2009-01-28

お部屋1767/瀬戸弘幸とは 11・類稀なブーメランの使い手

3羽の雀さんがりんごっこ保育園の求人に触れてますが、中田国際法律事務所も事務員を募集しています。2名の弁護士が辞めて以降、弁護士が増えている様子はないので、おそらく業務拡大によるものではなく、どなたか、またお辞めになったのでしょうか。

さて、このところ、いい味を出している、もんさんですが、「ブーメラン実証スクリプトがコタ!」は傑作です。瀬戸一派の特性がよくわかります。

もうひとつ、「日誤会」でリンクされている「誤字等の館」も傑作です。

「こんにち」「こんばん」と書く人たちをこう分析しています。

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きっと、小学校の「国語の時間」が嫌いだったのでしょう。
読書の習慣も持ち合わせていないと思われます。
言葉を「聞く」ことは多くても「読む」ことは少ないという生活であれば、誤字を意識することもなくなります。
このような人がそのまま社会人になってしまったら、かなりの苦労を強いられることが予想されます。
しかし、少しだけ意識を変えることで急成長が見込めるのもこういった人たちです。
親身になって間違いを指摘してくれる仲間にめぐり会えるかどうか、その人の言葉に謙虚に耳を傾けることができるかどうかが分かれ目です。

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一般論を書いているのですが、クロダイさんのことを見事に表現しています。

社会人になってかなりの苦労を強いられていますからね。急成長が見込めると言っても、親身になって間違いを指摘してくれる仲間はおらず、仲間も同じタイプばかりです。仲間じゃない人たちはさんざん指摘してあげていますが、謙虚に耳を傾けることは期待できそうにありません。なにしろ「こんばん和」ですから。

同じタイプの瀬戸弘幸がまた1月27日のエントリー「シナ・中国人は共産主義に逆らえない」で薄っぺらさを露呈しています。

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長野の聖火リレーの時に、松代インターで偶然シナ人留学生と遭遇しましたが、この時に多くのシナ人に尋ねてみました。毒餃子問題とチベット問題です。
 この時に如何に彼らが自分の考えた意見を言うのではなく、シナ共産党政府の主張ばかりを鵜呑みにして繰り返すかがよく分かりました。
(略)
殆どの留学生が同じことを繰り返した。
 これはそのように言うようにと事前に教わっていたからと思っていましたが、最近考えると、どうもこれはそのような言葉しか見出せないのかも知れません。

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インターですれちがった人たちに声をかけて、彼らが本音を語ると考えるのですから、さすがに取材力のない瀬戸弘幸だけのことはあります。

聖火リレーの際、長野で私はひたすら中国人たちの話を聞いて、彼らが何を考えているのを知ろうとしました。この話は「マツワル」でたっぷり書きましたが、時間をかけて語り合えば、彼らの中には政府に対しての不満を口にするのが出てきます。仲間と一緒にいるところでは語りにくくとも、一対一の場では語ります。

この過程で時に怒鳴り合いの激論になったりもしたのですが、その時に「あなた方の言う通りだとしたら、なぜチベットを取材をさせないのか」という私に同調し、「チベットに取材を入れさせなかったのは中国政府のミス」と言って、中国人たちを説得しようとするのもいました。

彼らは決して一枚岩ではない。一枚岩に見えるのは、その程度のことしか聞き出せないからです。瀬戸弘幸程度の人間には、彼らは建前しか語らないでしょう。「本音と建前」は日本人の特性だと我々は思っているわけですが、中国人は日本人以上に「本音と建前」を使い分けます。もともとの特性だとも思えますが、ああいう国家体制のもとでは必須の知恵でもありましょう。

それを見据えることなく、自分の無能さを中国人に転化させて、批判しているのが瀬戸弘幸です。ここでもブーメランです。

その上、おそらくは数分のコンタクトで、中国人のすべてを決めつけようとする。あるいは、日本で逮捕された中国人の言葉で中国人を決めつけようとする。どんだけ傲慢な人間かと。瀬戸弘幸のような人間を例にして日本人総体を決めつけられたら、「もっと調べろ。もっとも質の悪い欠陥日本人で日本人総体を判断するな」とムカつくぞ、ワシは。

瀬戸弘幸は、中国人は政府批判もできないと思っているようです。表現について規制されているのは事実です。メディアを通さなくても、公の場での発言は難しい。

しかし、こういう場でなければ、政府を批判するのはいくらでもいます。さらには表現規制に対して闘っているのもいくらでもいます。行くところに行けば、こういう中国人たちにも会えます。事実、私は中国で会ってます。

メディアで報じられている範囲でも、政府批判を口にするのがいますし、デモが頻発していることも報じられています。

これも「マツワル」で延々と論じたことですが、我々はある集団の一部をもって全体を判断することを否定しきることはできません。そういう認識方法をとっているため、避けようがない。しかしながら、それによってしばしば我々は判断を誤ります。こういう体験を繰り返していれば、わずかな知識で全体を判断することに慎重にならざるを得ない。だから、物を表現する人たちは、とことん調べようとします。宇留嶋さんしかり、橋本さんしかり。

ジャーナリストと名乗りたいのであれば、彼らを見習って、もっと調べろ、瀬戸弘幸。能力がないからできないのでしょうが、せめて自分の無能さを自覚して欲しいものです。あんな浅い世界観でこの世界は解釈できない。あんな薄っぺらな人間観で人間は解釈できない。そのことに早く気づいて欲しい。じゃないと、どこまでもブーメランを投げ続け、シャドーボクシングをやり続けるしかなく、「内部告発」を疑うことなく信じてバカ踊りをやるしかない。ベランダのウンコで大騒ぎするような人間が、何を勘違いして、国や世界を語れると勘違いしたのでしとょうか。

長野まで行きながら、この程度のことしか聞けず、調べられず、考えられないから、「シナ人は出て行け」なんてことを言えるのです。それで何が解決するというのか。

中国もまた「日本人は出て行け」と言い出したら、日本だって困るでしょうが。両国は互いに互いの存在なしではもはややっていけないのですから、どううまく折り合いをつけていくのかを模索するしかない。

前から言っているように、瀬戸弘幸は家に籠って、攘夷でもなんでもすればいい。それがお似合いの人間です。

Tomatotic-jellyさんが日中の文化の違いを指摘していますが、ホントにあの国、あの国の国民は理解がしにくいところがあります。これは中国が特殊というだけでなく、広く世界を見渡せば、時に日本が特殊なためだったりもします。

文化の違い、発想の違いはとりわけ「国」というものの観念において顕著です。亡命した民主化運動の闘士が、オリンピックの聖火を守るために駆けつけたことを私は理解しにくかったのですが、これも国に対する考え方が違うためです。そこを理解しないと的確な批判はできないでしょう。

私自身、まだ十分に彼らが何を考えているのかわかっておらず、それを知るために、中国語の勉強をしているわけですけど、なかなかどうして、そう簡単には話せるようにはならず、まだまだ中国語で議論はできそうにないです。最大の難関である発音はすでにクリアし、大まかな文法も理解できつつあるのですが、1年ごときではどうにもならない。

もう3年ほど待ってくれれば、どこをどう批判すればいいのか、もっと正確に瀬戸弘幸に教えちゃる。

このエントリへの反応

  1. Tomatotic-jelly が、お世話になった人(中国の人)の お父上が、「最近の人、お土産もらっても喜ばなくなった」、「欲しいの お金ばかりね。こころ(心遣い)喜ばない」と、カタコトの日本語で仰られていました。十数年前の思い出。(語学不如意にて)
    世代の違いも大きくあると思います。その人にとって国を考える時に祖国と考えるのか、国家と考えるのかと言う違いもあるのではと思います。

  2. こんばんは、初めまして。
    ブログ“大陸浪人のススメ”なんぞを讀んでゐると、中國人はかなり現實的でアクテイブです。
    それに較べるとゼリグループなんて中國のステレオタイプをそのまんま信じこんでいるみたい、
    まるで子供の樣ですね。

  3. すいません、締切に追われていたため、返事が遅くなりました。

    >Tomatotic-jellyさま

    中国は広いですからねえ。いろんな人がいましょう。民族もさまざまですから、その幅の広さもまた日本の比ではないです。

    それと、ここ20年ほどの激変によって、世代間の変化もたしかに大きいです。金がすべての風潮はそろそろ揺り戻しがあるだろうとは思ってます。

    国についてもそうなんですけど、社会についても日本人の考え方とは大きく違うみたい。私は私なりに、中国の人たちの考え方について解釈してはいるのですが、私が見た中国もまた極一部ですので、わかっていることよりわからないことの方がずっと多い。

    政府ははっきり嫌いですし、国民についても、あえて好きか嫌いかを言えば嫌いかもしれないけど(人によりけりであることは言うまでもないとして)、あんな面白い国はないです。

    >獅子てんやさま

    初めまして。

    アクティブということを、悪く言えば、図々しいってことになったりもします。物は言いようで、いい部分を探せばいくらでもある。悪い部分を探してもいくらでもある。

    学ぶべきところもたくさんあって、自分の意見をしっかりと言える点は感心します。彼らにとって議論は娯楽らしいですから。

    中国人たちが私を罵倒する中で、同意できる部分には素直に同意して、中国人たちを諌めるのはたいしたもんです。中国人の中に単身入っていって、議論をふっかける私もたいしたもんだと我ながら思いましたが。