2010-10-30
お部屋2119/ツイッターとブログ
10月半ばから、急速にツイッターの使用頻度が落ちていて、今や2日も3日もまったく見ず、書き込まないことがあります。見るとしても、自分宛のツイートのみだったり。
それもこれも、「ありがとう東京三世社〜総天然色の夢」のせいです。ツイッターでこまごまと書いているよりも、まとめて書いた方がいいテーマというものがあります。しかも、ツイッターだと短時間で流れてしまって、ほとんど誰も読まなくなりますから、記録として残すんだったら、ブログの方がいい。
ブログを連続してい書いていると、ツイッターに意識が向かわなくなる。私は両立が難しくて、ツイッターをやっているとブログを更新する気がなくなり、ブログをやっているとツイッターを見る気がなくなります。
私と同様の人たちは多いと見えて、ツイッターをやり始めてからブログをやめてしまった人、顕著に更新頻度が落ちてしまっている人がよくいます。単純に時間がなくなるということもあるんでしょうが、それだけではない感触があります。
しばらくの間、私はすっかり「ツイッター頭」になっていたわけですが、今は「ブログ頭」になっていて、ツイッターに復帰できなくなってます。時間がないわけでもないのに。
その理由を考えてみました。毎年、このシーズンは何かと調子が悪くなるってことがまずあるんですけど、それはさておき。
ツイッターでは気ままに書いているようで、実のところ、他者の視線を強く意識するメディアです。すぐに反応があることも他者を意識させますし、タイムラインを見ることで、自分を見ている人たちを常に意識する(フォローしている人とフォロワーはきれいに合致するわけではないですが)。
ブログでも商業誌でも、平気で「チンコ」とか「マンコ」って書くせに、ツイッターでは書きにくく、ツイッターを始めた当初は、人が少ない深夜にエロネタを書くようにしていました。それでも「金玉」止まり。ツイッターで「マンコ」は書きにくい。
その抑制が働くのも、他者を強く意識するからです。
ずっとツイッターをやっていると、この他者の視線の流れが読めてきますから、何を書くべきか、何を書くべきではないかのフレームが自然とできていて、とくに考えることなく書けるわけですけど、しばらく離れると、その勘が働かなくなって、「何を書いたらいいんだ」と途方に暮れます。
もちろん、こんな戸惑いなどなく、いつでもエロワードを書け、間があいてもすぐに復帰できる人もいるんでしょうけどね。
タイムラインを読む行為も同様で、バラバラに並んでいるツイートを読むことで、ある人の固定した属性や特性だけじゃなく、今興味のあること、今考えていること、今やっていることの流れを把握していきますから、読んでいれば読んでいるほど、あの短いツイートの背景にあるものを読みこなせるようになって、アイコンを見るだけでその流れが見えて飛ばし読みでも理解でき、それがまたある人の流れを確固としたものにしていく。
その蓄積がいったん断たれると、短いツイートだけから得られる情報が少なすぎて、意味が十分にわからなかったり、面白みがわからなかったりする。「何を言いたいんだ、こいつは」と。その言葉だけが切り取られて、広くRTされるツイートもありますが、タイムラインを構成しているツイートの多くは、その発言者とのつながりが見えて初めて十全に意味が伝わる。
フォローしている人が多いほど、それぞれの流れを把握するための時間が必要となり、フォローしている人が多いほど、離れた時にツイッターを最初に見た時の戸惑いが再現されてしまい、ツイートするにも意気込みがいる。むしろ、フォロワーが少ない分、始めた頃の方がツイートすることのハードルは低いかもしれない。
皆が縄跳びを楽しそうにやっている中に、急には入り込めなくて、タイミングを見計らって「ヨイショ」と思い切らなければならないカンジに似ているかな。人数が多いほど臆するってもんです。
今まさに私はその状態。11月4日のポットチャンネルの告知をしたいのに踏ん切れず、結局、こうやってまたブログを書いているわけです。見ている人はいるけれど、一人でやる縄跳びは気楽でいいなあ。
個人のつぶやきの集積でありながら、他者を意識させ、言葉のやりとりを直接しなくても、コミュニケーションに類する行為が成立するメディアであり、そこが面白さであり、そこに快が生ずる。その快を存分に味わっている「ツイッター頭」の時は、ブログがどことなく物足りない。
しかし、それがために「たまにやる」ということが難しい。できないわけではないですが、それだと十全にその機能を活用できない。
告知がある場合だけに書き込みをしても、見た人が発言者の流れってものを汲めないので、その告知は単なる事務的な情報にしかならなくて、スルーされてしまいます。結果、効果もあまりない。流れを見せておかないとダメなんですよね。
難しいです。といまさらながらに感じているのですが、ツイッターについては、イヤなものを見てしまいまして、それでいよいよ踏ん切りがつかなくなっているところもあります。
これについてはまたそのうち。