2009-05-13

お部屋1847/Googleブック検索に対する異論【追記あり】

今回は東村山からちょっと離れます。盗用問題ともちょっとは関係しますけど。

ポット出版が「Googleの書籍デジタル化への集団訴訟和解案について」を公開しました。ITmediaでも取りあげられて、一方的にGoogleを悪者に仕立て上げようとする勢力に対する異議申し立てとも言える内容で、この問題に一石投じることになりましょう。

Googleブック検索については、メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」で何度か取りあげていますし、ポットの沢辺さんとも話し合いをしていました。「出版関係の諸団体が勝手なことをほざいているので、それに対抗して、一人で声明を出そうかと思っている」と沢辺さんに話していたのですが、私が何を言っても世間様から相手ににされないので、先にポット出版が意見を表明してくれてやりやすくなりました。

では、書き手の立場から、私も改めてこのことを書いておきます。

インターネットの登場によって、本はとても不便な媒体になってしまいました。検索が容易ではないからです。

「どこかで読んだよな」と思っても、どこで読んだかわからない。どの本に出ているのかわかっても、どのページに出ているのかわからない。気になるところには付箋をしておく癖がありますが、大量に付箋がついていると、どの付箋が該当箇所かわからない。読んでいる時にはさして意味を感じていなかったために肝心な箇所に付箋がついていないこともあります。

インターネットがなかった時代から、調べものをする時に、索引がある本とない本では、作業効率がまったく違うため、あらゆる本で索引をつけるべきだと私は言ってきました。

そうは言っても索引をつけるのは面倒ですから、自著でそれを実現したのは『魔羅の肖像』『風俗ゼミナール』など、ほんの一部ですが。

もともと印刷物という媒体に不便さを感じていた私は、インターネットの登場によって、なおのことその不便さを感じることが増えました。自分の原稿でさえ、本で探すのが面倒で、もとの原稿をパソコン内で検索します。おそらく多くの書き手がそうしているはずで、「いかに本は不便か」ってことです。

もし本の中身をネット上で検索できれば、これほど便利なことはない。索引のように、ワンワードで調べるだけでなく、複数のワードで検索することで、より的確に調べることが可能になります。もちろん、本の索引に抜き出していないワードでも検索可能です。

そう思って、ポット出版に「本の中身をネット上で検索できるようにできないものか」と提案したこともあるのですが、「予算がないし、人がいない」ということで却下。

それからしばらくして、アマゾンが「なか見!検索」を開始し、私が考えていたことが実現し、ポット出版はいち早くこれに参加。ポット出版から出ている私の本は、共著を除いて「なか見!検索」ができます。

ところが、アマゾンで拙著を検索していただければおわかりのように、ポット出版以外の出版社から出た本は、どれも「なか見!検索」ができるようになっていません。おまえらは本を売る気がないんかと。「他の本はどうでもいいので、私の本だけでもやって欲しい」と言ったこともあるのですが、例外的にひとつだけとはいかないようです。

「ひとりひとりの著者に確認をとるのが面倒」ということもあるでしょうし、「万が一のトラブルを避けたい」ということもあるでしょうが、おそらく「一部であれ読まれてしまうと本が売れなくなる」と今なお考えている出版社が多いのではないでしょうか。

しかし、一部が読まれて本が売れなくなるんだったら、書店の店頭に本を出すべきではなく、図書館の存在そのものにも反対すべきです。書店の店頭に出すとしても、すべてシュリンクをして立ち読みできなくすべきです。

こんな心配をする必要があるのは、黙っていても本が売れる著名な書き手だけであって、存在さえ知られていない出版社や著者、少部数のため十分に流通していない本においては、存在を知られてもらわないとどうしようもない。

アマゾンで検索して該当箇所を読み、それで目的を果たしてしてしまう人たちはたくさんいるでしょう。しかし、その人たちのほとんどは、もし「なか見!検索」を利用していなかったら、どのみち、その本を買うわけではない。それよりも、「なか見!検索」は新たに本の存在を知る契機になっていると見た方がいい。

仮にある本を買おうと思っている人が10人いるとして、「なか見!検索」を利用することで、「思っていたものと違った」として買わなくなる人や「必要な箇所が読めてしまった」と買わなくなる人は1人や2人はいるでしょう。「思っていたのと違った」という人たちにとっては、「買わなくてよかった」ということであって、「親切」って話でしかない。

「必要な箇所が読めてしまった」として買わなくなる人が1人か2人いたところで、「なか見!検索」によって、買う気がなかったのに買う気になった人が3人いればいい。その3人を確保するために、タダで文章を読んでしまう人が100人出てくることはやむを得ない。というか、どんどん利用していただければよい。でも、「もっと読みたいと思ったら、たまには買ってね」ってことです。

現に「なか見!検索」ではその効果が十分にあると感じてます。「なか見!検索」ができるようにしている本の数が少ないため、たいていのエロワードを入れると、私の本に行き着くのです。

『風俗ゼミナール』「女の子編」「お客編」が久々に増刷になるのですが、店頭にほとんど出ていないにもかかわらず、8年も前の本がアマゾンで売れ続けて、5刷にまでなったのは、「なか見!検索」の効果を無視できないと思ってます。

ポット出版では早い時期から、立ち読みができるようにもしていて(これは私の提案だったかも)、一章か二章公開することで買う気がなくなる人より、買う気になる人の方が多い。そのくらいの自信はある。その自信がない人は公開しなければいいとして。

宣伝費をかけられない出版社にとって、また、名前だけでは売れない著者にとって、インターネットの存在は本当にありがたい。今は東村山問題の専門ブログかのようになってますが、もともと「黒子の部屋」を始めたのは、少しでも自分の存在を知らしめて、本の購買につなげるためでした。ここに書いていることと、本の内容とがズレているため、あんまり効果があったとは思えないですけど、それでもやらないよりはやった方がいい。

そして、「なか見!検索」「立ち読み」をさらに大規模にやり始めたのがGoogleです。

日本の著作権法で言えば、スキャンした段階で複製権の侵害になり得ます。検索したワードだけでなく、その前後を公開することも同様です。アメリカの著作権法がどうなっているのかわからないですが、おそらくアメリカでも同様で、だから、訴訟にもなったのでしょう。

その手続きに瑕疵がなかったとは言いませんが、そのメリットを考えた時には、「著作者人格権を侵害しない限り」つまり「著者が誰であり、題号が何であるのかを明示し、同一性を崩さない限り」、また、「図書館でのコピー制限を超えない限り」つまり「本の半分以上を容易に読めるようにしない限り」といった条件のもとで、「どんどんやってくれ」というのが私の立場です。

「どう本は生き延びることができるのか」を自分なりには考えてきた私からすると、本来出版界が率先してやらなければならない作業をGoogleがやってくれたと感謝さえしています。

よく「短編集では一本丸ごと読まれてしまう」なんてことを言う人たちがいるわけですが、いいんでねえの、一本や二本くらい。それを読むことで、本を買いたくなる人もいるんだし、ケータイ小説が成立しているように、全文読めたところで、金を出して本を買う層がいます。そのくらいには今なお印刷物には魅力がある。本の価値をもっと評価し、その上で消費者の利便性を図ることで、購買につなげていくべきではないでしょうか。

あるいは、「本の中身が流出してしまったらどうするのか」という危惧を語る人たちもいますが、そんなん、今だってあり得るわけです。本を買った人がスキャンをして公開するのはいたって簡単ですから。「それにどう対抗していくのか」はたった今だって考えなければいけないことであって、Googleを叩くために、思ってもいないことをいきなり言い出した感が拭えないです。

私自身、もはやネットを介してしか本に興味を抱けません。本屋に行く時も、まずネットで検索する。紀伊国屋のどの店舗のどのフロアにあるのかまでを探してから行く。店内を歩き回って本を探すのは面倒です。

おそらく私と同様の行動になっている人たちは少なくないはずで、その時に、ネットで探せない本は存在しないも同然です。

そうなってもいい人たちはGoogleを叩いていればいいでしょう。

その筆頭は、日本文藝家協会日本出版著作権協会日本ビジュアル著作権協会です。

黙っていても本が売れる人たちや、こういう団体が「日本の著作権者」「日本の出版社」をあたかも代表しているかのように声明を出すことに苦々しい思いがあります。「当団体は」「当団体の会員は」あるいは「一部の著作権者」「一部の出版社」と言って欲しい。

こういった団体の人たちに問いたい。

出版マーケットが縮小しつつあるこの時代に、あなたたちは、いったいどんな対策をとってきたのでしょうか。

Googleのやり方が気に入らないのであれば、どうして出版界全体に呼びかけて、Googleとは違うやり方で、本という媒体の不便な点をカバーすることでその特性を生かすシステムを構築しようとしてこなかったのでしょうか。

具体的展望を提示することもせず、本という過去の財産にあぐらをかいて、ただ文句を言っていることにどんな解決策があるというのでしょうか。

それよりも、Googleブック検索を肯定した上で、「いかにトラブルを防ぐ対策をとっていくのか」「いかによりよいシステムにしていくのか」を提案していくべきでしょう。

将来的には「出版界が蓄積してきた財産の二次利用をどうしていくのか」においてもGoogle主導で事が進む可能性があり、おそらくGoogleはそこまで見据えているでしょう。そこにおいての接点を見いだすためにも、敵視するのではなく、友好な関係を築いていくべきだと考えます。

これに対応ができず、Googleを敵視しているだけの出版社は書き手に見捨てられますし、書き手は読み手に見捨てられます。とっとと見捨てられればいいと思います。

追記:ついさきほどまで気づいていなかったのですが、日本ペンクラブも横並びの声明を出してました。これに対して、ペンクラブの会員である小説家の佐々木譲氏が異論を述べています。おそらく他の団体に加盟している個人や法人でも、声明に同意していない人たちは他にもいるはずです。そういう方々にはぜひとも意思表示していただきたいものです。

追記2:5月28日、日本文藝家協会は和解案を受け入れる方向に転じた旨が各新聞で報じられました。
http://www.asahi.com/culture/update/0528/TKY200905270368.html
文藝家協会のサイトにはまだ何も出ていないのですが、報道によると、日本文藝家協会は、和解案の内容を正確に理解できておらず、米国の団体に説明を受けて、「和解案は著作権者に利益がある」とやっと理解できたようです。情けない。

このエントリへの反応

  1. 私が一番好きな本屋は池袋のジュンク堂だったりします。

    専門書コーナーの椅子に腰掛けて中身を見てから買えるというのは実に素晴らしい。あれならば「これだ!」と感じる本が見付かるまで(買う決意をするまで)本屋にいてやろうと思える。

    でも町の本屋でそこまでの事をやるのは不可能ですから、ならば端末を置いてそこで検索したり、注文したり出来れば似たような事が可能ですよね。

    しかし現状では神保町の一部の本屋が共同でシステムを開発しようと動き始めたばかりで、恐らく実現までは時間がかかる。

    ならばGoogleの技術力とマンパワーを借りて、書籍のデジタル化を推し進め、少しでも早く新しい本との付き合い方を見出すべきだと思うんですが、頭の固い人や先の見えない人があまりに多いようで。結局じわじわと自分達の首が絞まってるのに。

    紙が好きな人は紙で出来た本を手に取ればいいし、デジタルデータの方が便利だと言う人はそっちを取ればいいだけなんだし、客に選択肢を与えてやりゃいいじゃんっていう事だけだと思うんですが。

    本屋の端末で本を検索して、注文して、レジでお金を払って、家に帰ったらPCにさっき買った本(のデータ)が届いてるなんて生活になったら、かなり楽しそう。

  2. そう言えば、広瀬隆が新著でGoogleブック検索をグローバリズムの陰謀何鱈って非難してましたね。そう言われれば・・・・・とは思うけど、じゃ貴方は何をしたいの?って対案が見えてこない。

    赤木智弘のオーマイ&鳥越批判にも当てはまるけど、こうした批判って守っているのが「権利」じゃなくて「権益」って気がしちゃうんですよ。既に名声を得た側は兎も角、そうでない人には障壁でしかなくなっている様な・・・・・

  3. 荒井。さま

    危惧する点がなくはないんですけど、一方的にGoogleを敵視する姿勢と、自分らが著作権者や出版社を代表している気分になっているのがあまりにバカみたいなんで、一言言わないではいられないです。

    Googleブック検索が浸透すると、そのまんまネット書店で購入する客が増えることが想像できて、小さい書店がさらに潰れていくかもしれない。しかし、現在すでにそうなってきているのだから、これに対抗する手だてを提示するしかない。

    例えば、小さな書店でも使えるように、Googleブック検索を取り込んだ本の検索システムを作り、近所の書店に置かれているのかどうかがわかり、ない場合はネットで取り寄せができるようにすることも可能なはずです。

    荒井。さんが書いているような書店の試みはいろんなところで起きていることで、Googleは、それに敵対するものではないと思うんですよね。

    私自身、調べる時はアマゾンをムチャクチャ利用しているくせに、いざ購入する時は紀伊国屋まで行きます。実物を見ないと信用できないので。紀伊国屋を利用するのは、どの売り場にあるのかわかり、取り置きも可能なためです。

    こういった層をどうネットから書店に向かせるかを考えもしないで、目先の権利を守ろうとばかりしている人たちがデカいツラをしていることに対しては、腹立ちとともに「これだから出版は滅びるんだろうな」と絶望的な気分も生じます。

    杉山さま

    アメリカでの和解で、日本が巻き込まれることに対しての理不尽な思いはわかりますけど、インターネットというのはそういうものです。インターネットそのものを否定するのであれば整合性があると思いますが、Googleブック検索だけを取りあげて批判するのは無理ってものです。

  4. [...] 出版界には平気でダブルスタンダードを使い分ける方々がいまして、「箱をつけると、店頭で中を見にくい」と言いつつ、Googleブック検索には反対したりするわけですが、Googleにはこっちから喜んで本を提供しますので、そのうちGoogleブック検索で、本の一部を読めるようになるはずです。もう少々お待ちください(ただし、図版は伏せることになりそうです)。 [...]

  5. [...] すべての情報をネット上に移植して、誰もがアプローチできるようにしたいとのgoogleの偏執的とも言える欲望がgoogleブック検索を実現させました。 [...]

  6. [...] 「インターネットの意義とか、出版との関係とかを積極的に考えようとしない人が出版界には多くて、だから、Googleブック検索に対して無闇に反対する団体が多い。やっと意義がわかってきて、こっそり方向転換している人たちも多いみたいだけどさ。だったら、最初から少しは調べて、少しは考えてから意思表示すればいいのに、インターネットに対しては敵視から始まる。オレの友だちになんてことを(笑)」 [...]

  7. [...] 「いっぱいいるよ。現実には情報を出せば出すほど、本は売れる。情報を出せば出すほど、その本について取りあげるブロガーも増える。ネタを流用すればいいんだからさ。ネットで情報を出せば出すほど、おそらく雑誌の書評も出やすくなる。ライターはその情報をアレンジすれば原稿がいっちょあがり。なのに、出版社がアマゾンの“なか見!検索”をやろうとしても、著者が嫌がるという話も聞く。だったら、書店での立ち読みはどうなるんだって話なんだけど、そこまでは考えないんだろうな。その軽視と敵視がGoogleブック検索に対するマヌケな姿勢にもつながっていて、そういうことこそネットで調べればいいのにさ。その点、ポットはネット対応が早くて、読物が多い。ブログが登場する前に、書き手に連載をやらせたことがいい結果を生んだ。出版社のサイトでの連載って、金を払っている場合も、払っていない場合も、どっちもあるけど、払っていない場合の問題は書き手がバタバタと倒れていくことだよね」 [...]