2007-06-23

お部屋1269/今日のマツワル31

「黒子の部屋」に、続けて「マツワル」を転載したことはこれまでなかったのですが、今回は特別です。

矢野・朝木コンビの言っていることがあまりにデタラメで、どこからどうして、あのようなことを主張できるのか、意味がわからない人も多いかと思いますが、彼らにとっては整合性があるのです。ただし、メタな視点が持てない彼らの内部においてのみ存在する整合性であり、この社会ではまったく通用しません。

そのことをもう少し解説しておきます。

さきほど配信した本日の1本目です。

< <<<<<<<<<マッツ・ザ・ワールド 第1514号>>>>>>>>>>

< 東村山セクハラ捏造事件2>

ものすごい勢いで薄井議員を支援する動き、あるいは敵サンを批判する動きが広がってます。そのスピードと幅の広さがとても面白いです。これについては、「風俗産業はけしからん」という立場の人であっても、怒りを感じそうですから、そのスピードと広がりはもっともでしょう。

ミクシィで何人もの人が書いてますが、それにつけても、「東村山市民新聞」とやらはものすごいですな。風俗雑誌の方がはるかに論理的で知的で上品です。ものにもよりけりで、「東村山市民新聞」と同レベルの風俗雑誌もあるかもしれませんが。

「東村山市民新聞」の 「改正均等法2007年4月1日施行と『薄井セクハラ問題』について」という駄文を、皆さん、もう一度読んでください。読みたくないだろうけどさ。

発行人の矢野穂積という人物は、セクハラについてロクに考えたことがない、あるいは考えようとしても考えられない程度の人間であることを余すところなく表現していて、その一点について素晴らしい表現力だと言えましょう。

ずっと繰り返しているように、自分の正義を疑う視点のない人は、いともたやすく法をねじ曲げて解釈して、他者を攻撃する道具とします。著作権しかり、セクハラしかり。そのことを見る上でも、素晴らしい素材を提供してくれてますので、ジックリ見ていくことにしましょう。

「セクハラとはなんぞや」については、また、その問題点については、かつて「黒子の部屋」でやっていた「セクハラ?」シリーズで詳しく論じましたが、もう一回簡単に繰り返しておきます。ここでのキーワードは「要件」です。

セクハラの定義としてもっともよく知られるのは、1980年、米雇用機会均等委員会(以下、EEOC/Equal Employment Opportunity Commission)が出したガイドラインでしょう。セクハラを概説した本には必ずと言っていいほど出ているものです。

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相手が望んでいないのに言い寄る、性的な要求をする、その他、性的意味合いをもつ肉体的、言語的な振る舞いは、以下の条件の時にセクシュアル・ハラスメントを構成する。

1.そのような行為に従うことが、はっきりと、あるいは暗黙のうちに、個人の雇用条件あるいは雇用待遇を作り出す時。

2.そのような行為に従うこと、あるいは拒否することが、その個人に影響を与える雇用についての決定の基準にされる時。

3.そのような行為が、個人の職務を不当に妨げ、脅迫的、敵対的、不快な仕事環境の形成を目的にしている時、あるいはそのような効果がある場合。

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どこにどう言葉がかかるのかがわかりにくい訳が多いので、これは私が訳したものです。それでもわかりにくいですね。要件がはっきりしないのです。

日本においては、おそらくEEOCのガイドラインを踏まえて、より要件を明確にした人事院のガイドラインがあります。こちらは私も納得できる内容です。

以下は、2001年7月31日に人事院が各省庁に出した「『懲戒処分の指針について』の一部改正の通知」からです(改正の通知ですから、その前から指針は存在していたわけです)。

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セクシュアル・ハラスメントに関する標準例の概要
○ セクシュアル・ハラスメント(他の者を不快にさせる職場における性的な言動及び他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動)
 ア 強制わいせつを行い、又は上司・部下等の関係に基づく影響力を用いて強いて性的関係を結び若しくはわいせつな行為をした職員は、免職又は停職。
 イ 相手の意に反することを認識の上で、わいせつな言辞等の性的な言動を繰り返した職員は、停職又は減給。
 この場合に、わいせつな言辞等の性的な言動の執拗な繰返しにより、相手が強度の心的ストレスの重積による精神疾患に罹患したときは、免職又は停職。
 ウ 相手の意に反することを認識の上で、わいせつな言辞等の性的な言動を行った職員は、減給又は戒告。

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この定義においては、上司・部下等の関係に基づく影響力を用いていない限り、セックスをしたところでセクハラではありません。上司部下などの権力関係がなければ、最初から、処分の対象となるセクハラが生じようがない。権力関係があったところで、強いない限り、セクハラではありません。単なる合意のセックスであり、ここに第三者は介入できません。本人たちの合意を第三者が覆すことほど、意志を軽視する行為はなく、それこそがセクハラと通底する行為であることを確認しておきます。

また、「机の上にヌードカレンダーを貼る」なんてことでも処分対象にはならない。あるいは、「××さんはいいオッパイをしているね」と言っただけでは、やはり処分対象にはなりません。イとウに抵触する可能性はあっても、【相手の意に反することを認識の上で】という要件を満たすためには、「被害者」が「不快であること」を意思表示することが必須であって、それがない限り、いくら繰り返そうとも処分はされない(それなしに「意に反している」と感得できる可能性がゼロではないにしても)。当たり前です。「なにがセクシュアルか」「なにが不快か」は人によって違っていて、それが外に表示されない限り、第三者は知ることができないからです。

意思表示の重要性については、今まで何度も書いていますが、この要件を外してしまうと、「合意」という行為が成立しなくなります。「女はイヤでもイヤとは言えない」なんてバカげたことを言い出すと、「女は合意ができず、契約もできない存在である」と認定するしかなくなってしまうのです。

完璧とまでは言わないまでも、以上のことから、私はこの人事院の処分基準を支持できます。これに準じている限り、各省庁においては、「セクハラ」という概念によって本来救済すべき事例を救済することから逸脱しにくい。この定義でも、本来救済すべき事例を救済できるのですから、なんの問題もなし。だから、この範囲にセクハラを留めるべきというのが私の立場。さもなければ、本来救済されるべき対象までが救済されなくなりかねない。

この一方で、1999年4月1日に施行された人事院による「国家公務員のセクシュアル・ハラスメント防止基準」というものがあります。

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性に関する言動に対する受け止め方には個人間や男女間で差があり、セクシュアル・ハラスメントに当たるか否かについては、相手の判断が重要であること。
 具体的には、次の点について注意する必要がある。
 (ア)親しさを表すつもりの言動であったとしても、本人の意図とは関係なく相手を不快にさせてしまう場合があること。
 (イ)不快に感じるか否かには個人差があること。
 (ハ)この程度のことは相手も許容するだろうという勝手な憶測をしないこと。
 (ニ)相手との良好な人間関係ができていると勝手な思い込みをしないこと。

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誤解を生じさせやすい内容です。性に関する言動に対する受け止め方には個人間や男女間で差があるからこそ、意思表示が必須になるのに、それが明示されていません。

とはいえ、処分の基準は別にあるわけですから、こちらは職員が守るべき心構えにすぎず、その範囲である限りは問題はない。「お父さんお母さんを大切に」「明るく楽しく仕事をしましょう」と同様の標語みたいなものです。

ところが、この標語めいた基準をそのまま処分の基準としてしまうことがこれ以降激増していきます。ここからセクハラはおかしな方向に動き出していき、私はその危険性をずっと指摘してきたわけです。

その危険性がもっとも愚劣な形で出た例が、今回の「東村山セクハラ捏造事件」です。そのひどさが誰にでもわかるサンプルを提出してくれてよかったとも言えますけどね。これでセクハラの要件を厳しくする動きが広がってくれることを願います。さもないと、こういうことが次々と起きてくるでしょう(続く)。

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