2008-06-03
お部屋1524/あれやこれやの表現規制 4-11
では、どれほどまでに既存のメディアが鈍感になっているのかについて見ていくとしましょう。
真っ先に諸手を挙げて児童ポルノ法賛成を社説で表明したのは「世界日報」でしょう。「メディア」として語るに足るかどうかの疑問ではありますが、この改正がどのような意味を持つのか雄弁に物語るというものです。
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(略)
わが国で同法が成立して九年になる。二〇〇四年に一度改正し、罰則の強化と規制範囲の拡大を図ったが、児童ポルノは根絶に近づくどころか、逆に急増している。
警察庁によると、昨年一年間に立件された児童ポルノ事件は五百六十七件で、五年前の三倍になった。被害に遭った子供の数は三百四人で、こちらは五倍の急増ぶりだ。当然、この数字は氷山の一角にすぎない。わいせつな行為や被写体になることを強いられて泣いている子供がどれほどいるか、分からない。この現状を見れば、現行法に重大な欠陥があるとしか言いようがない。
その一つが、処罰の対象に「所持」が入っていないことだ。現行法は児童ポルノの制作、販売、それに提供などは禁じているが、“趣味”として持つことは規制の対象外である。
幼い子供をレイプするなど重大な犯罪と密接にかかわって制作されることの多いのが児童ポルノだ。しかも厄介なのは、この写真や動画がいったんネット上に流出すると、回収不可能で、被害者は一生苦しみ続けることになる。このため多くの先進諸国は、児童ポルノにかかわることは重罪として、所持さえも許さないのである。
所持を禁じていないのは、主要先進八カ国(G8)の中では、日本とロシアだけだ。また、わが国の現行法は、違反者への罰則は最高で懲役三〜五年と軽く、供給も需要も絶つことができずにいる。
この結果、国内で忌まわしい市場の拡大を招いているだけでなく、ネットを通じた画像の海外流出も多く、わが国への国際的な批判が高まっている。恥ずべきこの状況を放置しておくことは政治の怠慢である。自民党は現行法を改正して、「所持」を禁止する方針を固めたが、ぜひとも今国会での法改正を実現してほしい。
所持の禁止は前回の改正時にも検討された。しかし「表現の自由の侵害」や「捜査権の乱用」につながるなどの理由で、見送られた経緯がある。今回も改正案が提出されれば、同じような反対意見が出ることが予想される。
もちろん、国民の権利侵害を招いてはならない。しかし、既に所持を禁じている国で、国民生活を脅かすような表現の自由の侵害や捜査権の乱用などの混乱が起きているとは聞かない。わが国でも国民の権利を守りつつ、所持を禁止することは可能だろう。
このほか、欧米では禁じる国の多い、わいせつなアニメ・漫画などの疑似児童ポルノが表現の自由の名の下で野放しにされている現状も、法改正によって改善する必要がある。幼い子供がレイプされる場面などを描いた漫画が書店に並ぶのは国家としての恥である。
(略)
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この論の大前提となっている【わいせつな行為や被写体になることを強いられて泣いている子供がどれほどいるか、分からない】という点ですが、そんな「子供」はさほどいないでしょう。
「児童ポルノ法」では「子供」「子ども」という言葉は使用されておらず、世間一般でも、定義ははっきりしてませんから、「児童」と同じ意味に使用しても間違いではありません。明日18歳になる17歳も「子ども」であり、「児童」です。
しかし、「児童」も「子ども」も、一般には小学生くらいをイメージしてしまいましょう。ここがこの法律の、あるいは他の法律の誤解されやすい点です。法律の用語をなんとかした方がいいのではないか。16歳で結婚して、子どもがいても「児童」はおかしかないか。
他に適切な言葉がないということかもしれませんが、であるなら、せめて厳密な言葉を使用していくべきで、「児童ポルノ法」の「被害者」は「子ども」ではなく18歳未満の「児童」です。
これをわざわざ「子ども」と言い換えるのは何か意図がある、つまり、児童ポルノとして摘発されるのは、「17歳の援交女子高生」ではなく、「誘拐されてレイプされる小学生」であるかのようなイメージをより作ろうと意図しているのだろうと推測できます。
次回、現実の「被害者」は、「児童」の中のどういう層であるのかを確認し、「国家の恥」はエロ漫画なのか、あるいは新聞なのかを見ていくとします。
続く。