旅は人に生きる喜びを与えるものです 塾長・山田學の物語
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ISBN978-4-7808-0196-5 C0026
四六判 / 192ページ /並製
[2013年04月刊行]
印刷・製本●シナノ印刷株式会社
内容紹介
旅行産業の世界に大きな足跡を残した、元全日空ワールド副社長・山田學の物語。
日本で初めて海外チャータービジネスを導入したり、全日空国際線就航への実現に大きな貢献を果たしたり、アイディアマンで次々にユニークな新しいツアー企画を実現したり。そんな山田學が旅行産業界で何をどう成し遂げてきたのか。
困難に直面した時に徹底的に考え抜き、決断し、実行する。曲がったことは嫌い、負けず嫌い、喧嘩はするが人の悪口は言わない。
山田學の仕事は、旅行産業に携わる人のみならず、次代を担う若者たちへのひとつの道標になるだろう。
目次
綴込み◎「地球人学校」パンフレット
口絵◎旅づくりは幸せづくり──山田學が創った旅
はじめに◎原優二……………………004
第1章 就職先は「趣味を生かす部門」?!
山田、近畿日本ツーリストに入社する。……………………011
第2章 Travel Gives Life.
山田、旅の魅力に目覚める。……………………019
第3章 寝ている飛行機を起こせ!
山田、チャータービジネスを始める。……………………041
第4章 全日空を世界の空へ
山田、全日空初の海外チャーター便を手がける。……………………061
近畿日本ツーリスト出身者座談会
近畿を、そして旅行業を山田さんが変えた。……………………070
第5章 グアムを東洋のマヨルカ島に!
山田、ハローワールドを立ち上げる。……………………077
第6章 偏差値のない遊びの学校、開校
山田、グアムに地球人学校を作る。……………………091
第7章 あなたの街から海外一直線
山田、全日空ワールドで本領を発揮する。……………………105
36[さぶろく]会メンバー座談会
山田さんの生き方から、旅行業の喜びを学んだ。……………………122
第8章 人に喜ばれるツアーを作ろう
山田、旅づくりの秘訣を語る。……………………129
第9章 旅行産業よ、幸せ産業の核になれ!
山田、旅行産業経営塾の塾長になる。……………………149
「旅行産業経営塾」関係者とOBが語る
山田學の魅力……………………159
「旅行産業経営塾」関連資料〜「週刊トラベルジャーナル」掲載記事より
旅行産業よ、旅行産業たれ………166 大震災からの復興へ……………………171
山田學の仕事の足跡……………………173
あとがき◎山田學……………………185
前書きなど
はじめに
時間を気にしながらJR御茶ノ水駅の改札を抜け、足早にホテルジュラクに向かった。「原さん、ちょっと旅行関係の集まりがあるから来たら」。そうサイクルツアーの宮本保雄社長から誘われた。会の名前も何も聞いてない。一体誰が来るのだろうか。既に、開始時刻を少し過ぎており、案内された部屋には、10人ほどの年配の方々が集まって話をされていた。当時、ネパール・モンゴル・チベット専門の小さな旅行会社「風の旅行社」を自分で経営していたものの、旅行業界の集まりに殆ど出たことがなかった私には、未知の方々ばかりだった。宮本さんに紹介されて末席に座った。
暫くして、真ん中に座っておられる「ヤマダさん」を中心に話が進んでいると分かった。中には「ガクさん」と呼ぶ方もいる。体は小さいが妙に存在感がある人だ。話は、「ヤマダさん」が、全日空ワールドの顧問になったことを機に、奥様と二人で自社のヨーロッパツアー「地球人学校」に、社に内緒で参加した時のことにおよんだ。話の節々で、「旅は人を幸せにするんだ。旅にはそういう力がある。感動がなきゃだめなんだ」、そうしきりに力説される。私は驚いた。〝こんなことを臆面もなく堂々と言う人がいるのか。何者なんだ、このおっちゃんは?〟以来、私は、この会にほぼ毎回欠かさず出るようになった。
(中略)
1999年(平成11年)5月、その山田學さんが塾長となって、旅行産業経営塾(以下、経営塾)が開講した。「志の旗を高く掲げよ!」と業界内を鼓舞し、骨太の経営者を育てることを目標にした。経営のノウハウは教えない。ものの見方、考え方、決め方を学んでもらう。まさに、36会で私がずっと見聞きしてきたことだ。私も、即座に応募して第1期生となった。以来、経営塾は13年間、途中6年間の中断を経ながらも、都合9年に亘って開講され、300名を超える卒塾生を送り出した。
塾長は、「観光産業は、日本のリーディング産業と言われながら、この旅行産業は社会的な地位を未だに確立できていない」と憂い、時に熱く語っては、塾生の前で悔し涙を見せる。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災後は、旅行産業が東北支援のためにできることとして「旅ポイント」というしくみを発案し、「これが、塾生たちと考えた東北支援策です」と2012年(平成24年)の1月、当時の溝畑観光庁長官に経営塾で講義をしていただいた折に直訴された。このアイディアは実現はしなかったが、そのときも塾長は自分自身に力がなかったことを悔い、塾生の前でまた涙を流された。我らが塾長は、実に純粋であり、これ以上ないくらい真っ直ぐである。
経営塾では、塾生は、講師の方々から多くを学び、塾生同士のグループ討議を通して自分の見方、考え方を磨いていく。今まで見えなかったことが見えてくる。しかし、そこに、塾長の魂が入ってこないと生きたものにはならない。2010年(平成22年)、6年間休塾していた経営塾が、私たちOBの主導で再開したときも、私たちは「山田塾長でないなら、再開はありません」と説得し、再び塾長を引き受けていただいた。塾長なくして経営塾はない。そう私たちは思っている。
(以下略)
旅行産業経営塾OB会 会長 原 優二(風の旅行社代表)
著者プロフィール
旅行産業経営塾(リョコウサンギョウケイエイジュク)
1999年、学校法人森谷学園(現在の学校法人トラベルジャーナル学園)によって
「旅行産業を担う次世代の志高き骨太の人材を育成し、旅行産業ならびに広く社
会に貢献する」という目的で設立される。
開塾から5期、5年に亘り、大手から中小旅行会社の経営管理者、そして経営者、
更には、観光産業に関連す各分野の企業を対象に、毎年30~50名ほどの塾生を集
め、総勢200余名の卒塾生を輩出した。(第一次経営塾)
その後、6年間休塾したが、2010年、OB会によって再開され(第二次経営塾)、
2013年3月現在、再開3年目、通次で8年、8期を迎え卒塾生の数は、300名を超えた。
塾生は、第一次では年間24回、第二次では14回の授業を受ける。授業は、月1回
ないしは2回土曜日の10時から午後の3時過ぎまで。講師は、旅行業界内の経験豊
富な経営者の方々や、他業界、弁護士、大学教授、地域振興に携わる方など多方
面から招く。
毎回、最初に90分の講師の授業を受け、その後、講師から出された討論テーマを
グループで話し合い、午後、発表して講評を受けるという形式で行われる。入塾
直後には、一泊の合宿授業もあり、忙しい旅行産業の仕事との両立にはなかなか
厳しい条件であり、さらに、70%以上の出席と卒業論文の提出が卒業の条件だ
が、しかし、それでも毎期80%以上が卒業。
塾生は、授業内の討論はもちろんのこと、酒席も含めて課外授業も盛んで、3時
に授業が終わってもその後の方が長いという塾生も多く見らるほど。今まで知ら
なかった考え方に触れ、自分の仕事、会社が、この産業でどんな位置にあるかが
分かり、将来自分は、そしてこの産業はどうあるべきなのかを考えていく。安直
な答えは、塾では教えない。
開塾当初から、塾長を務めるのが山田學。「学校ではダメなんだ、塾でなきゃあ
ダメなんだ。知識修得は目的じゃあない。ものの見方、考え方、決め方を学んで
ほしい」という塾長の思いがこの塾では実践されてきた。
山田 學(ヤマダ マナブ)
1956年近畿日本ツーリスト株式会社入社。名古屋、福岡、大阪勤務、虎ノ門航空営業所長、本社・航空旅客営業部長。
1972年(株)ハローワールド設立、常務取締役。
1978年全日空ワールド(株)に社名変更。1987年代表取締役副社長就任。1999年同社退任。
同年、(有)ガク・アソシエイツ創立、代表。同年、旅行産業経営塾塾長就任。
その他、明海大学ホスピタリティ・ツーリズム学部客員教授、旅の専門店連合会顧問、NPO法人「江戸城再建を目指す会」副理事長を歴任する。
グアム政府よりAncient Order of the Chamorri(名誉市民)を授与される。
1994年第一回ツアー・オブ・ザ・イヤー グランプリ受賞。
我国は自国の持つ世界に類を見ない四季の自然の美しさ、豊富な文化資源を国の内外に発信し、観光立国を国是としたい。旅行・観光産業は旅を通して、人に喜ばれ、幸せになっていただく「幸せ産業」に進化するべきと説いている。