2010-11-27

お部屋2135/右翼ごっこに集う人々

2132/ひさびさに「メタ視力」2133/客観のない人々の続きです。

東村山関係では、3羽の雀さんの高い能力はつとに知られていたわけですが、昨今は矢野穂積・朝木直子東村山市議のお仲間である在特会の「活躍」によって、3羽の雀さんの評価はさらに高まっており、蛇蝎の如く嫌う人たちもいるようです。そりゃそうでしょう、「右翼ごっこ」の周辺にはただの一人も3羽の雀さんのような怜悧な頭脳をもった人がいないんですから。ごっこじゃない右翼活動をしている人たちからもバカにされますよ。迷惑でしょ。

かつて私は1730/3羽の雀とはで、彼のどこがどう優れているのかを説明しました。彼は事象に対して多面的に見る能力に長けている。

対して、瀬戸弘幸は、その能力がひどく劣っていて、「自分の都合」という一面でしか見ることができない。その特性を「瀬戸弘幸には客観という視点がないため、全体像が見えない」と私はまとめています。

この周辺の人たちに共通する特性かと思います。ちょっと視点をずらせば見えてくることが彼らには見えない。その結果、目の前に情報を提示されるとすぐに騙される。

徳島県教組襲撃事件の初公判で、被告らは検事に「被告らは事実関係をまるで調べていない」と断ぜられています

彼らは、客観的な検証に耐えうる事実の重みをまったく理解していないし、理解する能力が欠落している。これはことこの事件の被告たちにのみ言えることではなく、「チーム関西」「在特会」のメンバー、そして広く「右翼ごっこ」の人たちに共通していることです。

瀬戸弘幸に至っては決定的な証拠になるはずの「内部告発」の真偽さえも疑えない。その周辺の人たちも、これを疑えず、「おかしいんじゃねえの?」「瀬戸さんは騙されてんじゃないの?」と進言することさえしない。この件については、公開で質問を出しているし、公開討論してもいいと言っているのに、逃げ続けるしかない。裁判のような局面でもこの件を出せないことから、さすがにああも批判され、嘲笑されて、すでにデマであったことに気づいているのではないかと思いますが、今度はFBIを持ち出すのですから、救いようのない人です。この人は一生このまんま無能な煽動者として無能な人々を相手にするしかないのでしょう。

西村修平は、ベランダにウンコがあると敵にやられたと思い、ウンコが手榴弾にも見えてくる。その現場に行った瀬戸弘幸や有門大輔もそれに同調して騒ぎ出す。これ、大の大人ですよ。

それらの行動を客観がある人たちが見ればバカにしか見えないのは当然です。

また、瀬戸弘幸がブーメランの名手であることも3羽の雀さんが日々指摘していることですし、私もかつて「類稀なブーメランの名手」と評しました。すでに書いたように、これも客観なき人々の顕著な特性です。自分の発したある言葉が、自分の行動に対しても該当することを見抜く力がない。第三者の視点から、自分の言葉を理解することができないわけです。

あるいは桜井誠が実家を取材されただけでパニックになって、その小心ぶりを晒したのも、自分の行動がどういう結果を招くかさえ想像できなかったことによるものであり、自分と他者、自分と社会との関係をうまく捉えられていないことによるのでしょう。

彼らの共通する欠陥として、法を理解できないという点が挙げられます。法は利害を異にする人たちを調整する客観的な指針と言っていいでしょうが、客観が欠落しているのですから、正しく理解することができないのは当然かと思います。

そのために、裁判になると、等しく彼らは闘いようがわからなくなる。瀬戸弘幸が相変わらず愚にもつかない床屋談義を書き続ける暇がたっぷりあるのに、裁判から逃げ続けていることがその特性をよーく見せてくれています。客観が求められる裁判という場で、彼はいったいどうふるまえばいいのか、何を提出すればいいのかもわからないのでしょう。果てはおはらんに承認申請をするという意味不明の行動に出て笑い者に。

裁判で瀬戸弘幸が何をできているのかを見れば、彼がふだん何ができているのかもわかる。デマを飛ばし、薄っぺらな解釈をし、恫喝し、訴訟を匂わせ、工作員扱いし。こんなことしかできていない。あとリンゴを売ったり、ジャムを売ったりもできるか。

議論が苦手というのもまた客観なき人々の特性であり、議論になると勝てないことは薄々気づいているためか、自分に批判的な人たちを工作員扱いする。敵と味方、白と黒、右翼と左翼しか認識できない人たちの思考パターンです。

困ったことに、こんな人間を支持する人たちが今も少しはいることです。彼らをどんな連中が支持しているのか、どうして支持するに至るのかについては、おはらんが的確にまとめているので参照していただくとして、支持する連中も、所詮、瀬戸弘幸らと同類であって、情報を疑う、デマを見抜く、検証するといった能力が欠落していると見なしていいでしょう。

こういった特性の人たちが「右翼ごっこ」に集まったために、社会問題化しつつあるわけですが、こういった人たちはそこかしこにいます。通常はさして問題にならないし、気づくこともできなかったりするわけですが、「右翼ごっこ」とはまた別の形で迷惑な存在になっている人もいます。

続きます。