2013-06-11
お部屋2513/「ヘイト豚 死ね!」の意味
6月9日ネイキッドロフトで行われた「言論しばき VOL.2」に「行動する保守」の決起集会と同じくらいの方々に集まっていただき、ありがとうございました。アーカイブはこちらで観られます。しばらくは無料です。それ以降は会員になりましょう。
これを観ると、4時間半以上もやっていたのですね。休憩時間にも「しばき隊の意義」についての話をしていたし(野間易通が「公開してよ」と言っていたので、そのうち改めて書くとします}。
当初は映画上映も予定していて、夕方からスタートするつもりだったのですが、権利関係がクリアにならず、中止しました。これをやったあとに4時間半も話を聴いていたら、倒れる人や痔になる人が出たかもしれない。
桜井誠は今回も出演依頼を断ってきました。もったいぶっているだけで、当日いきなり現れるだろうと思っていたのですが、最後まで登場せず。おかしいなあ、思う存分持論を述べて、私らを屈服させる絶好のチャンスだったのに。どこも悪くないのに急に体調が悪くなる奇病に罹っているとも言われているので、また病気が発症したのでしょうか。お大事に。
予定が狂ってしまったわけですが、しょうがないので、第一部では「ヘイトスピーチは、特定個人、特定集団に向けられるだけでなく、社会の平等性、公正さを損なうものであり、表現の自由や民主主義に敵対するものである」ということを野間易通が念入りに説明しました。
よって、「朝鮮人は死ね」という言葉はこの社会に向けられ、また、社会を構成するすべての人に向けられている。対して「ヘイト豚 死ね」は桜井誠やザイトクに向けられた単なる罵倒に過ぎない。これを「どっちもどっち」とするのは、ヘイトスピーチの暴力性を見失い、市民による解決の道を閉ざすものである。
てな話。
この構造を無視して、ヘイトが単なる「憎悪」だと思っているから「朝鮮人 殺せ」と「ヘイト豚 死ね!」が同じに見えるわけです。「殺せ」と「死ね」は似ていましょうけど、そこが問題ではない。
ワシらが勝手にそう言っているのでなく、差別の文脈で使用されるhate(またはhatred)、あるいは法律用語としてのhateは、この日説明したのが英語の一般的用法であり、ほぼ世界標準になりつつあると言っていいでしょう。日本語でわざわざヘイトという言葉を使う場合はそういう用法以外ではまずあり得ないんですから、検索くらいした方がいいと思いますよ。
もし単なる憎悪の意味だったら、「ヘイトクライムってなんだ?」って話にもなりましょう。別れ話や三角関係による恋愛がらみの殺人も、路上のケンカも、社会に対する憎悪による無差別殺人も全部ヘイトクライムです。そんなもんを重罰化する意味がどこにあるのかね。この程度も考えたことのない人たちがいっちょまえに批判してくるんだから、頭が痛い。
野間易通としては、このことをはっきりさせ、かつ「どっちもどっち論者」を釣るために、「ヘイト豚 死ね!」の横断幕をわざわざ作ったわけで、ホントにあいつは性格が悪い。
「豚」という言葉に飛びついて、「ブヨブヨして、この上なく醜い桜井誠を豚呼ばわりするのはデブに対する差別だ」という批判もあったようですが、これも野間易通は想定済み。アーカイブを参照のこと。しかし、私は桜井誠やザイトクを豚呼ばわりするのは豚に対する差別だという見方については反対しません。
第一部で論じた内容はこの図に集約されています。
開始直前に楽屋で野間易通が作った図です。赤いラインのみがヘイトスピーチ。
これを見ればわかるように、「どっちもどっち。ザイトクとしばき隊でぶつかりあって、どっちも潰れれればいいのに」という意見は、未来の願望としては正しい。ザイトクが「しばき隊憎し」に徹してくれれば、赤いラインが消えて、私人対私人のいがみ合いになり、問題は解決していると言えます。路上のケンカと一緒ですから。
今なおザイトクはヘイトスピーチをしているため、とっとと「しばき隊憎し」「野間憎し」に徹すべし。それこそしばき隊が望むところでしょう。ザイトクはアホじゃけ、叩けば叩くほどそうなる。在特会が「しばき隊を許さないアホ市民の会」に改名するまで、さらにさらにザイトクを、そしてマコトンを叩くべし。
第二部の法規制はムチャクチャ濃く、細かい内容だったかと思いますが、「民事と刑事の違い」「保護法益とは何か」「表現の自由とのかねあい」を山下弁護士に説明してもらったので、ヘイトスピーチと法についての基本的な考え方についてはおおむね理解できたのではなかろうか。山下弁護士の話はわかりやすいっす。
第一部で説明した「ヘイトスピーチが破壊するもの」を踏まえ、ヨーロッパ型のヘイトスピーチ規制法は被害者救済よりも社会の公正さを守ることに重きがあることを確認。よって、広く浸透している「当事者が傷ついている」「当事者が聞いたらどう思うか」というヘイトスピーチの判断基準をひとたび捨てた方がよい。捨てきる必要はなく、捨てきるべきでもないのですが、ヘイトスピーチが持つ暴力性と社会性を意識して、それに対応する発想をしていく必要があろうかと思います。ヘイトスピーチか否かを判断するのは社会です。
そこを理解しておかないと、公権力によってではなく、言葉を制限したい人々によって、表現の自由は潰されていくことになりかねない。実際、ヘイトスピーチを「個に向けられた憎悪」としてしかとらえていない人たち、「どっちもどっち」と言う人たち、あるいは「アホ」「バカ」「ブタ」が差別用語であるなどと主張する人たちがこうも多い現状ではヘイトスピーチ規制法は断固制定すべきではないと私は思っています。
だからといって「法による規制に反対はしないが、法の改正、制定には反対」として現行法によって対処しようすると、かえって範囲拡大のリスクを含むため、法で基準を明文化した方が安全とも言えます。
法制化にせよ、法改正にせよ、現行法の適用にせよ、それぞれにリスクはあります。「どういうシチュエーションで、どういう内容のヘイトスピーチを、どういう法で規制していくか」「それぞれどういうリスクや難しさがあるのか」については、アーカイブを参照してください。ここまで繰り返してきたように、ヨーロッパ型の法規制だけじゃなく、ヘイトクライム方式もあれば、民事もある。条例もあれば行政処分もある。それぞれで考え、それぞれで判断してください。今回のイベントの趣旨は、それぞれが考え、判断するための基本的な土台作りですので。
ヘイトスピーチが表現の自由に反するものであり、現にそれが進行していることに対してどんな方法であれ法による規制を望まないのであれば、街に出て彼らを潰すしかないし、彼らへの罵倒を容認するしかない。
6月16日は新大久保でふざけたヘイトデモがあります。
法による解決を望まない方は全員来るように。罵倒を望まない方はプラカードをお持ちください。マイノリティだけの問題じゃない。新大久保だけの問題でもない。社会の問題であり、あなた自身の問題です。
「言論しばき VOL.2」で告知したように、7月11日にはネイキッドロフトで「サッカーしばき」があります。ネイキッドのスケジュールではまだ情報が公開されてませんが、たぶん数日内に予約が始まると思います。「サッカーの世界でなぜヘイトスピーチは許されないのか」といった話もありますし、サッカーファンやサッカージャーナリストからザイトク方面に流れた人たちの下劣さも暴きます。サッカーに興味がなくても、ムチャ面白いと思います。
なお、このところ私はもっぱらFacebookを使っておりまして、細かなお知らせはあちらに書いております。自己紹介に書いているように、友達申請は面識のある人や存在を知っている人のみ承諾していますので、それ以外の方はフォローでお願いします。