2011-04-11

お部屋2191/高円寺のデモをめぐるさまざま 2 [追記あり]

「高円寺のデモをめぐるさまざま 1」の続きです。

お祭り騒ぎであることに意義を感じる人たちもいるし、いていい。

そもそもデモはなんのためにやるのかってことです。ともあれ人数を集めることに目標を置くデモがある。高円寺のデモはそこに重きがあったと私は思っています。

人数を集めることの意義についても、さまざまな考えがあるでしょう。数を見せることは票を見せることです。そこに目をつける政治家もいるかもしれない。そこに問題意識を見いだして、選挙に反映させようとする有権者がいるかもしれない。

その意味では、都知事選の投票日ではなく、その前にやるべきだったという意見があって、それが可能であればそうした方がよかったと私も思いますが、これから統一地方選は本番ですから、それに向けての取り組みにはなったんじゃないでしょうか。「ここに票があるぞ」と。

また、デモで会った知人夫婦はそのあと投票に行ってますから、投票日当日にやったから、効果がなかったとも言えない。知人夫婦は最初から投票に行くつもりでしたが、あのデモによって、投票に行った人がいるかもしれない。たいていの人は投票してきた、あるいは投票するつもりだったでしょうから、改めてあの場で投票することにした人はたいした数ではないかもしれないですが。

呆れたことに、デモをやったから、都知事選で石原が再選されたかのようなことを言っている人たちまでいます。よくそんなバカなことを言えるものです。得票数とデモの参加人数を比較することもできないのでしょうか。電卓貸そうか。数字を比較するだけなので、電卓もいらないか。

私は期日前投票をしてますし、午後2時からのデモですから、その前に行くこともそのあとに行くことも可能。デモ参加者たちは都知事選の話をよくしていましたから、あのデモに参加した人の投票率は相当高いことが想像できます。

投票しないことに意義を見いだしているらしきロフトの平野さんのような人もいますけど、それは平野さん個人の問題。デモ参加者からも、平野さんはさんざん批判されてますし。

デモをやったせいで投票率が落ちて、それによって石原が再選されたことの具体的な根拠があればいいとして、こんな推測は妄想と言ってかまうまい。こんな推測が許されるなら、「イチャモンづけに忙しいため、そういうことを言うヤツらは投票に行っていない」と推測しておきましょう。

票を見せる意味を見いだすことが可能とは言え、そもそもそんな簡単に票がとれたり、とれなかったりするほど、選挙は簡単なものではないです。それは選挙運動をやった人ならわかることであって、そういうことさえやったことのないヤツらがデタラメこいているだけでしょう。

票にすぐにつながらないとしても、数が集まれば報道される。それによって問題に気づく人が増える効果を狙う人たちもいるでしょう。

あるいは沿道の人たちに訴えかけるデモもある。具体的な対象に抗議をするデモもある。孤立している人たちをつなげるデモもある。etc.

そのような主催側の趣旨とは別の目的をそこに見いだし、別の成果を得る参加者もいる。

どれが正解なのか、誰もわからない。正解があるんだったら、とっくにやってますって。あるいは、正解は、孫正義が知っているのかもしれないですね。孫正義ではない我々は我々のできることをやっていくしかない。ソフトバンクに機種変更するのもいいかもな。

それでもなおあのようなデモでは何も得られず、何の意味もないと感じるんだったら、自分が何かを始めればいいだけ。誰もがわかっていない正解をわかっているんだったら、早く提示してくれよ。皆がそれを求めています。

そのことをもあのデモは提示していました。「誰だってできるんだよ」と。それさえ受け取れないのであれば、黙って家でジッとしていろって話です。何もしない選択もまたよし。私はそれを批判しない。私も何もしないことはいくらでもありますので。

何事においても「誰かがやってくれるもの」としか思えていない人たちがいて、それが自分の思想や主義、趣味と合わないと文句を垂れる。「ボクちんはピーマンが嫌いなんだよ」と。そういう趣味の表明はいいんだけれど、人が多いと「お祭り騒ぎには意味がない」、人が少ないと「多くの人を集めないと意味がない」と言い。

そもそもお祭り騒ぎで終わることをやってはいけないのか、意味のないことをやってはいけないのかって話だったりもします。

このことを語りだすと、「表現とは何か」って話になってしまってとめどもなくなりますが、私はあの公園で聞いた「平和に生きる権利」「不屈の民」で、この一ヶ月の苦しい時間からやっと抜けられたとの実感がありました。もう少し頑張ってみるかと。

お祭り騒ぎはいいなあ(メンバーはかぶってますが、昨日の演奏ではないですよ)。

効果なんてわからなくとも人は表現をする。デモはその表現のひとつです。いてもたってもいられずに声を出し、音を出し、練り歩く。

意味がなくても文章を書かないでいられない私と同様、あるいは意味がなくてもツイッターやブログに文章を出さないではいられない人たちがいるのと同様、路上でそれをやりたい人たちがいるってことです。それが許されない国もあるわけですが、この国では許されている。規制が過剰ではあれ。

知事選の結果を見ればわかるように、この闘いはまたも負ける可能性があります。その可能性の方がはるかに高いでしょう。そんなことは最初からわかっています。それでも私は悔いや哀しみやら無力感やら申し訳なさやらを抱えて、あの場に行った。それが意味のあることなのかどうかなんて知らないです。結果として、私にとっての意味を見いだしただけのこと。

「公と私」の領域をどうとらえるのかって話だったりもするんですが、拙著『クズが世界を豊かにする』で書いたように、日本ではデモというスタイルは好まれないのは事実。中には祭りの神輿さえも許せずクレームをつける人たち、花火大会にクレームをつける人たちまでいます。

路上での表現は我々が獲得できている権利です。個人宅にデモをかける、学校にデモをかけるなんて非常識なことをしなければ、もうちょっと寛大になっていいのではなかろうか。

高円寺のデモは統制もとれいてたし、エキサイトするのが出てくると周りが抑えていて、やる気満々の警察が逮捕するスキを見せなかったのですから、その点でも及第点でしょう。

土地柄、こういうものを受け入れる空気もあるようです。デモの途中で、高架下に、うまそうなホルモン屋があるのを発見、知人夫婦とその店に入ったところ、そこの女子従業員があちらから「原発反対のデモらしいですよ」と話しかけてきました。その頃、まだデモが延々と続いていたので、我々もデモに参加していたとは思わなかったようです。

「デモというよりパレードですよね。田舎者なので、こんなの初めてみました」と彼女は興奮気味に語ってました。珍しいものを見られてよかったよかった。私だって、あんなデモ、見たことないです。

そのちょっとあと、厨房から出てきた従業員は放射能マークのTシャツを着てました。そういう街です。

やがてデモから流れてきた客が次々とやってきて、店は満員で、お客さんを返してました。売り上げも上々だったでしょう。

今回は被災地救援のデモでもあって、ここでワシらは宮城産の牛肉も頼みまして、被災地復興にさらに貢献。

この店の女子従業員は2人ともムチャかわいくて、片方の子は栃木出身。

「とちおとめも大変なんですよ。もっと食べて欲しい」と言ってましたので、帰りに高円寺で栃木産のとちおとめを買いました。

それでも、規模が大きすぎたので、地元に迷惑をかけたかもしれないとの危惧はあります。私がかけたかもしれない迷惑については先に謝っておきます。お騒がせして申し訳ありませんでした。
 
 
追記1:地元への説明が不十分であったとの意見が出ています。
http://togetter.com/li/122310
これは解消すべきかと思います。解消できることなんだから。人手が足りないんだったら、次回は私も手伝ってもいいです。とりあえず、これについても謝っておきます。すいませんでした。

追記2:いちいち言うほどのことではないですが、参加した人から、「新聞やテレビが取り上げない」と不満の声が出ていますね。全然出てないわけではなくて、そもそもそれほど多数の取材は来てなかったでしょ。月刊誌の編集者やフリーのライターは見かけましたけど。あ、ワシもか。忘れてた。
だったら、記事になりにくいのは当然。新聞だってテレビだって、いくつものネタから選択しているんですから。
たぶん、主催グループはプレス用のリリースなんて出していないんじゃなかろうか。それもありです。彼らはテレビや新聞を使って人を集めようとしたわけではない。そういったメディアに頼らずとも、情報を広げ、あれだけの人を集めた。
だったら、今度は自分が何を見たのかをネットに書きまくればいいのだし、友だちに話せばいいのです。その力はワシらが思っているよりもずっとすごいってことを目撃したんだから、少しは学習しましょうよ。いつまで新聞やテレビにかじりついているんだか。

このエントリへの反応

  1. デモの報告①②ありがとうございます

    月1で素人の乱12号で「映像とお話の会」を主催しています。仕事日で参加むりでしたが 無年金者同盟の仲間の娘さんの子供の父親がデモ参加「大勢だー」とメールがきたそうです。私は20;00ギリギリ投票帰宅したら「出口調査」で現職4選とTVーーかなり脱力でした。
    松本さんは以前の自由にデモや演説ができる「ご自分の選挙」経験と警察に「みんなでデモコース」申請にいくところから「デモ」がスタートといういつものスタイルなので マスメデイアがこないなんて全然気にしてないとおもいます じつに偶然ですが「映像とお話の会」5月はゲスト松本さんなので なにが「とんでもない!」とおもってるかおききしたいです。

    ついでといいましてはなんですが美濃部さんが自分の後継として「太陽の季節」で芥川賞をとつたひとがノミネートされているときき「文士が!」と不快感を示されたことが印象ぶかく その彼はTV画面で「音声加工」され大物に
    みえますが 実像は超「小声」でもそもそ発語するじいさまなのですよww
    先日原宿のニコナマで「立候補」記者会見が自由報道協会主催で彼が来たとき
    初めてみて驚きました。

  2. 松本さんはメディアに取り上げられることに重きのない人だろうと私も思ってました。そこに目的があるんだったら、もっとちゃんとやりますよ。行き場をなくした不安や怒りをタイミングよく集めただけって見方もあるんでしょうけど、現に誰もできてなかったわけで、意義だの何だのを先行させず、勢いでやる人は強いです。

    続くかと言えば疑問もありますが、そんなことをいちいち考えているから、何もできなくなってしまうわけで。

  3. 私も参加しました。松沢さんより2-3歳若者(笑)です。

    >私はあの公園で聞いた「平和に生きる権利」や「不屈の民」で、この一ヶ月の苦しい時間からやっと抜けられたとの実感がありました。

    ↑この部分にあまりにも強い共感を覚えましたので衝動的に賛意をあらわしたく、はじめて書き込み致しました。この2曲は青春の曲でした。

  4. ホントに泣きそうでした。それを期待して行ったわけではないのですが、音楽の治癒力は抜群です。

  5. さっそくありがとうございます。私も泣きそうでした。

    本気で言葉が必要な時代、歌が必要な時代、詩が必要な時代に入ったのだなと思っています。

    そういう意味で最近、見直したのが唱歌「故郷」の底力です。

    避難所で「うさぎおいし、かの山」が歌われ、高齢者が涙ぐむというシーンを繰り返しテレビニュースでやっていましたが、これがもう、もう。はまりすぎで。

    棄民の群れが生まれてしまったこと。
    また、高齢化率の高い地域が一網打尽になったこと。
    原発事故で、未曾有の環境破壊が行われてしまったこと。

    この3つが重なったためか、この歌が悲しいほど、どの避難所にもぴったりしてしまいます。

    業の深い歌ではありますが、これをデモのときに、故郷を失ってしまった皆さんのために合唱したらどうか、などとも考えました。高円寺に集まった人たちも、たぶん7割ぐらいはもともと田舎者ですよね(私もそうです)。

  6. 公園で演奏させていただいた、チンドン太鼓のこぐれみわぞうと申します。
    文章を拝読して、きのうの疲れと絶望感が一気に吹き飛びました。
    私どもの演奏が少しでもお役に立てて感激です。
    なにより、演奏している私たちこそ、あの公園に集った皆さんに泣かされそうになり、何度も涙をこらえました。

    私自身はすぐに屈してしまうタイプなのですが、「不屈の民」を演奏する者として、これを機に自らが不屈の民となろうと決意しました。
    微力ですが、力いっぱいがんばります!

  7. デモでお見かけしましたよ。公園で一言あるかと思いましたが、お声が聞けず残念でした。自分も今回のデモには規模にこそ意味があると考えていたので、主催者発表1万5千人はなかなか意味があったと思いました。尖閣問題のときもデモに参加しましたが、それに比べても今回のデモは東京を象徴するかのごとく、本当に多様な人々が集まっていて、このデモのスタイルは悪くないなとすぐに感じました。それから20代〜30代と思しき若い方々がメインだったことも希望が持てました。仮装をしたり音楽で盛り上げたりと、参加することに自分なりの満足を見つけられるような仕掛けにしていたことも良かったですし、参加者がまた参加したくなるような気分を作れていたように思います。一部に乱暴者が出たらしいなど主催者の制御が至らなかった点もあったようなので諸所反省すべきでしょう。自分が一番残念だったのは、「説得力のあるアジテーター」がアジる機会がなかったことです。アジれるひとがもっとビシッと脱原発についてアジったら、あの空間の感情レベルをもっと引き上げられたのにと残念に思いました。MCルミもかなりアジってましたがラップだと刺さらない層には届かないのでね。もっとズシンとした言葉が欲しかったです。

  8. はじめまして。私は浪江町出身の東京在住です。
    私も高円寺のデモに参加しました。
    世代的にデモに参加するのは少し抵抗がありましたが、
    ふるさとを失いつつある自分が東京でやれることは声をあげるしかないと思ったからです。
    初めはイベント的なデモに戸惑いをおぼえましたが、
    デモに参加したことがない世代はこうして意識を高めていくのも必要なのだと思いました。

    以前から危惧していたことが現実になっていく恐ろしさを感じています。
    どの地域の人も自分自身の問題として声を上げていかなくては、
    ずっと危険と隣り合わせになってしまいます。
    危険だとわかっていることを一時の利益や利便性で継続するのは愚かすぎますね。

  9. こぐれみわぞうさま

    あの日はありがとうございました。
    私は篠田昌巳のことを何度も思い出してました。生きていたら、きっと彼もここでサックスを吹いていたんだろうなと。

    そのことを書いておきました。

    http://www.pot.co.jp/books/20110412_151152493923205.html

  10. サクラマコトさま

    >自分が一番残念だったのは、「説得力のあるアジテーター」がアジる機会がなかったことです。

    たぶん、あの場では避けていたんじゃないかな。誰かに煽動されたり、先導されたりするのでなく、自分で考えて行動しようよと。

    それと、ラップにシンクロする人たちもいるんですから、これも趣味の問題です。ラーメンが好きか寿司が好きかカレーが好きかの問題。アジるのは中核とかがやっているでしょうから、ラーメンを食べたい人はラーメン屋へ。もしくは、自分でラーメン屋をやりましょう。

  11. 三原由起子さま

    今回の事故で、「場」や「社会」が失われる恐さを実感しました。このことはメルマガで幾度も書いているのですが、どうしてああも町が崩壊したことを考えると苦しくなるのかをうまく言語化できていない人たちがいるので、こちらでも改めて書こうかとも思ってます。

  12. にのとりさま

    つうわけで、故郷の喪失、コミュニティの崩壊というテーマについてはまた改めて。

  13. はじめまして。私は原発賛成派ですがデモ自体には賛成で、多くの人々が自らの政治的立場や見解を公にするのは「望ましい」ことであると考えています。そのような意味で一昨日のデモは大変望ましいことであると思っています。
    その上で「ひねくれ者」として一言言わせてもらいます。
    主催者の方(素人の乱の松本哉さん)が「予想を超える参加者」と述べているように本当にたくさんの方が参加されたわけですが、その開催場所が高円寺であったことを考えると、ネット上で指摘があるように近隣住民や商店の方々への配慮というのは今後とても必要になることであると思いました。きっと今頃主催者の方は周りの商店主の方々に頭を下げていると思いますが、今後はどうしてももっと大きな場所でないと難しい気がします。
    私が今回のデモを「面白い」と思ったのは、情報の伝播がインターネットであったこと、そして高円寺という場所であったということです。特に高円寺という場所が多くの参加者を動員する上で効果があったと思うのです。生活圏と文化圏の境界というか、そのような記号的効果が高円寺にはあり、そこで若者がやっているリサイクルショップの店主が呼びかける反原発デモという敷居の低さが戦略的な効果を持ったと思うのです。
    これは一つの高円寺にとっての事件であると思います。
    私は原発賛成派ですが、同時に高円寺の商店街が活性化することにも賛成する者です(笑)。ちなみに日本においては天皇制以外のだいたいのものには賛成です(笑)。
    是非高円寺の方々や主催者の方々は今回の事件が高円寺という場所が潜在的に持つ記号的効果が発揮された現象であると理解され、今後の商店街の活性化に活用していただければと思います。
    あまり松沢呉一様の文章とは関係ないかもしれませんが、このような場を借りて自分自身の意見を表明させていただきました
    ありがとうございます。

  14. はじめまして。高円寺在住の者です。
    主催者の方はネットで参加を呼びかけるだけで、音楽を大音量で鳴らしながら住宅街を通過する事、
    周辺の道路が渋滞を起こす可能性がある事などは、地元住民には何も告知がなかったです。
    ポスターを貼る、ビラを配布するなどして知らせてほしかったです。

    私はデモがある事を知らず当日は午前中に外出し、14時頃に帰ると自宅前に警察の大きいバスや覆面パトカーが止まっていました。
    近所でなにか大変な事が起こったのではないかと驚き、ネットで調べると自宅前をデモのルートになっている事を知りました。
    家で窓を閉め切っていましたが、デモが自宅前を通るときは音楽や人の声が聞こえてくるし、外に出れば警察官とデモの参加者の列。
    中にはビール片手に盛り上がっている人、歩きタバコをする人もいて、
    参加する人はただ楽しそうでいいなぁ、あとで吸い殻拾うの私たちなんだけどなぁなどと思いました。

    松沢さんは主催でもないのにあれこれ書込みをして申し訳ありません。
    ただの愚痴なので、聞き流してくださいね。

  15. ひねくれ者さま 高円寺在住さま

    これが新宿や渋谷でのデモだと、住民が少ないので、さほど問題にはならなかったんでしょう。ただ、高円寺という場所だったから、あの雰囲気が出たし、見物人との一体感があったんだと思います。
    それをやるためには、やっぱり地元への説明は丁寧にしておくべきで、この件については、スタッフにすでに伝えてます。次にやろうとする人がやりにくくなるのはまずいですから。

    ただ、私の印象だけではなく、飲食店については好意的な店が多かったようです。あの町にあの人数ですから、金が動かない今の時期に経済的効果は大きいでしょう。商店街を巻き込んでしまえばいいと思う。

    あとで見たら、公園のゴミ拾いはやっていたようですが、路上はやってなかったんですかね。やっていないんだったら、これもやった方がいいっすね。

    ただ、ビールについてはいいんじゃないですか。大人なんだし、合法なんだし。シャブやシンナーをやっていたらまずいけど。そこは大目に見てやってください。

  16. 追記です。商店街や自治会への挨拶回りはしていたようですよ。もし自治会への説明をしていたんだったら、自治会から、各住民への伝達ミスではなかろうか。各家庭を回るわけにもいかないですから。
    なので、高円寺在住さんは、自治会に問い合わせてみてはいかがでしょうか。よかったら、その結果もお知らせください。

  17. 松沢様

    丁寧な返答ありがとうございます。
    そうですか商店街の反応もマチマチなのですね。
    なかには良い反応もあったということですね。
    阿波踊りなどもあるせいかたくさん人が来ることを歓迎する雰囲気もあるのかもしれませんね。そういえば南口と北口は道路が少し広いような気もしますし。新宿よりはデモしやすいかもしれませんね。
    いずれにせよ主催者の方々は本当に大変だったと思います。
    原発推進派ですが民主主義の発展という角度から今回のデモは凄く良いことだと思います。
    正直推進派にはロクな人がいないのでデモとかは無理そうなのでショボショボと言論、研究活動を続けていきたいと思います。
    最後に私の原発推進の理由を述べさせてください。
    現在地球規模の温暖化が進行しています。そしてその影響で海水の水面が上昇しています。アジアですとインドネシアやマレーシアで水面が上昇することによる海水の陸地への侵入により農作が出来なくなっています。また水没している地域や、マングローブなどの生態系の破壊も進行しています。火力発電やガス使用は極力避けたく原子力はそれらに比べればかなり温暖化を避けることが出来ます。
    地球温暖化はもちろん原子力政策だけでは避けられません。しかしつなぎとしては有効であると考えます。皆様にも是非現実に現在温暖化をどうするか、また今現在水害に遭っている人々が多数いる現実をどう考えるべきかについて考えてみてもらえればと思います。
    はなはだ僭越ですがよろしくおねがいします。
    このような意見を表明する機会を与えていただいた松沢様に感謝するとともに松沢様の今後のご活躍を願っております。お元気で。
    失礼します。

  18. ひねくれ者様

    >原発推進派ですが民主主義の発展という角度から今回のデモは凄く良いことだと思います。

    ですね。デモはもっともとなされていい。ただ、あの日もすさまじい数の警官が出ていて、あんなにたくさんいらないのに。デモをやるたび、税金が使われることには腹立たしい思いがあって、過剰警備はやめて欲しいです。

    在特会が反・反原発のデモをするようですが、あれじゃあ、参加はできないですね。推進派というより、「このままでいいんじゃね?」くらいの消極的容認派がもっとも多いでしょうが、この層はデモまではやらないし。

    温暖化については不確定要素が多くて、どんなもんか、というところがありますし、環境破壊で言えば、原発事故ほどの環境破壊はなかなかないわけで、もはや「環境に優しいクリーンエネルギー」とはとうてい言えないでしょう。

    それでも石油エネルギーをじゃんじゃか使っていいとも思えず、火力発電も過渡的なものとすべきかと思います。

    今まで野方図に使っていた原子力の研究費、広報費などを新しいエネルギー開発費に回せばいいだけだと思うんですよね。年間数百億円にもなる電力会社、電事連のテレビコマーシャルをやめるだけで話は終わり。テレビ局は困りましょうけど、あんなたくさんテレビ局はいらないんじゃないですかね。

  19. 投稿ができないとのことで、こちらにメールを送ってくれた方がいますので、私の方からアップしておきます。

    ————————————————-

    あれだけの人間が集まったのだから、
    もちろん周辺住民の中には迷惑を感じた方も多いでしょうね。
    ぼくも謝っときます。ごめんなさい。

    それはともかく、根回し不足等々について、
    デモ文化というか、政治的表現の技法というか、
    そういったものの未成熟を(自分を含め)感じます。
    未成熟というよりも、
    昔は市民社会がそれなりのスキルを持っていたのに、
    表現の自由の抑圧が続く中で、そのスキルが継承されず潰えた。
    ビラ配るだけで、ゆっくりデモ行進するだけで逮捕される国ですから。

    でもまあ、「素人の反乱」ですし当然ですね。
    祭りっぽくて良かっです。
    ソウルフラワーユニオンの「満月の夕べ」も聞きたかったです。

    山岡信幸

  20. 山岡さま

    「あんなことをして何になる」という意識で表現を切り捨てることに対しての腹立たしさが強くあります。これを許すと、「あんなことして何になる」の集積であるインターネットも潰していいって話。
    路上での表現によって少々の迷惑がかかるとしても、そこは甘受すべきです。解消できるところは解消した方がいいですが、解消できないことについては「知らねえ」でいいと思います。
    さもないと、祭りのすべては「うるさい」「道を通れない」「渋滞する」といった理由で潰される。現にクレームをつける人がいるわけで、「反原発のデモは潰していい。祭りはダメ」なんて論理は通用しません。
    そこを実感できていないし、考える契機がない人たちが多いのでしょう。しかし、言えばわかる人たちもいるので、言い続けますよ。

  21. 松沢様

    何度も投稿してすみません。
    あれから自分で少し勉強してみたのですが、自分の勉強不足を痛感しました。今のエネルギー源に占める原子力の割合は2.7%程度で、いくら原子力を増やしても地球温暖化を防止するにはほど遠く、技術の改良による安全性の上昇も限界に達しており、経済性の観点からももはや原発は不要なものになっているのが現状なのかもしれません。温暖化とエネルギー問題については他の方法を模索するのが建設的であると考えました。
    原子力政策の問題点については、もっと自分なりに勉強して、現状における問題点は何で、その解決方法、もしくは対抗運動の方法と戦略についても考えたいと思います。
    個人的にはとりあえず集まって騒ぐというのは好きではないのでデモとかには参加したいとは思いませんが、それは人の好き好きだと思います。ただやはりデモをする権利はとても大切なもので、このような権利が気軽に行使出来る社会ではないと、結局強い者が悪いことを平気で出来る社会になってしまうという人類の特徴が出てしまうと思います。そういう意味で配慮は必要だと思いますが最終的にはデモ断固支持です。
    方法論は違いますし目的や問題意識も異なると思いますがお互い頑張れればと思います。
    発言の機会を与えてくださった松沢様と考えるきっかけを与えてくださった素人の乱ならびに主催者および参加者の皆様に感謝します。
    それでは失礼します。

  22. ひねくれ者さま

    何度でもどうぞ。今回のような事故の処理と被害、廃炉にかかる手間と費用、廃棄物の管理にかかる時間と費用を考えると、経済性がいいとはとても言えない。それを考慮しなくても安くないわけですし。

    以下参照。
    http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/blog-entry-967.html