2010-11-24

お部屋2133/客観のない人々

前回書いたように、客観という視点が持てない人たちは議論に向きません。その自覚さえもっていれば、いらんところにしゃしゃり出ることもないのでしょうが、困ったことに、能力が欠落しているがために、その自覚が難しいのです。

そのため、こういう人たちの欠陥を見抜くには議論をすることが有効だったりします。時には意見を言わせるだけでもその欠陥が露呈します。どこかで聞いたようなことを文脈を無視して言い出したりする。

では、その具体例を見ていくとしましょう。

以下は 1081「先週のつまらなかった原稿 20」のコメント欄に11月3日に投稿されたものですが、スパムと判断されてか、弾かれてしまい、コメント欄に反映されていなかったものです。

HNは「や」さんです。

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あなたのミスチルに対しての発言は、ただのあなたの自分勝手な解釈に過ぎない。音楽というもの、ロックというものは、自由な表現が象徴されているんですよ。そもそもミスチルをあまり好ましく思わない人に分析やらされるのは彼らとしても望んでいないし、それを良いと思ってるリスナーが何百万人もいるから現に120万枚の売り上げを誇っているわけですよ。
それに生だしの曲だというのは貴方の解釈で、本当はセックスをやろうとしたけど、相手が断ってきた事を歌っているのかもしれないじゃないかですか。桜井氏が雑誌か何かで生だしの曲だって言いましたか?根拠のない発言は控えた方が貴方の身の為ですよ。

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書いてから5年以上経ってからコメントされても、何を書いたかさえ覚えてなくて当惑しますが、自分が何を書いたのか確認する必要のないコメントです。「私(や)のコメントには意味がない」と主張する以上には何の意味もないですから。

「や」さんは、自分の意見がどうして無意味であるのか、理解できていないと思います。投稿するくらいですから。説明してあげましょう。

このコメントはふたつの段落に分かれています。

第一段落に書かれた論理をまとめます。

●音楽やロックは自由な表現である。
●その対象が批判を望んでいる時にしか批判をしてはならない。
●良いと思っている人がいるものを批判してはならない。

これらの論理は「や」さんに対しては、以下のように機能します。

●音楽やロック以外の表現は自由である必要はないので、他者が書いたものを批判する自由は「や」さんにはない。
●「や」さんの批判を望んでいるのかどうかわからない対象を批判すべきではない。
●良いと思っている人がいる対象を「や」さんは批判してはならない。

「や」さんは、自分のコメント自体を無効とする論理を書いています。いわゆるブーメランというものです。

私自身は、「音楽やロックを批判する自由もあれば、その批判を批判する自由もある」「その自由において、相手が望むかどうかは関係がない」「それを支持する人がいるかどうか、支持する人が多数かどうかも関係ない」と考えますが、「や」さんはそう思っておらず、「私(や)は批判してはいけない相手を批判している」と表明しています。

続いて、第二段落ですが、ここでは私の解釈が間違っている可能性を示唆しています。しかし、その根拠は以下のみ。

●他の解釈があるかもしれない。
●本人が語っていない。

「や」さんは、「他の解釈がある場合は、特定の解釈をしてはいけない」と考えているのですから、「や」さんの解釈は私の解釈がある以上無効です。本人が語っていない解釈は無効だとするなら、「や」さんの解釈も無効です。それ以上に根拠がないのですから、「根拠のない発言は控えた方が貴方の身の為」です。

よって、「や」さんは「や」さんの主張に従って黙りこくればいいだけです。私はそんなバカな主張はしませんので、「や」さんだけが黙ればいいって話。

これが私の解答です。というか、「や」さんの主張をそのまま書いているだけ。

私が論じているテーマにピッタリの無意味なコメント、ありがとうございました。

では、なぜ自分の発言をも否定するようなことを平気で書き、それに気づけない人たちがいるのでしょうか。自分と他者を客観的に見る視点がないためだと私は見ています。

「相手は間違っている」いう結論に沿った論理らしき論を書いているように自分では思っていても、その論が自分に向くという発想ができない。同じ母親から生まれた兄弟が喧嘩して、「おまえのかあちゃんデベソ」と言っている状態です。この場合は言った方が負けでしょう。

子どものうちは、自他をきれいに分離できず、客観的な視点で俯瞰することができにくいわけですが、成長するとともに、自分と他者は同じく自我があり、等位であることがわかってきます。その上で、客観的な視線をとることによって互いのズレを解消しようとしたり、正しさを模索しようとするようになりますから、自分の書いた論が自分に向くことを想定できるようになります。

ところが、それができない人たちがいます。ガキのまま成長してしまった人たちと言っていいでしょう。「や」さんがまだ子どもであることを願わないではいられないです。

「在日中国人は犯罪者集団だ」などと言いながら、その比ではなく、高い前科率、前歴率を持ち、今なお次々と犯罪者を生み出している集団がその筆頭です。事実、この集団にはブーメランの名手が多数いますね。こいつらは、ブーメランを飛ばさずに発言することはできないと言っていいかもしれない。

すでに読めなくなっていますが、かつてミハルちっくが彼らの活動を「右翼ごっこ」と喝破したことがあります。

つくづく的確だったと思います。

続きます。