2008-05-03

お部屋1483/あれやこれやの表現規制 16

本日、渋谷・シネ・アミューズ「靖国 YASUKUNI」が封切りになりました。宣伝は完璧ですが、ものすごい映画を期待して、失望する人たちが続出しそうです。

ともあれ、ここからは、検証が容易になったので、今までこの映画を批判してきた人たちの言い分が正しいのかどうか、自分の目で確かめてくださいな。

ここからは肖像権についてのまとめみたいな話が3回続きます。

現実に、肖像権によって、メディアは萎縮しつつあります。萎縮してしまうのは、メディア側も肖像権を正しく理解していないためだったりもします。

とりあえず、条文を読めば基本的な考えが把握できる著作権でさえ十分に理解できているメディア関係者は少数であり、だからこそ何かあると、私が相談に乗らなければならない。弁護士ではないですから、タダです。

こんな状態のため、新聞でも雑誌でも、次から次とパクリをやらかしているのは皆さんご存じの通り。パクリではあっても容認される範囲のものに対してまで過剰に騒ぐ風潮は「どんなもんか」とは思いますし、騒ぎが大きくなる前に絶版にしてしまう出版社の対応にも疑問がありますけど、メディア関係者の中に著作権意識が希薄な人たちが多いのは事実。

そういう人たちに限って、パクられたとなると、過剰に権利主張をしだすものだったりもします。「どこまでなにをどうしていいのか」の原理ができていないため、他者の著作物には無頓着、自分の関わる著作物には敏感ということになりがちです。

まして、条文がなく、裁判で確定していない部分も多い肖像権は理解が難しいってこともあるのでしょうし、事実、グレイゾーンが多いため、「いざ訴えられたら負けるかも」ということで過剰にガードをしてしまう。

有村議員をああもあっさり支持してしまい、肖像権に関する箇所を「重要」とまでしてしまうメディア関係者がいることでも、いかにメディア関係者が肖像権に無知であるか、いかに日常的に「どこまでなにをどうしていいのか」を考えていないのかがよくわかります。

その結果、雑誌を見ているとわかるように、やたらと顔にモザイクが入っている写真が増えてます。容疑者の高校時代のクラス写真やプライベートのスナップ写真を掲載する際に、その本人以外の顔が消されるのはいいとして、火災現場、事故現場の写真においても、野次馬の顔が消されていたり、路上で撮った人物写真の背景に写り込んだ通行人の顔にまですべてに目線やモザイクが入る。

すでに見てきたように、ここまでする必要はないのですが、実際にこれでクレームをつけてくる人たちがいるらしい。肖像権が中途半端に理解されつつあるため、文句をつけていい、あるいは文句をつけると金をもらえるなんて考えている人たちがいるようです。生半可な知恵をつけた人間はホントに迷惑です。だったら、ちゃんと調べればいいものを。

ちょっと前から始まった「東京スポーツ」の連載でも、第一回目から、原稿に添える40年以上前の雑誌の表紙に出ているモデルの顔に目線が入りました。「望んで雑誌の表紙に出ておきながら、転載されたからと言ってとやかく言うな」との気持ちはありますが、この場合は、肖像権上(財産権)、訴えられたら負けかねないですから、私も「しょうがないよね」と言うしかなく、時と場合によっては私の方から「この写真は目線を入れないとまずいよ」と編集部に申し出ることもあります。

目線を入れても著作権の問題、つまりはカメラマンに対する権利侵害の問題は残ります。いかにその雑誌の内容に触れていようとも、内容の著作物と、表紙の著作物は別ですから、引用にはなりません。書評においても、CD評についても同じです。使用されたイラストや写真自体を批評しない限り、本の紹介で表紙写真を出すことはできず、CD評でジャケットを出すことはできないわけです。

しかし、本や雑誌の表紙写真、CDジャケットを出したからといって、「おたくの雑誌には出してもらいたくなかった」などと訴えるカメラマンやイラストレーターはまずいないため、こういう場合、多くの出版社は許可をとりませんし、これが問題になったケースも聞いたことがありません。そんなことをしたら、以降、取りあげてもらえなくなりましょう。

ただし、漫画については別です。これについては次回。