2008-07-02
お部屋1562/出版界崩壊は止められないがために 11
「セックスワーカーの権利」みたいな話をしていると、「風俗業界では契約書も存在しない」と言い出す人たちが必ずいるのですが、「当日の欠勤も許される」「長期で休むこともできる」「日払いでギャラをもらえる」「いつでも辞められる」といったメリットがあるからこそ働いている人たちも多くて、一律に契約書を交わすことで、それらのメリットをなくすことになってもいいのかどうか。
ほとんどの性風俗店は日払いになっていることによって未払いは起きにくいわけですが、契約書を交わすことによって明確な雇用関係が生じ、賃金は月払いになった方がかえって未払いが起き、辞めにくくなりかねない。
もちろん、今度はそれをフォローするための制度を作っていけばいいのですけど、なにしろグレイゾーンにある業種ですから、外部の組合などのバックアップが受けられるわけでもなく、かえって自分たちの首を絞めることになりかねない。
まして違法行為をサービス内容としている場合は、契約書が売防法違反の証拠にされかねないのですから、契約書がないことと、業界の体質がいい加減であることには直結しません。
自分たちの労働の特性を考慮した上で、何が有効であるかを考えるべきで、それをやらずして、「契約書」を口にすることで何事かを語っているかのような錯覚に陥ることはやめた方がいいと思うのです。
契約書が悪いと言っているのでなく、それによる解決ができる場合が多々あることを認めつつ、あるいは契約書があった方がいい個人が存在することも認めつつ、そのことによって、何が起きるかを見極めるべきです。
出版界も同じです。「出版界では契約書も交わさない」とその体質の古さを指摘して嘆く物書きがたくさんいます。以前から私はこれに反発していて、繰り返しその旨を書いています。
「そんなものを交わしたら書き手も契約に縛られることになり、締切を守れなかったら違約金を払わなければならなくなるのだから、なあなあでいきましょうよ。契約書が欲しいのなら、個人で契約書を作って出版社にサインを求めればよく、なんでそんなものを必要としていない物書きまでを巻き込むような形で、出版社ばかりを批判するのか」と言ってきたわけです。
ここでも私は一律に契約書を否定するのではなく、あった方がいいという人たちがそれを実行することをなんら批判しないし、私自身、あった方がいいと判断することもあります。しかし、それがないことが無条件で問題であるとの決めつけは批判しないではいられない。
また、書き手も契約書の当事者である以上、契約書を交わさないことの責任の一端は書き手にもあって、 なぜ出版社のみが批判の対象になるのかわかりません。「必要だと思っている私はなぜ契約書を交わす努力をしないのか」が真っ先に問われるべきでしょう。
「契約書は必要である」「契約書を交わす労働環境は理想である」という立場からすると、「単行本だけ契約書があればいい」という論理は成立せず、すべての仕事において契約書があった方がいいという話になります。
しかし、すでに述べたように、多数の雑誌で多数の仕事をこなすことで成立しているライターという薄利多売の商売(ライターのすべてがそうだと言うのではないですが)の特性を考えた時に、1万円の単発の原稿で、いちいち契約書なんて交わしていたら、編集者もライターも面倒でしょうがない。契約書を交わすために出版社に行くギャラをくれって思います。
連載も1年単位の契約ということになるのでしょうが、そうなると、契約期限までは、どんなにつまらなくても編集部は切れない。つまらん連載ばかりになっても困るので、内容に介入するしかない。「それは困る」ということになっても、ライターは降りることができず、互いに不自由なことになりかねない。
本を書き下ろして欲しいという依頼があって、ホテルにカンヅメにされたのに、ボツにされたのかなんなのか、説明もないまま、連絡が途絶えた体験もあって、そんな時には「契約書を交わしておけば、印税の半額くらいの違約金を取れたのに」と思いますけど、本を出すことを約束したまま、こっちがうやむやにしてしまったケースはその何倍もあり、締切を守れないこともしばしばありますから、違約金で私はとっくに破産していると思います。契約書がなくてよかった、あるいは原稿ができてから契約書を交わす慣例になっていてよかったです。
個人として「契約書があった方がいい」と考えて、出版社にそれを求めることに私はとやかく言う気はまったくないのですが、あたかも出版界全体の問題であるかのように、契約書がないことを批判するのは、すべては出版社がお膳立てをしないと何もできない自分を疑わず、なおかつ契約書を交わしたら、自分もだらしのないことができなくなることの想像もできない物書きの幼稚さ、わがままさの表明でしかないと思います。ちょっと言い過ぎか。
しかし、今こうして改めて考えてみれば、現にこういうことを言う人たちが増えているのは、「この編集者なら、あるいはこの出版社なら、そんなものはなくてもいい」と思える関係がすでになくなっていることの証明と言えるかもしれません。
それでも、なお私は一律で両者を縛るような発想は受け入れにくく、まして、崩壊に向かっている産業において、時に敵対関係、対立関係を作りだしかねない発想には賛成できません。そうしたい人はそうしていいとして、私は関係ないです。
続く。