2005-03-10

アフリカ大陸旅行・二日目② ……「イングリッシュ・ペイシェント」の舞台となったサハラ砂漠をはしる物語……

(前回からのつづき)

「マダム、ムッシュー。車が来ました」
車内には小学校に入る直前ぐらいの年頃のフランス人少年二人と、その祖父母がすでに乗りこんでいた。後部座席で私は少年、二人に並んで座った。
街の中心を抜けると砂漠の中を走る二車線の道路に出た。車の中からずっと景色を見るのだが、行けども、行けども砂漠が続く。枯れたように茶色の木やチョビ髭のような緑の固まりがところどころ見える。
隣のこどもたちはヒマなのか、互いの体をつついたりくすぐったりしながら、キャッキャ、キャッキャとじゃれあっている。祖母が何度も振り返り、
「あなたたち、もう少し静かにしなさいよ」
と、叱る。少しの間だけ、口を紡ぎ、大人しそうにするのだが、時間がたつと手が少し動き一方に触れ、一方が触れ返すと二人とも紡いだ口が開き、声に出してじゃれ始める。

三〇分ぐらいすると、コンクリートで舗装された道はなくなり、土の上を走り始めた。周りには落葉した冬の樹木のように乾ききった木が並んでいる。そこをしばらく走ると、道もなにもないまっさらな砂漠に出た。砂の上を車は走っていく。後ろを振り返ると、走った跡がくっきり刻まれていく。
目印も何もない同じ風景に私には見えるけれど、運転手は迷うことなく、自信に満ちた顔つきで砂の上を、車を走らせていく。まっさらな砂の大地が窓から広がる。
「どうやって道が分かるんだ。迷ったりしないのかね」
初老のフランス人男性が運転手に尋ねた。
「いやあ、毎日、一回か二回、同じところに行くわけです。一度も迷ったことはありませんよ」
と、笑いながら語った。

砂漠を見ながら私は一人、妄想に耽った。

この車が故障をして、砂漠の中で立ち往生したら、我々はどうなるのだろうか。運転手は携帯電話を持っているだろうが、こんなところにアンテナがあろうはずがなく、外界との連絡手段はとれまい。道路もないところを偶然、他の車が通りかかることがあるだろうか。ひょっとしたら、車を捨て徒歩で街に向かわなければならなくなるかもしれない。といっても、車には水が積んであるだろうか。見る限り、飲料水があるようには思えない。水は私が持つ1.5リットルのミネラルウォーターだけだ。遭難したら取り合いになるかも知れないな……。と、最悪のシミュレーションをしてみたのだが、帰りが遅ければ旅行代理店の連中が警察などに知らせ、捜索するに違いないから、一日以上、遭難生活を強いられることはあるまい。

妄想に耽っていると、窓の外には白い固まりの浮いた湖のようなものが見えた。
「あれが塩湖だ」
と、運転手はいう。塩でできた煎餅が並べられているように見えた。降りて間近で見たかったのだが、そのまま塩湖を横目に私たちは目的地へと向かった。
途中、丘があったのだが、車でそこに登り、急斜面を降りる……というパフォーマンスを運転手はやった。まるでミニ・ジェット・コースターといった感じで、隣の子どもたちは前の椅子を両手で握りしめ、
「きゃあーーー」
と悲鳴を上げるのだった。
子どもたちの歓声に心をよくしたのか、運転手はもう一度同じ、アトラクションをやってみせた。

景色の変わらない砂漠を四〇分くらい走った頃であろうか、最初の目的地に着いた。砂漠の中に藁や木でできた掘っ建て小屋が立っていた。遠くの丘から犬が一匹、こちらを見ている。
そこは『English Patient』の撮影舞台として遣われた場所だという。
車の外に出ると、あまりの風の強さに目を細めた。頬に細かい砂があたり、ちくちくする。掘っ建て小屋ではアクセサリーなどおみやげ物などが売られていた。中には店員と思しき二人の男性がいた。観光名所になっているから、電気も水道も電話回線も通らないへんぴな場所でわざわざ、店を開いているのだろう。そのたくましさというか商売根性には感心させられる。

小屋のまわりには、砂が固まってできたような丘や谷のようなものがいくつもあったので、強風の中を歩き回った。犬が丘から駆け下り、小屋の方へ向かっていった。小屋の後ろのほうで、中年男性の連れの初老の女性が下着を下ろしうずくまっているのが、遠くから見えた。きっと、小の用を足しているのだろうと思った。
何だか自分も用を足したくなってきた。砂埃をあびながら、周りから見えない位置に移動して、用を足した。水滴が花火の火のように、風に流され砂の上に落ちていく。すぐに大地は水分を吸い込み、降雪のように砂がその上を覆い始め、しばらくすれば、跡形などまったくなくなってしまうぐらいの勢いだった。

車に戻ると、他の旅行客はすでに乗車していて、私を待っていた様子だった。そして、次の目的地、スターウォーズのロケ地へと我々は向かった。

追記:只今、3年前に暗殺されたオランダ人のゲイ政治家(彼は”極右”と称されていた)について、調べている。オランダでは「最も偉大な人物」として彼が選ばれるなど、暗殺によってカリスマ性がいっそう、増した。ゲイを公言し、同性愛者の権利保護を訴えた彼が何故、極右と称されたのか……。
 彼の足跡を追った映画監督は昨年11月に、暗殺された。
 これらの問題については当ブログで触れたい。もちろん、『Gay @ Paris』でも。