2004-09-20

ダンスという思考の型について

砂連尾理様

 ご無沙汰しています。新作『loves me, or loves me not』の経過はいかがですか? 先日のワーク・イン・プログレス公演にはお伺いできず残念でしたが、今から来年の本公演を楽しみにしていようと思います。

 これからしばらく、往復書簡という形で砂連尾さんとダンスについてお話しさせて頂けることになりました。何か改まった感じで少々照れ臭いのですが、せっかくの機会ですので、打ち上げの席などではできない種類の議論をじっくりやり取りできればいいなと思います。

 さて振り返ってみれば、ぼくが「砂連尾理+寺田みさこ」を最初に見たのは、2001年12月9日、神楽坂セッションハウスの『あしたはきっと晴れるでしょ』でした。ぼくはお二人の、動きを探求することへのただならぬ執着に感動してすぐにレヴューをまとめました。しかしダンスそのものと同時に、ウェブサイトに書き留められてある砂連尾さんの「日録」にもぼくは強く惹かれたのでした。それはごく普通の言葉で、ただし対象への極端な執着をもって書かれていて、いつか砂連尾さんとこれを引き合いに出しながら「ダンサーはみんな体フェチである(べき)」とか何とか、喋っていたような記憶があります。少し引用します。

2001年8月30日
今日の“とても私的な”レッスンからの考察。—腕と上体(胴)をどのように分けて認識し連動させて使うか?分けて連動、一見矛盾してそうだけど大切なポイント。背骨を胴体の真中に意識し螺旋をうまくイメージし上体を使う。このイメージがつかめてくると腕もうまく使えると思う。腕を使うとき、脇に力が入りすぎているような気がする。肩の位置も実際の骨の位置より内側に設定している。その為腕を下ろした時、肩が上がって少し不自由。指先の先のイメージ、腰の輪郭を持ち続けながら動く。(砂連尾理「日録」より)

 解剖学的な認識と、感覚、イメージとの絡み合いだけが抽出されて、克明に記述されています。初めて読んだ当時ぼくは、ダンサーというのはこんなことを考えているのかと驚かされました。もちろんダンスを見ていれば、体の中のことはあれこれ漠然と意識します。しかしこうして具体的に言語化されているのを読むと、人間の体というものがいかに広大な未知の空間であるかということを改めて思うわけです。あるいはこうも書かれています。

2001年11月5日
今日のレッスンからの発見、ものすごく当たり前な事の再発見です。それは、脚の付け根をアンデオールすると世界は広がるということです。いままでも多分、無意識に脚のアンデオールはやっていました。けれど脚と上体の連動、そして頭の上、脚の下の空間をより意識するとアンデオールによる螺旋、ひねりが以前より分かってきたような気がします。自分の身体を空間の中でどのように規定するか。鏡に映っているフォルムだけでなく、その先に続くエネルギーも間違いなく僕自身であると私は思っています。(砂連尾理「日録」より)

 「脚の付け根をアンデオールすると世界は広がる」という、その「世界」は、ただそこにいつも揺るぎなくある世界のことではなく、体の感覚への執着を通してしか触れえない世界、つまり体の運動・変化とともに刻々と相貌を違えていくような世界のことでしょう。世界が体のありようと常に相関的であること、これはまさに「当たり前な事」であり、それゆえ日常生活の中では滅多に意識されない事実だろうと思います。つまり砂連尾さんの「とても私的な」考察は、世界を認識することでもある。体は私と世界の間をつなぐ蝶番であり、情報処理機関であり、したがって体を見ることは、体の外側と内側を同時に見ることです。体と世界を、動的な関係のもとに見るといってもいい。

 もちろん、そんな小さな「世界」の「認識」など取るに足りないという言い方をする人もいるでしょう。今や世界は未曾有の集団ヒステリーに見舞われ、大小の暴力にあふれています。それは、いいかえれば様々なスケールでの経済活動(利益追求)の優位であり、あたかも、誰かが何かを主張するためには純粋な暴力に訴えざるをえないとでもいうかのようです。あらゆる社会的な枠組みを規定していたイデオロギーが疑問に付され、世界は指針も拠り所もすっかり失ってしまいました。したがって今は良くも悪くも「政治の季節」に他ならず、そんな時代にあって「脚の付け根をアンデオールする」、なるほど「呑気」に思われるかもしれません。

 大小の暴力の中でも、とりわけ注目すべきはテロリズムだろうと思います。テロは、一面においては単なる暴力でありながら、同時に表現行為でもある、そのような行為の典型だからです。「弱者」の暴走としてのテロによって、ようやく「強者」の暴走ぶりが暴き立てられました。つまりテロは、両者の間に対等な対話というものが成り立っていない事実を白日の下に晒したわけです。したがってそれは、ディスコミュニケーションそのものを表現する極限的なコミュニケーションだといえます。言葉が相手に届かないことが明らかである場合に、直接的な手段が講じられます。だとすれば、もう言葉や理性は(少なくとも以前ほどは)信じられていません。そして言葉や理性とは別のところに、別の意思疎通の可能性を求めようとしつつ、しかしどうしたらいいのかわからない、そういう状況を、蔓延する暴力は示しているのではないでしょうか。

 このように考えてくると、1990年前後に日本で「コンテンポラリーダンス」が現われてきたのも偶然ではないように思えます。いうまでもなく日本のコンテンポラリーダンスは、既存のダンス史への帰属意識も批評意識もほとんどもたない運動、つまりこれまでのダンス史とはあまり関係のないところに、それとは別の必然性をもって生まれた多様なダンスあるいは身体表現の雑多な集積です。このようなオルタナティヴな動きと、冷戦以後の暴力の蔓延との間には、何か関係があると思います。

 ダンスも暴力も、生きた体を取り扱います。つまり人間のあらゆる文化の基盤となっている、自然の所与に手をつけます。まずその意味で、ダンスと暴力は同じコインの裏表かもしれません。しかし「極限的なコミュニケーション」としての暴力は、狙いを定めた相手の体ばかりを見て、自分の体との関係を見ない、というところに特質がある気がします。目的だけがはっきりとあり、そこに至るまでの手段は基本的に問われない。まず何よりも確実であり効率的であることが重要です。他方コンテンポラリーダンスは、体と世界、体と体の関係のディテールを一から探っていこうとするものであると思います。しかもその関係がどのようなものになるのかは予め見通しが立たない。むしろ目的などなく、ただ関係をまさぐり合っていくそのプロセスを楽しもうとするところがあります。そのためにダンスという芸術は、自分の体を見て、その体を通して「世界」を見るということをします。関係のディテールの手がかりを、そうしたところに発見していきます。

 身体だのダンスだのというと、すぐに言葉や理性を介さない「本来的な言葉」「根源的な言葉」なるものをイメージしてしまう人々もいますが、そうではなくて、まずは身近にいる人々との対話を成り立たせるということが大事なのだと思います。いうまでもなくダンスは、その場に居合わせた人にしか届かない「言葉」です。遠くまでは届かないけれども、近くの人々との間で濃密な情報のやり取りをする、そういう「言葉」が90年代以降求められた。それを小さな社会、小集団への「撤退」であるとか、「引きこもり」であるとかいうことは的外れです。大きな社会から撤退して引きこもることで安心できるような、親密な空間が安定的に存在していると考えることはもうできません(例えば家族という古典的な関係すら、もはや暴力や抑圧の関係の場であることが明らかになりました)。つまり身近に存在する具体的な隣人と適切な関係を結ぶことこそが、この時代の課題です。そしてそういう「当たり前」でバナールな問題について、ダンス的探求は応答していけるのではないかと思います。

 ぼくがこれまで拝見した「砂連尾理+寺田みさこ」の作品は、どれもそういった主題を背負っているように見受けられました。そもそもお二人がデュオという形式を選ばれている以上、体と体の関係という主題は常に中心にあると思います。とりわけ『あしたはきっと晴れるでしょ』では、国際結婚をしたいくつかの夫婦の会話が音響効果として用いられていましたが、その後の『ユラフ』や『男時女時』においても、ダンスにおけるデュオというスタイルをどのように考えていけるかという率直な問いかけを見て取ることができる気がします。

 砂連尾さんと寺田さんの活動や「日録」に触発されつつ、ここしばらくぼくはこのようなことを考えていました。往復書簡という形式に相応しい書き出しになったかどうか、心許ないのですが、「関係としてのダンス」「ダンスにおける社会性」というようなところから、意見交換を始めていければと思います。

2004年9月15日
武藤大祐 拝