2008-05-16

お部屋1504/あれやこれやの表現規制 5-1

もうちょっと「第4章/児童ポルノ」を進めておくつもりだったのですが、程度の低い邪魔が入ったので、次の章に入ります。

ここからは「第5章/住居侵入」です。なんでこれが表現に関わっているのかと言えば、住居侵入を名目にした表現活動に対する規制、妨害が増えているのです。

大学では、もはやビラ配りや立て看も出せず、マイクを使った情宣もできない。

早稲田大学ではまた逮捕者です。以下、抗議声明文

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 2008年4月1日、入学式周辺でのサークル新歓活動禁止反対の立て看板を、入学式会場である早大戸山キャンパス「記念会堂」周辺に掲出しようとした早稲田大学法学部四年生が、早稲田大学の職員達によって学外に排除された後で、早稲田大学学生部学生生活課職員によって私人逮捕(「建造物侵入」容疑)され、牛込警察署の警察官に引き渡されました。
 そもそも、彼は2007年度入学式から入学式会場周辺でのサ−クル新歓活動が禁止されたことに抗議する立て看板を掲出し、肉声で演説をしようとしただけであって、一職員が私人逮捕して警察に引き渡す正当性など全く存在していないことは明白です。(実際、2006年度まで、多くのサークルが、入学式会場である記念会堂周辺で立て看板を掲出し、肉声で呼びかけなど行っていたが、入学式は問題なく挙行されています)
 早大では、2005年12月20日に、文学部構内で部室移転と大学再編問題に関するビラを撒いていただけの人間が文学部教員によって私人逮捕され、牛込警察署員に引き渡される事件が起こっています。この事件に対する学内外からの多くの批判の声にもかかわらず、三年も経たない内に再び同様の事態が起こされたのです。
 この事件について、わたしたちはたんに一大学にとどまる問題ではなく、現在の社会総体にかかわる問題として、みずから深刻に受け止めるべきであると考えます。
 現在、日本社会においては、日本国憲法で保障されている「思想・良心の自由」「言論の自由」さえもがふみにじられる事態が頻繁に起こっています。
 今回の出来事は、「言論の府」である大学が、このような憲法で保障されている権利すら踏みにじった事態であるがゆえに、大学がゆずることのできない一線を踏み越えてしまったことを示唆しているのではないでしょうか。
 今回の早大職員による学生の不当逮捕に至る一連の事態に対して、私達は抗議の声をあげるとともに、事情説明と謝罪と必要な賠償を求めます。

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「建造物侵入」
とありますが、これは住居侵入と同じ刑法130条違反。

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(住居侵入等)
第130条 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

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2005年12月の早大逮捕事件の際に詳しく論じたので、ここでは簡単に済ませますが、どうしてこうもたやすく警察に突き出すのですかね。たかがビラ配りであり、たかが立て看ですよ。しかも、同大学の生徒です。

他大学の学生、あるいは学生以外であってもなお許されていいものではないでしょう。

私学であっても、大学には税金が注ぎ込まれていて、キャンパスは一般家庭、一般企業の所有地とはワケが違います。

私も大学時代は他大学の授業に出たり、卒業後もモグリで聴講していたことがありますが、時に近隣の住民が近道としてキャンパスを通り抜け、時に学食でメシを食い、時に学祭では商店会と協力し合って盛り立る。そういう公共性の強い場所であって、公道の延長であると同時に、公権力の介入を排除して自治を確保すべき場所です。

それがなんで大学当局が自らの生徒を警察に手渡すようなことを易々とするのでありましょう。異物を排除すれば事は片づくとする考え方が大学にまで浸透してしまっていることに慄然とします。

今回は職員ですが、2005年12月の事件では、警察に通報したのは教員です。こいつらは一から教育し直した方がいいのではないか。ワシが講義しちゃろか。

なお、2005年12月の事件については、すが秀実・花咲政之輔編著『ネオリベ化する公共圏』を参照してください。私も「第2章/セクハラ」「第4章/児童ポルノ」に通じる一文を書いてます。

先日、3羽の雀さんが書いていたように、個人の「不快さ」「気持ち悪さ」を行動原理にして、それを法で排除しようとする人たちがいかに表現の自由、行動の自由を阻害するかについてもここに書いてます。過敏な個人の「不快さ」「気持ち悪さ」は法によって救済されるべきものではなく、カウンセリングや宗教によって救済されるべきです。お祓いとか。

続く。