2012-09-23
お部屋2456/芸妓と娼妓・公娼と私娼
すっかりTwitterからFacebookに移行し、文字数を気にしなくてよく、リンクをしやすく、シェアもしやすい環境で連日長めのものを出しています。
文字数は最大6万字まで投稿できることがわかって、だったら、ブログもあっちに移行すればいいのかと思って、古い本の読書日記みたいなものを始めてます。おもに国会図書館が公開しているデジタル資料であり、メルマガでやっていることのダイジェストみたいなものでもあるんですけど、メルマガでは触れていないことも書いていたりするので、読みたい人はフィード登録してください。
しかし、FBは流れてしまうため、固定の場所はやはりあった方がよく、固定したいものはブログに書こうかと思ってます。
今回の話も、FB用に書いたのですが、何度も説明するのは面倒なので、こっちに固定しておくことにしました。
前に出した『芸妓通』のコメント欄に芸妓という言葉についての説明をしておきましたが、もう一度改めて、この辺の用語をさらに詳しく書いておきます。読書日記を読んでも、たぶん誤解している人、あいまいにしかわかっていない人たちが多いと思れますし、ネットでは誤用が多いので、ネットで調べてもなお間違える可能性があります。
芸妓は通常「げいぎ」と読みます。芸妓と書いて「げいしゃ」とルビがふられているものもありますが、これは戦前のルビの使い方によるところが大きい。今はほとんどの場合、漢字の読みをルビにするわけですが、昔はいわぱ「意味ルビ」といった用法があって、その言葉の意味をルビにする。たとえば松沢呉一に「バカエロ」といったルビをふるようなものです。あるいは野球に「ベースボール」と英語のルビをふるような用法もあります。
芸者に対して、芸妓はちょっとお硬い印象の言葉でありまして、法律も「芸妓取締規則」などとなっています。芸妓が公的な名称であるのに対して、芸者は一般的な言葉です。なので、芸妓という漢字は芸者の意味だと示すルビなのではないかと思います。
ただし、例外がありまして、関西では芸妓と書いてしばしば「げいこ」と読みます。「舞妓・舞子」と同じで、「芸妓・芸子」のどちらも同じ読み。公的用語としての芸妓は全国共通なので、「げいぎ」という言葉も関西で使用したでしょうけど、「芸妓はん」とあったら、「げいこはん」と読むのが正しい。なお、舞妓は東京で言う半玉のことです。お披露目前の修行中。
半玉の読みは「はんぎょく」。玉(ぎょく)はもともと線香代、つまり遊興代のことを指します。玉割(ぎよくわり)は抱え主と芸妓の金の取り分のことです。これにはいくつかのパターンがあるのですが、四分六(しぶろく)というのが多いようです。抱え主対芸妓で6対4です。当時は住み込みですので、住む場所と食費は抱え主負担です。
芸妓は公的なところでしか使わない言葉ではなく、日常でも使います。今も芸者さんが自分で芸妓と言っていたりします。私らの仕事で言えば、「ライター」や「物書き」と「文筆家」くらいの違いだと思っていただければよろしいんじゃないでしょうか。自分で文筆家とはあんまり言わないか。だったら、「床屋」「理髪店」とか、「先生」「教諭」とか。
私自身、芸者と普段は書いているし、口にもしていますが、芸娼妓という言葉があるように、娼妓と対になる言葉のため、併記する場合は芸妓の方が落ち着きがいい。同じ文章で、芸者と芸妓が混じっていることがあるのはそのためです。
娼妓というのは遊廓の女たちです。遊女は江戸の言葉であり、明治のものであれば遊女という言い方が残っていますし、それ以降もあえて使うことはありましたが、今の時代に明治以降の遊廓について書く場合は娼妓。花魁、太夫も江戸の言葉で、位を意味するため、遊廓の女たち一般に使用するのは間違い。明治以降の時代を書くのに使うのも間違い。人気のある娼妓を意味するのはお職です。これも江戸からの言葉でその店のナンバーワンの意味。昭和に入っても使用されています。
女郎は明治以降も使用されていることがよくあって、昭和に入ってもなお使っていた人たちがいるのですが、近代になってからはあまりいい意味を伴わないので、公刊物で見かけるとしたら、会話文など、俗な言葉として使っているか、否定的なニュアンスで使っているケースかと思います。
娼妓も公的な用語ですが、芸妓以上に一般に使われます。芸者に相当する言葉がないため、使用範囲が広いのだと思います。娼妓は遊廓にいる女たちに限った言葉であり、売春婦、売笑婦、娼婦とイコールではありませんから、置き換え不可です。東京で言えば吉原、新宿、洲崎、品川など、公娼たる遊廓の女たちです。
遊廓と遊郭、つまり廓と郭、漢字が二種ありますが、これはいずれも「くるわ」で、同じ漢字と考えてよい。私は廓、遊廓を通常使ってます。郭は城郭など他の言葉にも使用するのに対して、廓は遊廓の意味でしか使わないので、言葉がクッキリするためです。また「广」は建物を意味するため、地域だけではなく、妓楼までを含めた印象があるためです。でも、雑誌では用字の基準で、郭、遊郭に直されることもあります。どっちでもいいので、文句は言わない。
官許の公娼に対して、玉ノ井、亀戸は私娼です。公娼と私娼は使い方がちょっと違います。公娼は制度です。私娼も制度(と言うか業態と言うか)でありつつ、個人も指します。
「玉ノ井で出会った私娼と恋に落ちた」と個人を指して使用できるのに対して、公娼は個人を指さず、この場合はやはり娼妓です。
公娼は制度のこと、遊廓はその地域のこと、娼妓はそこの女たちのことです。したがって、「一軒の遊廓に入った」という言い方はヘン。言葉の成り立ちを見ればわかるように、廓・郭は堀や塀で囲まれた一画を意味する言葉であって、廓内にある建物を遊廓とは言いません。これは妓楼と言ったり、貸座敷と言ったり。あるいは普通に「遊廓の店に入った」と言う。
店は見世と表記されることがあります。これも江戸時代からで、そのまま店の意味。仲見世の見世です。明治になってからは、大見世、張見世といったような決まりきった単語以外ではあまり使わなくなります。
大見世・大店は単に大きいのではなく、店のランクを示します。値段も違う。こちらは「おおみせ」でいいのですが、中見世・中店は「ちゅうみせ」です。たぶん仲見世との混同を避けるためでしょう。面倒っすね。遊廓の大門も場所によって「おおもん」「だいもん」と読みが違うので注意。吉原は「おおもん」です。
張見世は娼妓が籬(まがき/格子のこと)のところに出てきて顔を見せる方式で、大正期からは写真を出す方法になります。これが写真見世。つまり、ここでの見世は、店というより見せ方の意味です。
貸座敷は明治以降の公的な名称です。地域によっては貸席という言葉もありますが、これは東京で言う待合のことです。芸者を呼んで宴会をやったり、連れ込みに使ったり。遊廓に関係もしてきますし、売春が行われることもありますが、待合と貸座敷とは別ものです。
玉ノ井と亀戸は私娼の代表で、公娼に対して、いわばモグリです。モグリなのですが、半ば公認の場所でもあります。
公娼以外の売春形態はさまざまあって、これをまとめて私娼とすることもあります。街娼も私娼のうち。ダンスホールのダンサー、カフェーの女給を半私娼と呼んだのは、この意味ですね。
一方、東京で私娼と言った時は玉ノ井、亀戸を限定で指し(細かくは他にもあるのですが)、それ以外のモグリを含めないことがあります。半公認の玉ノ井、亀戸に対して、こっちはいわば本物のモグリです。
明治末期から浅草千束町に銘酒屋と呼ばれる業態が集まり出します。「浅草十二階下」はここのこと。大正に入ってから一掃作戦が行われ、少しずつ近隣地域に広がっていき、玉ノ井、亀戸はその頃から移転地域だったのですが、決定的になるのが関東大震災。浅草は焼け野原となって、この時に浅草十二階も崩壊。
この段階で警察は潰すことは無理であると判断して、黙認の方針に転換し、玉ノ井、亀戸に集中させることで管理することになります。『踊ってはいけない国、日本』に出てくるグレーゾーン管理です。戦後の赤線にも近いかな。
これら公娼、私娼以外に酌婦という言い方がなされていることがあります。玉ノ井、亀戸に対しても使われていることがありますが、公的な文書でも「公娼・私娼・酌婦」となっているものがあって、私娼は半公認の玉ノ井、亀戸で、それ以外が酌婦。
酌婦というのは文字通りの意味では酒の酌をする仕事ですが、多くの場合、売春業です。カフェーであれば女給ですから、酒の酌をしても酌婦とは言わない。明治や大正のものに「千束町で酌婦をしていた」「浅草十二階下で酌婦をしていた」とあれば売春をしていたって意味です。
浅草十二階下以外にも、蛎殻町に私娼窟があったり、早稲田にあったりもして、それらで働く女たちはしばしば酌婦とされています。玉ノ井、亀戸ができてからは、それ以外は潰されていく方向にありましたが、公娼を廃止した埼玉では、旅館や待合、飲み屋の酌婦として娼婦たちがいて、これも半公認です。地域によって、規制方法や業態が違い、言葉も違うので、その文章が書かれた時代と地域を確認することをお忘れなく。
さらに細かな用語はおいおいFBでやっていくとして、戦前の基本用語はこんくらい説明しておけばだいたいわかるべ。面倒なので、もう二度と説明せん。カフェーも理解されていないので、解説した方がいいかもしれないけれど、キリがないので、まっ、いいか。戦後編はまたそのうちやるかもしれないですが、国会図書館が公開しているのは戦前のものなので、当面必要なかろうかと。