スタジオ・ポット
ポットのサイト内を検索 [検索方法]
| ▲篠田博之のコーナーtop | 松沢さんとの件について4 | 松沢呉一さんの攻撃について | 松沢呉一さんとの件について●2 |
| 松沢呉一さんとの件について●1 |
松沢呉一さんとの件について●2 [2000年07月14日]
松沢呉一さんとの
件について●2

松沢呉一さんとの件について

2000年7月14日 
月刊『創』編集長・篠田博之 

松沢さんの「黒子の部屋」というコーナーで事実に反する攻撃がなされており、あまりひどいので、事実関係の説明をしたいと思います。松沢さん本人に前回送った5月4日付文書でもいろいろ指摘したのですが、無視されたままなようで、やむなく今回はこのHP上に別にコーナーを設けてもらい公開文書にすることにしました。「黒子の部屋」の内容は既に批判とか言論とかいう範囲を越えており、今回の当方の対応を含めてどう対応すべきか思い悩むところはあるのですが、それについては末尾に述べます。
 まず松沢さんが公開している前回の申し出への回答をなぜ当面保留したかについて書いておきます。
 第1に、前回5月4日付で送った文書を始め、私が伝えた説明がひどくアンフェアな扱いを受けているからです。発言の一部が前後の文脈から切り離されて、攻撃するための材料としてのみ断片的に引用されています。松沢さんが納得しない事柄については何を説明しても無視、何度も非を認めて詫びているのに「全く非を認めようともせず」などと書かれるし、事実と違う思い込みによる事柄が断定調で書かれる、そうした感情的な文章の中にカギカッコでちりばめるためにのみ当方から送った文書が使われています。改めて文書を送れ、という要求が届いたわけですが、相手を非難するためにその材料を使うという意図が明らかです。
 第2に、この問題、当然ながら「創」編集部全体で対応を協議してきたのですが、5月4日付文書を送った後の対応を見て、松沢さんが感情的になっていて説明しても伝わらない現状では対応そのものを見合わせた方がよいという意見が大勢を占めたからです。ついでにいえば同業の知り合いや弁護士からも同様のアドバイスを受けました。私個人としては、編集者として説明義務は負っていると考えていますから、説明はせざるをえないと思っています。ただ基本的説明は既に行っており(松沢さんが納得していないわけですが)、繰り返しになるので回答まで少し時間をおこうと考えたわけです。
 松沢さんにこれまで伝えてきた当方の基本的立場を念のため説明しておきます。もともとこの対立は、昨年、松沢さんから電話があった時にたまたま近くにいた私が出て、連載についての感想を述べたことから始まったものです。少し目先を変えてみてはどうかという提案だったのですが、実はその前に松沢さんから、次回はインタビューものでいくという変更案が担当者に伝えられており、それが編集長である私に伝わっていなかっただけのことだったのです。私はそれを知らずに全く余計なことを言ってしまったわけで、しかもその発言を不審に思った松沢さんに私があれこれと説明したのが、説明が悪かったために、話が余計こじれてしまいました。松沢さんから事前に伝えられていたメッセージがその電話の直後にでも私に伝えられれば、あれは誤解に基づく発言だったとすぐに本人にお詫びし、恐らくそれですんだのでしょうが、それがわかったのがだいぶたってからで、話がこじれにこじれてしまったわけです。        
 ですから、このトラブルの全体を通じて至らないのは私どもの方だし、それが現在のように松沢さんを怒らせてしまったことも含めて、当方の責任だと思っています。書き手が気持ちよく仕事ができる環境を作るというのが編集者の役目ですから、その点で非がこちらにあることは明らかです。
 それでは何をいまだに対立しているのかというと、ひとつには松沢さんに言わせると、私が「売買春について考える」という連載テーマそのものを否定したのだというのですが、私はそうではない、それは誤解だと主張している、そのことです。これは全く平行線をたどっているわけです。私に言わせると、「売買春について考える」というテーマをずっと積極的に扱ってきた『創』が、ある日突然そのテーマ自体を否定したと考えること自体が不自然で、そうとられたのは誤解です、と申し上げています。松沢さんはいや確かにそう言った、あるいはそうとらざるをえない言い方をしたのは確かだから、過去の発言を全部さかのぼって問題にする、と言っているわけです。これについては5月4日の文書で詳しく説明しているので、念のため原文通りアップしてもらうことにします。
 もうひとつは、双方がぎくしゃくするようになってから連載終了に至る手続きについてで、このところ松沢さんがもっぱら問題にしているのはこちらなのですが、そもそも双方の意思疎通がうまく機能しなくなってからのことなので、ことごとく認識のずれが生じているわけです。
 例えば、先頃雑誌の送付をやめたことも、松沢さんは姑息だと激しく罵っているのですが、これもそんな悪意あってのことではなく、以前松沢さん本人が、5月号が送られてきたけど読むのも不愉快で放っておいた、と書いていたので、送付をやめたわけです。つまりこちらからすると、もう送らないでくれ、と言われたと解釈したという、単純にそういうことなのです。雑誌を送るかどうかで嫌がらせをするとか、そんな子供じみたことをいちいちやる暇はありません。当方にすれば、雑誌を送っては非難され、送らないとまたそれで攻撃されるというわけで、要するに何をやっても悪くとられるという現実なわけです。
 それから、これもアンフェアだと思うのですが、松沢さんは5月号で掲載予定の写真を「外された」と書いていますが、そもそも掲載するという約束がなされていたわけではありません。松沢さんが非難しているので改めて担当者に確認したところ、確かに写真は送ってきたけれど、その件で松沢さんと話もしていないし、掲載を約束したこともない、とのことでした。そもそも本文中の写真をどうするかは通常編集部で判断する領域ですし、実際にその前の号だって松沢さんの写真を使ったわけでなく、何をどうするか編集部で決めているわけです。
 もちろん松沢さんとすれば掲載してほしいという意味で送ってきたわけですから、それを採用しなかったのがけしからんという言い方もできます。それについてはお詫びするしかありません。ただ、掲載を約束した後でそれを一方的に反古にした場合と、送られてきたが掲載しなかった場合とでは、天と地ほどの違いがあります。送った写真が掲載されなかったケースを普通は「写真を外された」とは言わないでしょう。それが松沢さんの文書では「外された」と表現されるわけで、これは意図的なものだと思わざるをえません(誤解でなく曲解と書いたのは例えばこういうケースです)。
 松沢さんの文書には事実とかけ離れた思い込みが、あたかも事実であるかのように書かれている部分が他にもいろいろあります。例えば「『投稿を掲載しなくても誰もあんなクズライターの言うことなんて聞きはしない』という判断があったわけで」とか書いているんですが、知らずに読んだ人は私が松沢さんのことをクズライターと言ってるかに思い込んでしまうでしょう。実際はそんなことを言ったことも、考えたこともないのですが、こういう思い込みによる記述が、カギカッコ付きで、しかも断定調で書かれています。しかも、事実とかけ離れたそういう断定を行った後で、それをうけて「こういう人をバカにしくさった態度がまた篠田氏特有です」とコメントしてみせるわけです。つまり事実無根の「篠田氏の態度」なるものを捏造した上で、「こういう人をバカにしくさった態度が…」と、それについて解説するという手法なのです。
 ついでに書いておくと、思い込みで書いているのは『創』に関する部分だけではないようで、『噂の真相』が篠田の悪口を掲載するために松沢さんにインタビューを申し出た、という話が出てくるんですが、当事者に確認したら全然違ってました。どうも『噂の真相』と『創』の関係についても誤解があるようで、もし松沢さんの認識が正しければ、どうして『創』8月号に岡留さんが登場しているんでしょうか。
 まあそんなことよりも大事なのは、『創』3月号で松沢さんの原稿の一部を編集部が勝手に削除したという話です。これも松沢さんには説明してあるのですが、全く無視されているので改めて説明します。
 松沢さんが「篠田は売買春というテーマを否定した」と言い、私が「そんなことはない」と言うという対立が昨年来続いてきたことは前述しましたが、何度説明しても誤解がとけないので、私も半ばあきらめつつありました。ところがこの3月号で、松沢さんがその話を原稿の中で持ち出したのです。そこで私はそんなことを言ってませんから、この記述は掲載できません、と松沢さんに申し出ました。それをそのまま『創』に載せるというのは、今まで「そんなこと言ってません」と否定してきたものを180度ひっくり返すことになるからです。『創』に掲載するというのは、当然編集部がその事実関係について認めたことになるわけです。
 誤解なきように言っておきますが、それが事実に即したものであれば、編集部批判を誌面でやられた場合でも、それを載せないというほど『創』は狭量ではありません。この場合、それは事実と違うと説明しているのに、掲載を求められた、そういうケースで、しかも編集方針に関わることですから編集部は当事者なわけです。
 編集部として選択肢は3つありました。ひとつは、そのまま掲載したうえで編集部としてこの記述には同意できないというコメントをつける、2つめはその部分の削除、そして3つめは原稿そのものの掲載をお断わりすること。この3つです。実際に選択したのは2番目ですが、当該部分を削除することで文脈に変更が出る場合は、1番目の方法をとったでしょう。
 具体的にどんな表現が問題になったかは松沢さんが書いてましたが、「込み入った議論をやると、またまた編集長に何言われるかわからないため」というフレーズで、いわばもののついでに嫌味を言ったものでした。松沢さんは時々この手法を使っていて、以前も全然関係ない話の中に突然、対立しているらしいライターへの悪口が出てきたことが複数回ありました。ただいずれの時も、これは文脈と関係ない話なので削除してもらえないでしょうか、と言うと松沢さんは承知してくれたので、この3月号の時も、事前に申し出た折り、松沢さんはわかってくれるものと思い込んでいたのです。だから連絡がなかったのは了解してもらえたのだろうと勝手に思い込んでしまったのでした。           雑誌が出てからも松沢さんから話はなく、今回、HPで当時長期不在だった事情を含めて問題にされたわけですが、まずどんな理由であれ、編集部の判断で文章を削除するのはよくないことですから、改めてお詫びします。
 ただ松沢さんの書き方は、どういう理由でそういう措置をとったのかという編集部側の説明を全く無視しているんですが、こういう問題を判断する場合、それを抜きにして議論はできないと思います。それでもやはり『創』の措置はまちがっているという批判は甘んじて受けます。ただ削除を求めたこと自体について言えば、もしもう一度同じ場面に遭遇しても、私は削除をお願いすると思います。
 そのことに付随して申し上げれば、松沢さんは、連載終了を伝えたタイミングをあれこれ問題にして嫌がらせだと非難していますが、もう継続は無理だと判断したきっかけのひとつは、この3月号の一件でした。『創』の連載については全体を見なおす(リニューアルして続けるか終了するという意味です)という方針で、昨年末から編集部で全ての連載について検討を行い、松沢さんの連載も終了が検討されていたのですが、正直言うと、その時まで何とかして継続することはできないかと私個人は思い悩んでもいたのです。ただ、3月号の件は、編集部との見方の違いをそれはそれとして認めるのでなく、松沢さんの意見をいわばゴリ押ししてきたわけで、一緒に仕事をしている相手を後ろから切りつけるという行為に見えたのです。
 ですから、リニューアルの原稿を出したとたんに打ち切りを通告したとか松沢さんは書いていますが、そんな悪意で連載終了を決めるなんてことはありません。連載というのは編集部と書き手の二人三脚で、もし意見の違いがあってもそれはそれとして認めるといった一定のルールが必要です。その関係が壊れてしまったら連載を続けるのは不可能だと考えざるをえなくなるのです。前述したように、もともと私どもの至らなさからトラブルになったわけですから、むしろそんなやりとりの時期に連載を終了させるとしこりを残すのではという心配もあったし、いろいろ考えたうえでの結論でした。
 以上のような話を、しかしこの間松沢さんは全て居直りだ弁明だと言って攻撃してきていますから、正直、書いていて虚しい思いです。5月号の最終回で「手続き的なことで(つまり削除の件ですが)迷惑をかけたこと、申し訳なく思っています」と謝罪文を掲載したことについても、写真を外して勝手なことをしやがってと罵っていますが、原稿の一部を削除したという大きな問題について、具体的にどの表現をどういう理由で処置したのか表明するのは編集部の義務です(そんなことは編集後記でやれ、という非難は確かにそうだったかもしれないと思いましたが)。何かを謝罪訂正する場合、テレビがよくやるように「番組の一部に不適切な表現がありましたことをお詫びします」という何がどう不適切なのか見ている側にさっぱりわからないというやり方ではごまかしだと思っています。
 松沢さんは、今まで言ってたことを全面撤回して全面謝罪しろと書いてますが、これは要するに、『創』が謝るだけでなく、「ただこの部分は事実と違います」と指摘することが許せないと言うわけなんでしょう。しかし、あれだけ事実と違うことを書かれて、それも全部認めろというのは無理難題というものです。
 前回、幾つか提案をいただきましたが、以前発した文書データを送れという要求については、5月4日の文書を送りました。それ以前のはどこに保存されているか探さないとわからないし、それをやることにどれほどの意味があるのかという思いもしますので、みつかった段階で対応することにします。『創』への投稿については、松沢さんがこのHPに書いているのを読んで趣旨は理解しました。反論する場合のルールまで書いていたので、誌面で延々論争させろという要求かと思っていたのですが、そうではなかったようなのでこれも考えてみます。ただ投稿自体の中で「掲載する予定だった写真を無断で外し」とか事実誤認が出てきますので、あのままでは難しいと思います。
 率直に申し上げて、この間の「黒子の部屋」の記述は、かなりの部分が名誉毀損に該当します(刑法にある名誉毀損の免責条項、公共性・公益性・真実性を3つとも欠いています)。ただ、これまでの経緯やいろいろな事情を考えて、今回は新たな場を設けて、説明を行うことにしました。弁明だ居直りだと無視された前回の5月4日の文書は松沢さんに宛てて書いたものですが、今回は公開を前提にした文書で、文体その他が違っているのはそのためであることを了解下さい。

真実・篠田博之の部屋topへもどる page top

ポット出版図書館での出来事・考え事ず・ぼん全文記事レズビアン&ゲイブックガイド2002
石田豊が使い倒すARENAメール術・補遺ちんまん単語DBデジタル時代の出版メディア・考
書店員・高倉美恵パレード写真「伝説のオカマ」は差別か黒子の部屋
真実・篠田博之の部屋篠田博之のコーナー風俗嬢意識調査ゲル自慢S-MAP
ポットの気文ポットの日誌バリアフリーな芝居と映画MOJもじくみ仮名

▲home▲


このサイトはどなたでも自由にリンクしていただいてかまいません。
このサイトに掲載されている文章・写真・イラストの著作権は、それぞれの著作者にあります。
ポットメンバーのもの、上記以外のものの著作権は株式会社スタジオ・ポットにあります。
お問い合せ→top@pot.co.jp/本の注文→books@pot.co.jp

カウンター入る