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2003年|0304
『出版流通の基礎知識―書店実務ハンドブック―』のまとめ
『これを読まずして、編集を語ることなかれ。』のまとめ

3月の日誌
 

[2003-03-31(月)]
生まれてごめんなさい

宮本 貴理

 説教を頂いた!!!

 私が、断言できることと、人から聞いたこと、私の想像、そういうものが全く区別できていない、ということを度々、沢辺より指摘されました。そして今日も言われました。例えば、といって具体例を挙げていくときりがないので止めますが、本当に沢山あります。

 責任責任責任!頭を巡る。世の中から見ると、もしかすると小さい責任かもしれないけれど、一応、私のこの日誌にも責任がある、ということを言われました。

 そして私はこう考えました。インターネットというメディアを通して、文章、情報を発信している。そこには、読者がいて、そこに責任がある。だけど、それだけでなく、私はこの日誌に度々、固有名詞を出している。企業名だったり、人の名前だったり、する。つまり、読者以上に責任を拡げている。

 沢辺はこういいます。例えば、誰かから聞いた話を、私がこの日誌に書くのは良い。だが、私の場合、人から聞いた話と、そこから得た私の印象、それと、想像が混ざって語られる。それは情報の出所に対して、全く不適切な姿勢である。そしてそこを区別したなら、例えば、私の聞き方に不備があり、聞いた話と違ったことを語っているのも良い。良いというのは、まだ良い間違え方だ、という意味です。つまり、せめて、間違いを指摘されうるように書け、と。

 沢辺の説教を受けて、私は、ない知識はこれから得ていけば良い。私に出来るのは、この日誌に対する姿勢を直すこと。そして、そこで一つの情報に接したとき、その情報について考える。考えることで、私の想像が誤りであることが、分かる場合が多々ある。このようにせめて、その姿勢が見える文章を書くことが、私に今ある責任であり、進歩の最低条件である、とこういうことを言われたと認識し、そしてそのことを、徹底しようと思った。

 以上をふまえて、出版流通の基礎知識のまとめを、書こうと思う。

 ○読書感想文祭り

・〜読書感想文祭り〜「出版流通の基礎知識」を読んで

第四回

 今回は、出版業界を支える2つの制度のうちの一つ、再販制度についてまとめます。

 ・再販売価格維持制度(再販制度)について

 本書によれば、「出版物は、法律により再販制度が適用されている」(P28)とあり、そして再販制度とは、「メーカーである出版社が、自社の商品の販売価格を決めて、それを販売会社や書店などの販売先に守らせる定価販売制度のこと」(P28)とある。これは、全国のどこでも同じ値段で売られているということも言える。これは当然なことかもしれないけど、私は少し疑問に思ったところがある。後で書きます。

 さらに、再販制度の適用の目的は、「出版物はその商品がもっている文化価値と文化・教養普及の見地から見てできる限り低価格で読者の手に渡るようにするため」(P28)と書かれている。これについてもう少し詳しく書くと、実は、メーカーが小売店に対して、販売価格を支持したり、強制することは、相手方の事業活動を不当に拘束することになりかねない、という理由で、独占禁止法により禁止されているとあります(P30)。

 では、再販制度というのは、これに違反した制度ではないか、と思えるのですが、書籍や雑誌などの著作物は、文化価値が高く、消費者に商品選択の機会を多く与えることができることなどの理由により、再販制度が出版業界においては消費者保護という法の精神に基づき、認められている、と書かれています(P30)。

 現在の再販制度というのは、「昭和53年に公正取引委員会が、再販制度に対し、その運用の行き過ぎがあり、定価販売が義務と考えられ、そこに不当な取引差別が生じている可能性がある。そして出版物はもはや文化財でなく、消費財的傾向が強く、法律で保護する必要はないとの指摘があり、これを契機に55年から現在の制度が実施されるようになった」(P28)と書かれている。

 そこで現在の再販制度をまとめると、再販制の採用は出版社の自由意志であり、すべての出版物が再販の適用対象ではなくい。これを部分再販という。また、一度再販商品として出版したものでも、一定期間後には非再販商品に変更することができる。その場合、出版社は同一の本が再販商品と非再販商品の2通りに売られることがないよう、市場に出回っている本を全て回収した上で、出版社自らが定価の表示を抹消することになっている。これを時限再販という。本書では、このように書かれています(P29)。

 これが大まかな再販制度の解説です。

 この再販契約は、出版社――販売会社、販売者――書店間、で結ばれています。

 ここで、私の疑問。上でまとめたように、再販制度は全ての出版物に適用されるわけではないけれど、本書を見ると、「部分再販や時限再販には顕著な動きが見られない」とあり。再販制度というものが、よりよく機能し、読者にとって有益なものになっている、と書かれています。

 そこで、考えるのだけど、この本を読む限り、出版社というのは東京に集中していて。東京から全国に流れているそうだ(P15)。

 東京で出版された本が、例えば、神奈川県と北海道とで同じ値段で売られることは、本当は難しいのではないかと思いました。

 それは、簡単にいって、配本にかかる費用が全く異なるのではないか、と考えたからです。東京から遠ければ遠いほど、本にかかる費用が高くなるのではないか、つまり、送料が高くなる、と思うのです。

 私には知識がないので、出版業界全体のことは言えませんが、少なくとも、ポットは、書店からポットに送られた注文のFAXを見たのですが、札幌の書店とも取り引きしていて、その札幌の書店でも、東京と同じ、つまり定価で販売されています。

 きっとどこかで、少なくともこの送料を、負担していると思うのですが、それは再販制度の、小さいかもしれないけど、問題かもしれない、と思いました。こういうことを念頭のいて、出版流通について、学んでいって、疑問が解決できればと思います。

 また、終われず、つづく。

[2003-03-27(木)]
取次に行った2

宮本 貴理

 昨日の続き。

 昨日の日誌は結局、見本だし、の説明だけで終わった。今日は、各社回って得た感想などを。

 日販のビルは綺麗だ。豪華だ。大きな入り口に入ってすぐ、石(?)像が出迎えてくれる。私の想像する、一般企業における大手自社ビルの想像と一致してしまう。取次は他の流通における問屋であるというイメージがくずれた。ただ単に、建物だけで判断しただけだから、どうということはないのだが。

 実物を見てイメージと食い違ってしまったついでに、考えていた。私は取次を、他の流通における問屋の役割を担う業者だと思っていた。しかし、先日読んだ、「出版流通の基礎知識」(発:トーハン)には、取次=販売会社と書かれていたことを思い出した。読んだときには、問屋=販売会社、だと何も考えずに、認識したのだが、問屋と販売会社とはもしかすると違うものなのかもしれない、そう思った。

 これについて少し調べてみたが、なかなか決定的な違いには辿り着かない。もしかすると、同じものと扱って良いのかもしれないが、一応今後も少しずつ調べてみることにする。結論が出たら報告。

 話がそれた。

 一社一社回って得た雰囲気など説明しても仕様がない気がしてきた。見本だし、ということに関し、各社ほぼ同様の手続きが行われた。

 今回において、各社での若干の違いを述べれば、日販では、書店への取次の他に、国会と車間への取次も依頼をし、太洋社では、TRC(図書館流通センター)への、ポット から事前に行われた情報伝達が適切に行われていたか、ということの確認を行った。後で説明。

 まず、各社で行われた手続き(のようなもの)を。

 各取次で、書籍仕入窓口、を訪れた。少なくとも今回の、見本だし、は全てこの窓口で行われた。

 まず、対象になる本を係りの人間に渡す。これは各社必要に応じ冊数が異なる。日販が5冊、トーハンも6(国会図書館提出用に1冊)冊。大阪屋2冊。太洋社3冊。この理由なのだが、木下に聞くことを忘れ、今調べてみたのだが、見つからないので、これも課題にする。そして、内容を軽く(ホントに)見る。判型や厚さなどを確かめ、希望部数について、両者意向を確認する。そして出版物の搬入日を提示する。とにかく取次側に見本を渡すことが重要で、この見本出しでは、重大なことが決定されることはなさそうだった。

 そこで、国会図書館と、TRCについて述べたい。

 国会図書館とは、ここに書かれているが、つまりは日本の出版物の、保存、収集、利用、を行い、文化財として、後世に伝えるための、役割を担うものであり、現在、出版された、出版物の自由閲覧も行っている。

 国会図書館への納品は国会図書館法において義務とされ、そしてその取次は、今回日販で行われたのだが、4〜9月はトーハン。10〜3月は日販と、取次大手2社が分割してその業務を行っている。また、国会図書館への納品は、取次を通さずとも、各出版社が直接行うことも出来る。

 ついで、TRCについて。

 TRCとは図書館流通センターの略。TRC(ココでTRCのサイトにいけます)ただ、TRCについて話を聞いた際、TRCにはストックブック、というシステムについて、簡単に説明を受け、それが最も私にとって重要に思えたのだが、改めて、確認するために調べてみたのだが、その詳細が載っていない。であるから、これから述べることは曖昧な記憶を辿り、それと想像で補足するので、かなりあやしいのだが、TRCは、TRCのネットワークで図書館に、新刊の情報を判断し、適切であった場合、その情報を図書館に流すことが出来、そしてその注文をTRCで一括して受ける、ということだったと思うのだ。ただこれは必ずしも正しくないと思う。今後調べてみて、訂正などしていけたらと思う。

 そして、今回太洋社で行った、確認というのには理由がある。今回、ポットでは、「ワタシが決めた」(編:松沢呉一)の出版に際し、TRCにも、事前に情報を流し、注文を得ようとしたが、注文はこなかった。これは想像だが、図書館に置けないと判断されることがあるのかもしれない。本の出来の善し悪しではなく、その内容に依存して。今回は、TRCからの注文がなかったことから、上のこととは別に、TRCからの注文はないものとポット(岡田)は判断したが、一応、情報伝達上で不備があった場合のことも考慮し、太洋社にその旨伝え、その確認を行ったのだ。

 こんな感じで、とりあえず、取次に行った話を終わる。

 ○読書感想文祭り

・〜読書感想文祭り〜「出版流通の基礎知識」を読んで

第三回

 前回、取次の機能の一部を挙げた。

 そこで、書店についても補足してみたい。

 書店は、なにも本だけを扱うわけではない。最近では、客のライフスタイルや生活のニーズの変化によって、客=読者とは必ずしもなるわけではなくなっている。例えば、AV、カセットブック、文具、図書券など購入出来る。さらにビデオレンタルも書店が兼ねるところが多くなってきた。

 また、顧客層を細分化して分析を行い、各店にあった取扱商品をしぼり、専門化する傾向もある。

 さらに。郊外店も増えてきて。その品揃えも、ニーズに応え、郊外に売り場スペースを設け、広く、駐車場を大きく設置し、商品も余裕を持って陳列し、深夜まで営業する書店が多くなってきている。ちなみにこれような書店を郊外型書店という。

 出版社に関して詳しく述べていないのだが、取りあえず、出版社、取次、書店、の業界3社と呼ばれる、3つについて、述べた。

 そして、メインルートでは、この3社の繋がりが重要である。今度はその繋がりについて述べたい。

 すいません。今日はここまで。ちょっと時間をかけすぎました。次回で追われるよう頑張ります。

 

 

 

 

[2003-03-27(木)]
取次に行った

宮本 貴理

 3/25(火)取次会社へ、見本だし、に行った!ポットの営業担当、木下に同行し、日販 、トーハン、大阪屋、太洋社、の順に4社周った。そこで得たものを、というか感じたことを報告。

 まず、見本だし、という言葉の説明から。

 見本だし、とは、新刊を取次に持っていき、見せる。そこで、取次が、例えば、不良出版物ではないか、著作権法違反になっていないか、その他本に関わる法律などに対し、問題はないかどうかチェックする。

 本来は、本の質、つまり読者に購入を期待できる本か、そのようなチェックもするそうだが、売れるかどうかの判断、つまり、売れそうにないから、引き取れない、ということは、よほどでない限り、ないのだそうだ。

 では何故かと考えてみた。

 本を作り、後は、出版するだけ、つまり流通に乗せるだけという状態。そこで初めて、取次に本を見せる。そこまでには多大な労力、時間、金銭など様々な要素が関わっていて、そこで引き取りを拒否されれば、被害は甚大であり、例えばそのようなことが行われるならば、出版社と取次の間で、企画の段階ですでにこれに関する打ち合わせは行われねばならない、もう少しいうと、引き取るかどうかの判断は最後の瞬間だけで行われるべきでなく、その過程において、取次の意志は出版者側に伝えられることが、それを怠ってかつ引き取りの拒否をされた場合の被害を考えれば、当然で、そのような時間も人員も裂くことが難しい、実際全く行われていない。であるから、上のような、引き取れない、ということは、殆どなく、出版社と取次の間での暗黙の了解、ということになっているのではないか。

 ただし。この話は、木下から聞き手として多分に問題のある私が聞いて、私が判断して、書いたもので、これが間違っていた場合、責任は全て私にある。今日は語り口が大人っぽいな。

 さらに、見本だしには、おそらくもっとも重要な、もう一つ意味がある。

 それは、出版社の希望納品部数を伝えること。

 多くの出版社は、新刊を出版する前には、読者に対してもそうだが、特に書店や、ときにはその他小売業者に対して、新刊の、営業、宣伝を行うことが多い。それに対して、事前に注文を受ける。

 注文を受けるのだが、それだけでは、発行部数に対してはかなりの数足りていないのが普通。では、それを注文を受けた書店の追加注文を待つか、それとも地道な営業、広告で注文を受けるか、というとそういうことだけではない。

 出版社は、事前注文数を考慮し、取次に配本の希望部数を伝えることが出来る。これについて、私は、取次が全国の取引のある書店に対し、出版社に代わって、注文を得ることができるよう、注文書や宣伝広告を送るなりして、ネットワークを駆使するのだと思っていた。実はこれは違うようだ(結局私の想像と、インターネットに書かれている、それらしき文章から判断したのだが)全国の書店に対し、それぞれの個性などを考慮し、取次が任意に選んだ書店に、出版社より受け取った本を、配本するのだそうだ。書店は注文していない本を受け取ることになるのだ。ただし、インターネット上に書かれていたのだが、大手などデータを持っていて、指定パターンでの配本を希望する出版社はこれが行われる必要はない。

 上のことの根拠はというと、先日読んだ、出版流通基礎知識(発:トーハン)にもそれらしき部分(P20)があるのだが、はっきりとは書いていない。また、インターネットでもこのこと自体に触れているところは少ないように思える。いくつかは、それにふれて、断言できないまでも、上のことと判断できるサイトもあったのだが、リンクさきを明示して良いのか判断に悩んだので今回は、根拠を述べることを避ける。

 希望部数の話に戻して、希望部数を伝えることで、出版社は、発行部数が書店に並ぶ部数に近くなるよう、計らうことが出来る、ということだ。私はこれが、見本だしの、というよりも、取次の、例えば、配送機能や伝票処理機能、など他の機能よりも、もっとも優れた機能であるように思った。ただし、書店注文分のみを希望部数として提出することも出来て、そのようにしている出版社もある。(インターネットで調べました。リンクを各自の判断で行っていいのか、ということを調べて今度日誌に書こうと思います。)

 一応、述べておくと、上では出版社が希望部数を計らうことを書いたが、逆もあり、取次の判断で、希望部数の増加を出版社に願い出ることもある。

 見本だしの説明が長くなってしまって悩ましい。これは明日につづく…

○読書感想文祭り

・〜読書感想文祭り〜「出版流通の基礎知識」を読んで

第二回

  出版社―→取――→書店―→読者

 昨日は、取次の機能の説明が出来ず、上のかたちの簡単な説明で終わったので、そこから始めることに。 

 出版社によって本が作られ、取次によって全国に配送され、書店によって読者に届けられる。これが上の形の簡単(過ぎる)な説明。

 上の補足のため、取次とは、他の物流におけるいわば、問屋、の役割を担う業者のこと。

 もう少しいうと取次は、全国の出版社より本を買い取り、全国の書店に売る。本来、出版社が担うはずの、全国の書店への販売と、書店が担うはずの、全国の出版社からの仕入れ、これを一手に引き受ける。つまり、出版社、書店は、負担を軽減でき、その独自の業務を全うできる(最後の部分は私の想像です。悪しからず)。

 これで少しは上の図が見えてきた、ということはないですか?話を先へ。

 具体的に取次の機能を挙げ、出版流通の話へ繋げたい。下が、私が本を読んで、説明するのに、必要かと判断した機能。他にもまだある。

 ・出版社に対しての販売機関 

 ・書店に対しての仕入れ機関

 ・全国の書店への商品分配、配送

 ・書店の希望数に応じた本の確保、と希望数の調節

 ・在庫のストック

 ・在庫のストックから書店へ注文品の配送(出版社から仕入れることもある)

 ・出版業界における各種データ調査、集計、分析とその提供

 今日は短いですが、ここで終わります。

 

 

 

 

 

 

[2003-03-26(水)]
メディア

宮本 貴理

 やっぱ、マスコミってすげえな。

 と思いました。と言いうのは。昨今、イラク戦争関連の話題で持ち切りです。風が吹けば桶屋が儲かる、てなもんです。何の話したってイラクにたどり着きます。これはマスコミの存在、その影響力の表れではないでしょうか。

 無謀な仮定を立てます。もしマスコミが存在しなかったとしたら、人は自分の持ったネットワークの範囲からしか情報を得ることが出来ません。そしてその情報は人を伝い、人に届きます。それは情報として、カビが生えたような、遅れた、意味の薄れたものであるでしょう。

 あまりに無謀なことを言っておりますが、極端に物事捉えてみることは、対象を漠然となんとなくにでも把握するのに役立つこともあると思うので、ので、試しに無謀覚悟で述べています。

 そして。もう一度言います。マスコミがなかったら、実際のイラク戦争のことなど知りようがありません。人が人から聞いたものをまた人が聞く、という伝達方。それを何千回か繰り返して、やっと私のような一般人のもとに情報は届くことになると思います。それは、あまりにも遅く、正確な情報ではあり得ないよう思います。そして、これは価値がないと情報と言って良いと思います。

 そうすると、人々の意見、つまり世論、おそらく、その世論こそその国を表すもっとも正確な意志だと思います、それが、なくなってしまう、これは正確ではなくて…つまり良い世論(これも適切でないような…)ではなくなるのではないかなと思います。日本なら日本で、日本人が様々な、最先端に近い情報を個人が得ることが出来る立場にいて、そしてそれを個人が選別して得て、そこから個人が考えて、それを大きな目で見て、いくつかに大別し、それがいくつかの世論になるのでしょう。今、広辞苑で「世論」と引いたのですが、「社会大衆に共通な意見」と出ています。全員に共通の意見など存在するはずがないので、同じ事象に対して、世論てのはいくつかあって然るべきものでしょう。

 そして、世論がない、というか、適切でない情報から発生した世論が蔓延した場合、どうなるか!世論がないと何がいけないんだ!ということを私は考えたいわけでなく、これは考えたら随分遠くまで旅立ってしまいそうですし、少なくとも、世の中はずっと昔から見てみると、情報は早く適切に、多くの人に流れるべく、発展している国が多いると思います。そう考えると、世論が適切な形で存在する国を多くの国が目指していると見られないこともない、それがもしかすると正しい形ではと思います。私は。ですから世論云々はおいておいて、私が今、言いたいことは、今、述べた世論、その大部分はマスメディアに依存しているのではないか、つまりマスコミは世論を作りうる影響力を持っている、冒頭の、やっぱマスコミってすげえな、ってことが言いたいのです。

 私、朝日新聞読者です。朝日新聞は明確に、イラク戦争反対という意見を持っていて、それを読者に伝えようとしています。話はこのことにだけでなく。会社がです。世の中に対して確たる主張、不満、将来への展望、そういうものを持っているように思います。そして、それを伝えようとしています。読者の先に立って引っ張っていこうとしているように思えます。そして、考えてみれば、社の方針だからなのかもしれないですけが、記事の一つ一つはやっぱり、個人か、または数人で書いていると思います。つまり、新聞に載っている文章は決して世論ではなく、個人の意見であって、その個人の意見が、世論を作りうる。私の想像通りならば、こんなすげえことってないと思うんです。

 話が朝日新聞社に依ってしまったのですが、マスコミの話です。世論を動かすまでにはいかなくとも、私だって編集者になったら、著者の文章を借りて、自分の意見を世に出すことが可能です。そしてそれを読んだ読者の考えに影響を与えることだって可能です。こんな凄いことないんだ。と私は思うのです。

 もう少しいいてえことあんだけども、

 やっぱマスコミってすげえな。と締めさせて頂きます。

○読書レビュー

「血の味」(著:沢木耕太郎/発:新潮社)

 沢木耕太郎って初めて読みました。他にどんな著書があるかも知りません。だけども、他のも読んでみようかと、思いました。なかなか面白かったです。

 内容は人を殺したことがある男の動機を見つめる、って感じ。

 男は回想するのでありますが、客観的に回想しているところがなくて、一人称はいつでも「私」です。「私」以外のこととしては捉えずに、テンポよくすすみます。

 その回想で得た本人の結論と、事実、はなかなか面白いです。私は好きだ。でもこういう人はやっぱり怖い。

○短期集中企画

〜読書感想文祭り〜「出版流通の基礎知識」を読んで

 ・第一回

 沢辺に「出版流通の基礎知識」(発行:トーハン)という本をお借りた。読み終わり、その旨報告すると、内容を要約してこの日誌に書くことを命じられました。

 しばらく何を書こうか考えていたのですが、どこから手をつけて良いか全く思いつかない。冴えない日々の清算!私のこと見直させてやる!などと気負い、頭パニック。どう頑張ったって、自分の実力以上のものは書けないのだから、少し落ち着いて、何を書くか、ここ数日、睡眠時間は削らずに考えてきました。

 沢辺がこの本を私に読むことを勧めたのたのは、出版流通の知識というのは、編集者として必要な知識の一つであるからだと思います。まずはその知識があると何に役立つのか、それを考えることにしました。その為に、そもそも出版流通とは編集者にとってどのようなものなのか、考えました。

 編集者は、まず本の企画を立てます。そこから、その企画を実際に本にして売るために、著者、内容、定価、発行部数、ページの分量、書体、その他、本の要素を決定していきます。

 そして実際に出版に向けて動き出します。その過程で、著者が執筆した原稿に触れて、この一連に検討を重ね、訂正すべきところは訂正し、より良い本を出版できるよう、思案を重ねます。

 頭に思い浮かべた企画を実際の形にし、そして出版する、これは外からはなかなか想像しにくいと思うのですが、労力と時間、それとお金がかかっているのです。そういうものをかけて作った、自分の企画の形、その結晶である本は編集者それぞれに思い入れがある、それが自然なことだと思います。

 そしてその作った本を、出版するために、流通に乗せるのです。その流通は、本にかけた労力他、様々なもの、その成果を見ることが出来る、というのは安易すぎるかもしれません。出版した本はやはり売れねば、その企画は失敗だったと、言えるのではないでしょうか。つまりその流通というのは、例えば、バッター(野球の)がピッチャーの投げた球を打つ。この出版の流通とは、その打った球の軌道のような、入るか?入らないか?とか、抜けろ!!というような、やはり気になるもの(うーん安易)ではないかと、思いました。

 さらに自分の想像を信じて、打った球はバッターとは離れたものですが、打ったバッターは次の瞬間ランナーになり、走塁に判断を要します。出版も同じよう、出版前後に判断が必要であると、私は思います。

 ただ、その流通というのは、ちょっと目に見えにくいものですから、その知識がないと、何がどうなっているか分からない。また上の例えを用いて、その軌道を見ることが出来ない。上でも言いましたが、やはり出版前後に編集者には、判断が必要だと思うのです。より多く本を売るにはより効果的な流通に出来るだけ多く本を流すよう工夫したり、さらに、流通の仕組みに精通しているならば、本の企画の段階で、その出来た本が、様々な流通を経て、例えば、書店のどこに並ぶのか、特定の施設や団体の購入は期待できるか、など、流通の先の部分(というのは不適切な表現かも)まで想像できる、言ってみれば、軌道を予測できるようになるのではないかと思います。その結果、発行部数や、値段、ページ数など、検討の精度も高くなるのではないかと、私は考えました。

 つまり。本は作るだけでなく、売らなくてはならない。その為に、その本に見合った部数や定価は適切に設定されなければならない。これには流通の知識は、必要なものの一つなのではないかと思います。  さてさて、本題に入ります。流通に関して、いくつか述べたいと思います。

 出版社では本を作り、出版します。それを消費者(読者、学校、図書館…etc)が購入します。けれども、出版社ー→読者、という様なルートだけで本の売買が行われているわけではない、ということはお分かりかと思います。  書店での購入がもっとも一般的かと思います。では、

 出版社―→書店―→読者

 というルートになるかと言いますと、これは違います。このようなルートもありますが、少数です。1番多い形がやはり、その業界の流通を知るに適当であると思います。下の形が、出版流通のメインルートと呼ばれ、全体の70%前後を占めると言われています(出版流通の基礎知識参照)。

 出版社―→取次―→書店―→読者

 出版社には、著者、印刷業者、製本業者など、様々な機関、と言うと語弊があるかもしれませんが、業者とでも言えばよいでしょうか、と関わっていて、それも流通であるはずですが、今回はそれを省きます。

 出版社によって本が作られ、取次によって全国に配送され、書店によって読者に届けられる。これが上の形です。

 上の業者で、馴染みの浅いものは、取次だけであると思います。一言で言ってしまえば、普通の物流取引における、問屋、です。

 

 今日はここで終わります。次は取次の機能について説明できたらと思います。

[2003-03-25(火)]
事務!

宮本 貴理

 編集者に最も必要なものは!!!

 沢辺が私に口を酸っぱくして言いました。「事務だ!」と。

 スーパーエディターは別です。事務など出来なくとも、編集だけやってれば良くて、それだけで、周りの人間も納得するでしょう。

 だけども、私のような一般人。もし編集者になれたとして(毎回この前提をつけねばならない私の気持ちをどうか…)編集だけで、周りの人間を納得させられるでしょうか。一生懸命やれば、能力だって上がると思いますし、良い本を作れるようになると思います。だけど、ポットを見る限り、皆様一生懸命です。なんつうか、@年中仕事のこと考えてるような。そいで、みんな頑張るんだから、そうそう差はできないのではないかと、沢辺は言ったのだと思います。

 ですから、編集だけでなく、その他事務を疎かにせず、完璧に行えるなら、それも事務をこなすことだって一つの能力になり、編集も出来て、その他事務も出来る。なんつうか、周りからの信用みたいなものも出来て、仕事もやりやすく、また、より多く、する機会が増えるのではないか、と。

 良い編集者!を目指す私です。さあ。まずは事務だ。

○読書レビュー

涙 上・下(著:乃南アサ/発:新潮社)

 乃南アサは「6月19日の花嫁」(発:新潮社)を読んでドップリはまりました。面白いので是非。

 それで、涙、ですけれど、ピーコだかパーコだかが、絶賛していました。まあまあ、絶賛するだけあって、それなりに面白いです。

 感心したんですけど、なかなか設定が徹底していて、舞台が東京オリンピック当時の日本なんです。それでですね、実際にあった事件やその当時の社会事情、なんてのをよく調べているように思いました。そういうものを受けたときの人の感情なんてのも出来るだけ細かく描写されていますし。これ想像ですが、気候や気温なども調べているように思います。

 それでですね、それが本当ならば、巧いんですよ。

 天候や気候って、場の雰囲気を表現する上で大事じゃないですか。宮部みゆきが、「やっぱクライマックスの日は雨」(確か、朝日新聞だったか)って言ってましたし。でねクライマックスの日は台風とかち合わせたり、悲しい日はいつでも雨って感じで。雨が降った日、近づく台風、身を焦がすような酷暑。本当なんだろうなあって想像したら、話もなんだかリアルに感じられました。

 ちょっと話にふれましょうか。いきなりクライマックスでの回想について。なかなか、美談だけでは語れないのよ人なんて…て感じで、へんに綺麗にされるより私は好きです。いや、でもまあ、結局綺麗なんですけど。丸く収まりすぎない、色々、折り合いをつけながら、つうか、諦めて、新しい希望を見つけて、人は前に進んで生きるのです。後戻りは出来ないの。そんな感じです。何を言っているのだ私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[2003-03-21(木)]
休日出勤

宮本 貴理

 まだまだまだまだ、編集者への道は遠い。遠い遠い。遠い道のりです。遠いことは分かっているのだけれど、どこにあるのかも分かってない感じ。なんでしょう。例えば、今ここから歩いて、地図無し、金無しで、宗谷岬(日本最北端の場所)へ行く計画を立てたようなそんな感じ。そいで、ポットに入って、地図をと自転車お借りしたそんな感じでしょうか。あー遠い。出来ればどこでもドアが欲しいけど、んなに甘い話はないようです。

 ポットに入って、どうにもレベルアップした!って感じがしないんですが、それはひとえに私の、日々のサボタージュ。自分ではやっているつもりでも、あーまだ頑張りようがあったなぁ、というか、色々工夫だって出来たなって、過ぎ去りし日々に後悔を重ねつつ、毎夜哀愁の寝床に就くのです。このままでは、ホントにズルズル行ってしまいそうで、なんだか、哀愁の寝床にも慣れてしまいそうで怖いです。不安でございます。

 どうにかしよう。そう考え、もっとガンバッテみよう、そう思い、具体的な計画はないのですけれど、多少の犠牲は覚悟しようかと、短絡的ではありますが、そんな結論に至りました。

 それと、なんでしょう、日々不安になって、自分には無理なんじゃねえか、とかそんなことばかり考えずに済むよう、少しは何かに希望を見いだせたら良いなと、思います。

 取りあえず、思いつくのはこの日誌です。読み返し、これだけやったか、ということが書ける毎日を送ることが出来るよう頑張れば、それが自信に繋がるかもしれない、そんな感じで、まずは希望探しにせいを出してみます。

 以上。

 

 

 

 

[2003-03-20(木)]
臥薪嘗胆

宮本 貴理

  思うところありまして―後で書きますが―この日誌に、全力を注ぐべきだと、そう思いました。臥薪嘗胆の心構えを得るべく、この日誌の意味を思い出してみようと思います。

 まず、私は編集者になりたい。それがこの日誌を書いている最大の理由です。と言うか、これに尽きます。この日誌は私が編集者になるために、有効で、意味あるものだろう、と沢辺さんが提案してくれて、このスペースを私に設けてくれたものです。

 私は大学を中退しています。そこで、他の編集者希望の人間に、はっきりと劣っています。何も学歴だけではなく、学生の本分である、教わるという機会を自ら捨てたのです。それでも、編集者、なんていう人気のある職業に就きたいと考えるのも図々しい気がしますが、やっぱりなりたいし、だからこそ、こちらポットで、編集の実際を知って、大学で学べないようなものを、しかも、他の編集者希望の人間よりもちょっと早くスタートした、というようなことにならないよう、この実習生という形でしか得られないようなもの、そういうものを探して、編集者になるための一歩を踏み出すべく、実習生募集に応募し、一応、採用されたのです。

 編集者になるために、この日誌を書いていると言いましたが、それがどういうことかと申しますと、これにはいくつか意図があって、まず、得たものを明確にしておく、ということがあります。これは、私がどこだかの採用面接を受ける際に資料として提示出来ます。履歴書に大学中退と書かなくてはならない私に、他の大卒の人間よりも優れている、と思わせるような資料を提示するのに、仮に日々努力出来たとすれば、その実習生生活の日々を綴ったこの日誌は、私にとって数少ない有効な手段です。そして、自分でもこの日誌を読み返し、例えば、覚えた作業手順の確認を出来たり、何よりも、その日その日に思ったことや感じたことなど、それを明確にしておくことは、意識を、いつも、編集者になる、という方向へ向けることが出来ると思います。そうすることで得るものもより多くなるのではないか、というのが、明確にする、ということの意図です。

 他には、読者を意識するということです。メディアというものには、影響力があります。今の私の影響力なんていうのは、本当にミジンコ一匹吹き飛ばすことも出来ないほどのものですが、出版というものに実際に携わったとき、その影響力は大きくなります。だからと言うわけではないですが、やっぱり責任というものが、精神的なものや、もしかすると身体的なもの、など想定しうる被害を考えると、重くのしかかるように思います。ですから、やっぱり本当のことを伝えなくちゃいけないと思うし、良い情報を伝えたいと思いますが、自分と他者の考えていることは全く違うということ、自分が当然と思っていること、それが世間では当然では決してないこと、そういうことを文章を書くことで実際に意識できていないと、伝えるべきことがないがしろにしてしまったり、不十分な情報誌しか提供できなかったりということになりかねません。ですから、ただただ日々を綴るだけでなく、文章を書くことの訓練ということもこの日誌の大きな意味です。

 まだ述べます。なんで、以前にも書いたようなことですし、このようなことを書いたかと言いますと、今日、沢辺さんより、色々とお説教を頂きました。一言で、言ってみますと、書いた文章への無責任さ、ということでしょうか。

 例えば、事実の確認を怠っている部分が多々あったのです。正しいと思って書いたことでも、もう少し深く考えれば、もっと深く知ろうとしていれば、回避できた誤りを、目を瞑りたくなるくらいの多くの実例を日誌のコピーを見つめつつ、示し、丁寧に訂正して頂きました。

 他には私の思い違いなんていうことも訂正されました。昨日の日誌にも書いたのですが、私が、先日ですが、ポットの出版物を批判したとき、私は、よくよく考えてみれば、失礼なことだったな、と思ったのです。これは本当に思ったのですが、沢辺さんは、私に批判されても痛くも痒くもない、それが理にかなったものであれば批判はするべきだし、それを示すなら、こちらでも私に対して対応出来る、というように仰いました。私なんてちっぽけな存在で、今のところ何の役にも立たない存在なんだから、そんなことを考えるのは不要であって、それだったら、編集者になるための姿勢をもっと見せろ、そういう感じに私は受け取ったのですが、どうだろう。正かどうか、だけど、これで、良いと思います。正しかろうが正しくなかろうが、やっぱり、私はくだらないこと気にしないで、色々考えをアウトプットして、編集者になることだけを考えようと、そう思えました。そういう意味で、良い説教でした!!

 他に、これから直していくべき点など。

 私はがさつ者です。だらしないです。そういうところ、直さなくてはと思いました。実感として、社会に出ている、その気分、それが欠けていました。実習生として教わる姿勢で、現場に向かうからといって、私がその欠けている部分を無視していけば、多大な迷惑(既にかけている)をかけることになります。何というか、私は、絵に描いたような編集者に憧れていました。独創的で、社会に大きな影響を与える企画を出すとか、巧い文章書ける、とか、そういうことです。でも、そういうものって、なんだろう、雑用や何か、やりながら、この社会のことを少しずつ学んでいって、例えば、実際の原稿にふれるようになって、そこで、文章の書き方を学んでいったり、段々視野を広げていくことで、そういう、私の憧れている編集者になれるのではないかと、ちょっとそんなこと思いました。今まで、雑用を軽くみていました。ちょっと改めなくてはいけない。そう思います。

 ガンバレ!私!

 

 

 

 

[2003-03-19(水)]
書かなくちゃいけなかったこと

宮本 貴理

 先週の金曜日の話です!!

 私、この日誌に校正をやってみて、思ったこと、なんてことを書きました。2/13(木)に書いてあります。

 それなんですが、私の浅はかさが存分に発揮されていて、沢辺様に指摘されたんです。それが先週の金曜日。それを書きます。

 私は、今、お試し,という感じで、ある原稿の校正をしています。私はこの日誌で、その原稿についての批判をしたのです。ただ、批判が目的ではなく、その後に続くところに言いたいところがあったのです。そういうこともあって、その批判に何の説明もせず流しました。

 ここを沢辺様に指摘されました。ポットとして出す本を私は批判したわけです。こんな深い考えもない、経験もない、実習生なんかにそんなことされるのはたまらないと今思いますし、ふざけんな!って感じかもしれません。ただ、沢辺様が私に言ったのは、批判は良い。だけどそれには責任を伴うことだ、ということです。

 これは、ガーンと頭に隕石が落ちたような衝撃です。これって普段でも勿論そうあるべきだと思うのですけど、だけど、これがメディアを通すときって、これを欠かすことは、責任の放棄です。なんて言うんでしょう、一番あってはいけないことの一つだと思いました。

 メディアには社会への影響力があるからこそ、例えば、ある個人を批判するとき、私が言った言葉は、その個人だけが読むわけではなく、他の人間も読むわけです。だからと言って、批判ていうこをやめるべきではなく、責任をもって批評するならば、なんでしょう、有意義なものになるというか、何かを動かし得るものになるのかな、と思いました。

 軽い気持ちで言ったことなんですが、今の私だってこうして日誌を書くことで人の目にふれる文章を書いているわけです。そういう意識は必要だったな、と反省いたしました。以上。

 

 

 

 

 

 

 

[2003-03-18(火)]

宮本 貴理

 確認のために書き記す出版業界流通の仕組み!!

 ポットに実習生として通うようになってから、度々、出版業界の流通についての話題を耳にしました。この仕組みについて、少し詳しくお伺いする機会に恵まれ、しかも結構面白い話だったので、確認をかねて書いておこうと思います。

出版の流通には大きく分けて二つあります。一つずつ解説です。

(1)出版社ー→取次ー→小売業者ー→お客様!!

(2)出版社ーーーーーーーーーーー→お客様!!

 (1)を説明することは、取次とは何かということを説明することに帰着いたします。そんなわけで、説明します。取次は出版社から、本を大体定価の6〜7割程度の値段で買い取ります。その買い取った本を、小売業者に8割程度の値段で取り引きします。そして、小売業者は買い取った本を定価で売ります。

 私はこれを聞いたとき、バカですから、取次って意味ないんじゃないかと思ったのです。だって、想像できる取次を通すメリットって、出版社が各本屋から注文のあった本を各本屋に送らなきゃいけない、その手間を省けて、あとは、取次独自のネットワークで小売業者に、まあ出版社がやるよりは、多く本を流通させることが出来る、そのくらいじゃないかと思ったのです。それだけなら、小売業者が取次と取り引きしている値段よりも安く、出版社が取次と取り引きしている値段よりも高く、そう直接取り引きしたら、多少の手間が増えても、そっちの方が良いんじゃないか、そう思いました。

 が。全然違いました。取次って必要です。あのですね、取次を通すことで、小売業者は、受け取った本をその取次の本として扱うことが出来るのです。これは出版社にも言えることなのですが、伝票その他の処理が格段に楽になりますし、小売業者は本の注文を取次にすれば良いのです。そして返品する際もその取次に送れば良いのです。上で言った、各本屋からの注文を受ける、なんてのは話を聞いてみると、まともじゃないくらいの手間のようです。一つの本屋に卸す本て多くても数十冊です。そいうの合わせて、何千冊ですから、注文書や伝票、さらに営業など、考えていくと、どこかにまとめて取引する、ということは必要なことのようです。

 ただ、問題はあるのです。小売業者がどのような本が売れるかって考えます。しかも、店のスペースが限られているとします。そうしたとき、優先して入荷するのは、取次独自のデータベースから作られた、売上ランキング(のようなもの)の上位の本なんです。そうすると、どこの本屋でも同じような品揃えということになるんです。本屋は、商売です。売れる本を出したいのです。さらに、各本の情報というのが少ない。それはしょうがないことで、本て年間で何万冊も出版されるんです。判断材料が全然ない。だから、ランキングに頼らざるを得ない。

 もっと言うと、中小出版社の本は不利なのです。例えば、凄い良い本だ!そう思ったって、印刷にはお金がかかるのです。だから、出版できる数は、やっぱり限られる。世に出る数が少なければ、ランキングの上位に入ることは難しいわけです。そうすっと店に並ぶ機会も減る。不平等とは言わないけれど、その点は改善の余地があるかなって。ちなみに、昨日私が言った版元ドットコムの説明で、お客さんに情報をより多く伝えるために企画された、と言ったのですが、これ間違っていて、本当は今述べたようなことの対策として、この業界の人間に本の情報をより多く伝える、という企画だったのです。んで、これならば、本屋としても、ランキング以外の情報を得ることになり、正当な、というかなんというか、判断で本の入荷を考えることが出来るということなんだそうです。

 これで、(1)の説明って殆ど終わりです。あと小売業者に関して補足すると、これは本屋だけでなく、コンビニも含まれるんです。今、コンビニって結構な売上で、特に雑誌なんて言ったら、本屋よりもよほど売れています。

 こういうことを受けて、今はコンビニ向けの出版も行われています。特にマンガなんかは、露骨なほどコンビニ向けのものが出版されています。コンビニの出版業界への影響って言うのも凄いんですよ。

 あとは、アマゾンなどのネット書店です。これってどういう仕組みなんだろう、と思ったのですが、どうやら取次を通して本を卸してもらっているそうです。つまり、アマゾンにも品揃え、という概念があるわけなんです。ただ、実際に本を手にとってお客さんは購入を判断するわけではないので、ーーこれ唯一手にとって選べないことのメリットかも!ーー商品としては表示出来る。在庫無し、とか、取り寄せ、と表示させておけば宜しいわけです。

 まあ(1)は取りあえずこんな流れなんです。ただ、出版社にとって好ましいのはやっぱり(2)なんです。取次無しでいきなり定価で売れるわけですから。

 (2)なんですが、この流れは、直販と言います。各社のホームページからの購入や、あとは版元ドットコムなんかがこれにあたります。

 この形で売れたら、利益が一番大きい!だけど、難しい。

 考えたのですけど、版元ドットコムだって、これから規模が大きくなったら、結局は取次を通さなくてはならなくなってしまうんじゃないですかね。私、直販の注文受けて、お客さんに本を送る作業をやることがあるのですけど、宛名書いたり、伝票入力したり、他にも結構大変です。取次に卸している数からすれば全然少ないですけど、それでも結構大変なんです。版元ドットコムっていうのは、結局、直販の注文を各出版社の代わりに受けているってことなんです。本を発送するのは各出版社の人間ですから、結局数が多くなれば処理できなくなる。だって簡単な話、アマゾンほどの規模になってしまったら、アマゾンと同じくらいの人間がいないと間に合わないってことでしょう。あー。これってどうなんだろう?まあ、この版元ドットコムでの販売というのは2次的なもので、一番の要はこの業界の人間により多く、適切な情報を伝えること、でございますから。うん。良いのかな。

流通の仕組みを説明すると言ったのに、ちょっと違ってしまいました。まあ、良いと思うんだ。取次なんて普通に生きてたら関係ないけど、出版社には切実な問題で、こういう話てなかなか興味深いかな、と。

○読書レビュー

リアル ワールド(著:桐野夏生/発:集英社)

 桐野さんお久しぶりだ。なんでしょう。女村上龍って感じかしら。それは言い過ぎですか。でもやっぱ怖い。きっとこの人は強い人なんだ。展開に容赦ないし、ただ、無理してやってるって感じじゃなくて、こうするのが良いと思ったからやってんのよ!って感じ。宮部みゆきさんも、乃南アサさんも、小池真理子さんもこうはいかないのね。でも、OUTよりは良かったかも。良かったかもていうのは、怖くなかったってこと。 

 この小説では、項ごとに一人称がある特定の人間を巡ります。その人間ていうのは全てがお互いに知っている関係なんです。これは面白くて、自分が自分について考えている像や、その他の人間の印象、そういうものを輪を描くような人間関係を追って読むことが出来るんですけど、なんつうか、その像とか印象っていうのが崩れたりするんですよ。やっぱ他人の考えなんてわかんないですよ。自分はこうであるだろう、なんていう像なんて滅茶苦茶もろいんだろうな、って思いました。

 なんでしょう。人の頭の中を覗くってちょっと怖いです。でも、快感って感じではあります。最後はなんだか儚くて、でになんだか綺麗な感じです。

 面白いです。

 

 

 

 

 

[2003-03-17(月)]
色々。

宮本 貴理

 先週の金曜日、八木書店の社屋にて、国文の会主催の勉強会の中で、版元ドットコムの概要説明の機会を設けて頂き、岡田さん、日高さん、そして私、の3人で行って参りました。勿論私はおまけです。

 実は、版元ドットコムを企画したのはポットの沢辺様なのですが、私は、それがどのようなものであるか、全く理解しておりませんでした。勉強会に私を連れて行ってくださった意図は、きっと話の内容そのものよりも、人の前でのしゃべり方や、その進め方、など、実際に見ておくことは損ではない、ということだと思うのです。それもとてもためになりました。説明するに中っては、例えばその時間が限られていたなら、全てを語ることは出来ませんが、それでもその全てを把握していなくては、とても説明出来ないのです。伝えるべきことは何か、何を優先させるか、そういうことを念頭に置いて、さらに、出来るだけ聞き手に疑問を残さないよう計らうことが必要です。さらに、聞き手に疑問があれば、それにも答えなければなりません。だから、全てを説明出来るくらいの知識を持って、そこで何を伝えることが重要かを、判断しなくてはいけない、なかなか難しいと思いました。まあ。二人(岡田様、日高様)もなかなか良くやってたよ。うん。

 それで、それもためになったのですけど、版元ドットコムってのはどんなもんか、っていう話自体も為になりました。一応まとめてみます。

○版元ドットコムとは

 版元ドットコムが何を求めて企画されたのかっていうのは、昨今、Webっていうのは世の中にもの凄い影響力を持つようになっています。出版業界でも、独自に自社の認知を高めることが出来、さらに本をWebで買うことが出来る、っていうので、もう無視は出来ません。特に今はアマゾンなどのWeb書店の存在は出版社への影響も大きいです。しかし、Webで読者が購入する際、その本がどのようなものであるか、ちゃんと伝えることが出来ているか、という疑問がありました。アマゾンで扱っている本の数はよく分かりませんが、とにかく膨大であることは想像できます。そして、その全ての本の詳細な情報を載せることなんていうのはおそらく時間的に不可能でしょう。

 本を実際に手に取ることが出来ない、というのは読者が購入の判断を出来ないことの要因の一つになると思いますし、さらに購入してもらったとしても、それが意図したものと違っていたら、その出版社に対しては、やはりマイナスイメージを持つことにもなると思います。

 そう言う意味で、適切な本の情報を伝えることが出来たら、Webでの購入というのもさらに進歩するのではないか、例えば、これは想像ですが、今Web書店を利用する人は、ある程度欲しいものが決まっているのではないかと思います。特定の本が欲しい!とか、ある著者の本が欲しい!とか、興味のあるジャンルの本が欲しい!なんて感じで。でも、本の情報を出来るだけ伝えることが出来たら、Webにおいて、本屋を漁るような感じで、何が欲しいか決まっていなくても、Web書店などで初めて見て、初めて興味を持った本を購入する、そういうことも増えてくるのではないか、そしてそれは直接に各出版社への利益となる、ということがその意図です(多分)。

 そこで、小出版社23社が集まって出来たのが、版元ドットコムなのですが、出版社にとって便利な機能が山のようです。例えば、本のレビューや詳細なんかは出版社が自由に結構なスペースを使うことが出来ます(その本一つ一つにページがある)し、取次業者への伝達事項もいっぺんに出来るシステムがあったり、色々です。私は全てを把握しているわけではないのですし、なんつうか、今のところ、自分がこの業界の人間という感じがしないし、その仕組みにも精通していないので、実感湧かないのですが、話を聞いていた、八木書店の方は感心していました。

 ちょっとまとめますと、版元ドットコムでは、本を購入することが出来るのですが、その本の購入の際には、読者に多くの情報を伝えることが出来、さらに取次の介入がありませんので、出版社にも利益は多く入ります。さらにその維持費はもの凄く安い!それは目的が、上で述べたように、各出版社の利益が上がることが目的だからです。版元ドットコム自体が儲かることは目的ではないのです。良心的だ。

 ただ、問題です。Webで何かを購入するというのはやはり、なんとなく不安という人が多いと思います。お金が絡むっていうので、犯罪なんかに巻き込まれやしないか、って感じで。その不安をカバーするのは、やっぱり認知度だと思うのです。今、その不安を取り除く対策としてやっていることというのは、版元ドットコムの本の購入ページに、アマゾンへのリンクを張り、アマゾンのその本の購入ページへ飛べる、ということなんですが、それよりも何よりも、アマゾンほどとは言わないまでも、版元ドットコムの認知度を高めることが一番重要なのではないでしょうか。今のところ、版元ドットコム自体を世間に認知してもらおうという動きは、なさそうに見えます。そこらへんはどうなんだろう。何かやったら良いと思うんですけど。

 長くなった!本当はこの後に、紀伊國屋書店さんの外商部の偉い人から聞いた話を書こうと思ったのですが、、、

 本屋に外商部があるなんて考えたこともなかったし、さらにその営業ノウハウの話は出版社に直に結びつく話で、凄く為になりました。他にも書かねばならないこともあるし、明日ガンバッテ書こう。

○読書レビュー

16の話(著:司馬遼太郎/発:中公文庫)

 この本凄いです。本当に凄いです。司馬良太郎ファンの方でもし読んでいない人いたら、すぐに読むべきです。

 ええ。この本は読む前に司馬さんの長編小説をいくつか読んでおくと、感動は倍増すると思います。この本は小説ではないですが、他の長編小説同様のメッセージがあります。しかもそのメッセージはもの凄い直です。ビックリしました。

 文中、司馬さんが半生を費やして伝えたかったこと、が書かれています。はっきり言って、そのほんの数行だけでもこの本買う価値ありです。おそらく、その言葉に皆様納得すると思います。そうか!そうだったのか!って。私はその数行読んで、司馬さんの口(っていうか)からそれが聞けて良かった!!!と感動いたしました。

 他にも、これから先を生きる私たちへのメッセージは、(そう言えば、私は司馬さんの文章読み始めて日が浅いし、小説しか読んでいないのであれなんですが)見たこともないくらい、具体的で、熱いです。きっと泣きます。司馬さんにですよ、何か託された!!!そんな感じを受けることが出来ます。

 ついでに言うと、坂本龍馬ファンの私は、幕末における近代思想、という題のほんの短い、話、は嬉しくて嬉しくて、電車の中で笑みがこぼれて、ちょっと頭悪い感じの人に見えてしまうくらい、ニタラニタラしてしまいました。

 とにかく、凄い本だと思いました。司馬さんのメッセージ受け取ってあげてください!!!

 

 

[2003-03-14(金)]
出したい本

宮本 貴理

 先日、浦賀ドックで最後の建造艦船「たかなみ」が完成して、これをもって閉鎖ということになった、というニュースを見ました。

 「たかなみ」っていう船なんですけど。なんだかSFに出てくる、宇宙戦艦のような印象を受けました。色は灰色一色で、無機質で角張っていて、でっかいアンテナがグルグル回ってて、艦板に人がいるのが不自然なような、そんな感じ。

 SFのような、って私は思ったのですが、胸ときめくような印象は一切受けなかったのです。SFっつうとですね、私は、未来の世界を想像するんです。今はSFつったって色々ありますけど、だけど、未来の世界を想像すんですよ。それなのに、未来の世界を想像させる、SFって言葉を連想したのに、どちらかっつうと、暗い印象を受けたことが、心に残ったのです。

 こんなことが頭にあったので、ボーっと考えるわけです。将来に期待がもてない世の中ですよ。世界を取り巻く状況なんて今は最低ですよ。さっき言った船のような、世界になっちまうんじゃねえか。無機質で、灰色で、人を感じさせない、そんな世の中。未来は、今より良くならなくていい、これよりは悪くならなければいい、そんなこと考えることもあります。

 なんでしょう。未来を想像するとき、良いものを想像できない要因が多すぎる。そんで、そのファクター多くを提供するのはメディアじゃないですか。きっと本当のこと言ってるとは思うんだ。だけども、他にも伝えられるもんって沢山あると思うんです。

 上でせっかく船のことを言ったので。黒船を見て、坂本龍馬は奮い立ったわけですよ。将来に夢見たわけですよ。龍馬は、日本の将来に危惧を感じて色々頑張ったわけなんですけど、だけど、やっぱ黒船に明るい未来、っつうか、なんか目標みたいなものを見いだしたからこそ、頑張れたんじゃないかと思うのです。これは私だけかもしらんけども、船見て、将来思って、暗くなるような世の中じゃ嫌なんでございますよ。

 壮大なこと言いますけど。そういう、誰かを奮い立たせるような本を出したいと思うんです。そんでこう世の中が変わるような!

 編集者を目指してるんだから、このくらい思ったって良いと思うのだ。のだ。熱血だ!青春だ!あついなあ。

 今日は、書くことがいっぱいあったのだが、それは全部月曜日にまわそう。

 

 

 

 

 

 

 

[2003-03-13(木)]
考えた

宮本 貴理

 一編集者として考える!!

 というのは嘘で。実習生として考えます。校正のことです。まだ、習ったばかりなので、分からないことだらけなわけですけども、なかなか難しいもんだな、と思ったわけなんです。

 校正の参考書を読んだのです。そのなかで、「原稿というのは著者のものであって、むやみやたらと訂正するのは宜しくない」という感じのことが書かれていたのです。

 一応、そういうことも頭入れながら校正していたのですが、著者の主張なんかが、明らかに、おかしいなあ、って思う部分なんかもあったわけですよ。文法とかそんなレベルでないのですよ。一応、スジも通った話ではあるのですよ。だけど、もの凄く偏った意見で、私はおかしいなあ、と思ったのです。そうすっとですよ。私はそれを直して良いのかなってね。だって、参考書には、原稿は著者のものであり、他者が校正をするときは、著者がその人間に依頼するというかたちをとっている、とかそういうことが書かれていましてね。結局、編集者が訂正したって、その責任とかなんかは全部著者にあるわけなんでございます。するってえとです。著者の主張をこちらで変えるなんてことは、もってのほかでございましょう。

 しかし、ですよ。こういう場に立たされた編集者はどうすんのかね。編集者は別に好意だけで著者の本を出版しようとしてるわけでないのよ。利益を得るためでしょう。そんためにゃあええ本うらなきゃあいけんのよ。こげな主張世間で通るわけなかろうもん!ってときはどうするのかなあ、って思ったのです。勿論著者に、これおかしくない?なんてのは言うのかもしれんけども、全部が全部受け入れられないかもしれないじゃないですか。

 これが、大きな出版社だったら良いと思うのです。こんな文章はうちじゃあ出版できない!って言ってそれで終わりでも平気そう。無駄に金はかかるかもしれんけどもさ。だけど、そんなに規模の大きくない出版社なんかでは、年に出版できる本て数が限られると思うのです。一冊の本に総出であたって、ある期間はそれにつきっきりってこともあると思います。そいだからこそ、原稿が書き上がったような段階で、これは出版できない!なんてとても言えないと思うのです。

 こーいうのって難しいなあって。どっちも折れることがリスクを伴うことでありますから、考えていくと、やっぱ編集者って大変だなって、そういう安易な結論に逃げることになってしまいました。以上。大体において、こういうあまりなさそうなケースのこと考える暇あったら、校正記号の一つでも覚えた方が宜しいかもしれん。

○読書レビュー

・聖の青春(著:大崎 善生/発:講談社)

 この本は私の人生におけるバイブル!そんな感じの本です。若くしてお亡くなりになった、村山聖さん、という棋士の話です。もう、野暮を覚悟で語ります! 

 聖さん、全力ですよ。全力疾走の人生です。時々止まりますよ。だけど、止まりたくて止まるんじゃないんです。止まるときは、もう、歩くことも出来ないくらい疲れて、泣き崩れるときだけですよ。そんで泣きやんだら、もう全力疾走です。疲れるに決まってます。またすぐ止まらなくちゃいけなくなることも知ってるんです。そしていつか、本当に、歩くことも、立つことも出来なくなることも知ってるんですよ。それでも、そうなる前に、ゴールに着くことを願って走ったんです。

 聖さんは名人になりたかったんです。でね、それをゴールだと思って走っていたわけです。だけど、段々、止まること自体が怖くなるわけです。走っていないと自分ではない、、、ちょっと違うか。でも、走ることを辞めたら、生きている意味がなくなる!って感じでしょうか。

 というのは、聖さんは、5歳でネフローゼという病気になりまして、そっから、死ぬまでその病気を患っていたのですが、ずっと、死っていうもののそばにいたのです。自分が人よりも早く死ぬことを知ってたし、子供の頃から何度も何度も入退院を繰り返して、そこでは同じ病室の子供の死にも接してきていたのです。

 その中で出会ったのが将棋で、同時に、名人になるっていう、目標っだったのでございます。自分の死っていうのを幼くして見つめざるを得ない状況にあって、人と同じ普通の生活が出来ないってこを知って、それでも、将棋でだけは、人生のほんの短い時間だった、普通の生活、それを生きてる人と同じ目標を持つことができたわけです。

 でね、儚い自分の人生をかけて、色々なものを諦めて、走ってきたんですよ。それがなくなるって、怖いでしょう?それを諦めて止まるって、今までの人生の否定じゃないですか。長い人生なら良いですよ。挫折だって得るものがあるでしょうけど、だけどいつ死ぬかもしれないのに、また他に向かって走ることなんてできますか。無理だよ無理!!って感じで、止まること自体が怖くなったんじゃないかと、私は思うわけですよ。

 あとなんでしょう。名人になれずに聖さん、亡くなるんですけど、なんつうか、走り抜けた、って感じの人生ですよ。っていうかですね。もし、ゴールにたどり着いていたとしても、そのまま走り続けたんじゃないですかね。成長していってそれが本当の目標になってたんじゃないかしら。わかんないけど。

 なんつうか、本当に良い本なんですよ。多くの人に是非是非読んで欲しいです。熱いなあ。なんだか。

 

 

 

 

 

 

 

 

[2003-03-12(水)]
編集

宮本 貴理

 夢にまで見た校正!!!

 昨日、3/12は、メモリアルデイです!メ・モ・リ・ア・ル!!校正に関する、導入部分とでも言いましょうか、概要の様な感じのことを沢辺様よりご教授頂きました。なんだか編集者の仕事って感じです。コーセイ!素敵な響きであります。

 本当に楽しみにしてたのです!つうのは、採用面接の後、「最初はきっと校正やってもらうことになると思うから」って言われて、校正の教本渡されて、それ以後、音沙汰ナシ。皆様忙しいんだもん。コソコソ勉強してたのよ。待ってたのよ。私嬉しいのよ。

 そしてです。実際にやってみろ!ってことで、昨日からやってます!!なんかスゲー輝いてると思います。今の私。虫とか寄ってきますもん。嘘だけど。

 では、まずご教授頂いたおおまかな内容をここに記しておきましょう。

○校正について

 校正っていう言葉自体の説明は省くとして、その作業内容によって、いくつかに大別できます。これは出版社や印刷屋さんなんかによって様々な方針があったりするのですが、ポットでは、「文字校正」「内容構成」「組版校正」とおまかではありますが、分けることが出来ます。その中で昨日教わったのは、「文字校正」「内容構成」の二つです。これについて少し詳しく。

・文字校正→1…誤字・脱字の補正、2…表記統一

・内容校正→1…文章の整理、2…事実確認

 文字校正、内容構成、に関してもその内容はいくつか分けることが出来ます。ちなみに、そういう作業全てを引っくるめて、校正と呼んでいます。

 一応私自身確認するために、もっと詳しく記しておきます。

 誤字・脱字の補正っていうのは読んで字の如くであります。表記の統一ですが、これは例えば、「わたし」という言葉が文章の中で使われていたとき、意図なく、「わたし」「私」「ワタシ」まどとまちまちであった場合、それってのは凄く宜しくないことなのであります。不自然ですし、何よりも、見苦しいです。もしかすると、印刷所の方の混乱を招くことにもなるかもしれません。ただし、意図して分ける場合もあります。「わたし」「私」「ワタシ」では、ニュアンスが微妙に違います。つまり、なんでもかんでも統一というわけではないので、少なくともそういうものを読みとる能力なんてのは必要かと思います。ただ、これも出版社によって方針が違うようです。

 次いで内容構成の方ですが、文章の整理、は、分かりづらい、または文法上おかしい文章を直すといったことがそれに中ります。例えば、主語と述語があまりにも離れていると分かりづらくなることがあります。他には、「しかし」など逆説の接続詞で文章を接いでいるのに、主文の方で複文と同じ結論になっている、といったようなことを直すことを言います。

 事実確認は、年号や著名人、著書、引用文、法律、など他にも色々ですが、文章中に出てきたそれらの数字や固有名詞が、事実に反していないかどうかを、確かめるものです。特に、引用文に関しては、引用した著書にその文章が本当にあるかを確かめ、著作権法違反になっていないか、などを確認しなくてはなりません。

 ここで、著作権にもほんの少しだけ触れてみます。まあ、著作権というか、引用に関してのところだけですけど。

 引用は基本的にOKであります。ただしそれには著作権に基づいたルールがありまして、引用もとを明記し、その引用は必要最小限のものであり、かつ、その引用に必要性が認められなくてはなりません。つまり、主張は引用文の著者でなく、その文章を書いている著者の主張がメインでなくてはいけないのです。まずそのことを考えると、上のルールは的を射ているな、と思います。

 取りあえず、このようなことを教わり、実際に校正に着手であります。命じられたのは、文字校正と、内容校正のなかの、文章の整理、であります。

 実際やってみて、スゲー面白いです。文字校正だけでなく、文章の整理も命じられているので、内容までよく吟味せねばなりません。これはですね、普段の読書よりもしっかりと読まねばならないので、勉強になります。それに本になるような文章を直すってのはなかなかの快感です。私は性格が陰険なので、この人のあらをさがすような作業は向いてるかもしれないです。

 校正、ということ自体始めたばかりなのですが、思ったことは、本ていうのは、試行錯誤の上で完成するということございます。昨日は100ページほどすすんだのですが、それでも結構な個所の誤植や訂正、補足、すべきだなって思った点がありました。

 これって私にとって重要です。今まで手にしていた本ていうのは、このような過程を経た、完成された本なのです。その過程を知らないから、その本、著者に対して、なんつうか、無条件降伏で従っちゃう、てな感じでござんした。ていうのは、プロの作家さんだから、言いたいことは適切な文章でババッと書いちゃってるだろう、出版されてる本なんだから、正しいことなんだろう、ていうことを漠然と思っていました。勿論全部が全部こうであると思っていたわけではないですが、全体的に見て、そういう感じで著者よりも下の位置で読んでいることが殆どだったのです。これ、俗に言う、能動的な読書、でございましょう?良くないんすよ。

 んで、これ嘘でした!って結論を私は得たのです。編集の段階の前、少なくとも人に見せるわけだし、著者だって書いてるときに、「この文章おかしいかな」、とか、「こんなことが言いたいんじゃなかったのに」、「もう辞めてえ」、とか思いつつ、出来るだけ、完璧な原稿を目指すわけです。にも、かかわらず、やっぱり校正に回された原稿には訂正個所ってのは沢山あるんです。もう、どの作家もそうです。そうにきまってます。五木寛之だってそうに決まってます。紫式部だってそうだったんですよ!きっと!

 そういうの、訓練で巧くはなるとは思います。だけど、長い長い文章を書くのに、頭の中で、全て考えておくなんてことは絶対無理でしょう。あるフレーズを思いついたり、またおおまかな構成を考えて、そして原稿に向かうと思うのです。

 そうであるから、書きながらの試行錯誤はどんな著者だってするんです。最初考えていたことと違ってくるのも当然なんです。売ってる本には消しゴムの跡はありませんが、原稿はもう滅茶苦茶ですよ。消し跡だらけで読めないくらいですよ、きっと!でね、あの完成本を見て、無闇に謙る必要はないんだってことを思ったのであります!

 これってちょっと飛躍ですかね。でもですね、完成するまでに、過程があった、ってこと知るってのはいろんな意味で良いことかな、と。

 昨日、校正始めていきなりこんな悟ったようなこというのなんか嘘っぽいですかね。お恥ずかしい!

 でも、本当面白いですよ。夢は決まりました。いつか、宮部みゆきの原稿を校正して、しまくって、あらさがしまくって、ヒィヒィ泣かしてやることです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[2003-03-11(火)]
色々試み

宮本 貴理

今日は天気がスゲー良い!!今日は何か良いことがあるかしら!

はい。この日誌は朝に書くことになりました。そんなわけで、その日のことを書くと、全部想像で書かなくてはいけなくなります。想像の中の私はいつでも眩しいばかりに輝いちゃっているので、ちょっと問題がありそうですので、前日のことを書きます。そんで、昨日の日誌でも書きましたが、記録として残せるものは出来るだけ多く記しておこうと思います。これから暫くは試行錯誤を重ねつつやってみるつもりです。雑然とするかもしれませんが、まあやってみます。

昨日は、会議を傍聴させて頂きました。

版元ドットコムのサイトの今後の方針は如何にあるべきか!というような感じの会議でした。

サイトの運営の表面上のことではなく、読者には見えないところの話がメインでした。まあ、殆ど理解できなかったのですが、少しだけ思ったことを。

私は一応ポット出版に居場所を与えて頂きましたが、今のところ、ポットのサイト以下インターネットを使用するときは、サイトを運営してどのように利益を上げるかと言ったような管理する立場としてでなく、読者として、情報を得るために使用しています。そういう立場から申しますと、欲しい情報が余計な情報を含まず一発で見ることが出来るようなものが望ましいです。

昨日の会議の中で、サイトに入ったとき、パソコンのページ検索機能の使用を促すメッセージをダイアログで出すようにしてはどうか、って案がありました。ですけど、そういう作業って面倒くさいです。実際は大した手間ではないんですけど、気分的に嫌です。例えば、何か情報を得たいときに、サーチエンジンを使って検索すると、スンゲー沢山引っ掛かります。そんで、どのサイトでその情報を得ようかと思いつつ、適当なサイトに入ってみます。その選んだサイトは大抵の場合、適当に選んだものなんです。そのサイトでなくては嫌だ!なんてことは殆どないです。だから、いつでもプラウザで戻るをクリックする準備は出来てます。例えば、そのサイトが煩雑だったり、ちょっと思ったものと違うかな、と思ったら、実際は自分の得たい情報があるかどうかの判断も付きませんが、気分で、戻ります。だって、他にサイトはいくらでもあるからです。

ですから、読者が検索したキーワードに直に結びつく内容のページに辿りつけるよう計らうことが重要と思います。私はサイト運営など全く分からないから言えるのかもしれませんが、サイトを細分化ってのは必要じゃないでしょうか。それで、煩雑になりやすいトップページなんかに関しては、敢えて、読者が検索するであろうキーワード、例えば、著者、著書名なんか、を予想して、サーチエンジンで引っ掛からないようにしてみたらどうなんでしょうかね。

細分化すると、また別なところで煩雑になりそうですが、要らないコンテンツ、もしかしてこの実習生日誌ですか?(うわー)、なんかはさっさと削除するなりして、限りなくシンプルな作りを心がけるのが良いと思います。

てめーは何もしらねえからそんなこと言えんだボケ!とか言われそうです。ごめんなさい。

○私新企画!私読書レビュー!

いつだか分かりませんが、どこかで採用面接を受けるときには、私の趣味は読書であります!と答えるつもりでございます。ですけど、昨今、趣味=読書なんてのは、面接官(様)にしてみたら、「はいはい。趣味は読書なんですね。あなたが今入った入り口は出口にもなっておりますのでどうぞお帰りください!」って感じじゃないですか。そんなではないですかね。でも、あまりにも月並みです。それでも趣味=読書と言うためには何か証拠を残しておくのが良いのではないか、と思いまして、このような無駄なスペースを思いつきました。では早速。

 

○ブレイブ・ストーリー 上・下(著:宮部みゆき/発:角川書店)

宮部みゆきさん初のファンタジー!(ドリームバスターはSF?)

宮部さんお得意かわいい男の子!が主人公です。その子の成長には目を見張るものがあります。11歳なんですけど、物語の中の短期間で僕よりよっぽど賢い子になってしまいます。色々欠点なんかもあるんですが、それも含めてかわいい子です。露骨なくらいに理想的なお子さまです。

話は、宮部さんが書きたいように書いた!って感じでしょうか。模倣犯のときは、無理して書いた!って感じ(なんか宮部さんらしくない感じしませんでした?)がしましたけど、なんだかこっちはノビノビって感じ。宮部さんのついつい出ちゃうキャラクターへの抑えきれない愛情を感じることが出来る、そんな作品です。

そいで、内容ですが、面白いです。登場人物のその場その場での心境って、小説や作家様によって、語られたり語られなかったり、まちまちじゃないですか。どっちの場合にも、良いとこと悪いとこがあると思うんですが、この小説ではとても丁寧に描写されていて、それがとても巧いんですけど、キャラクターに、またはその舞台に親近感をさらにさらに持たせます。描写が巧くて詳細であるからこそ、ファンタジーっつう、現実と離れた世界を描いても、読む側として、臨場感を感じたり、感情を動かされたり、するのかな。うん。

○沢辺様提案企画!私勤務表!

これも記録ですね。その日一日でどんな仕事をしたのかってのを、ポットの経理上都合が良いってことで、つけてるんですけど、それをWeb上に残しておいたらどう?って企画です。やってみます。

3/10(月)

出社→9:50 退社→19:30

大まかな仕事内容

・新聞よりデータの抜粋作業

・会議の傍聴

・日誌の更新(これも仕事!!)

取りあえず昨日はこんな感じでした。そう言えば、昨日は色々な話を聞けて、会議も傍聴できて、今のところ、一番刺激の多かった日だったような気がします。もしかすっと実習メモリアルデイだったかもしれません。いつの日か、あの日を堺に私は目覚めた!みたいなことを言うかもしれません。言わないかもしれません。では、このへんで。

 

 

[2003-03-10(月)]
態度改め

宮本 貴理

実習生生活も一週間が過ぎました。徐々に、私の実習生としての態度って言うのが、ポットの方々にも見えてきたようで、その改善すべき点など、色々ご指摘頂く機会に恵まれました。

まずをもって私が最重要とすべきと思ったことは、今書いているこの日誌のあり方です。

沢辺様は、「日誌を書くことが取りあえずの仕事だ」と私に仰いました。仕事というのは何かしら得るものがあることを言うのでしょう。そういう意味で敢えて、仕事という言葉を選んだのではないかと思います。

そして、この仕事、の意図ですが、私が日々得たものや、考えたこと、などを記録として残しておくことで、実際に私が就職する際、面接などで企業側に提示できる資料として、非常に有意義なものであるということ、さらにその得たもの、感じたものなどを文字、言葉、にすることで、より明確に、鮮明にすることが出来、この実習生生活においての進歩を促す要因になるであろうということ、あと、WEBに載せるということは、読者がいるということを意識して書かねばならないわけで、それには、例えばある状況を説明するときでも、自分の知っている情報と読者が知っている情報というのを区別しておかないと、情報を適切に伝えることが出来ないということに陥ります。そういうことを意識して書くことで、とても良い訓練になる、といったようなことであります。

今日は他にも色々話をして頂いたのですが、感じたことは、ポットの方々は私には労働力としてはあまり期待しておらず、本当に、実習生、という言葉通り、私は教わる立場というものを明確にして、この実習期間を臨んで良いということです。その過程で何か労働力として足るようになれば良いですが、取りあえずは、ポットの方々を多少煩わせてでも、色々学んでやろう!ってそんな感じです。

そして、このように恵まれた立場に私をおいてくださったわけですから、何かかたちをもって報いることが出来たらと思いまして、それを取りあえず、唯一与えられた仕事である、この日誌を色々考えて、助言と、それを受けて私なりに考えた形で、示せたら良いなと思いました。

そんなわけで、まずは、その日覚えた用語や作業手順、それと傍聴させて頂いた会議などの感想などを日誌とは別に書いてみようと思います。

○本日の用語作業

・色校紙をトンボで切る!

ます。色校っていうのは色校正の略であります。これは、原稿を実際に印刷してみて意図通りできているか、ということを確認するための作業です。インクというのは使用する紙によって影響を受け、色が変わってしまいます。そんなわけで、実際(に近い)の紙を使って印刷します。ここで文章の校正を行うこともあるようなのですが、ポットではこの段階では文章校正は終了していなくてはならないそうです。それはお金がかかるから!ということです。ある作業においてその目的を明確にしておけば、経費も節約できる!ってことかも。

次いで、トンボですが、色校紙の天地左右にある記号です。カギ括弧が二つ重なったような形をしています。重なっている間隔は、3mmです。

そいで、作業ですが、作業名通りです。色校紙をトンボのところで切ります。それが実際に出版される本の大きさになります。それで例えば、今回は表紙の色校紙を切ったのですが、他の本などにかぶせてみて、表紙の形態を実際にとってみて用を足すか確かめるということを行いました。

難しい作業ではないです。が。沢辺様には内緒ですが、切るときに力が入りすぎたようで、切り口が曲がりました。内容の方には傷つけてはいません。それにこれ自体私の練習用に用意してくださったようです。だから一生黙っておこうと思っています。

ここに書く日は毎回決意を新たにしてるような感じですが、実際そうなのでしょうがない。またまた決意を新たに!いざ行かん!

[2003-03-07(金)]
データ抜粋

宮本 貴理

とうとう、私にも仕事が舞い込んで参りました。

今までは、なんとーなく与えられた席に座って、参考書なんかをボーっと読んでたりなんかすることが多かったんです。が、社長であられます沢辺様より、1年分の新聞からあるデータを抜粋するっつう仕事を与えられたのです。なんか嬉しいです。

んで、その仕事なんですが、大変なんです。頭使う仕事じゃないですけど、何分量が多い。色々な出版社から毎日のように本が出版されているのですけど、その発行部数が知りたいっていうのが私に与えられた仕事なんです。

最初のうちは私はウキウキしながらやってたんですけど、でんでん減らないのです。本当に果てしない感じで大変なんです。データとしては量は多ければ多いほど良いんでしょうけどね、だけど、私としては発行部数を載せていない出版社様に段々好意が向いていってしまいまして、逆に、毎月毎月結構な量の本多してるくせに、それすべてに発行部数を添えて(やが)る出版社様が憎くなってきまして、○○出版め!!って感じでしたのよ。

んだけど、私がなんとなくそのような感じ(一生懸命やってるけど!)でやってたら、沢辺様がおもむろに雑誌を私の前に置いて、

「お前の集めてるデータは、この特集に関するものだよ。」 

ってことを言われて、ガッチリと私はハートをキャッチされてしまいました。あー。スゲーやる気出た!!

 

 

 

 

 

 

[2003-03-05(水)]
ワタクシ初めてのおつかい

宮本 貴理

昨日、勉強のためにということで、会議に出席させて頂きました。

会議というのはなかなか難しい!私は一応、見学させて頂くという形でその場にいたのですが、もういざとなったら言ってやろう!滅茶苦茶言ってやろう!と目論んでいましたが、とてもとても。

その場で交わされた会話って言うのは、あるテーマで特集を組むと言うことは決まっていたのですが、例えばある瞬間の話だけを聞いてみると全く違うテーマで話しているんじゃないかというくらい話題は様々でした。でも、それは既に決まったテーマに関して、話している、というのを、話し手も、聞き手もちゃんと分かってて、その一つ一つの話の結論では、私でも頷けるような詳しいものでした。そういう結論へのアプローチってのは凄いなと思いました。それに聞き手に関しても、それについて何か意見を返してこそ会議であって、その特集を有意義なものにしたい、という意識が私にもバシバシ感じることが出来ました。

私なんかが交わす普段の会話ってのは、ちょっと長いこと話すと自分でも何言ってるか分からなくなってきて、自分の言いたいことと違ったことを言ってることがあります。こういうのは、経験というのもあるだろうけど、やっぱ普段から色々考えなきゃいかんかなって。思いました。

あと、本日はおつかいで、ベネッセコーポレーションに原稿を届けに行ってきました。原稿です。大切な原稿です。電車で行ったのですが、原稿に何かあったら大変です。緊張いたしました。

トーキョーってのは怖いところですから、何が起こるか分かりません。どんな悪いヤツが私のおつかいを邪魔するか分かったもんじゃありません。原稿を持った人間を虐めてやる!とか心に決めている人間がいないとも限りません。そういうわけで、原稿を持っていると言うことを悟られないよう、平静を装いつつ、行って参りました。とくに、危なかった、と思うような場面はありませんでした。まあ、そんなもんでしょう。

そんでベネッセコーポレーションなんですが、でっかいです。都庁かと思いました。凄いでかいです。多分、あのビルだけで、私の住んでいる街の人間全員詰め込めそうです。というか、詰め込んでもまだ余裕がありそうです。都会は凄い。それに受付の人も美人だ!私の住んでる街に連れて行ったら、芸能人と勘違いされちゃうんじゃないかな。また行きたい!

今日でまだ3日目なんですけど、色々と圧倒されることばかり。とりあえず邪魔にならない程度に頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

[2003-03-04(火)]
勉強会

宮本 貴理

昨日からとうとう実習生として、ポットでお世話になることになりました。そして、その初日にポット出版主催の、勉強会、というものに参加する幸運に恵まれたのです。

昨日の勉強会では講師に、東京トップレスというサイト(エロい)を主催してらっしゃる、工藤隆男さんを招いて行われました。

まず、東京トップレスというサイトですが、アクセスがもの凄い数で、それはどうも、アダルトサイトであるからという理由だけではなく、その考え方や、工夫にもあるようだ、ということで講師をお願いしたようです。

というのは、出版業界においてのネット利用というのがどうもうまくいってないのではないか、つまり、ネットを利用して利益を上げようっていうのに、それがどうも芳しくない、しかし、ネットというメディアの影響を考えたときそれを利用しないのはどうにも損であるし、それこそ、出版業界で取り残されかねない、というような危惧の下、今回の勉強会が開かれた(のではないかと私は踏んでいる。あまり主旨を詳しく説明されてないのよう)。

んで。その勉強会の内容ですけど、とてもためになりました。その話を聞いての、思ったことなどを。

出版業界に限らず、企業が、サイトを利用するというのは、まずそれによって利益を得るためであると思います。例えばそれが、会社の知名度を上げることに重点を置くのか、またはある商品に重点を絞るかなどの多少の違いはあるでしょうが、それはやっぱり会社の利益を上げるという前提の下にサイト利用を考えるわけです。

なのですが、サイトを作っていると、どうにも見る側の立場というものを忘れてしまう、ということが相当な頻度で起こってしまうようです。作っている本人には分かっても読者には伝わらなければ利益は期待できません。それはどうしたら良いかっていうと、伝えたいこと、と前提である、利益を得る、ということを常に明確にし、読者の立場にたって見直してみるよいうことが必要なのではないでしょうか。こういう考え方は、何もインターネットに関してだけでなく、その他、実社会においても活用できる考え方ではないかと思いました。

例えば。私は実習生としてポット出版でお世話になっています。そこで、私の求めているもの、というのを常に意識して、日常を取り組むことで、よりよいものを得ることが出来るのではないかと思いました。

まだ二日目ですが、決意を新たに出来たという意味でもとてもためになった勉強会でありました。この気持ちを忘れずに、いざいざいざ!

 

 

 

[2003-03-03(月)]
実習開始

宮本 貴理

3月3日、実習開始。

先週の月曜日、実習生の採用面接をした。その場で受け入れていただけることになり、実習開始日は3月3日ということも決まった。実習開始まで一週間。その間でも何か出来るかもしれないと、校正の勉強をしてみたりした。なんだか色々と不安な一週間を過ごした。どうにも私は気が小さい。

んで。今日になる。思ったよりも緊張していたのか、朝の5時に自然と起きた。とても清々しい目覚めである。11時の出社に余裕を持って準備ができた。

スタジオポットについたのは10時50分。緊張しながら、ドアのノブを回した。なんだかよくわからないが、部屋が真っ暗だった。

最初は、今日は休みなのかもしれないと思ったが、どうも違う。目覚ましかどうか、ゴマちゃんのかわいい声で、朝を告げる声が部屋中に響き渡っていた。よく見ると、人が転がっていた。今日の約束は11時のはずなのに、あー。それなのに。皆様は、職場で、悠々夢の中。

もしかすると、ここで働いている方には家がないのかもしれない。もしかすると私の家もなくなるかもしれない。なんだか不安が一つ増えた初日だ。

 

 

 

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