2008-09-02
お部屋1637/「草の根」を推薦した岡留安則
この一週間はさんざんでした。
前回書いたトラブルは水曜日には解決。この間、全然仕事が捗らず。やっと仕事に復帰したと思ったら、今度はパソコンの調子が悪く、すぐにフリーズしてしまいます。
先週末から取材旅行に出ているはずだったのですが、それまでに片付ける仕事はちいとも進まず、旅行は延期です。
金曜日には完全にパソコンがダウンしてしまい、8年ぶりに買い替えました。中身は無事救出できたのですが、今度はネットに接続できず。
原因はわかったのですが、私の手には負えないため、昨日、ポット出版の日高君に助けてもらいました。実は簡単な作業だったのですが、どのみち、我が家ではどうにもできないことでした。
先週、大阪では私も何度か取材したことのあるSMクラブ「夢楽園」に警察が入りました。
「夢楽園」は許可店のはずです。無許可であれば、小学校が近くにあろうとなかろうと容易に立件できますから、報道からも単なる無許可店の摘発ではないことが読み取れます。女王様たちも「小学校があるのを知っていたのか否か」を警察で聞かれている様子なので、なんか裏がありそうです。
これ以外にも、大阪では今までにないパターンで摘発された店があるようで、さらにいっそう風俗店潰しが激化しそうです。六本木方面では飲み屋に対する締め付けが厳しくなっているらしいですしね。
私はもう風俗ライターではないので、そっち方面は現役の方々にお任せするとして(どこに任せられるライターがいるんだって話もあるわけですが)、次から次とトラブルが頻発しており、もちろん、すべては敵陣営が送ってくる電磁波のせいです。って全部人のせいにしていられる人たちは羨ましいです。
緊張の糸がブツブツに切れてしまって、新たに何か書く気がしないので、予定通りのものを今日は出しておきます。
「マツワル」で配信していた「東村山セクハラ捏造事件」シリーズで、「黒子の部屋」に転載していないものが多数ありまして、その中で、転載しておいた方がいいと思われるものがいくつか残ってます。
今回転載するのは、昨年9月に配信した「東村山セクハラ捏造事件」の24回です。読み返したら、この段階で「平気でウソをつく」という表現を私もしてました。
以前も書きましたが、選挙の際に「草の根」を推薦した著名人たちがいます。中山千夏だったり、矢崎泰久だったり、永六輔だったり。朝木明代の時代に、今の「草の根」を予想することは無理でしょうから、そのことを非難するのは酷かとは思います。
しかし、現にその始まりを作りだした以上、「当時推薦したのは間違いだった」、あるいは「当時推薦したのはやむを得なかった。しかし、今は支持できない」と表明すべきであり、それをやらない限り、責任は果たせないでしょう。
まして、朝木明代が亡くなって以降、「草の根」を推薦していた人の責任はいっそう重い。
時間ができたら、これらの選挙公報の図版もすべて公開します。なお、「1630/前代未聞の謝罪広告」は図版を差し替えました。あっちゃこっちゃにガンガン貼り付けていいですよ。
著作権侵害を平気でやらかすヤツらに著作権を主張する資格はないでしょうが、念のため、「いかにひどい扱いで謝罪広告を出したか」についてのコメントを一言加えると完璧です。なにしろ「謝罪広告」の上に矢印までつけて「茶番判決」ですからね。
なお、冒頭に出てくる「印刷代金踏み倒し事件」は当初「黒子の部屋」に出し、その後、「エアフォース」に転載されており、そちらをリンクしておきました。
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宇留嶋さんが書いていた「印刷代金踏み倒し事件」は平成9年(1997)都議会議員選のポスターにまつわるものです。
こちらがその結果。供託金は没収されなくて済んだのですね。
(略)
その前年の平成8年(1996)10月の衆議院選で、朝木直子は東京第20区(東村山市、東大和市、清瀬市、東久留米市、武蔵村山市)から立候補してます。
その1年前の平成7年(1995)には、自分より矢野の方が適格として議席を譲渡した人物が、親の死を利用して立候補したわけです。市議に不適格な人が、なぜ国政に打って出たのでしょう。
この時の選挙公報も入手したのですが、さすがに今とは写真が違ってます。中身も今とはあちこち違ってます。今年の市議選では、名前の横に【無所属 39才】とあるだけですが、衆院選の際には【無所属革新 市川房枝記念会員 29才】となっています。今以上に市川房枝を利用していたのですね。年間3千円ぽっちで。
プロフィールの学歴は、今は【慶応大卒】ですが、衆院選時の選挙公報では【慶応大哲学科卒】になってます。文学部ってことでしょうが、学部名を「隠蔽」して、学科名を書いているのは、何か意味があるのでしょうか。
この時点では、今よりさらに反創価学会の打ち出しが強い。
推薦文は現在と同じ北野弘久日大教授です。以下、推薦文の全文です。
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母・明代さんは本当にすばらしい方でした。遺志を継いで、長女の直子さんが、母・明代議員の「弔い合戦」に臨みます。消費税の廃止を訴え、日本の民主主義のために真の「政教分離原則」を訴えています。
政教分離原則で重要なことは、宗教団体が組織的に集票活動、選挙運動を行ってはならないという点です。創価学会問題の完全解決なくしては、日本の民主主義の展望はありません。直子さんの成功を祈ります。
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いかに反創価学会で利害を共有するからって、繰り返し推薦文を書いている北野弘久の責任は重大と言わざるを得ません。乙骨正生もそうですが、どうしてこうも相手を選ばないのかな。教祖のことを盲信する信者を見るようです。
また、選挙広報には、こんなコピーも。
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あなたは、完全な政教分離の民主主義の国を選びますか?それとも教祖独裁の新興宗教が支配する国を選びますか?
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そりゃ政教分離の民主主義の国を選びますが、「草の根」は民主主義と関係がありません。体質は独裁者のそれです。「自分の間違いを認めない」「自分がやっていることを他人がやっていると許せない」「平気でウソをつく」などなど。あなたは、「教祖独裁の新興宗教が支配する国を選びますか? それとも北朝鮮を選びますか」って問われてもさ。
それにしても、この選挙公報だけを読むと、朝木直子、また、その母親の明代は、筋金入りの反創価学会、反公明党のようですね。
ところが、これも怪しいのです。生前の明代をよく知る前出の人物は「反創価学会だなんてちゃんちゃらおかしい」と言います。
「あの人は議員になった当初は共産党を批判していて、公明党とは仲がよかったんですよ。特に公明党の諸岡敏之議員と仲がよくて、明代さんに対する懲罰動議が出された時も、公明党だけは反対に回ったことがありました」
反代々木で利害が一致していたらしいのです。さすがに背後にノンセクト系の活動家がいるだけのことはあります。
「ところが、諸岡議員が退いてからは距離があいてしまって、決定的だったのは、議員さんたちの飲み会で、小金井の市議が明代さんに“女のくせに”と発言したことで、彼女はそれを根にもって、以来、反創価学会になるんです。私怨なんですよ」
この辺の事情については、宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』に詳しい。「女のくせに」と発言したのは大賀昭彦小金井市議。酔った席とは言え、こんなことを言う大賀昭彦議員は子どもじみた人ですが、創価学会の体質というより、個人の問題でしょう、おそらく。これで反創価学会になるのだから、朝木明代という人もまたずいぶん子どもっぽい。
ここから始まったものだったにしても、彼らは、ある段階で反創価学会は票になると気づいたのでしょうね。利用できるものはなんでも利用。その意味では、彼らにとっての創価学会は、市川房枝と同じです。
話を戻して、衆院選ですが、朝木直子は1万4千票の得票で、供託金を没収されており、泡沫ぶりを天下に知らしめてます。そりゃ市議になる資格がないことを自ら宣言した人間に国政を任せるわけにはいかないでしょう。そんなことは百も承知だったはずで、にもかかわらず、なぜ彼女はこんな無謀な立候補をしたのでしょうか。
選挙前の1996年2月21日、矢野と朝木は、自民党本部を訪れて、亀井静香に面会してます。この事実を知る時、宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』にあった自民党の影を見ることになります。ここで、あるいは別の場所で、朝木直子出馬についてのなんらかの話し合いがもたれたのではないかと想像しないではいられません。
つまり、彼女が立候補したのは、当選するためではなく、自民党の要望によって反創価学会をキャンぺーンをするためであり、創価学会は人を殺しかねない組織であるとのイメージをばらまくことだったのではないか。
そんな自民党の意向を受けて出馬した疑いがある衆院議員選の選挙広報で、「応援します」と名前を出している人たちの中に、当時、「噂の真相」編集長だった岡留安則の名前が……。
今度会う機会があったら聞いてみますが、事情をよく知らずにどこかから頼まれて安請け合いをしたのでしょう。だとしても、そのことによって、朝木直子を支持する人が出てきたであろうことを考えるなら、それに対する弁明をすべきですし、そのことが間違いだったと言うのであれば、今の朝木直子を批判すべきかと思います。
[...] ベーナスだったのは自民党も同様で、自民党が他殺説を利用したとも考えられ、事実、1996年2月21日、矢野穂積と朝木直子は、自民党本部で亀井静香と面会した事実があります。 [...]