2012-08-17
『百年の憂鬱』刊行記念・エフメゾ・トークライブ
「100%の自由や平等は、人を幸せにはしない!?」
中村うさぎ×伏見憲明
2012年8月4日、伏見憲明さんがママを務める「エフメゾ」のカフェ営業(毎月第一土曜日)にて、
作家の中村うさぎさんと『百年の憂鬱』著者・伏見憲明さんのトークライブが開催されました。
弊社新刊の『百年の憂鬱』をテーマに、恋愛、パートナーシップ、中年の恋/アイデンティティについて、
たくさんの笑いを織りまぜながら、熱く語っていただきました。
●基本的には、デブのくせに
伏見 本日はお暑いなかお集まりいただきまして、ありがとうございます。今回はぼくの新刊小説の『百年の憂鬱』にちなんだテーマでお話しできたらいいなと思って、中村うさぎさんをゲストにお迎えいたしました。『百年の憂鬱』はいわゆる私小説です。うさぎさんは(その出来事の渦中に)かなり身近にいたので、ただの小説としては読みづらいだろうとは思うんですけれども(笑)、でも、この前メールで、「ラストシーンはこれでいいんじゃないか」っておっしゃってくれて、ちょっとホッとしました。
中村 そうなんですよ。最初に(「すばる」で)読んだときに、ラストが主人公の裏切り行為っぽく感じてしまって、「なにこいつ。いい加減にしろよ!」とか思ったんですよ。「デブのくせに」とかね(笑)。
伏見 基本的に、この小説はデブのくせに、っていう話なんだよね(笑)。
中村 でもポット出版から単行本化されたんで読み返してみたら、人はこんなに愛し合ったつもりでも、最後の最後に裏切ってしまう、これは本当に人間の真実の姿だなと思って、ちょっと感動しました。
伏見 ありがとうございます。やっぱり、ラストにこの小説の文学的な意味は集約されていて、そこを書くために、二百枚の物語が必要だったみたいなところがあります。実体験としてそうだったかは、色々続きがあるわけですけど。
中村 実体験であれが目的って言ったら、相手は包丁持って襲いかかってきますよね!(笑)
伏見 ぼくの口からは…(笑)。私小説だからではないんですけど、今回は男同士という設定に徹底的にこだわりました。それは「ゲイの物語」を描きたかったからではありません。主体的で、対等なジェンダー間での恋愛は果たしてうまくいくのか、自我と自我がジェンダーの差異を挟まずに剥き出しでぶつかり合ったときに、果たしてどういう関係性が可能なのか、というのが一つのテーマでした。男と女の話だと、良くも悪くもジェンダーが作用してしまうから、予定調和な展開になりがちだし、「男はわからない、女はわからない」っていう神話でごまかせちゃうところがあると思うんですよ。
中村 日常生活でも、そこでごまかしてるところはありますよね。
●対等だったら関係は上手くいくのか?
伏見 ここからは逆に聴いていきたんですけど、うさぎさんは、一応お若いときには恋愛とかもなさって、、、、
中村 してますよ! 臭いチンコしゃぶったりしましたよ。
伏見 その臭チンの話は、たしか、初体験ですよね。(笑)まあ、そういう経験があって、だんだん大人として成長して、現在のようなキャラになった。でも、若いころはもうちょっと、女のジェンダーに乗って恋愛してたっていう感じはありましたか?
中村 もちろんそうです。メディアによる洗脳だと思うんだけど、自分の中でも、「女はこうあるべき」みたいなのがまだきちっとあった世代なので、そこに相当縛られてたと今は思いますね。
伏見 どういうところが縛られていました? べつに三つ指ついてたわけじゃ、、、、
中村 三つ指はさすがにつかないんだけど。1回目の結婚は失敗して、離婚しちゃったわけなんですけど、そのときは、「こういう人を私が支えなきゃいけない」とか思ったわけで。
伏見 ほう、本当にそんな殊勝なこと思ってたの?!
中村 思ってましたよ。相手は私よりさらに社会性のない人で、その人格的な破綻ですら、芸術家気質なんだと読み換えをして、「こういう人には私がついてなきゃ」みたいに思ってたんだけど、やっぱり無理だったんですけどね。だけど自分自身が、そういう、「女の人が男の人を支えて……」っていう美談みたいなところに持っていこうとしたフシはありますよね。
伏見 そういう献身は、ある種のエロスでもあるわけですか?
中村 エロスだったのかな? 「私だけがこの人をわかってる」みたいなところは快感だったと思う。でも、今にしてみたら、本当になんて無駄な時間を過ごしてしまったのかと。
伏見 現在のうさぎさんの性格と当時はまったく異ってるんですか?
中村 基本には変わらない。でも、やっぱり考え方が縛られてたっていうのはある。
伏見 じゃあ、我は強いし、ちゃきちゃきした性格だったけれど、でも夫を立てて、「夫が主人公で、自分は脇役」みたいな感じの捉え方だったの?
中村 そうね。でも、当時の私は、女が内助の功的に夫を支える神話を逆に利用してたとも言える。私もまだ20代後半で、相手は同業者、お互いに文章を書く仕事だったんですよ。でも、自分のほうは文章で身を立てるのって絶対に無理だと思ったわけ。食っていこうと思ったら、挫折とか、風当たりとか、いろんなつらい目に遭わなきゃいけないだろうな、でもそれはちょっと嫌だな、と思いはじめたときに、その男と結婚した。私は生活費を稼ぐだけの仕事にして、彼には思いっきり自分の才能で文章を書いてもらって、それを私が支えるみたいな美談に逃げ込めば、自分が成功しなくても、挫折感がないじゃないですか。だから、夫を盾にして、自分はその陰で楽をしようと思ったことは確かにある。今思えばね。
伏見 そういうのって、ゲイの関係だと、まずない。ゲイも男同士だから、「とりあえず、お互いがそれぞれ稼いだうえで」みたいな前提があるわけだから。
中村 自立度が高いですよね。
伏見 ぼくはフェミニズム世代で、80年代には「男らしさ/女らしさから解放されて、自分らしく生きれば、相手と対等になり、より良い関係が結べる」ってよく言われていた。だけど、時が経っていろいろ考えてみると、ジェンダーギャップが縮小されて、お互いに主体的な自我になってくると、むしろ関係が、、、、
中村 上手くいかないですね。私もそういう世代なので、フェミニズムが目指したように、男女が対等になって、同じように主張して、自由を目指すというのに憧れる気持ちはすごくあった。さっきも言ったように、女が一歩引いてっていうスタンスは、女にとってはうまく利用できる隠れ蓑神話だった。だけど、それを引っぺがされてしまうと、本当に自分一人で生きていかなきゃいけなくなる。フェミニズムは、女を解放したけど、女が生きていくことをハードにもしたよね。
伏見 そう、よりハードになるんだよね。ゲイの場合、男女とはまた違うけど、かつては差別がうんときつかったから、大きな敵がいれば味方でいられるみたいな面もあった。加えて、関係が社会化されず、エロスに局在化されているだけなら、互いの個体性が剥き出しにならずに済んでいた。昨今のように敵がいるんだかいないんだかよくわからなくなってくると、性愛の幻想性が逓減すれば、むき出しの個対個の関係になる。例えば、経済的な格差なんかも関係に影響してくるわけで、それはそれでパーマネントな関係性は困難になる。
中村 フェミニズムの影響もあると思うけど、結婚とかパートナーシップって、「対等でなければ」みたいな大前提があるじゃない。だけど、対等な人間同士って、そんなに長い関係が作れるのかな?って思うんだよね。関係性って、どっちかがどっちかを追っかけてたりとか、非対等なところで持ってるようなところはあると思う。
伏見 それぞれが完全に自立っていうよりも、むしろ、ある程度依存みたいなのがないと、関係って続かない。それを役割分業と言い換えてもいいけど。自立したもの同士で、「あなたは自由、私も自由」みたいなのって、「私たちが関係する意味ってなんですか?」になりかねない。
中村 伏見さんの小説を読んで思ったんだけど。主人公の恋人の男性が、アメリカ人と日本人のハーフなんですよね。だから感覚がアメリカっぽいっていうか、すっごい年下なのに、相手を呼び捨てにしたりとか。
伏見 「あんたのセックスはなかなかいいです」とか評価したり(笑)。
中村 そんな年下の若造にさ、小生意気に名前は呼び捨てにされるわ、批評はされるわ、、、、
伏見 豚呼ばわりされるわ(笑)。
中村 日本人って、「対等」なんて言ってるけど、やっぱり行間に、「でも対等じゃなくてもいいよね」ぐらいの含みおきっていうか、余白を残すじゃない。だけど、アメリカ人って、「対等じゃなきゃだめ」みたいな思い込みが強いから、恋愛にも対等であろうと過剰になる。
伏見 ただ、登場人物のユアンくんの場合、ハーフゆえにすごくアメリカ人的なところと、一方で日本人的なところの両方がある。年上との関係で、「あんたは自分を弄んでる」みたいなことを喋るシーンを書いたんですけど、でもそれも、なんで年上だからって年下を弄んでることになるの?って、主人公の義明の側からするとなる。ユアンくんは、「対等であらねば」っていうのと、「でも自分のほうが若いし」という年功序列的な価値観のダブルスタンダードになってるわけ。
●女の価値が暴落するとき
中村 お言葉ですけど、ひとつ言わせてもらっていい?
伏見 は、はい(汗)。
中村 ユアンくんが主人公に対して自分が弄ばれてるって思うのは、年上・年下の問題だからじゃなくて、主人公にパートナーがいるからだよ。つまり不倫関係ね。
伏見 それはもちろん大前提だけど。
中村 不倫って、私もしたことあるんだけど、大事に扱われてない感がすごいあるわけ。 「便器か、私?」みたいな。
伏見 なるほど(笑)。
中村 でも自分が相手にとってほんとに便器じゃないのはわかってるの。ちゃんと愛情があるのもわかってるんだけれども、なにか喧嘩になったときに、「どうせ自分は便器でしょ」みたいなことを言いたくなっちゃうほど、日頃からどこかに鬱屈があるんですよ。
伏見 不倫関係じゃなかった場合は、たとえば男女だったら顕著だけれども、男が女を弄んでるっていうふうにすぐなるじゃないですか。
中村 女に弄ばれる男もいる。
伏見 いるけどね。恋愛って、どっちが強くてどっちが弱いみたいな構図が前提としてすでに出来上がっているところがある。
中村 男と女の場合、女が弄ばれた感があるのは、女のセックスに商品価値があるからなんだと思う。「やらせてやったろ?」って女もどこかで思ってるわけ。だから、「やり捨てしやがって」と許せなくなる。本来商品価値のあるものを、「オマエはタダ乗りか!」みたいなね(笑)。だから、もしかしたら、言われているのと違って、男女で上下関係は逆なのかもしれないね。
伏見 ぼく、前から言ってるんだけど、今のセクシュアリティの文化って、若い女の人にすごく性的価値が与えられてるじゃないですか。だから、相当なブスでも、若いときには底上げされて、「やらせてる感」っていうのを抱けるんだよね。女性の集団として性的価値が上げ底されている。
中村 そうなんだよね。でも、若い女性が相手でも、男のほうは、「俺、こんなブスとやっちゃっているよー」と内心思ってるかもしれず(笑)。最近ね、「男ってそんなこと考えながらやってたんだ、悔しい! こっちはやらせてやってるつもりだったのに!」と気づかされた件があったの。
伏見 はい、エフメゾの新しいノンケの店子が、「ブスとやるときには顔を見ない」って悪びれもなく告白して、、、、
中村 「しょうがないからブスとやってる」とかね! 彼がすごいことをずけずけ言うもんだから、私も若いときは「そんなにやりたいなら、やらせてあげてもよろしくってよ」なんてもったいぶってたけど、もしかしたら相手の男には「俺はどうしてこんなブスとやってるんだー!?」って思われてたのかなと。
伏見 やってる最中、顔見られてなかったかもしれない(笑)。あの店子はね、こんなにジェンダーにセンシティブな店へバイトで入ったのに、全くそれを理解していない。でも、その発言がちょっと新鮮だった。
中村 あそこまでいくと、むしろさわやかだよね(笑)。
伏見 やっぱり力関係って、フェミニズム的な文脈だと男社会が悪いという切り口だけになっちゃうんだけど、性愛ということだけフォーカスすると、少なくとも若いときって、本音はともかくとして、まあちょっと女の人のほうが優位な選択権があるわけだよね。
中村 あると思うよ。
伏見 一方、そういうノンケ社会の価値基準はゲイにも少し影響を与えていて、ゲイのネットワークに参入したばかりの新人は、若い男子のほうがモテると錯覚している場合が少なくない。でも、現実は、「あのー、フケ専も、デブ専もいっぱいいるんですけど」みたいな(笑)。
中村 若い子は、「こんなに若くてかわいい私を抱けて、あんたは幸せ者でしょ」ぐらいに、無意識のうちに思ってるところはあるかもしれないね。
伏見 だけど、女性の場合、その構図って、何歳くらいから違ってくるわけですか? うさぎさんの経験で言うと。
中村 私がもったいぶってパンツを下ろさなくなったのは、40過ぎてからですかね。こっちから脱いで腰までホレホレと振っても、無視だもん!
伏見 (爆笑)そういう暴落って、若いときに高値の自分を体験しているだけに、女の人にとってはいっそう深刻なアイデンティティの危機になるわけですか?
中村 そりゃそうですよ、あなた! いままで自分のことを鰻重だと思ってたのに、「おまえは切り干し大根だ」って言われて、「え!?」みたいな。ただ、私自身は、自分の価値が下がっていくことを徐々に実感してたわけじゃなかったの。35歳ぐらいのときに、不倫の相手と別れて、8年間の鉄の処女期(笑)っていうのがあったんですね。その頃から新宿二丁目でゲイと遊ぶようになって、そしたらあまりにも楽しくて、「私の人生に男なんかいらなくね? 女とゲイだけいればいいや!」と思って、誰ともセックスをせず、恋愛もせずにいた。でも、さすがに8年間も二丁目で遊んでると、人間関係がフィックスして、刺激が足りなくなったので、42、3歳ぐらいのときに「じゃあ、歌舞伎行ってみるか」みたいな感じで歌舞伎町のホストクラブへ行って、まんまとホストにハマった。
伏見 ホストが鉄の処女期の幕引きなんだ!
中村 そうなのよ。だから、8年間空だったマンコも、ホストがズッポリ!
伏見 とはいえ、ホストはすぐにはズッポリ入れてくれないわけでしょ?(笑)
中村 金積まなきゃね。1000万ぐらい使ったところで、先っちょだけ挿入みたいなね(笑)。
伏見 高すぎ!(笑) それって、女として終わっちゃう前にもうひと花、っていうあがきなわけですか?
中村 べつに焦りとかじゃなくて、そのホストがタイプだったので、本当に好きになったし、やりたかったんです。だけど、やってみると、彼の私に対するあしらいは、若いときに男にされたのとは違うわけですよ! ホストにとっては、私とのセックスは福沢諭吉とセックスしてるのと同じだから、いい加減なわけ。
伏見 天は人の上に人を作らず、ではなく(笑)。
中村 オマエの上にホスト作ってるよみたいな(笑)。にもかかわらず、これがまた前戯がなくてもこっちは濡れ濡れで、情けない……(笑)。そのときに、私ってババアなんだ!! って初めて実感した。ある意味、それまで自分がババアだってこと忘れてたんですよ。時が止まってたのね。徐々にモテなくなっていく過程から離れていたんで、そこで初めて「ババアってこんな扱いされるんだ」と思い知った。
伏見 少しずつ下落に慣れていくのならともかく、急にババア扱いっていうのはキツいよね。ぼくの場合は逆で、ゲイって、若いころは痩せててブスってモテないじゃないですか。イケメンすじ筋みたいのが本流で、ブスにはあまりマーケットがない。おかげで二十代はモテなくて、「てんぷらホモ」(←揚がっちゃってる)とか、「オリンピックホモ」(←4年に一回しかセックスがない)とか、揶揄されていた(笑)。ところが三十代になって段々太りはじめてですね、とある大台に体重が乗った途端、桃源郷が広がるわけですよ。
中村 モテバブルがきたんだ。
伏見 豚にもバブルがきて、腹を抱えてブヒッブヒッ言っていたわけですが、だけど、やっぱり40も半ばを過ぎると、バイアグラを使おうが亜鉛を呑もうが、自分の性的エネルギーの衰えは拭えず、なおかつ糖尿とかいろんな病が生じると、いつまでもデブ景気に浮かれてるわけにはいかなくなる!(笑)
中村 いろんなところに健康的な負債を抱えてるわけね。
伏見 愛をとるか健康をとるみたいな状況になってくると、さすがに、「性的な存在としてはそろそろおしまいだな」と黄昏れてきて、そんなときに思いもかけず恋愛が降ってくると……どっぷりとハマってしまうわけです。今後はこんなふうに若い子に真剣に好かれることはないだろうと思ったときに、アイデンティ・クライシスが生じて、「これを失ったら、私の人生ってもう糖尿しか残ってないの!?」と。それが『百年の憂鬱』の背景ですね。
中村 嫌だな、それ(笑)。すがりつく感じね。
●求められれば自己肯定できるわけではない
伏見 うさぎさんの場合は、ホストにはまり、それで自分の市場価値の現実を知ったわけじゃないですか。その後はどうなの?
中村 その後は、うまいことしたもんでね。高梨クリニックの院長の、整形外科医のお医者さんと、仕事で対談をしたんですよ。そうしたら、話しがすごく盛り上がって、「じゃあ、こんど整形しなよ」っていうから、「するする!」みたいな話になり、若返り整形ってやつを試してみたら、まあ、自分自身が自分のなかでアガッったんですね。私、賢ぶりたいタイプだから、「女がビジュアルに執着するのはいかがなものか」みたいな部分も少しはあったんだけど、いざ整形してみたら、「なんで早くしなかったんだろう!」みたいな感じになっちゃって。
伏見 それは、どういうことなんだろう。
中村 若さを取り戻した気になったんじゃない?
伏見 整形すると、男たちにモテはじめるっていう具体的な成果があるの?
中村 具体的にはぜんぜんモテなかったの。だけど、確実に外見は若返って、しかも目鼻とかいじってるから自分が若かったときよりも綺麗になってる! 「モテなくてもいい、私が、いまの私を好き!」みたいになったのね。それで、自分の価値を、わかりやすくお金で示してもらおうと、今度はデリヘルで働いたわけですよ。
伏見 デリヘルにいって、価値が上がってることがわかったわけですか?!
中村 指名がかかるたびに、「男が金を出してまで私とやりたがってる、ホホホ」とかさ。
伏見 そのとき、なんていう源氏名でやってたのよ?
中村 叶恭子。
伏見 ふざけんな!(笑)
中村 ただ、デリヘルでの性的行為にはやっぱり嫌悪があって、「なんでこんなジジイのチンコくわえてんだ」とか内心思うんだけど、でも、「この男は私のために金払ったんだ」と考えたら、ちょっと若いときの、「やらせてあげてもよろしくってよ」の気持ちが復活した。だけど、ジジイに買われてもしょせん相手はジジイじゃん? だから、やっぱり若いイケメンとかに買われたいわけよ。そしたらもっと気持ちが上がるじゃない。で、若い男の子が指名してきたときに、「ねえ、なんで私を指名したの?」って聞いたの。「綺麗だから」とか、「タイプだから」って言うかと思ったら、「お姉さんしか残ってなかったんで」って!
伏見 それかい!(笑) でも確かに、若い子に求められると、自分が上がりますよね。気持ちわかる。
中村 ってことは、私たちも若さに価値があると思ってるんだよね。
伏見 やっぱ、なんだかんだ言っても、エイジングなんて失うものばかりでいいこと少ないもん! 面白いのは、デブ専のゲイにしても、価値観がアンビバレントなところがあって、自分がデブに欲情する一方で、「なんでデブなんかに欲情してるんだ」っていう釈然としない気持ちもあり、案外そこがせめぎあってるんだよね。その複雑な感情がときに攻撃性に転化したりするわけですよ!(笑)
中村 でも、デブ専の若い男に好き好きって言われてるデブとしては、「おれ、伏見さんのことが、超いけるんですよ。デブ専だから」って言われたら、どんな気持ちなの?(笑)。
伏見 抽象概念としての「デブ」ぐらいだったら、全然平気なんですが、「他にどんな人がタイプなの?」っていったときに、「石ちゃんです」とか「内山くんです」とか言われるとかなり微妙(笑)。そこで初めて、自分の枠はこれだと、思い知らされる。
中村 私はやっぱり、若い男の子に誘われたりして、「すげータイプですよ。俺、ババア専なんで」とか言われると、マジで「おまえは二度と私の前に顔を出すな!」って、腹が立つんだよね(笑)。
伏見 でも、最近熟女ブームって言われてるじゃないですか。だから、うさぎさんみたいな熟女はモテるんじゃないの?
中村 本当に年とった、たるんだ女が好きですっていう熟女専と、自称熟女専とがいるんだけど、いわゆる体の線が崩れてババアっぽいのが好きですっていう熟女専には、私は全然うけないの。「なんで整形なんかして手を加えるんだ、あのシワのたるみが好きなのに」って。だけど、自称熟女専の男は、単に熟女はエロいと思ってるの。自分と同世代ぐらいの20代の女はやらせてくれないし、しかも、思いつきもしないようなあんなことやこんなことを、熟女だったらむしゃぶりつくようにしてくれるらしい、だったら一度やってみたい、と。彼らは、「俺のチンコに覆い被さって、あんなふうに痴態をさらし……」とか妄想してるわけだけど、しねーよ、そんなこと!
伏見 (笑)なんだ、言われてるほどには、熟女はおいしい思いはしていないんだ。
中村 そうだね。彼の期待に応えられるほどのベッドテクを持った熟女だったら、そうなのかもしれないけど。大抵、1回や2回やったら、「えー、熟女のくせにこんなに普通?」って。
●若さ、性愛からいかに降りるか
伏見 ゲイの場合は、健康を考えなければデブになって性愛市場で十分遊べる。あるいは、中高年になっても、フケ専っていうラインもある。だけど、女の人の場合ってさ、中年で50過ぎたあたりって、本当に苦しくなってくるみたいだよね。
中村 私は50歳で、もうそういうあがきを過ぎちゃったし、もはや閉経したからいいや、って思っちゃうんだけど。女の人って若いときから、男よりも、恋愛にかける比重が大きい。やっぱり、愛されることとか、必要とされることとか、求められることに快感が発生する生き物なんだよね。私の勝手な説なんだけど、女って、子育てをする性として作られてるから、なにか他者に必要とされるとか、愛されるとか、そういうことに快感を覚えるようにインプットされるのかもしれない。じゃなかったら、誰も子育てなんかしやしないじゃない。でも、子どもって一生懸命育てても、いつかは自立して手を離れてしまう。そしたら、いままで快感が出てたところがスポッて空くんだと思うのね。そこを何かで埋めなきゃいけないんだけれども、気がつくと子供が自立する頃には自分はもう50過ぎてる。今さら夫以外の男にもものすごく求められたり必要とされたりすることってないわけじゃない。そういうのがエネルギーの異常な空回りみたいなのを生むんじゃないかなと思う。
伏見 単なる欲求不満とか、性欲のはけ口とかではないんだ。
中村 たとえば不倫願望とか、そういうことに突っ走る主婦とかは、そうだと思うんだよね。一方、私みたいに、美容整形とかして、若い格好して、クラブに行って男の視線を集めるって方向に行くのもある。そういうことで、誰かから必要とされるとか、見られるとか、求められるとか、欲情されるみたいな快感を満足させようとするんだと思う。だけどそれはね、どうあがいたって年齢とともに求められなくなるし。だから、いまの50代の女の人は、どこかで求められること以外の欲望の路線に切り替えないと、この先難しいだろうと本当に思うんだよね。
伏見 ゲイにしても、フケ専の若者がいるからとか言っても、これから競争率高くなるわけじゃないですか。高齢化社会になると、なかなかいい若者は手に入らない。益々、金の玉になる。
中村 本当だね。老人ばっかりだからね。
伏見 フケ同士ならいいけどね。やっぱりフケフケっていう人は多くない。ゲイって、若いころなら、セックス→ジム→恋愛→セックス→ジム→恋愛……ってぐるぐる回っていればやり過ごせるけど(笑)、40過ぎるとさすがに疲れてくる。目の前で自分の子どもが育っていくとか、そういう充実感もないわけじゃないですか。そこで鬱になる人はものすごくいっぱいいる。若いときのような、快楽や欲望を満足させること以外に、どんな実存がありうるのか。性愛マーケットから降りた先に何があるのか。そういう問題は深刻です。
中村 私はゲイのことはわかんないんだけど、女の人に推奨してるのは、50を過ぎたらババアになれ! と。いまはメディアも美魔女とかいって、ババアにならないことが目標じゃん。でも、それやってると、いつまでも性愛の対象として、人からの欲望を求めてしまうから苦しくなる。どっちにしろ若い子には負けるに決まってるんだから。反対に、ババアになってしまったら、求められる快感とは別の、今度は自由の快感っていうのが手に入るわけ。男の性愛の対象だと思ってたらこんなことできなかったよな、言えなかったよなっていうことを、ババアって図々しいから、ガンガン言っちゃうしガンガンやっちゃう。それで男がどん引きして、「なんだオバタリアン」ぐらい言われても、「ババアですけどなにか?」みたいな感じで。諦める方向へ自分をシフトさせれば、男に必要とされなくなっても、こっちが男を必要じゃないから、べつにお互い様みたいな感じにならないかなと思う。
伏見 ゲイの場合ってどうなんだろう。オネエ力?(笑)
中村 恋愛マーケットにいる間は、自らのオネエ性みたいなものを抑制して、野郎ぶってみたりしてるわけだよね。だけど50も過ぎて、「これからはババア力で生きていくわ」みたいなことになったら、それはそれでオネエ全開は楽しいんじゃない?
伏見 ただ、そこが、ゲイの中途半端なところで、どのタイプ、世代にも性愛の可能性がついて回るから、降りずに済むって言えば済んでしまう。年をとって加齢臭を漂わせても、「加齢臭たまんない」っていうフケ専のゲイもいるからね。ユアン君みたいに、デブのうえにオネエな中年が好きっていうマイナーな嗜好の人がいるくらいでね(笑)。そういうね、すごくニッチな欲望を持った人がいて、彼らと出会っちゃうがために、性愛から降りることに完全に開き直れない。
中村 それはね、ゲイがチンコ主義だからですよ。
伏見 逆に言うと、性しかないっていうね。
●パートナーシップに恋愛は必要か
中村 こないだ、名古屋の「NLGR+」っていうイベントに行ったら、ゲイの公開結婚式をやっていた。でも、「こんな永遠の愛を誓っても、どうせ来年別れるんだろうな」とか思ってしまったの(笑)。ノンケの結婚ですら、永遠に愛なんか続かないことをみんなわかってるわけじゃない。だからさ、ゲイなんて性でつながってる部分が大きいわけで、その上性は目移りするから、彼らが結婚をする意味ってどこにあるんだろうな、と。ノンケは一応、子育てっていう再生産の問題があるから、形骸化していても「お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいますみたいな家族形態を保ちましょう」みたいな意味がまだある。そうすると、ゲイの人たちは、結婚って老後の心配しかないよね。孤独の問題。
伏見 老後だけじゃなくて、長い人生を生きていくうえでは途中で病気になったりとか、事故にあったりとか、仕事を失ったりとか、いろんな困難にぶつかるわけで、そういうときに、一人だと支えきれない部分を、二人いたらお互い助け合いましょうみたいな、そういう生活共同体的な意味合いはある。
中村 そうした場合、関係が恋愛である必要ないよね。つまり、恋愛結婚である必要がないよね。お互いの弱ったときに支え合ったりとか、あるいはお互いに「この人が1番私のことを理解してくれてるな」みたいな相手が、人生には必要だと思うんだけど、それは恋愛から出発する必要なくない?
伏見 そうなんだよね。
中村 むしろ、恋愛が縛りになる。
伏見 最初に性的なテンションが高いと、時とともにそれは目減りしていくわけだから、減点法的な思考によって、気持ちが萎えていく。『百年の憂鬱』も、性愛と、それとは違うところにある絆みたいなものが相克する構造になっている。人間は欲張りだから、どっちも欲しいんだけど、両方はなかなか手に入りづらく、でも両方ともほしい…みたいな欲望。いままでの考え方でいうと、恋愛があって性愛があって、関係性がその上に積み上がっていくのが正しかったわけだけど、性愛がなくても関係性が成り立たないこともない。でも多くは、あるいは少なくとも最初は、性愛を通じてしか対幻想的な絆を結べない。
ここはちょっとうさぎさんに聞いてみたいところなんだけど、うさぎさんはいま結婚していて、相手はゲイだって公言されているんですけれども、エッチとかしたんですか?
中村 してないです。チンコを見たこともない! ただ向こうは私のマンコを見たことがあるの。それは私が、大股開きで、パンツ一丁で寝てたときに、パンツの脇から具がはみ出してたから(笑)。
伏見 あんた…すごいセクハラ。夫婦でセクハラもないけど(笑)。
ちょっとぼくのことを先に言わせてもらうと、二十数年付き合っているパートナーがいるんですけれども、彼との関係は、かつて性愛はあったんだけれども、そっちのほうは最初からテンションが低かった。でも、ぼくみたいな難しい人間に二十年以上前寄り添ってくれたことへの信頼があるんですよね。出会いなんて伝言ダイヤルで、その前に神様に祈ってたんですよ。「次に会う人はどんな人でも、向こうがいいって言ってくれたらお付き合いして、ぼくのほうからは別れません」って。それくらい当時のぼくは、他人に愛されることがなかったし、愛するすべも知らなかった。
中村 神様が引き合わせてくれた、伝言ダイアル。
伏見 そうなんです。だから、全然タイプじゃなかったし、やれないことはないくらいの感じ。ホント、上から目線(笑)。
中村 何様なんだ!(笑)
伏見 それでなんとなく付き合いはじめて。向こうもあまり恋愛経験がなかったんだけど、時間を共有していくと、「この人のここがいいな」とか、「この人と、ここがわかり合えるな」みたいな感じで、加算法的に関係が積み上がっていった。だから、最初にすっごいエロティシズムがあって、「おまえのチンコがたまらん」みたいなところからはじまっていたら、逆に無理だったっていう実感があるの。
中村 うんうん。私が結婚したきっかけは、ぶっちゃけ「結婚してパートナーになりましょう」みたいな話じゃなくて、向こうが外国人で、日本人の女と結婚しないと日本にいられない状況だったんで、「いいよ、じゃあ結婚しようよ」みたいな感じだったんだけど。まあ、「うまくいかなかったら、いつでも解消すればいいや」みたいになめていたわけ。だから期待値が超低いんだよね。最初の結婚は恋愛結婚だったから、「この人と一緒に暮らす!」みたいなところに夢もあるし、「この人を支えてあげよう」とか思ったし、向こうだって、「妻にこんなことしてもらおう」とか、お互いの幻想みたいなものがあったんだけど、それがひとつひとつ打ち砕かれていくわけですよ、現実のなかで。それで、「なに、これ?」「あんた、そんな男だったの?」「結婚ってこんなもんだったんだ」みたいなことになるんだけど、今回の結婚は、相手がゲイなわけだし、それまで友達だったから、最初から夢を見てないわけ。期待値の低さが逆に良かった。いいところを見つけられるっていうか。
●紙一枚の覚悟!
伏見 今の夫との関係は、結婚以前のただの友達関係ではなくて、やっぱりそこに友情とは違う絆があるわけですか?
中村 ゲイの友達が何人かいたなかで、とくに仲がよかったっていうのもあるんだけど、それと同じぐらい仲のいいゲイの子は、他にも二人ぐらいはいたわけ。だから、本当に結婚は相手が外人だっていうそれだけのことだったんだけど、だんだん一緒に暮らしていくうちに、お互いに「この人ってこういう人なんだな」っていうことを知っていくわけじゃない。それで別にがっかりもしないわけよ。期待値が低いから。それで理解を深めてって、結婚して2、3年ぐらい経ったころに、「これでよかったな」って思えるようになったっていうのはある。
伏見 でも、例えばそれが女の友達とかだったらどうなの? 女の友達とでも、同居して日々を重ねていくうちに、違う絆になっていけたのか。
中村 周囲は、私たちが結婚して2、3年ですぐ別れると思ってたわけよ。他人から見たら、そんなふざけた結婚、結婚への冒涜じゃない。だけどうちが2年、3年とうまくいってるのを見て、「なんでうまくいってんの」って訊かれたら、「やっぱり最初から恋愛感情がないから、がっかりしないからじゃない? あと、親友だったから、最初からお互いに理解し合ってたし、そういうのもよかったんじゃない? 結局、結婚って、恋人じゃなくてパートナーになることだ」って、私がまた偉そうに言うと、「なるほど」って思った友達が何人かいた。そのなかの一人のキャリアウーマンの女子で、「結婚する気はない。だけどこの先たった一人で暮らしていって、年を重ねて、孤独死とか、それはちょっとな……」みたいなふうに思ってる友達がいて、「じゃあ仲のいい女の友達と一緒に生活してみよう」となった。ゲイ友人にも、性愛の関係じゃなくて、ただの友達として一緒に暮らすことをはじめた人も何人かいた。ところが、彼らはことごとく破綻したの。
伏見 どうして?
中村 私も、「私の理論だと、理解し合ってる親友どうしだったらうまくいくはずなのに、なんでうまくいかないんだろうね」って夫に言ったわけ。そしたら、夫が、「それはね、たぶん婚姻届を出してないからよ」って。私が「えー、そんな紙切れ1枚のことが関係あるの?」って言ったら、夫が「私ね、あなたと結婚するって決めて、婚姻届に判子を押すとき、自分に問いかけたんだ。こんな女と結婚して大丈夫?」って(笑)。自分はゲイでこの人と恋愛関係はまったくないけど、結婚届を出した以上は、この人のしでかしたことを半分自分が責任を取ったりとか、この人の人生を半分背負うことになるんだと。彼は「買い物依存症で、明日をも知れない経済観念で、こんな女と結婚して、その人生の半分を自分が引き受けられるのか」って問いかけて、覚悟を決めて判子を押したんだよね。だけど、ふつう、友達同士の同居って、相手の人生の半分を引き受けようなんて覚悟で決めないじゃない、って言うんだよね。確かにそうなのよ。だから、制度っていうのは、そういうところでは本当に機能してるんだなとは思った。
伏見 ぼくのゲイの友達でも、オネエ同士の大親友で、「私たちは、どうせ男なんかあてにできないんだから、強く生きましょう」って堅い絆で結ばれて同居した人たちがいたんだけど、一方に男ができてそっちに走ると、片方は、失恋っていうのではないけど、「あの女、裏切りやがって!!」みたいな感じになって大変だったことがある(笑)。やっぱり、ただの友達関係だと、情緒が全てになっちゃうから、関係もけっこう儚い。制度は人を抑圧するものだ、っていうのは、フェミニズム的というか、マルクス主義的というか、そういう権力観の世界像で、これまでゲイリブとかクィアとかフェミニズムとかはそういう観念に強く影響されてきたけれど、もはや、制度は利用するもの、という方向に移行したほうがいいんじゃないかと思うの。関係の不安定さとかをある程度緩和するために、そういう圧は多少あってもいいんじゃないかな、って。
中村 そうなんだよね。どんなものにも両面性はあるわけでさ。フェミニズムが指摘してきたみたいに、結婚制度というものからすごく抑圧されてた人、縛られて自由に生きられなかった女性は確かにいると思うんだよね。だけど、じゃあ、「その制度を壊しましょう」みたいになって、あまり自由になりすぎても、人間っていうのは永続的な関係は作れないものだっていうことがわかってくると、そのちょっとした抑圧ぐらいのさじ加減が必要なんだなっていうことがわかってくるよね。
伏見 結婚圧力が強くて、みんなが結婚しなければいけないという状況はキツいんだが、今や結婚したくてもできないような状況になっていて、その上で利用するっていうんだったら、ぼくは全然、結婚制度はあっていいと思う。その意味では、人生長いから、いろんなことがあっても支え合える関係を作るひとつの枠みたいなものとして、同性婚みたいなものもあっていいと思うんですよね。財政的に行政が個人の人生を全部フォローできないことは目に見えているんだから、自助的なユニットを設定しておくというのは、共同体の知恵でもある。
中村 恋愛から出発すると崩れやすい問題を解消する方法の一つだよね。
伏見 ただ、そこにもはっきり結論が出ないことがあって、『百年の憂鬱』もそういう話なんだけど、パートナーシップのほうが、性愛的な力よりも強いかっていうと、やっぱり瞬間風速では、性や恋愛の力ってものすごいわけじゃないですか。恋愛ってやっぱり、「この人と二人で」っていうような強烈な求心力だから、それが強く働いたときには、そっちのほうに行きがちですよね。でも、そればっかり繰り返していると、結局、日常的な関係性って積み上がらない。そして、もちろん、パートナーシップが性愛よりも上に位置づけられるとも言えない。
中村 恋愛とセックスを外ですることを、どうOKにするかだよね。心の底から。うちは、そもそもゲイとノンケ女だから、そこがかぶらないわけじゃん。恋愛とセックスの相手は家庭の外でしか求められないから。それは大前提になってるから、もう含みおきみたいな感じなんだけど。恋愛で1対1の関係からはじまった結婚って、ノンケだろうとゲイだろうと、外に恋愛の相手を作るっていうことを、どううまくやるか。二人とも同時にできれば、「私、好きな人ができたの」「あら、私も」みたいな感じだったらうまいこといくけど、こっちはまだ好きなのに、相手が他の人に心移りみたいなパターンのほうが多いわけじゃない。それをどう解消するかはね……。
伏見 結果として続いたら、続いたっていうことにすぎないんだけれども、これは確定でもなく、これから先もわからない。でも、うさぎさんの場合は、外でやるってしてるにしても、たとえばうさぎさんが、これから誰かと大恋愛をしたくて、やっぱりその人と暮らしていきたいみたいなことにならないのか。そっちの力が強く働いちゃうことはないのか、、、、
中村 ないね。
伏見 それはどうして?
中村 だって、ホストのときも、すごい好きだったんだけど、結婚しようなんて1ミクロも思わないの。そもそも、一緒に暮らす気がないの。というのも、ホストの前では、家がゴミ屋敷だとか、1週間も風呂に入らないとかね、そんなことはおくびにも出さず、自分の思ういい女ぶってるわけよ。一緒に暮らして、便器に私のうんこのカスがついてたりとかさ、そんなの絶対好きな人とかに見せらんないの。でも夫には全然見せて平気(笑)。家族だからね。だけど、やっぱり好きな男の前ではすごい頑張っちゃうから、そんな人と一緒になんか暮らせないじゃん。24時間、365日、いい女でいられないもん。
伏見 それは、前の結婚が破綻してるっていう経験値からも言ってるの?
中村 そうね。それもあるんじゃない?
伏見 じゃあ、うさぎさんの夫のほうはどうなんだろう。ゲイで、恋愛とかもしちゃうわけじゃない。それで、やっぱ男との結婚的な関係のほうがいいですっていうことにはならないのかな?
中村 私は、自分のことはわかるけど、夫の気持ちはわかんない。だけど、夫に好きな男ができて、「やっぱり彼と一緒に暮らしたいの」って言われたら、それはしょうがないよなって。恋愛感情がないから、そこも「しょうがないよね」ってちゃんと思えるんだよね。まあ、自分の弟が嫁に行くようなものですよ。あ、嫁?(笑)。
伏見 でも、うさぎさんとしては、「できたら今の関係が続いたらいい」みたいなことはあるわけ?
中村 そうね。せっかくここまで来たんだし、もう15年以上一緒に暮らして、夫婦なんだから、できればずっと暮らしていきたい。でも、4、5年ぐらい前かな、夫がね、「好きな人ができて、その人と暮らしたい」って言ったから、そういうときが来たんだなと思ったことがあった。
伏見 ほう。
中村 それで、新宿二丁目に部屋を借りて、そこに夫はしばらく住んでたの。
伏見 それはうさぎさん的にはハートブレイクな感じはあるんですか?
中村 ずっと一緒にいた人がいないと寂しいなとは思うわけですよ。でも、それも1週間ぐらいで、すぐに一人の暮らしに慣れてしまう(笑)。べつにそれまでも、生活時間が違ったり、私もしょっちゅう夜遊びとかして朝帰りして、私が寝てる間に夫が起きてとか、ずっと一緒にいたわけでもないから。あと、連絡は取り合えるじゃない? メールし合ったり、一緒にごはん食べたりとかはしてたから。でも、まあ、そうこうするうちに戻って、また一緒に暮らすことになったんだけど。
伏見 同性婚がないからっていうのもあるかもしれないけれども、向こうはうさぎさんとの婚姻関係を解消してっていうことではなかったの?
中村 解消してとは思ってなかったみたい。
●重荷はつらいが、重しは必要
伏見 こういう話をすると、必ず、じゃあ人生は対関係でなければいけないのか、っていう意見も出てくる。
中村 複数でもいいじゃないかと。
伏見 あるいはシングルでもね。べつにカップル主義じゃなくてもいいじゃないかっていう批判。うさぎさんは、どう思いますか?
中村 うーん、、、、、。一方で、私にしてもパートナーがいるとか、一緒に暮らしてる人がいるってことは、ちょっと重荷なのよ。だけど、その重荷がずっしりと重くて、背負って歩けないというほどではなく、ちょうどいい重しみたいな感じ。重荷というよりは重しに近いものがある。私ひとりだったら、もうちょっといい加減にしてたかもしれないんだけど、一応夫がいるから、しかも私は夫を養ってるから、仕事をしなくなったら、夫も路頭に迷うわけだから、ちょっと嫌でも、まじめに仕事するわけ。そういう意味での重しになってるから、逆によかったかなと思ったりするんだけどね。
伏見 ポット出版に佐藤智佐さんっていう編集者がいるんだけど、『クィア・ジャパン・リターンズ』っていう雑誌の鼎談ですごくいいことを言っているの。彼女は犬を飼っていて、なんで飼っているのかっていうと、自分の人生というか生活を邪魔してくれる存在がいることで、ある種、人は狂わずに済むんじゃないかって。
中村 なるほど。
伏見 いま、うさぎさんが重しになるって言ったけど、そういう、心地よさとは別の力が働いてるっていうことも、生きていくうえでは重要なんだなって思ったんだけど。
中村 結婚制度が抑圧である反面ひとつの重しみたいな、限りなく不安定な関係性をつなぎとめる重しになってるとしたら、そういうようなことなんだと思うんだよね。そのストレスっていうのは、人間必要なんだと思う。100パーセントの自由とか、100パーセントの平等とか、そういうことが万が一実現したとしても、人は幸せではないんじゃないかと思うの。飛ばされていってしまうような気がする。みんな、どっかに散り散りに。
伏見 いろんな形の、他者との関係の組み方があると思うんだけど。60年代生まれのぼくの世代は、ゲイがカップルで生きていく上でのモデルどころか、想像すらないところからはじまっているわけですよ。ぼくは、デビュー作『プライベート・ゲイ・ライフ』(学陽書房 /1991年)で、まだ当時付き合って数年だったけれども、彼との関係性について語る対談を収録した。それはゲイのパートナーシップについて初めて一般書に記したものだった。男同士の対関係っていうのはあり得ないと言われていたことに対して、それをやってみようっていう蒼い挑戦だった。でも、あれから二十数年経って、ゲイでもカップルで生きていくという選択肢も加わったにせよ、周りを見てて、生涯シングルの人の割合のほうが多いと思うんだよね。そうしたときに、次に必要なのは、シングルの思想っていうか。シングルが、どうやって生きて延びていけるのかっていう。
中村 おひとり様?(笑) それこそペットを飼うとかも有りなんだろうけど。この年になって一番心配なのは、廊下で転んで頭を打ったときに、発見してくれる人がいるとかさ(笑)。結局パートナーっていうのはさ、介護の人なんですよ。
伏見 身元引受人とかね。
中村 そうそう、なんかやらかしたときにね(笑)。だから、IDカードみたいなもので、自分を裏付けてくれる存在。じゃあ、シングルはどうやっていくのか。恋愛の現役であれば、そのときそのときの恋愛相手とかさ、あるいはお互いに合鍵を持ち合ってる親友とかね。でも、そういう親友も作れず、恋愛関係もどんどん移り変わっていくうちに、なんにも無くなりましたみたいな人もいるわけじゃん。
伏見 そこが難しいね。だから実は、恋愛とか性愛が入ってるほうが、簡単なんだよね。単なる友達同士でIDになる関係を作ってくことのほうが、はるかに難易度が高い。うさぎさんのところは、たまたまうまくいったゲイと女の組み合わせでもあったかもしれないんだけど、ただの友達同士で、そういう関係をどうやって作れるのか。性みたいなものが介在してはじまるからこそ、人は強く結びつくのであって、むき出しの個と個っていうのはなかなかそこまでは打ち解けられない。
中村 そうだよね。
伏見 最近ぼくは、保守派って言われちゃうかもしれないけど、ジェンダーとか、性愛みたいなものの効用は確かに有り難かったなと思うところはあるんだよね。いまさらそれを言っててもしょうがないし、それに不都合があったから変えようとしてきたのだけど、それに代わるものをどうやって利用して生き残っていくのか。
中村 ある意味、伏見さんも、私もちょびっと、そういうものを壊してきた世代というか、そういう人であるわけだから、既存のものを壊すだけ壊して、新しいものを確率しないで、とっととこの世から引退するのは卑怯だよね。
伏見 自分のことを、ときどきハーメルンの笛吹きみたいだなと思うことがある。ピーヒャラピーヒャラ、ゲイ解放を高らかに叫んで、みんなを海に連れて行って、ドボーン、はい、さよなら、みたいな(笑)。
中村 ちゃんと船を用意しないといけないわけだね。
伏見 ぼくは、いまんとこシングルとは言えないけれど、シングルの思想っていうか、そういう生き方をする人と繫がっていたいと思うわけです。だって、結局のところ自分もいつ別れるかわかんないしさ。それに、どっちにしろ、カップルっていったって死にはタイムラグがあって、最後はシングルだし。
中村 互助会みたいなのがあればいいのかね。
伏見 どういうきっかけで互助会を作るかだよね。エフメゾもそうなんだけど、なんかの場とか、なんかのきっかけがないと、突然「じゃあ互助会作りましょう」っていって集まれないじゃん? あと、ある程度の年齢になると、若いジェネレーションにコネクトがないと、日常がつまらなくなる。老人同士は惚けたり、一緒に死んじゃうわけだから。
中村 でも、それは新宿二丁目って、昔からあったよね。年配のゲイが、二丁目に出たての若いゲイをいろいろな店に連れてってあげたり、ごちそうしてあげたりして、面倒を見るみたいな文化。「こんなにしてもらってすいません」って言ったら、「自分に返さなくていいから、あなたがぼくぐらいの年になったら、自分の下の子に同じことをしてね」って、昔のゲイは言ってたんでしょ。っていう話を聞いたときに、うまく機能してるなと思ったんだけど。
伏見 それもある種、差別があるから成り立っていたからで、外圧がなくなったら、ゲイという日陰の共同性もなくなって、ただの烏合の衆と化してしまうから。
中村 差別があれば、守ってあげなきゃいけないからね。
伏見 新宿二丁目の存在意義も、差別がなくなったら、ただの街になりかねないわけで。
中村 単なる飲み屋街だもんね。
伏見 すごくそこが両義的でね、そこそこの差別があったほうが、別のことが機能するっていう面もある。
中村 問題発言ですよね(笑)。
伏見 以前から言ってるんですが、逆説的な、皮肉な現実もある。
中村 そこそこの抑圧だよね。
伏見 完全な自由は、ちょっと苦しい。
中村 やっぱ苦しいですよね。
伏見 さて、お話しは尽きませんが、お時間がきてしまいました。今日は本当にありがとうございました。うさぎさんのおかげで有意義な対談になりました。大きな拍手を!
(2012.8.4 エフメゾにて)
百年の憂鬱
著●伏見憲明
希望小売価格●1,500円+税
ISBN978-4-7808-0184-2 C0093
四六判 / 160ページ /上製
[2012年7月31日刊行]