2008-06-21
お部屋1547/出版界崩壊は止められないがために 2
私自身、ブログ「雷句誠の今日この頃」を読んで、裁判の争点である「原画紛失」よりも、「漫画家と編集者の関係」に強い興味を抱いたのですが、これについて発言している人たちの多くも、そちらに力点があります。そちらが先にあって、原画紛失問題がこじれたのですから、当然ではあります。
編集者は時に表現をともに守る立場である一方で、時に表現を規制する主体にもなります。つまりは味方であったり、敵であったり。
無断で写真を外された、無断で文章を削除されたといった体験もありますが(月刊「創」です)、私の場合、もっとも揉めるのは言葉の規制です。
「スポンサーとの関係があるので、固有名詞を出さないで欲しい」というのなら理解はしますし、たいていの場合、すんなり私は折れます。
しかし、いわゆる差別用語に関しては譲れる言葉とそうではない言葉、譲れる使用法とそうではない使用法があります。差別用語だとして言葉を葬ることによってこそ、その言葉は他者を貶める武器になります。これは「オカマ論争」の際に主張した通り(最近、「マツワル」では、さらにこの時の議論を深化させてます)。
今回の件でも、「言葉狩り」について書いている漫画家さんが何人かいます。
例えば以下。
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それにしても編集部一律で禁止用語あるならあきらめつきますが、担当した編集者次第で使える言葉や使えない言葉あるなんて今でも納得いきません。
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ここでの文脈では私もこの意見に賛同しますが、場合によって、もう少し事情は複雑になろうかと思います。
実際にあった例で言えば、昭和20年代の街娼を記述するのに「パンパン」という言葉を使っていたら、編集部から直しが入りました。
今現在の街娼を「パンパン」と表現していたのであれば譲れますけど、歴史的な事実を記述する場合、その時代の用語を使用するのは当然であって、当時は「中央公論」も表紙に大書していた「パンパン」という一般的な用語を、後世になって「蔑称だ」として存在しなかったことにする姿勢は受け入れられません。
この当時から「街娼」という言葉は使われていますが、学者などの文章で見られるだけで、一般には「パンパン」、または「夜の女」「闇の女」です。「ストリートガール」という言葉も使われているケースがあるかもしれませんが、一般的ではありません。
編集部の根拠としては、どっかの新聞社のガイドラインで、「パンパン」は要注意語に指定されているということだけです。つまり、その使われ方を考慮することなく、書き手の特性を考慮することもなく、編集部は一律に言葉を規制しようとしていたわけです。
この時は、印刷を遅らせて、ギリギリまで話し合いを続けました。
「署名原稿なんだから、責任はオレがとる。クレームがついたら、全部こっちに回せ」とも言いました。クレームがついたら、編集部は「注意したのですが、書き手が頑固で譲らなかったんですよ。書き手が全部悪いので、文句は直接言ってください」と私のアドレスを教えて逃げてくれていいです。
で、結局どうしたんだったか記憶にないです。終わったことはすぐに忘れる性質のためと、同様の体験が何度かあって、どの言葉の時にどう結末がついたのか覚えてないためです。
こういった「トラブル」では、押し通したことも、こっちが折れたこともあって、「松沢の連載だけは使用可」という例外扱いにしてもらったこともあります。「バンパン」はそうだったかもしれない。
言い換えることに抵抗のない書き手や読者からのクレームを引き受ける覚悟のない書き手は編集部に従えばいいのですから、「この人だけは使わせる」という判断は間違っていない。一律に「読者のクレームは書き手にすべて回し、編集部は責任をとらない」となったら困る書き手だっていましょうから、書き手によって、「使える言葉」「使えない言葉」の基準が違ってくることはあっていい。
編集者によって基準が違ってくるのはたしかに混乱しますけど、広く「編集者と書き手の関係」で言えば、どうしたって編集者の個性によって、また書き手の個性によって、関係は変わってくるものであり、変わっていいものだと思えます。
続く。