2007-10-29

お部屋1360/今日のマツワル57

11月1日(木)から新規購読者募集を開始します。もうちょっとですので、希望者は準備しておいてください。

今回は「愛煙家のための禁煙法25」です。このシリーズ、すでに蛇足的な話になっていますが、それでもまあまあ面白いのではなかろうかと。

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< 愛煙家のための禁煙法25>

今月は「タバコの日」が3日ありました。それぞれ1日こっきりで、翌日からはまた吸ってません。

「禁煙なんて簡単だ。何回やったかわからない」というのは、毎回禁煙に失敗している人のセリフですが、私は毎回禁煙に成功しています。2箱続けて吸っても、翌日からきれいにやめられているのですから、禁煙に成功していましょう。

その気になれば、一生やめられますけど、そんなバカなことはしません。だって、おいしいんですもの。11月になったらまた1日か2日、「タバコの日」を設けようっと。

自分の禁煙法を誇らしげに語る人は、私のようにたまには吸って、またやめてみせた方がいいと思います。それだけ確実な禁煙法であることが証明できますから。

9月は旅行があったので、4日くらい「タバコの日」が続きましたが、10月で言えば、月のうちの9割以上はタバコを吸わない側に身を置いてます。それでもタバコを嫌いにはなれない。

単に「私はタバコが嫌い」という人たち、「嫌いだから、目の前で吸わないで欲しい」という人たちの意見は尊重しますが、その範囲を超えてタバコを否定しようとすると人たち、中でもデマやデタラメな論理でタバコを吸う人や、タバコそのものを否定しようとする人たちにはどうしても反発したくなります。ほっとけ、アホ。

しかし、それと同時に、タバコを吸う人たちのエゴにも気づきます。どっちも私は批判します。いいスタンスです、私。

「ダイレクトカット」で指摘したように、したり顔でつまらないことを言いがちなので、ラジオの永六輔はあまり好きではないながら、いいゲストが出ることがあるため、土曜日の昼にやっているTBSラジオ「永六輔その新世界」はよく聴いてしまいます。

いいゲストとは言えないですが、10月20日は大橋巨泉が出てまして、聞き飽きたタバコ・バッシングをしてました。くだらないがために最後まで聞いてしまいましよ。

大橋巨泉は「禁煙ファシズム」などと禁煙派を批判する人たちに強く反発してまして、具体的には養老孟司の名前を出していました。養老孟司はそんなことを言っているのか。知りませんでした。

その経緯は以下にまとまってます。
http://www.j-cast.com/2007/09/18011417.html
難しいと思うな、こういう立場からの禁煙派批判は。タバコに害があること自体はもはや否定できないでしょう。たしかに病気とその原因との因果関係を立証するのは難しいでしょうけど、煙を吸って体にいいわきゃないわな。

2003年5月に、健康増進法が施行された際、健康増進を高らかに唱えたのは戦時下の日本政府であることを当時の資料から抜き出し、また、ちょうどこのタイミングで邦訳が出たロバート・N. プロクター著『健康帝国ナチス』にあるように、国民の健康をなにより大事にしたのがナチスであったことを「月刊あれこれ」「ユニット」の連載や「黒子の部屋」で繰り返し書きました。この中でタバコによって国の保険費負担が増大するというデマについても指摘ずみです。

この論調での反禁煙論としては早かったのではないかとも思いますが、このような主張では闘えないと悟って、しばらく沈黙。そして、このほど、「愛煙家のための禁煙法」で新境地を開拓。常に先をゆく私です。

だって、いくら「ファシズムだ」と言ってみたところで、タバコを吸わない人にしてみれば、「なんでワシらは、タバコ・ファシズムに屈しなければならんのか。どんだけエゴを押しつければ気が済むのか、このタバコ・ファシストが!」ってことにしかならないです。吸いたくない人に吸わせることに無神経だった人たちがいまさらファシズムなどと言っても無駄でしょう。ヒトラーが「おまえはムッソリーニだ」と非難しているようなもんです。

なので、ここは私も大橋巨泉に賛成しないではない。大橋巨泉は、「嫌煙ではなく、自分は分煙だ」とします。ここもいいでしょう。私も分煙派ですから。

したがって、喫煙という行為に一定の規制がなされることには賛成ですが、規制が進みすぎて、喫煙者が外出先で一切タバコを吸えない状況になりつつあることはいかがなものかと。タバコを吸う側にとっては、吸うだけの事情があって、その事情になんの配慮もないことについては、反発したくもなろうというもの。高い税金を払っている以上、その範囲でタバコを吸う権利くらい確保していいでしょうに。

家を出たら、区の条例で路上喫煙ができない。鉄道会社は構内全面禁煙。会社のある駅で降りると、今度はその区の条例で路上喫煙禁止。下手をすると、毎朝、毎晩、2時間もタバコを吸えない。家の中や会社の喫煙所でいくらタバコが吸えても、これでは分煙ではない。

歩行喫煙禁止には私も賛成します。煙の問題ではなく、吸い殻のポイ捨てとすれ違いざまにタバコの火が手や服に付くことをがあるためです。迷惑の度合いが高いのです。

現在、渋谷や銀座などの大きな繁華街には数多くの喫煙所があります。ああいう街においては、全面的に歩行喫煙を禁止にしてもかまわないと思います。

歩行喫煙禁止にするなら、例えば300メートルに一ヶ所、喫煙所を設けるべき。タバコを吸う人たちが不都合を感じないように、あるいは少々の不都合で済むように、なおかつ、吸わない人の迷惑にならないように、公共の場には、必ず十分な数の喫煙所を作ることにすべきです。

これはタバコで利益を得ているメーカー、多額な税金を得ている地方公共団体や国がやるべきことです。つまるところ、タバコに金を出している喫煙者が設置しているってことですが。

建物であれば、「ワンフロアに1ヶ所」といったように、喫煙所の数まで条例で決めてもいいでしょう。その上で、ルールに違反したものから罰金をとるべきであり、それなしで罰金をとるのは、分煙ではない。

乗り物も同じで、掃除する手間や設備が余分にかかる分、料金を高くしてもいいので、飛行機や新幹線には喫煙席を設けるのが望ましい。通路の喫煙所だけでもいいですが。

国連本部ともなると、建物内はどこも禁煙ではないかと思ったりするのでずが、国連で演説した長谷川ピンクベア博史さんによると、いたるところに喫煙所があるんだそうです。

こういった例を無視して、大橋巨泉は「海外では〜。対して日本では〜」といったようないい加減な比較をします。ポルノや売春でもよくありますが、「海外」というのは、「日本以外のさまざまな国」ではなく、大橋巨泉が知っているカナダやアメリカ、しかも、大橋巨泉にとって都合のいいカナダやアメリカでしかないことに留意したいもの。この人の中では、アジア各国、中南米各国、アフリカ各国は「海外」の中に入っていないわけです。

中国のほとんどの地域では未だ路上でタバコを吸えますし、吸いたくなくても勧められますが、大橋巨泉にとって中国は無視していい国なのでしょう。

また、大橋巨泉もそこは正しく伝えていたように、ヨーロッパでも、レストランなど、屋内では禁煙になっている国があります。しかし、屋外は喫煙可になっている国も多いものです。受動喫煙の害がないので。

だから、喫煙所も設けずに、路上喫煙禁止にするのは、「海外」に比してもやりすぎだと言えましょう。大橋巨泉はそんなことは言わずに、レストランも禁煙が当たり前であるかのように言うだけなのがズルです。

また、レストランも喫煙席と禁煙席を設置すればいいだけのことです。禁煙席の客も煙を吸ってしまうというのであれば、今の日本にだってそういう店があるように、間をガラスで仕切ればいい。あるいは密閉した喫煙ルームを作って、煙が漏れないようにすればいい。

どうするかは個別の店の判断であって、全面禁煙の店があってもいいのですが、法律で一律に禁煙にするのでは選択ができなくなります。これは分煙派の大橋巨泉だって反対していいはずです。分煙と言いながら、タバコの全面排除を認めているとしか思えません(続く)。

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