2012-01-28
お部屋2314/公安条例の始まり【追記あり】
明日はTwitNoNukesの今年初のデモです。
1.29反原発デモ@渋谷・原宿
日時:2012年1月29日(日)
集合:13時30分 出発:14時00分
集合場所:みやしたこうえん(渋谷駅徒歩5分)
同じ時間に、TwitNoNukes浜松とTwitNoNukes九州の1回目もあります。
原発いらない浜松デモ 1.29脱原発デモ@浜松
日時:2012年1月29日(日)
集合:13時30分 出発:14時00分
集合場所:アクト通り「東ふれあい公園」
WE ARE NO NUKES !!!『全原発停止 原発は必要ありませんでした from 九州
日時:2012年1月29日(日)
集合:13時30分 出発:14時00分
集合場所:福岡 天神 警固(けご)公園
では、デモに関する豆知識。
かつて大阪市警視庁というものが存在しました。この初代総監であった鈴木栄二は、その前の大阪市警察局の警察長時代に、闇市と街娼の一掃をやった人物です。売春史の資料として、昨日、この人が書いた『総監落第記』(鱒書房・昭和27)を読んでいたら、これが面白くて、必要な部分だけじゃなく、最後まで読んでしまいました。
ここにデモに関係する記述が出ています。『デモいこ!』にも書かれているように、デモは各自治体の通称「公安条例」によって規制されていて、これに基づいて事前に届け出を出さなければいけませんし、警察は許可条件をつけてきます。これは憲法違反だというので、今まで何度か裁判にもなっています。
そもそも公安条例は占領軍の意向によって作られたという話は以前読んだもの(三一書房の『公安条例』だったかな)に出てきたのですが、その詳しい経緯がこの本でわかりました。
昭和23年(1948)に福井市で「災害時公安維持に関する条例」ができており、これは福井大地震を受けて福井軍政部(占領軍)の命によって制定されたものです。
これも集会とデモを規制する内容ですが、災害に対応したもので、集会とデモを規制すること自体を目的にした公安条例の始まりは大阪市です。
昭和23年4月23日から26日にかけて、朝鮮人学校廃止を発端にして、大阪や神戸で「朝鮮人騒擾事件」が起きます。これを受けて、同年27日、大阪軍政部から、デモや集会は警察の承認を要するものとするように命令が出されます。法的根拠がないため、警察主導で原案が作られ、7月31日に上程されたのが「行進、示威運動及び公の集会に関する条例」です。
ところが、これに対して対日理事会ソ連代表からマッカーサー元帥宛に「ポツダム宣言違反である」との書簡が送られ、GHQは、最高司令官指令に抵触するおそれのある部分を削除して、大阪市に提示。この条文がそのまま9月末に大阪市議会を通って10月5日施行されます。
これがモデルになって各地に同様の条例が作られます。とくに昭和25年6月17日、朝鮮動乱の直前、集会やデモが盛んになったため、GHQはウィロビー声明を発表。
「公示した目的、主催団体の性質またはその指導性により、公共の安寧福祉に脅威をおよぼし、また占領軍もしくは占領目的に反する示威行為に発展するごとき集会、行進および示威運動は許可されない」
「何を勝手なことを」という話ですが、日本は占領下にあったのですから、言いなりです。これによって公安条例は全国に拡大。これが独立後もそのまま残ってしまったわけです。為政者や警察にとっても都合がよかったのでしょう。
そりゃ、警察も警備の都合がありますから、仮に届け出を出すところまではいいとしても、さまざまな条件をつけてきたり、申請したコースを変更させたりするのは行き過ぎってもんでしょう。申請した通りに受け取ればよい。
現にこういう条例があるので、届け出を出さなければならず、許可条件を受け入れなければならず、場合によっては四列縦隊が乱れただけで逮捕されかねない。しかし、警察に喧嘩を売ってパクられてもいいことはないです。「GHQの野郎」と思いながら当面は我慢しましょう。
追記:書き忘れてました。よく「どうして昔はジグザグデモとかフランスデモとかできたのか」と言う人がいて、私も以前疑問に思っていたのですが、これを読んでいただけるとおわかりのように、昭和20年代から違法だったのです。全学連の時代も、全共闘の時代も勝手にやっていただけ。ジグザグデモも、『総監落第記』に出てきます。
追記2:やはり三一書房の『公安条例』でした。東京護憲弁護団編『公安条例 その弾圧立法としての実態』(1967年)で、三一新書です。古本で安く入手可能かと思います。