2007-10-10
お部屋1350/今日のマツワル54
どういうもんだか、今時、「マッツ・ザ・ワールド」を購読したいという問い合わせがたて続けにありました。「マツワル」は年に3回しか購読者を募集してません。次は11月なので、もう少々お待ち下さい。募集要項は「黒子の部屋」に出ますので、お見逃しないよう、週に一回はチェックしていてください。
忘れないように、時々、「東村山セクハラ捏造事件」シリーズを転載することにします。今回は、『ポルノグラフィ防衛論』の宣伝でもあります。
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< 東村山セクハラ捏造事件26>
宇留嶋瑞郎のブログ「エアフォース」が抜群に面白い。
長年取材してきた人物だからできる内容で、矢野穂積と朝木直子がいかにデタラメで、いかに異常なのかがよくわかります。
「少年冤罪事件」については、今までも繰り返し読んでいたわけですが、「エアフォース」で改めて、その怖さを実感しました。なんの関係もないのに、思い込みのみによって犯人に仕立てられ、裁判を闘わなければならない。ひどい話です。
こんなヤツらがどうして「人権」なんてことを口にできるのでしょう。どうしてアムネスティは名前を利用させることで、こいつらが議員であることの手助けをするのでしょう。
無実の罪を押しつけられる恐怖をヤツらはさまざまな人に与えてます。セクハラのはずがない行為をセクハラだと言い立てて、あたかも犯罪者であるかのように騒ぎ立てるのも似たようなものです。
だからこそ、矢野・朝木の過去を一覧できる場を作り、彼らがどういう人たちかを見せていく必要があります。そのことによって、次回の選挙で落選させる。それが我々にできることであり、やるべきことです。面倒ですが、それしかない。それに引き替え、議員辞職請願なんて方法はだな…(以下、自粛)。
宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』が入手しにくい今、「エアフォース」がその代わりとなって、矢野・朝木の支持者を切り崩していくことを確信してます。そして、私は私で淡々と矢野・朝木の問題を論じ続けることで、それを実践していきますし、この間のロフトプラスワンでもこの話をしたように、機会をとらえては票をひとつひとつ減らしていくことが必要です。
さて、この問題が起きた当初から言われていたことですが、矢野・朝木は、私への批判、反論をほとんどやってきていない。なぜなのでしょう。署名では筆頭に名を連ねていて、「黒子の部屋」でも繰り返し批判しているのですから、真っ先に批判してきていいはずです。
どこかで彼らと私は接点があって、その時の恩義を感じているために、批判しにくいなんてことだったりするのではないかとも夢想したのですが、そんな人間らしい恩義を感じるような人たちではないです。そのことも「エアフォース」を読めば一目瞭然。
おそらく矢野・朝木は、私に対する苦手意識があるはずです。原因のひとつはセクハラです。ご存じのように、私はセクハラ問題について一家言ありまして、たぶん「セクハラの範囲拡大の危険性」というテーマで語らせたら、日本で五本の指に入りましょう。
その私が監修したナディーン・ストロッセン著『ポルノグラフィ防衛論』(ポット出版)がやっと店頭に並びました。
矢野・朝木が当初主張した「セクハラ」は他に例のない特異なものでした。好き好んでアダルトサイトにわざわざ出かけていって、そこにある発言を「セクハラ」だと騒ぎ立てて、その映像を無断転載して、著作権侵害として抗議されるようなマヌケな市議はこいつら以外にはこの国にいるはずもない。
わざわざピンク映画館に出かけて行って、「こんなエロ映画を公開するのはセクハラだ」と騒ぎ、わざわざフランス書院文庫を買ってきて、「義理の母親と息子がセックスするなんてセクハラだ」と騒ぎ、わざわざラブホテルに乗り込んで、「そんな体位でハメるとはセクハラだ」と騒ぎたてるだけでなく、ピンク映画を無断で複写し、フランス書院文庫を無断で書き写し、ラブホのカップルを盗撮して、ネットで公開するような愚劣な行為を肯定するようなセクハラの定義なんてどこにもない。あっていいはずがないのです。
矢野・朝木は、セクハラのなんたるかをこれっぽっちも考えたことなどないままに、他人を貶める道具として使えるかもしれないと誤解したのでしょう。稀に見る大バカです。そのバカさにすでに気づいた彼らとしては、このことに触れたくなく、触れられたくもないようです。だから、この問題はすでに終わったかのようなことをヤツらは言っているわけですが、終わってねえよ。とことん、我々はここにこだわるべきです。どこがセクハラかと。
しかし、これほどまでに言うことは三流、これほどまでに他者への憎悪だけは超一流の人たちはそうそういないだけの話で、こいつらと同様に、「セクハラ」を自分たちの利害のために利用し尽くそうとする勢力がアメリカにも日本にもいます。これについては『ポルノグラフィ防衛論』をお読みいただきたい。
『ポルノグラフィ防衛論』では、「セクハラ」の範囲拡大が個人の行動や表現を危うくし、とりわけマイノリティの主張と行動を制限することになると繰り返し指摘しています。このような視点をまるでもてていなかった矢野・朝木とて、「ここで議論をするのは無理だぞ」とやっと悟って方針を転換し、セクハラではなく、性風俗産業否定の立場から、薄井市議を批判するようになります。
ヤツらの行動原理は「思いつき」です。普通だったら、「セクハラ」が成立しないとならば撤退するのがスジです。しかし、次の思いつきで押し切ろうとする。
「セクハラ」を放棄して、次の思いつきとして、性風俗産業否定をしたのがまたも浅はか。性にまつわる言論の制限は、結果、表現の自由を危うくするという意味で、方向転換しても一緒です。そのことも、『ポルノグラフィ防衛論』で指摘されている通りです。
おそらく朝木直子が好きであろうマッキノンやドウォーキンらがいかにとんでもない主張をしているのかもよーくわかりますし、フェミニストからもヤツらは総スカンをくらっている現状もよーくわかりましょう。
『セックス・フォー・セール』が出た時に、『セックス・フォー・セール』と変わらないくらいの量の解説を「黒子の部屋」に出しましたが、今回も『ポルノグラフィ防衛論』の解説を「マツワル」に書くかも。
彼らが私に苦手意識をもっている原因はもうひとつあると私は感じています。もともと矢野・朝木を知っている人たちは、私が朝木明代の問題にすぐに展開したことが彼らの苦手意識を刺激したのではないかと言います。
こういう場合、私はまず相手の言っていることを調べようとする癖があって、この事件においても、すぐさま『東村山の闇』を購入、一読してそのインチキぶりを見抜き、その内容を批判する文章を「マツワル」および「黒子の部屋」で公開。
東村山という狭い範囲での制空権を得る武器としては「東村山市民新聞」で十分だとして、それより高度な上空にも対応できる飛行機として『東村山の闇』があります。全国発売ですから。「噂の真相」はなくなって、「週刊新潮」も「週刊現代」も相手にしてくれない今となっては、ここは失いたくないでしょう。
なのに、私がすぐに話をこちらに展開したため、彼らはイヤーな気分だったことでしょう。しかも、ほとんど全否定ですから。
ということは、セクハラ問題と、朝木明代の自殺について書いていくのが彼らに有効なダメージを与えるってことです。
では、次回もそれをやるとしましょう。
なお、なぜ朝木明代は自殺しなければならなかったのか。なぜ矢野と朝木直子は、これを他殺にする必要があったのか。これについても「エアフォース」の「万引き被害者威迫事件」を読むとよくわかります(続く)。
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