2012-12-15
お部屋2470/完璧ではいられなかった男の話
締切に追われているのですが、「ちょっと休憩するか」と昨日私は荻窪に出かけました。そこには沢田研二がいました。
一夜明けてもなお沢田研二のことが頭から離れません。人気絶頂だった時代の沢田研二よりも、今現在の沢田研二に私は強く惹かれています。
そりゃ、昔の貴公子のようなイメージからすると、今はオッサン。その辺を歩いていても、沢田研二だとわからないくらいのオッサン。「今はジュリーではなく、ジジイ」と自分でも言っていたように、64歳のただのオッサン。
ジムに通って腹を引っ込めて、手術で顎の贅肉をとって、皮膚を引っ張りあげて皺をとって、髪の毛を染めて、ヒゲを剃って、スーツを着れば、もっと華やかで若々しい64歳でいられましょう。今もテレビに出ている芸能人たちがそうしているように。
でも、沢田研二はもうそういうことをしたくないのだと思いますし、そうする必要がないのだと思います。嘘のない自分の言葉を語るにはあれでいいのです。
昔のスターというのは壮大な虚像の上に君臨してました。だから、とてつもなくカッコよかった。スキがなく、完璧だった。
沢田研二がテレビから消えた理由について興味のある人は検索をしていただければよいかと思いますが、おそらくその虚像と実像とのズレが原因なのでしょう。完璧ではありえない自分自身を彼は貫こうとした。
それは自ら望んだことだったのか、望まないままそうなったのかはわからないけれど、もし沢田研二がテレビに出続けていたのなら、昨日、荻窪にはいなかったことは間違いない。昨日もバラエティ番組で、気の利いたコメントをしていたかもしれない。
沢田研二が登場する30分ほど前の演説で、山本太郎は芸能人である(「芸能人であった」か)自分が声を挙げることの困難と葛藤を語ってました。
彼は「自分は生きたい」と考えた。自分一人だけが生きていても意味はない。皆も生きて欲しいと考えた。芸能人のまま主張し、行動することは困難であり、多くの人に迷惑をかける。だから、芸能人をやめるしかない。
山本太郎は昨年の4月11日の高円寺の「原発やめろデモ!!!」を契機にその決断をします。その日から彼は自分の思いを実行していき、昨日は荻窪にいました。
沢田研二は長い長い時間をかけて、自分自身が歌いたいことを曲にして、コンサート活動を続けてきた。そして昨日は荻窪にいました。
完璧ではいられなかった人たちのカッコよさを昨日から噛み締め続けているのであります。
明日は投票日です。
素敵な文章を書いてくださってありがとうございました。
私の中で葛藤があった事は事実ですが、
混乱なく終わって安堵しています。
これからも、ずっと沢田研二は、沢田研二のままで生き続けていきます。
こちらのサイトの管理人の方なのですね。
http://homepage3.nifty.com/world-julie/
本当に昨日の沢田研二は魅力的でした。単に選挙の応援に留まらず、いろいろなことを考えさせてくれました。おかげで、昨日から全然仕事にならないですが。