げて」って話になってしまうわけで、ここは弁護しにくい。

厳密に言えば、MCプレスを批判するのでなく、その整合性のなさを根拠に、あんな記事を出した毎日新聞社本体を批判するってことです。したがって、エロ雑誌を廃刊にしたところでなお私は毎日新聞社を批判します。そっちの問題ではないのですから。

「毎日新聞」が、児童ポルノ法改正がいかに危険であるのかについての記事を、改正ヨイショ記事と同じ分量で掲載したら、批判はやめますが。

ある雑誌の編集者が「MCプレスを批判する側と擁護する側との対決をやりたい」と言ってまして、「擁護する人はいっぱいいるんだけど、批判する側が探せない」と言ってました。たくさんいるはずなんですけどね。

私としては「児童ポルノ法改正に関しては毎日新聞社を批判する。その批判の延長でMCプレスを持ち出すことも当然と考える。しかし、新聞社の系列がエロ雑誌を出していいのかという理由のみで騒ぐ勢力もまた批判する」ということであれば出てもいいんですけど、単純な立場はとりにくいです。

はて、こんな時代に、赤塚不二夫が50歳くらいだったなら、あの時と同じように男優ができたでしょうか。たぶんやったとは思うのですが、どうなんだろうとずっと考えている次第です。