2008-09-18
行政サービス≠図書館サービス
行政サービスは、基本的には地域のライフラインに関わることや、福祉・医療・教育などを、漏れなく安定供給することに主眼を置いている。
普段そういう意識で仕事をしている行政職員が、公共図書館サービスを考えると、地域のすべての人に対して平等に、という点を特に重視する傾向がどうしても強くなる。
公共図書館が国民の知る権利を保障する装置である以上、それは当然必要な感覚なのだが、具体的な図書館サービスを他の行政サービスと同じ感覚で進めようとすると、おかしな話になってくる。
行政サービスの目線で公共図書館の課題を考えると、今ならば自治体内の広域サービスの実現や、住民参加による図書館運営へのシフトなどが、比較的重要視されやすい。
もちろんそれらは必要なことだが、それが現在の図書館サービスの中心的な課題かというと、どうも的外れのような気がする。
そもそも行政サービスと図書館サービスとでは、平等という言葉の意味するところが違っている。
図書館サービスは、利用する権利は平等であっても、結果として全員が均等に利用することを目指しているわけではない。
図書館機能を利用したいという人に対し、どれだけ質の高いサービスが提供できるかが、あくまで中心的な課題だ。
一般に、間口の広い行政サービス的な姿勢に慣れた人ほど、図書館サービスに量を求める考え方が強く、質を問う姿勢が不足する傾向が強いように感じる。
だが、図書館サービスは広く浅いサービスを目指すのではなく、狭く深いサービスに進化していくものだと明言しなければ、毎年人も予算も減るのだから、どんどん薄味なサービスになってしまう。
例えば極端な例えだが、1つの中央館と3つの分館を2人で運営したとする。
各館半日ずつ開館させることもできるかもしれないが、それでは選書もレファレンスも直接的な利用者サービスも広報も、全部が中途半端になる。
それならば、レファレンス能力を始めとした情報サービス機能を維持・向上させるために、分館3館を閉鎖し総力を中央館に集中させつつ、郵送貸出の予算を確保する方が良いかもしれない。
広域サービスのためには3つの分館が必要だという量的な側面ばかり見ていると、4館すべての質が下がり続けてしまう。
ここまで言ってしまうと極端だが、大なり小なり似たような実例はいくらでもある。
資料購入の予算を大幅にカットして、市民の寄贈で賄うという方針の自治体も現れたが、7/14の朝日新聞には、たくさん本が集まったのは良いが、汚れや傷みが目立つ本や、内容の古い専門書や事典などが多く、最終的に本の廃棄を代行しているような公共図書館が増えているという記事が掲載されていた。
これは質を問う視点が欠けていた結果、サービスに直結しない無駄な仕事が増えた上に、余計なコストがかかってしまった事例といえるだろう。
潤沢に予算がある間は顕在化しなかったのだろうが、真冬に丈の短い毛布を被っているような規模に見合わない予算になってくると、どこをどう切ったり、どう薄めたりすれば良いのかという判断が必要になる。
そこで必要なのは、行政的なバランス感覚ではなく、思い切った戦略の転換だろう。
だから、長期的に図書館の質を問い続けられる人材に舵を預けた方がいい。
そうでないと、図書館の寿命が縮んでしまってもおかしくはないと思う。