2008-08-29

お部屋1636/「創価学会vs.反創価学会」ではない

ここ数日、大変不快な思いをして過ごしました。仕事でトラブルがあったのです。一昨日、やっと解決(「決裂」というべきか)して、今は爽やかです。と言い切れるほどではないですが。

無駄な時間と労力を費やしたことに対する腹立ちよりも、ライターを20年やっていても、こういう扱いを受けてしまう自分の存在に対する悲しみの方が大きくて、そのことによるダメージで気分が悪くなって、一昨日まで仕事が手につきませんでした。酒を飲む人なら、ゴールデン街をはしごして路上で寝てますわね。

こんなことを書くと、松沢は大先生気分で、「自分の扱いが悪い」と怒ったなどと思われかねないのですが、私はライターとして原稿依頼をしてくれればそれでよいのです。

しかし、今回は、私の名前も出るにせよ、ライターのためのネタ提供みたいなものであります。最初は断ったのですが、ちいとでも金は欲しいし。それでも引き受けた以上、一日以上かけて、そのまま使われるわけではない原稿を4000文字くらい書きましたよ。原稿料ではなく、謝礼ですから、1万円程度でしょう。

ここまではよかったのですが、私の知ったことではない事情により、「もっと書いてくれ」ということになって、さすがに私もキレました。そんな事情、私は説明されてませんから、この先、どこまで無駄な原稿を書き続けなければならないのかもわからないのです。この段階でちゃんと説明してくれればよかったのですが、それもなし。

どんだけ暇だと思われたのかなと。実際、普段は暇ですけど、ここしばらくは珍しく忙しかったのがどちらにとっても不運でした。

これ以降、相手の言ってくることがいちいち神経を逆撫でして、すべてなかったことにしてもらいました。その記事に一切関わりたくなく、ゲラチェックもしたくないです。

編集部から、「謝罪に出向きたい」「ギャラだけは払いたい」といった提案もあったのですが、これも断りました。

私は合意されていた範囲の作業をこなしていたのですから、堂々ギャラはもらってもいいのですが、すでに「すべてなかったことにする」という話でまとまっていたため、金をもらえる根拠がないです。クズライターがそんな金をもらったら、また何を言われるかわからんですし。

それと、私はなんでもかんでもすぐに忘れるので、これもとっとと忘れた方がよく、そんなことをしてもらわない方が互いのためです。

さて、この話、期待権として見た時にはどう考えるべきでしょうか。「あれやこれやの表現規制」で取りあげる予定だった期待権については、出す余地がないため、「マツワル」に回してしまいましたが、ここでその問題をいたって簡単に説明します。

もし期待権なんてものが広く認められた場合、期待権の侵害をもとに、ここでは「あっちのミスにより、雑誌に記事がでる期待が裏切られた」として、金を請求することが正当になるかもしれません。当初は1ページ弱という話だったのですが、最後の最後で、3分の1ページの記事だったこともわかりまして、この段階で私の期待権は侵害されているわけです。

現実には、こんな権利は必要がないし、認められるべきではない。

通常は合意の範囲で仕事をこなせば、それでおしまい。それ以上、合意のない要求をされたら、拒否してよい。拒否したところで、合意の範囲での仕事を済ませているのだから、そのギャラを要求するのは当然。そのギャラをもらう以上、私が書いた原稿を使用されるのも当然。

しかし、その記事がでるとの期待が裏切られたことについて、法が保護する必要はありません。どういう扱いで出すか、あるいは出すか出さないかは編集部の権利に属する事柄です。

6月13日に、NHKの番組に関して、VAWW-NETジャパンが提訴した裁判の最高裁判決が出ました。期待権という言葉は使用してないですが、期待権の要件を明確にし、その要件を満たしていないとして、VAWW-NET側の主張を退けました。

VAWW-NETの主張が認められなかったことはいいとして、また、今回のトラブルもとうてい要件を満たしていないということになるのはいいとして、そもそも期待権なんてものは法で保護するようなものではなく、裁判官の一人が少数意見として「報道の自由の制約につながるもので、期待と信頼が法的保護に値すると認める余地はない」と述べたことに私は賛成です。

つまり、合意された範囲でやった作業に対する報酬を求めたり、相手のミスや失礼な行為を公然と批判することまでは法が守るべきとして、期待していた通りにメディアが扱ってくれなかったことまで法が介入する必要はない。

今回で言えば、1万円程度の謝礼をもらうことまでしか法は保護しなくてよい。現実には、私は合意されている範囲においても、「なかったことにして欲しい」と要求したのですから、報酬はもらえなくて当然なわけです。気が弱いだけでなく、法的に言っても、これが正しい選択だったと思われます(ここは過程が微妙ではあるのですが)。

この裁判の前にVAWW-NETが出した文書を見た段階から私はこの団体の主張を批判していました。なのに、これに賛同するメディア関係者が多数いて愕然としましたよ。自分らの表現が制限されるかもしれない可能性について、なんで考えないんだ?

つまりはVAWW-NETの活動に賛同できるということから、この裁判までを支持するという短絡的な発想なのだと思われます。信用できないです、こういう人たち。思想信条で正しいか正しくないかを判断する。思想信条を共有する人たちのやることは間違っていても支持する。

これは「靖国 YASUKUNI」についてもまったく同じ。そこに込められている思想信条を問わずして、ここに登場する人の期待権は認められないと私は判断しましたが、「反日だから」として、その期待権を認めてしまう人たちがいる。これをやったら、VAWW-NETの主張も認めるしかなくなりますし、同類の人たちにしかならなくなる。

つまり、右も左も、こういう思考しかできない人たちがいっぱいいるのです。どうだっていいです、そんな枠組みは。私は自分自身、右でも左でもなく、「正しいか、間違っているか」でしか判断しないように心懸けていて、どんな思想信条をもっていようとも、そういう人たちはくだらないとしか思えません。

その点、朝木明代の転落死については、非常に好ましい展開があちこちで見られます。せと弘幸が思想信条を越えて、「草の根」を支持すること自体を取り出せば、「好ましい」と私は思ってます。「反創価学会」という思想信条でつながったに過ぎないのですから、枠組みが変わっただけで、実は一緒なんですけどね。

せと弘幸に対抗しているのもどちらかと言えば右派に属する人たちが多くて、これも好ましい。思想信条に左右されず、「他殺か自殺か」を冷静に見極めようとしている人たちです。

その中には創価学会を批判する人たちも多数います。あちらが「創価工作員」だのとレッテル貼りをやればやるほど、第三者が見た時に、彼らの発言が信用できなくなるくらいには、「創価学会を批判する。同時に朝木明代他殺説を批判する」という人たちが意思表示をし始めています。いいカンジですね。

対して、あちら側には「集団ストーカー」の被害を訴えるようなタイプの人たちが着々と集結している。これもいいカンジですね。

つまりは、創価学会をどう評価するのかとはまったく関係がなく、どのような政治的立場をとるのかともまったく関係がなく、「朝木明代は他殺か自殺か」を冷静に判断しようとするグループと、妄想を妄想と見抜けないグループの対立であることが明確になってきています。

かくなる上は、さらに「集団ストーカー」の被害を訴える人たちがあちら側に集結することを望みます。もっとあっち側を積極的にサポートしないと、おまえらの脳にロシアから輸入した新兵器で電磁波を送るぞ。本気にするヤツがいそうだな。いた方が面白いけど。

ここでひとつ気になることがあります。今はともあれ、初期の「草の根」を支持したのは、もっぱら左派、リベラル派に属する人々です。この人たちにしっかり発言をしてもらいたいものです。

思想信条を問題にして「だから左翼は」と言いたいのでなく(それをやったらまた一緒)、個人として、その責任を問いたい。なんであんたらがやったことの尻拭いをワシらにやらせて、自分は沈黙しているのか。

次回、そんな一人をご紹介します。

このエントリへの反応

  1. [...] んなことを書くと、松沢は大先生気分で、「自分の扱…(Quote from : 「お部屋1636/「創価学会vs.反創価学会」ではない」) 組織的嫌がらせ=集団ストーカー報告 シンポジウムの後、今まで [...]

  2. 正直、左翼やリベラルでさえも「草の根」に支持とか連帯しようと考えている人っているんですかね?薄井市議の件の時もそうだったし、それ以前に「国民会議」→「みどりの会議」から小倉昌子氏が市議になった際にも矢鱈扱き下ろしていましたから。

    何と言うのかなぁ・・・・・エコや反体制を主張していたオウムと似ている気がするんですよね。広瀬隆とかも引き合いに出していたから、自分には(今風に言うなら)”工作員”じゃないか?って思ったくらいですし。

  3. [...] 前回書いたトラブルは水曜日には解決。この間、全然仕事が捗らず。やっと仕事に復帰したと思ったら、今度はパソコンの調子が悪く、すぐにフリーズしてしまいます。 [...]

  4. パソコンが壊れてしまい、返事が遅くなって申し訳ない。

    現に市議を今もやっているのですから、投票している人たちがいるわけで、そこは冷静に見極めていく必要があります。

    いったい誰が「草の根」を支持してきたのか、そして今も支持しているのか。これについては今後書いていくので、もうちょっとお待ちください。

  5. 創価学会は宗教ではなく、初代 牧口常三郎の観念である価値論の追求を主とした、営利追求団体である。

     牧口の価値論とはカントの価値体系「真⇒善⇒美」の中から真を取り去り、「利⇒善⇒美」と言う独自の価値体系を編み出し、人心の統括を試みたもにである。

     牧口は人間は利己的なモノであり自己の利益抜きに人間は語れない、犯罪を起こし法廷で 「真実」 を述べる事を好む者はいない、況や人間は利己的で自己中心的であり、「利」の追求が本質である。
      
     即ち、利益の為であれば、「正義は必ず善でなく、道徳も必ずしも美徳ではない」 と言う人間の本質を突いた、営利追求団体である。

     云わば宗教を媒体とした営利追求集団であり、ビートたけしの「教祖誕生」を地で行く非社会的な団体に他ならない。

     付け加えるなら公明党元委員長、矢野殉也氏の最近発行の著書によれば創価学会は「日本制覇計画」を企てるオウム真理教にも匹敵する悪辣極まりない宗教であり、「当時の私は池田大作にマインドコントロールを施されていた」と言う暴露本などからも池田大作はアドルフ、ヒトラーであり公明党と創価学会はヒトラーユーゲントと呼んで過言ではない。

    創価学会誅掃隊

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  6. 自称警察官、実際は創価学会の息がかかった実行部隊によってトイレからひきずりだされて、東村山の市会議員さんが殺される前にされたとおもわれるように、手足を拘束され、みのむしのように巻かれそうになったときは、創価学会の怖さがわかりました。
     とんでもない人たちですね。