2013-04-14

お部屋2499/性表現の規制と差別表現の規制

「性表現についての規制に反対している人が、差別表現については規制をしろというのはダブルスタンダードだ」という人たちがいます。これについては、すでにメルマガで論じているのですが、さきほどFacebookでも同様のことを書いている人がいて、今後も次々出てくるでしょうから、ここでもざっと書いておきます。

結論を言えば「どこがどうダブルスタンダードか、もうちょっと考えてから発言しようぜ」ってことです。考えるのがイヤなら発言も控えた方がよろしい。

そもそも内容が違いますから、性表現に対する考えと、差別表現に対する考えを一致させる必要などなく、どこの国でも両者を完全一致させてはいないでしょう。ヨーロッパ各国では、ゾーニングの元で性器や性行為の場面を出すことが可能。国によっては時間帯を制限して地上波のテレビにおいても可能。しかし、ヘイトスピーチについてはおそらくゾーニングの元で許すということにはなっていない。

私も合致しなければならないと思っていないのですが、ここでは「性表現の規制と差別表現の規制について等しく対処しなければいけない」という考え方を前提としておきます。

性表現において、「路上でセックスをしたり、全裸になることも表現であるから公然わいせつを撤廃せよ」「性器の写真をデモ隊が掲げる自由を守れ」「ニコ生は小学生とセックスをする中継を禁止するな」といった主張をしている人はまずいないかと思います。

現実にはこの社会においてそれらの表現は法で禁止されていて、「公然わいせつ、わいせつ物頒布、児童ポルノ等の規制をすべて撤廃せよ」と規制反対派が言っているのではなく、たとえば「ストリップやハッテン場のように、密室内で、そこにいる人たちが合意の上でなされる行為に公然わいせつを適用するのはおかしい」「ゾーニングがなされた上で、見たくない人が見ない場においては、性表現を規制すべきではない」「児童ポルノを非実在領域に適用するのは反対」「その所持までを禁止するのは反対」といった主張をしています。

つまり、性表現に対する規制に反対する人たちは法が適用される範囲、その内容の範囲においての疑義をもっているに過ぎず、「性に関する表現を一切規制するな」と言っているわけではない。

対して、差別表現においては法の規制がなく、メディアがそれぞれに倫理規定を設けているだけです。

「性表現の規制と差別表現の規制について等しく対処しなければいけない」という考え方からすると、現状の法律がダブルスタンダードになっています。性表現に合わせて、「公道で差別的な表現をした場合は逮捕して刑事罰を課す」「誰もが見られるメディアで差別的な表現をした場合も逮捕して刑事罰を課す」「18歳未満にヘイトスピーチをさせた大人、それをやめさせなかった大人は逮捕して刑事罰を課す」とすべきです。合致していないと納得できない人はそう主張すべし。

差別表現においても、「公然わいせつ」「わいせつ物頒布」に匹敵する法律を制定した上で、その適用の範囲、内容の範囲の拡大に反対するのが「性表現の規制と差別表現の規制について等しく対処しなければいけない」という考え方に合致しているのであり、それを主張しない人々こそがダブルスタンダードです。

それを主張していないくせに、他者を「ダブルスタンダードだ」と批判する人たちに対しては「おまえこそダブスタ」と言って終わりかと思います。

ちなみに私が規制を容認できるのは、今のところ、民事救済の範囲です。たとえばある個人や特定集団に対して差別的な発言をした場合、名誉棄損や侮辱罪に抵触しなくても、民事で訴えることができるようにするってことです。これは現行法の範囲でもたぶん可能であり、新たな法律など必要ないのではないかと思うのですが、それが不可能であるなら、新しい法律ができてよい。

すでに書いたように、私が規制容認に至ったのは、「差別はいけない」という考えが共有されなくなったこの社会において、それを取り戻すためには法的裏付けが必要ということでありますから、最小限に留めるべきだし、最小限でも効果を発するはずだと考えてます。刑事罰については今のところ反対ですから、性表現の現状に比すると手前の手前の手前くらいで留まっています。ヨーロッパ型のヘイトスピーチ規制法とは違い、保護法益は被害者の救済であり、また、事後救済でありますから、その点ではアメリカのヘイトクライムに近いですが、私は刑事罰までを認めていてないので、これに比しても手前です。

性表現の規制に比して、差別表現の規制を容認する範囲はたしかにゆるいですから、その点において、私はダブルスタンダードかもしれませんが、これをダブルスタンダードという人たちは、差別表現について当然刑事罰の導入を要求しなければならない。あるいは公然わいせつ、わいせつ物頒布、児童ポルノなどの法規制に全面的に反対しなければならないことに気づいた方がよろしいかと思います。

まして、ニコ生に対する署名は私企業に対して、規約の遵守を求めたに過ぎず、法規制とは別問題です。規約の遵守を求めることが表現規制であるというのなら、そもそもそのような規約にしている企業に対して文句を言うべきです。どうぞ署名でもなんでもやっていただきたい。もちろん、性表現の条項を規約から削除することも求めないとダブルスタンダードですよ。

私はなお積極的に法規制に賛成しているわけではなく、このままだとそれもやむを得ないと思っているだけです。そうならないために、行動に参加し、こうやって文章も書いている。法規制を導入しないためには、現状でできることを全部やるべきであり、ニコ生の署名もそういう試みでしょう。それにさえも反対するのでは、いよいよ法規制の流れが強まるだけであることを認識した方がよい。足を引っ張れば引っ張るほど、世論はそちらに向かいます。

つうことで、納得した方は、こちらの署名にご協力ください。

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