2004-08-23
選書の場から気にかかる出版状況
2003年11月28日全国図書館大会(於:静岡市)「図書館と出版状況」分科会
基調講演「選書の場から気にかかる出版状況」
国分寺市立恋ヶ窪図書館 堀 渡
東京の国分寺市立図書館から来ました、堀と申します。最初に自己紹介です。国分寺市は東京の多摩地区、JR中央線を新宿から30分ばかりの典型的な衛星都市です。面積は11.2平方キロ、人口11万人弱、中学校が五校、小学校が十校の小さな市です。図書館は中学校区に1館の構想で、少しずれていますが五館あります。以前から住民の学習意欲が高く、地域公民館と併設して図書館を造ってきました。地域公民館ごとの公民館運営審議会が盛んに活動していたような基盤ですから図書館も地域ごとの独立施設として、教育委員会としては図書館の経験者がいない中で建ててきました。それが30年前から15年前にかけてです。一方で図書館の内部からは、資料提供システムとしては少し不都合なところがあるので、組織を一本化できないかということを図って変えていっているという、そのような途中経過がございます。ですから大きな中央図書館というのが特段ない。大き目のところを、中央館的図書館と位置づけて運営しているという、そのような運営形態の図書館です。
あとは、自分がなぜ呼ばれたのかなと言いますと、複本問題で不本意に矢面に立たされてしまった町田市立図書館の手嶋孝典館長とか、「まちの図書館でしらべる」という一般人に読めるレファレンス事例の本で話題になった立川市図書館の斉藤誠一君とか何人かと、図書館とメディアの本『ず・ぼん』という雑誌を、十年ほど前から同人誌的にやっています。ちょうど去年、<図書館バッシングに現場から反論!>ということで「本が売れない原因を図書館のせいにするな」という座談会を特集しました。あるグループに属した図書館の内側だけの勉強会というよりは、出版の人や世間に対して自立的に発言しようとしてきた側面も持ち、そんな経験もあったものですから、呼ばれたのかな、などと思っています。
話を始めますが、冒頭で触れてくれと言われていたこともあり、「公立図書館貸出実態調査」のことから話したいと思います。今年の7月、全国公立図書館の4分の1を無作為抽出して、日本図書館協会と書籍出版協会が合同調査をしました。先月10日に発表され、結果は日本図書館協会のホームページに出ています。10月29日に記者発表があったりもしました。作家や出版社からの図書館の本の買い方に対する批判やそれに対する反論など、ここ数年の経過を踏まえての大掛かりな調査だと思います。今日は著作権問題の分科会でもそのような話をしていると思うのですが、図書館と出版流通というこの分科会でも、あれを踏まえなければならない。一般人や図書館員の感想はまったく聞こえない。「公立図書館貸出実態調査」を皆さん、実際にどれだけ読み、どう思ったか分からないのですけれども、私なりに読んだ感想から申し上げたいと思います。
1999年と2002年の取次のベストセラー。それから両年の芥川賞、直木賞、日本翻訳出版文化賞、サントリー学芸賞、毎日出版文化賞、芸術選奨、大宅壮一ノンフィクション賞などの受賞作の所蔵調査と、それの貸出冊数調査と、データ化したグラフから成り立っています。全国の4分の1から回答を集めた大掛かりな調査。それだけのことをせざるを得なかったというか、する必要に迫られたのだろうと思います。まず興味深いのは、発売直後の図書館の買い方、手ごたえは話題になることがあるのですが、発売後4年の時点では蔵書はどうなっているだろう?という調査を含むところです。そこはなかなか貴重な、面白い調査ではないでしょうか。
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ただ、書籍出版協会と日図協と両者の合意で、このような書名を抽出しよう、となったのでしょうけれども、いかにもこれはあの頃は万人向きにはやっていたよというベストセラーと芥川賞、直木賞、翻訳文化賞、サントリー学芸賞などのビッグネームでやっているので、これでも相当大変だといえば大変なのですけれども、これだけやっても、「帯に短したすきに長し」というような感じのところがあります。特に自分としては、楡周平さんが急先鋒で言ったような、推理作家系の作品は発売直後の1、2週間が勝負なのだ。新刊広告をうって数週間でとにかく販売の勝負は終わってしまう。そこを図書館で複本で買われて大量に借りられることで、どれほど売上げ被害を受けているか分からない。だから複本と貸出量の実態を教えろ、というような事態になっている。その辺は今回の、いわば万人向けの年間ベストセラーや芥川賞、直木賞のような抽出調査とは、ちょっと違う手法が必要なところがある。発売直後のごく短い期間に、個人で買ったかもしれない読者がいかに図書館に流れたかという、批判の急先鋒の方に対しての調査は、なかなか難しいかもしれないけれども、それへのデータにはなっていないという気がしました。調査のベストセラーリストでは、99年に鈴木光司さんの『バースデイ』が入っている程度です。すごく文字の多い、厚い今の推理作家系の作品の、最初の爆発的な出足。この調査をめぐる評価のコメントでは両者からまずそれも出てきてしまうかもしれない、しかし作品リストもタイミングも、その調査にはなっていないぜ、とまず思いました。
あと、ちょっとこれは、本当のところでは恐らく調査をした側からすれば肩すかしになったのではないかと私は思うのですが、複本数は、意外に少ないではないかという気がしました。恐らく出版社や作家は、更に意外だったでしょうが、私も東京近くの図書館で、いつも話題の新刊の非常に特定の本にリクエストが重なって、ちょっとずれた時期や違う本はあまり動かないというような日常です。貸出量を伸ばそうと意識的に複本にしているというよりは、ふつうに待てば提供するのが何か月先になるかわからないふうにリクエストがたまってしまえば、当然同じ本を買わざるを得ない、という対応をしていますから、そのような利用要求の集中実態、あるいは程度の差こそあれフォローをして複本を入れる図書館の応対は全国的なものかなと思っていたのです。
ところが全国4分の1の規模の調査でいうと、そうではない。『五体不満足』と『炎のゴブレット』と『模倣犯』3点ばかりが4冊以上の数字でしたがあと『鉄道員』が2冊以上で、その他は1コンマいくつの数字です。しかもこれは、基本的には自治体あたりの所蔵数だと思います。恐らくこれでは、図書館は非常に偏った予算投入をしているのではないかと言った側は、肩すかしのようではないか。逆に自分は、特定の本に要求が集中してそうでないものはあまり動かないというような現象が全国的ではなかったのか、あるいはまた別の問題として、あまり待たせるのだったらもう1冊は入れましょうかというような対応自体が、全国を見れば一般的ではなかったのか、という感じがです。それに関しては懸念したというか、そこは利用者に敏感なほうがいいのではないかと思っていましたので、ちょっと「あれっ?」と思ったのです。
それと同時に、芥川賞、直木賞以外の、サントリー学芸賞とか芸術選奨とか毎日出版文化賞とか、本が出版されて大分後になってから授与されるタイプの、大衆読み物でない受賞作品がありますけれども、それらの図書館での収集率というのが、ぜんぜん高くないのにはびっくりしました。新聞等で受賞報道があった時にそれでお客さんが図書館に請求しているかどうか分かりませんが、図書館としてはその受賞を機会にもう1回選び直すというか、棚作りのために買う、そんな対応をしていないのかなという感じがしました。いわゆる「いい本」という権威は、必ずしも読者がすぐに読むというようにはならないかもしれないし、中には高価本もありますが、例えば講談社現代新書の『バリ島』が、1999年のサントリー学芸賞ですが、これを191館しか買っていないのです。それから池内紀新訳の『カフカ小説全集』。あれが80館しか買えていないのです。全国679館のデータで、賞を取った現代新書が191館、読みやすい新訳古典が80館しか買えていないのは、やはりこれはちょっと意外というか、「その図書館の日常はどうか?」と思います。
言わばこれは、例えばベストセラーや、受賞した「権威」ある本ならどこも同じものを入れているという、いわゆる「図書館はどこも金太郎飴的な蔵書ではないか」とはとても言いにくい結果ではないかと思います。どちらかというとその水準にさえ達していないと言える結果ではないか。<金太郎飴>は乱暴な言い方ですが、直木賞、芥川賞、サントリー学芸賞、それからごくごく当たり前のベストセラー。いわばステレオタイプ的に、およそどこの図書館でもそれなりの需要もあるだろうし、最低そのくらいのものは一つ基礎的な蔵書として入れておくというような、選書の基礎的作風自身がまだあまり水準として、公共図書館ではやれていないのかなという感じです。どちらかというと、ちょっと選書への意識の弱さを感じました。しかし本当にそうなのでしょうか?私の評価軸や、考え方の筋道が違うのかもしれない。みなさんの意見を聞きたい気がしています。
それから、今度の全国調査の結果によれば、複本問題は新聞や雑誌やテレビなどのメディアはどこの図書館でもあることとして話し、図書館側の発言もそれを前提にしているけれども、現実は案外そうでもなくて、1冊しか買わない、客からいくらリクエストがきても複本にはしませんという図書館が案外あるのではないかという感じです。しかしそれにしても、一応図書館界全体がさらされている大量複本問題です。結局そこから私たちが何を考えるかというのは、二つの側面があると思います。一つはやはり作家や出版社の方との対応の問題です。それと同時に内側の、われわれ図書館自身の問題としてどうなのか、という問題があるだろうと思います。対著者や出版社の問題は、公共貸与権だとかライブラリ価格だとか、あるいは半年間受け入れ猶予しろとか、いろいろな形が出てきていますが、要は、図書館は補償をしろ、あるいは補償の代替措置としてしばらく入れないでおけというようなことです。内側の問題は、結局図書館の路線問題なのです。作家や出版社も利益を損なっている、補償せよというだけではなくて、一種の社会正義の問題として、図書館のあり方としてゆがんでいるのではないかというように構えてきたところがあると思います。それが果たしてどうなのか、という問題です。
私なりに言い替えると、人気の本を複本化することで資料費を圧迫して、蔵書の多様性を損なっているのではないかとか、貸出冊数ばかり追いかけて、図書館の多様な役割をおろそかにしているのではないかというようなことが出ていたと思います。東京では、例えば練馬区の図書館は、人口も多いですが、確か『模倣犯』は260冊くらいあるのです、私の国分寺市でも『ハリー・ポッター』だったら50冊くらいは買っています。そんなところでも複本を入れていることで、例えば図書費予算の1%が複本でくわれているかといったら、そのようなことはない。本を100冊買ううち複本にするのは1冊あるかないかだと思うのです。だから複本を入れることで単純に資料費の使い方がゆがんでいるとか、うんぬんという話にはならないだろうと思います。
それから、路線としての貸出しかレファレンスかという話ですけれども、それを単純に二項対立的なものの言い方をするということ自身は、私は間違いではないかと思います。レファレンスをよくやっている図書館、期待もされる図書館は、貸出しの実績だってある図書館だろうし、そこはいろいろな形で、利用者との敏感な対応をせざるを得なくなっている。敏感に応えていることの一側面だろうから、そこを二項対立的に、あるものを切って、あるものしかやっていないというような言い方は、私はないのではないかという気はします。これはもちろん、ある段階までの話という面もあると思いますけれども。NHKでたたかれた町田市立図書館の、あの後の反論のエッセンスは、町田の図書館はベストセラーの貸出しだけをやっている図書館ではありませんということでした。正論だと思います。
さて、もうちょっとその先へ進みます。補償の問題、対作家や出版社の問題と内部の問題というのは違うわけです。だから、それは別に話せばいいところがあると思います。補償問題は、三田誠広さんの頸草書房の本に詳しいですが、要するに推理作家の言われていることと、三田さんたち文藝著作権協会が言っていることは、かなり違うわけです。それぞれ内容の違うことを言っていて、そのことが表に出ていない。図書館が一つの対応をした場合にそれで別の著作者側が納得するか。とりあえず、図書館は何か著作者に責任を取りなさいよということに対してだけ、今は共闘しているというような段階だろうと思うのです。だから、結構長引くだろう。
ただ私は、この問題は結局、相手を尊敬するとかしないとかを離れた実務的な問題というか、功利的な問題だろうと思います。それで、先走って言ってしまえば、社会関係の中の図書館として、使う著作物の製作者側とごく軽微であれ補償のあり方に一定の了解点を生み出すことは必要かと思います。過剰な補償をすることはないし、例えば公貸権というような新たな話になるのだったら、それをただ今の図書費から削れというような話にはなるべきではないということもあるでしょう。また、事務が煩瑣で本来の業務を阻害しないように、ということもあるでしょう。図書館がそれなりの社会的な存在になれば、被害として大きかろうが小さかろうが、立場関係の作り方、付き合いの仕方が問われるところはあるのだろうなという認識はしています。ただそれは、言ってしまえばそのような問題なのだよという感じがするのです。抽象的ですみませんが。
問題は、図書館の内側の問題だと思うのです。要するに利用者要求に従って、ひたすらいいことをしてきたつもりの図書館職員が、水をかけられた。儲けているわけではありませんから、どちらかといえば提供してあげている。あなたの作品を読者に手渡す仲立ちをしているというふうに思っていた相手方から、「おれの新刊をこんなふうに渡されちゃって、おれは嫌だったんだよ」というように言われて、水をかけられたというような問題だと思うのです。図書館の職員はひたすらいいことをしてきたつもりが、戸惑ったり、動揺している。そのことの問題はあるだろう。初期には、もっとストレートな、悪口的な言い方もあったと思う。貸出しの数を上げるために、売れる本をバッと集めているのだというようなニュアンスがいろいろありました。恐らく、貸出しの冊数を上げて、去年よりも今年は何万冊増加させましたということを役所なりに誇ったりするために複本を入れているところは、今は私はないのではないかなと思う。どちらかというと、これだけリクエストがたまったから、何か月も利用者を待たせてはいけない、待たせるのも限度があるだろうというようなことで、予算の使い方としては迷いもありながら複本を継ぎ足しているのが実態ではないかなと思うのです。ただそれにしても、それは利用者に対してのサービスとしていいことをしているのだという発想に対して水をかけられた。しかも予想もしていなかったサイドから水をかけられたようなことだった。その傷は図書館員には大きいと思うのです。
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ただ、そこで改めてどう振る舞うかというところでは、結構いろいろなことがあります。今日は静岡県に来ているわけですが、私は一つの見識ある振舞いだなと思ったのが、富士市の西図書館の「図書館だより」です。山本宣親さんという館長がいて『図書館づくり奮戦記』という素晴らしい手記も1997年には出されています。町田についてのNHK報道の直後の図書館報でこんなことを書いているのです。『西館発、短信』で、12月10日号ですけれども、「遠慮せずに予約をしてください。図書館を成長させる力となります。当館利用者の1人が、わたしたちが予約をするから問題が生じるようで、これからは予約を控えたほうがよさそうだなという気になりましたと、遠慮がちに言いました」という、市民に対しての返事という形で書いている図書館だよりです。山本さんは書いています。「紙面の制約上、詳しく述べることはできませんが、図書館は基本的に著作権者や書店などと対立するものではなく、互いにそれぞれの立場から出版文化を守り、発展させるものであると、わたしは考えています。確かに、時には予約が集中する本もありますが、予算の関係もあり、それほど複本をそろえることができない状況です。しかし、市民が読みたいという熱い気持ちのうちになるべく用意したいという思いもあり、期限を守っていただくことや、延滞に電話による督促などするなどして、回転を早める取り組みもしています。それに応えなければなりません。前述のようなまれな現象のみにとらわれず、図書館利用が増大している全体のことをよしとして、遠慮なく予約をされ、図書館をおおいにご利用ください。それが図書館を成長させる力にもなるのです」と。
これは、NHK報道を見て、思うままに予約を出していることがどこかで図書館に迷惑をかけていることになるのかなと思った利用者がいたという、それに対してのコメントです。実際、そのような市民の方がおられて対話したのでしょうけれども、シミュレーションとして、そのような利用者がカウンターなり電話口にいると想像して、一つの仮説として考えてもいいような話だと思うのです。リクエストをするのは出版されたどの本でもいいのだし、それが特定の本に重なっているとか、それを複本にするかしないかというもろもろは、全部図書館の内側の問題ですから、遠慮なくこれからも予約をしてください、何でもしてくださいというのは、なかなか勇気ある、これまでの路線を再確認した「図書館だより」だと思うのです。すごいなと思いました。私自身はちょっと、そこまではできないなという感じは正直するのです。
繰り返しますが、補償の問題はいずれ大局の中で決着していくでしょう。私が追求したいのは、基本的に、先ほど二項対立ではないと言いましたけれども、専門書もベストセラーも、レファレンスも貸出しもという図書館です。敏感なサービスの発想も大事だと思います。図書館は利用者でにぎわい、まだ不十分なところ、至らないところは多々あるだろうけれども、職員は利用者本位・サービス本位で動き回っているだろうと思います。ただ、今日は選書論をやれということですから、選書をめぐるあれこれというところから考えた場合、図書館の基盤はどうなのかということです。少し広い視野で見て、蔵書構成はやばいとか、日本の出版状況はやばいとか、図書館は大丈夫なのだろうかという感じを、私は抱いています。そのことを話そうと思います。
ここ30年、20年くらいの間でも、本や読書をめぐる状況はだいぶ変わってきたなという実感があります。そのところでいくつかのポイントから光を当ててみたいと思うのです。「選書の場から気にかかる出版状況」と題しましたけど、最初に出版の問題をやりたいと思います。図書館の基盤であり素材の問題です。出版界の動向として、7年越しの売り上げ前年割れという、長期不況と言われています。その中での新刊のラッシュです。極端に言えば、とにかく点数を出すことで倒産を先延ばしするような自転車操業をしているというように聞いています。改めてデータをあげて見ると、このようになるわけです。1971年が2万6,595点、平均単価1,197円。1981年が2万9,362点で平均単価2,754円。それが1991年に、急にガタンと変わっていくわけです。1991年に4万2,345点、2,911円。つまり、平均単価は81年と91年で、160円も違わないのですが、出版点数が、2万9,000点から4万2,000点に増えるわけです。それから曲線が変わります。1996年が6万462点。2000年が6万5,065点です。確か2002年からは年間発行点数は7万点を超したのだと思います。つまり平均単価は3,000円台を超えることはないけれども、81年から比べますとこの間で2倍半の発行点数に増えていくわけです。
一方で、発行される新刊書の中身は、これから基本図書となるだろうな、というような新刊が少ないと思います。普段の仕事の実感に照らして聞いていただければいいなと思うのですけれども、例えば今は、新書ブームです。一方で既刊本が在庫切れで補充できない。図書館的な発想で考えますと、大百科事典は定評ある『ニッポニカ』がもう6、7年前に品切れになっています。世界文学全集は、山本容子が天にカラーの絵を描いていた、割合分厚いが小型の企画が集英社から15年くらい前に出て終わってしまいました。日本近代文学全集などというものはさらさら出ないですし、多巻ものの日本通史は講談社でしたか、1巻目の縄文時代でミソがついたものが久しぶりに数年前に出ましたが、世界通史などという企画があったのははるかに昔です。
日本の名著、世界の名著なども、ペーパーバックの再版さえもずっと前に終わってしまいました。岩波や新潮社、小学館のなどの注釈つきの日本古典文学全集はありますけれども、読みやすい現代語訳で通して読めるタイプの日本古典文学全集の出版はもう二十年も前です。私は現代語訳の日本古典文学のようなものを、公共図書館には基本に置きたいなと思っているのですが、私たちの図書館でもボロボロでも買い換えられません。自然科学の事典も品切ればかりです。ですから今頃新しく建ちあがる図書館では、棚作りは古書に頼らなければ基本図書は入らなくなっています。例えば逆に、うちは30年もたつ図書館ですけれども、いろいろな本が、要するに基本的な全集やシリーズものが傷んで歯抜けになるわけです。それを補充できないわけです。インターネット古書店なりから少しずつ買えるものを補充してというようなメンテナンスになるわけです。
新刊ラッシュは、面白い企画が混ざることはありますが、細かい本は出るけれど概説書が出ないなあ、という印象です。在庫も一見膨大のようでいて、基本図書、定説、各論、異論というような曼荼羅になっていない。最近の新書はバランスある概説書としての新書というよりは、ある断片のところの異説を提示するタイプが多いと思うのです。出版社の方からは、概説書を書いても学界では評価されないから、というようなことを聞きました。ベースとなる基礎教養書、バランスのある啓蒙書や入門書が少ない。出た単行本は数年後にはすぐ文庫にはなって、ソフトを使い回すけれども、長期戦略や余裕がないのかという感じです。
これは文句を言っているわけではなくて、図書館はそれを結局反映してしまうという問題なわけですけれども、今や、中小書店はコンビニエンスストアのようです。暮らしの細部の快適性のための実用書や俗流心理読み物などの短小な雑貨的な出版が目立ち、それがよく売れています。先ほどの富士市西図書館の山本さんほど私はすっきり、利用者を信じて図書館はそれを支えて……、とだけにはならないのは、利用者からのリクエストも、敷居の低くなった何割かは、コンビニエンスな新刊という面もないわけではない。
ただ状況は悪い側面ばかりでもなくて、例えば東京周辺の図書館にいて思っているのですけど、昔から、江戸東京の郷土史本やレトロな下町を歩きましょうというような街歩きガイドがたくさん出ます。けれど自分の図書館に中心的に置きたい多摩地域の郷土史や多摩散歩などというのは、気をつけて探していないと出版されなかったのです。そのような意味では、昔に比べてローカルな出版物ははるかに出やすくなっている気はするのです。今は全国そうではないかなと思う。それは図書館にとって悪いことではないでしょう。
全国の出版社の大半が東京にあって、東京中央の発想や需要でいろいろなものが出版され、それをステレオタイプに受け入れるのを前提に、ほんの少しのプラスアルファを考えるしかなかったのがこれまでの地方の図書館の条件だったとすれば、地方出版物も昔の重厚長大な地方誌ものばかりではなくて、様々なローカル出版物が出しやすくなっているのではないかなと思うのです。それは、図書館の蔵書作りにとって、とてもいいことではないかなと思う。そのような面はあるし、それから出版のハードルが低くなったのは、マイナーな言論も出しやすくなることではあるわけです。だからそれは、全然悪いことではないということはある。ただ、大局的に、図書館の基本蔵書をつくり、蔵書構成をつくり、それで一種の蔵書による知の体系や棚作りのピラミッドを作っていくというようなことに関しては、なかなか全体状況は暗いなという感じが、私はします。
次が、利用者の動向です。図書館はにぎわっている。しかし感じで言うと、リクエストが新刊のある本だけに非常に極端に集中してくるというふうになってきたのは、やはりここ10年を割っている気はするのです。特定の作品だけが本当に面白いんだという場合もあるかもしれないけれども、やはりマスコミの影響をもろに受けて、とにかく読書や本選びの同調行動を誘って、というような側面もないわけではないだろう。以前はこんな極端ではなかったから、2冊、3冊目の複本を買うにしても、全体としては棚の動きがもう少しばらけていた気がします。各人のマイペースな多様な読書、あるいは図書館に以前から入っているかってのベストセラー、基本図書の利用、それから難しめの図書の請求というのが、あまり伸びているようには思えないのです。そこは先ほどの実態調査ではないですけれども、もう少し丁寧に検証しなければいけないでしょう。図書館側の頭でっかちとか勝手な思い込みだと言われればそれまでだけれども、図書館で選書をしたり蔵書構成を作ったり、ポリシーを持って棚をメンテナンスしても、それとはまるで無関係なところで、もう少し細部の気休め心理学のようなものがいくらでも読まれリクエストされていて、そのような意味では利用者との関係が、ある一種の共有している枠のようなもの、共有した型のようなものを、同じものを土俵にしているとは言えなくなってしまっているところがあります。もちろんいろんな利用者がいます。人生経験の豊かな、年配のいろいろな面白い方もくる。無料で利用できるだけ、出版不況をもろにかぶる書店や出版社より図書館の方が、まだ面白いのかもしれません。
公共図書館は学術書をそのまま置く図書館だというようには全然思ってはいませんし、公共図書館向けの良書・適書というのもあると思います。何か普通の生活者の中に知識・文化が入っていく、生活を豊かにし世界を手に入れていく過程というようなことで、やはり一定の型というか、枠というか、教養的な知の共通土壌のようなものがないと動けないのが壊れていて、そこが共有できていない。こちら側の問題かもしれないけれども、利用者とそこのずれは生じていて、そのような意味での大衆読者、大衆利用者の現在の動向の問題はあるだろう。選書の問題としては、なかなか難しい問題です。それは先ほどの、出版の不振の問題と一部は地続きだと思うのです。
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もう一つが予算の問題です。長期不況でどこも資料費の減少が定着してしまっています。多様性のある収集とか、既刊書にも目を向け補充していく、要するに前から入っている本を買い換えていく。棚をメンテナンスしていく、それこそ、『バリ島』がサントリー学芸賞とったな、この値段なら買えるかなというように振り返っていく。そのようなことがやれるような金銭的なゆとりが持ちにくくなっています。お金の使い方の幅が、どんどん狭くならざるを得ない。以前は、よく貸出される本とのずれとか、普段来られる利用者とのずれというようなことがあったりしながらも、予算のふくらみの中で、職員としてはいろいろ選書や棚作りに想いを持って、という余地があり得た。それが持てなくなっていることがあると思います。一方で、図書館のサービスネットワークはどんどん構築されている。リクエストがあっても、直近の新刊でなければ、図書館のネットワークで何らかの形で借用することができることにもなる。要求へのその場限りの対応の逃げ道が、新刊書でなければいくらでもあるというようなことが、地域にもよるでしょうが、東京などでは生じてしまっています。本当にお金がなくなると、ネットワークで借りられない直近の新刊の、必ずしも内容・評価を伴わない手当てだけが「選書」ということになってしまう。
それからあともう一つ、選書眼といいますか、図書を評価することそのもの、その独自の領域といいますか、予算も素材の本も少ないのですけれども、それ自身が持てなくなりつつあります。公共図書館は利用者にサービスする施設です。そのことを大事に、充実を図ってきました。利用者にサービスをし、その接遇に手ごたえを、喜びを見出している図書館員は多いです。若い職員、むしろどちらかというと接遇のところで喜ばれることに喜びを見出して、その手ごたえが楽しくてという職員は多いです。だからこそ、先ほど言ったように、作家からバッシングされるというのは非常にめげるだろうなとも思うのです。そのような若い同僚は多いですけれども、そうではなくて、自分で「本を選ぶ」ことそのものに対してのこだわりのようなことが、何か自分の中の一つの野心として、夢として選書するというようなことが、あまり感じられない。そのようなタイプの図書館員が見えにくいというような現状はあると思います。会場にいらっしゃる方には「『選書する私』をめぐって」という、「みんなの図書館」の今年の2月号に書いた選書エッセーのコピーをお配りしました。結局は、よい読者であり続けろ、という資質と努力が選書の基本だと思います。
「本が読める」とか、「本が選べる」というのは、簡単に研修できるようなことではありません。接遇の、サービスとしての図書館の喜びというのは共有できるのだけれども、選書をすることの野心というか、夢や展望というのはなかなか共有もできず、議論もされにくいということはあるかと思います。今日は時間もなく丁寧に話せませんが、そもそも公共図書館をどのような野心でやっているのだ。つまり、どんな本を図書館に入れ、どんな本を生活している地域の人たちに手渡しながら、どんな知識や文化をこの地域で保障しようとしているか、というような、一種のオルガナイザーとしての夢や野望みたいな問題も背景にはあるのだと思うのです。
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だけれども、最初の話に戻れば、図書費の減少も大問題ですけれど、とにかく長い目で入れたいソフトがない。一生懸命入れたい新刊のソフトがあまりなくて、公共図書館は「選書」的には、古本屋さんのネタでしか勝負ができないというような事態が招来しつつあるのではないかという危惧が、私にはあります。
話がうまくつながったか不安ですが、これで終わらせてもらいます。