クィア・カルチャーのもっとも豊穰な実というのは、やはり性愛にまつわる部分であろう。その自由さ、多様さ、積極さ、ユニークさは特筆に値する。ハッテン場などの発明は、私たちクィアが多数派に誇れるものだと思っていい。
その象徴である「バディ」(テラ出版)、「ジーメン」(ジープロジェクト)といったゲイマガジンに見られる、セックスへの飽くなき探求の姿勢には、「好色」などという狭い見方を覆すような、肉体開発とパートナーシップの可能性を垣間見ることができる。
そうしたセックス・カルチャーの一つの結晶として田亀源五郎のコミック『銀の華』(上・中・下、ジープロジェクト、2002完結)が挙げられるかもしれない。田亀の作品は、卓越した技術と表現力でエロマンガをエロティック・アートへと昇華させている。最近ではレズビアンの中からも、「カーミラ」(ポット出版、2002)という女性どうしのエロティシズムに焦点を当てた本が生まれている。単なるポルノグラフィーなどと馬鹿にせずに、ぜひとも一般の人にもこれらクィア・カルチャーの官能性に触れてもらいたい。
また、そうしたクィア・ワールドから一般社会への「輸出品」であった、拙著『快楽の技術』(斎藤綾子・伏見憲明、河出文庫、1997)、メイクラブ研究会編『H大作戦!』(徳間文庫、2001)などでも、クィア・セックスのテイストと創造性が十分に堪能できるはずだ。
さて、セックスを別にすると、過去、同性愛を表した作品は、三島由紀夫の『仮面の告白』『禁色』(新潮文庫)のように、己の内に生じた不可解な欲望との葛藤を表したものが多かった。そのマイナー性こそが文学的な意味と不可思議に結び付けられたのだ。しかし、90年代以降は、西野浩司の『新宿二丁目で君に逢ったら』(宝島社、1993)など、ゲイライフ、レズビアンライフを肯定的にサポートするようなフィクションも現われるようになった。それらは従来の文学的感性を嗜好する人たちには関心ないものかもしれないが、当事者にとっては、まさにそのメッセージこそが重要であった。
また、最近では、カミングアウトの困難さにフォーカスするのではなく、ゲイとして生きることを当たり前の前提にして、そうした人生を以後どのように生きるのか、といったテーマを追求する方向性も出てきた。橋口亮輔監督の映画『ハッシュ!』とノヴェライゼーションである『小説ハッシュ!』(アーティストハウス、2002)などは、21世紀のゲイライフの問題として浮上してくるだろう、同性愛者の自己承認と、その生き甲斐といった主題ををいち早く打ち出している。
伏見憲明編『クィア・ジャパンvol.5 夢見る老後!』(勁草書房、2001)も、同様のテーマに「老後」という切り口で迫っている。コミュニティというフィクションを立てることによって、ゲイライフに「生」の意味を供給し、より充実した人生を切り開いていこうと展望するものだ。
そういう意味では、クィア・カルチャーの現在の中心課題というのは、同性愛者などマイノリティの「解放」や、「同性愛者」という主体や共同性の懐疑から、そうした「縁」によってもたらされるライフスタイルをいかに充実させていくのか、という問題系に移行しつつある。
もちろん、そうした「縁」を利用しないという同性愛者がいてもいい。が、せっかく同性愛の欲望を内に持った人間として、それを通じて誰かと関わる機会を多く得てきたのだ。その経験は、人生の資源として有効利用することが可能だろう。また、そのためにこそ、カルチャーは創造されるべきなのである。
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