アット・オウム 向こう側から見た世界
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ISBN978-4-7808-0218-4 C0036
A5判 / 216ページ /並製
[2015年03月刊行]
印刷・製本●萩原印刷株式会社
ブックデザイン 鈴木一誌
内容紹介
1995年3月20日 地下鉄サリン事件が起きた。
無差別なテロによって13人が死亡、6000人以上が重軽傷を負う。
麻原彰晃を教祖とするオウム真理教の組織的な犯行だった。
その後、殺人をはじめとした多くの犯行が次々と明らかになる。
著者・古賀義章は当時週刊誌の記者で、オウム真理教事件を取材していた。
教祖逮捕から1年半後、オウム施設が近々解体されると聞き、
山梨県上九一色村(当時)、熊本県波野村(当時)の広大な敷地に建てられていた施設を
撮り始める。撮影した写真は5000カットに及んだ。
教祖逮捕後も施設に残り、修行を続ける信者たち。
標高800メートルの山深い阿蘇の村に建てられた「シャンバラ精舎」には、
強制退去の前日までふたりの信者が住んでいた。
いっぽう、サリンプラントなどがあった上九一色村のサティアンから
信者たちが退去したのは、1996年10月のことだった。
信者の去ったあとには、彼らが暮らした痕跡がそこここに乱雑に、いや乱暴に残されていた。
サリンプラントをはじめ、犯罪の痕跡も生々しく見え隠れする。
上九一色村と波野村の施設の解体までを見届けた記録の数々は、
いま我々に何を語りかけるのか。
あのときから20年。
我々と彼らの距離はどれほどのものだったのだろうか?
誰もが思うオウムの「なぜ」。この問いにこそ、意味がある。
目次
2015.2山梨県 上九一色村[現・富士河口湖町]002
1995.3強制捜査 006
オウム真理教関連の事件年表 004
はじめに…オウムの「なぜ」 008
記録写真
1996.3上九一色村014
1996.8熊本県 波野村[現・阿蘇市]025
1996.8上九一色村050
1996.8静岡県 富士宮市054
1996.11上九一色村 056
1996.11波野村 065
元信者から見た「オウムの世界」
オウム関連施設の配置図 074
斬新な教義に共鳴し、不退転の決意で 076
Kさん [68歳男性・北海道出身]
独房修行があったから私の人生は変わった 081
Nさん [79歳男性・京都府出身]
オウムには日本の若者の心の問題が凝縮されていた 088
宗形真紀子さん [46歳・静岡県出身]
記録写真
1996.12波野村 097
1997.1波野村 106
1997.1富士宮市 117
1997.1上九一色村 121
1997.2上九一色村 128
1997.4上九一色村 153
1997.5上九一色村 156
1997.8波野村 158
1998.1上九一色村 162
1998.9上九一色村 164
1998.12上九一色村 166
教団の中から見た「麻原彰晃」
麻原彰晃とオウム真理教
盲学校時代の「智津夫くん」が「麻原彰晃」を名乗るまで 170
麻原彰晃の著書 173
オウム元広報局長インタビュー
なぜ、教祖はサリンを撒いたのか 174
オウム元信者が読み解く 麻原彰晃の説法 180
元信者が解説する 麻原が語った「言葉」 188
オウム真理教関連年表・用語解説 193
再録 オウム取材日記 198
あとがきにかえて…彼らの居た「場所」から 210
参考文献 213
前書きなど
なぜ、若者はオウムに惹かれたのか。
なぜ、オウム事件は起きたのか。
「狂気の集団」や「マインドコントロール」という言葉で論じれば、それを検証する必要はないのかもしれない。しかし、どうにも腑に落ちない。そう思っていたのは私だけではないだろう。
サティアンには信者が捨て置いた生活用品や資料などがたくさん残されていた。とくに目を引いたのは信者が撮った「強制捜査」の写真だった。信者から見ると、捜査員はまるで「犯罪者」そのものだ。信者はこんなふうに見ていたのか。立っていた場所でこうも見方が変わるのか。
オウムの「なぜ」を考えるうえで、「信者の視点」は欠かせないと感じた。
休日を利用して、私はオウムの施設が更地になるまで約2年間通い続けた。あくまで個人的な仕事だった。撮影した写真は5000カットに及ぶ。
本書には、未公開写真を含む約160点を収録、加えて教祖の説法や元信者たちのインタビューを掲載している。今回、全国各地に住む9人の元信者に会うことができた。彼らは当時の出家生活から、現在に至るまでの心境を吐露してくれた。なかには過酷な独房修行を体験した信者やサリンプラント内部で働いた信者も含まれている。彼らの声に耳を傾けながら、オウムの「なぜ」を考えてみたい。
────古賀義章「はじめに」より
著者プロフィール
古賀義章(コガ ヨシアキ)
1964年、佐賀県生まれ。
1989年明治大学卒業後、講談社入社。
『フライデー』編集部、『週刊現代』編集部を経て、
2001年渡仏。
2005年『クーリエ・ジャポン』創刊編集長に就任。
現在、国際事業局担当部長としてインド事業を担当。
アニメ『スーラジ ザ・ライジングスター』の
チーフ・プロデューサーを務める。
1998年、普賢岳災害をテーマにした
『普賢岳 OFF LIMITS 立入禁止区域』(平凡社)
2000年、オウム事件をテーマにした写真集
『場所 オウムが棲んだ杜』(晩聲社)を発表。
2013年、初の日印共同製作アニメの舞台裏を描いた
『飛雄馬、インドの星になれ!
インド版アニメ『巨人の星』誕生秘話』(講談社)を
書き下ろす。