2008-04-12

お部屋1452/あれやこれやの表現規制 5

いいですね。右翼団体向けの「靖国 YASUKUNI」試写会。

右翼だからって、事前に見せる必要はないかと思いますが、ここまで議論が進んでしまった以上、観てから判断する姿勢は大変好ましいかと思います。

それに、右翼は公開前に上映禁止を求めるような輩ばかり、あの映画を反日としか観られないような輩ばかりだと思われてしまうのは、現実と違いすぎましょうから、そこをアピールしたい人たちがいるのも理解できます。

「朝日新聞」によると、3月にパンフ用に刀匠の刈谷氏から言葉をもらったということなので、法的に言えば、刈谷氏についても、肖像権は問題にならないでしょう。これがなくても、問題にならないとしか思えないですけどね。

自衛官の肖像権までを問題にする有村議員は最初から、法の範囲を越えて、この映画を批判していると判断できますから、ここも一貫した姿勢かとは思いますが、礼儀レベルのことを問題にするなら、二度とこの問題を取りあげないのが正しい姿勢かと思います。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080411k0000m040111000c.html
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刈谷さんは「今さら何を言っても仕方がない。もう静かにしてもらいたい」と話した。

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税金で食っている国会議員が、礼儀レベルのことを国会で話題にするために直接連絡をするような真似はせず、静かにしておきましょうよ。

議論は今後も皆さん積極的にやるとよろしいかと思いますが、私は有村議員およびそれを支持した人々がああも大袈裟に問題とした肖像権が、法的にはどうとらえられるものなのかを引き続き淡々と論じていくとします。

前回は、被写体が撮られていることを知りながら、それを拒否しなかった場合は、承認していると見なされるという話でしたね。

屋外からのテレビ中継で、後ろから小僧がピースサインを出していたりします。本当は塾に行っている時間のはずなのに、それを親に観られて、「おまえは何をしているんだ」と叱られたところで、テレビ局はなんの責任もとらなくていい。望んで出ているのですから、改めて局が放送する旨の許諾をとる必要はありません。「黙示の承認」どころか、「明示の承認」に近い。

ここまで極端ではなくても、撮られていることを認識しているのにもかかわらず、拒否をしないと、承諾したことになってしまうのはもっともかと思います。

写真を撮っていることくらいわかるだろうに、堂々とその前を人がよぎって、見事に顔まではっきりと写ってしまうことがあります。あるいは提灯の写真を撮っていたら、店の中から人が出てきて、カップルがバッチリと写ってしまうこともあります。

写真を撮影する場合に、撮影者と被写体の、どちらにより責任があるかと言えば撮る側ではありますので、何も言われなくても、人が大きく写り込んだら撮り直しますけど、撮り直した写真より、人が入り込んでいる写真の方が提灯がよく撮れている場合があって、顔がわかりにくい時はそのまま公開することにためらいはないです。

しかし、顔がはっきり写っている場合はさすがに出しません。通りすがりにたまたま写真を撮られてしまって、文句を言う間もない場合はさすがに「黙示の承認」は成立しないでしょう。

したがって、「何も言わなかった」というだけで決定的な承諾の証拠にはならないにしても、重要な判断基準にはなります。

私は今のところ、屋外の撮影でそういうことを言われたことはないですが、写真を撮っている知人に聞いたところによると、最近、こういうことを言う人たちが増えているそうです。「今撮った写真を見せてください」「公開されると困ります」と言ってくる。

デジカメであればその場で見せられますから、自分が写っていても、顔がわからなければOKになり、これで承諾を得たわけですし、「これは困ります」と言われれば撮り直せばいいだけですので、言われて困ることはない。

こういう人が増えているのは、肖像権の権利意識が浸透したというより、写真に対する認識が変化したのだと思われます。これについてはもう少し先に再度見ていきます。

ここまでは通行人、観客、野次馬といった人たちの話でしたが、公然と示威行為をする人々については、さらに肖像権を制限されてもやむを得ない。具体的には、デモをする人々、大道芸をする人々、街頭パフォーマンスをする人々、路上ライブをする人々です。聖火ランナーも。

これらの行為者については、確認をとることは難しい。ライブをしている最中に「ちょっと君たち、写真を撮っていいかな」とは聞きにくい。あっちも迷惑です。終わるまで待っていようと思っているうちに、5時間もライブを観ることになったりして。また、デモ隊は人数が多すぎて、確認を取り切れない。

さらには、これ自体、報道する公益性があります。花見の写真とはワケが違います。花見の写真に公益性がゼロではないですが、撮影場所を選択する余地はいくらでもあり、時間の猶予もありますから、撮影許可をもらうことは容易です。

対して、聖火ランナーに対する抗議行動を報じる写真は(抗議行動がなかったとしても)、選択の余地がない。「来週出直して別の場所で撮ろう」ってわけにはいかないわけです。

そもそも彼らは公然と目立つ行為をしているのですから、無断で撮られても仕方がない、あるいは望むところってことになりましょう。テレビカメラの前でピースサインを出す小僧に近い。

では、次回、どういう条件下で、「黙示の承認」が成立するのかをさらに詳しく見ていきます。

このエントリへの反応

  1. 右翼による靖国試写会については「魂守の会」のホームページに詳しく出ています。平日の午後早い時間なので行くのは難しいですが。
    http://blogs.yahoo.co.jp/tamamori_jimukyoku/6342166.html

    しかし、「魂守の会」「一水会」などのほか、呼びかけ人の名前からみると、野村秋介氏の流れをくむグループなどかなり本格的で「危険」な行動右翼も参加しているようです。
    たぶん、ひとつは、稲田、有村などどちらかといえば小泉、安倍などに頼る、「体制右翼」「親米右翼」に対する反感も大きいのでしょうけれど。
    この右翼による試写会が成功してくれるとうれしいのですが。

  2. ロフトプラスワンなのか。ロフトの平野さんが仕掛け人と見た。こういうところはさすがです。

    「毎日新聞」で「反日映画だとは思わない」とコメントしていたのは鈴木邦男だと想像してましたが、鈴木邦男は入ってないのですね。あのコメントは木村三浩かな。結局のところ、この映画が絵に描いたように、手垢のついた左右の区分けの中で語られている中、「反日映画だとは思わない」と素直に観たままを言えるのはたいしたものです。

    なんにせよ、喜ばしいことです。

  3. natunohi69 さんに、松沢さんの見解をとあるブログを通じてお伝えしたのはわたしでした。

    木村さんは李監督と意気投合したようです。
    鈴木さんも、「愛日映画だ!とエールを送られ、心を痛めておられます。http://kunyon.com/shucho/080331.html

    わたくしにとって鈴木さんは91年ごろにプロレスのミニコミに寄稿されてた頃から、ロッケンロール心情サヨクとしても尊敬すべき方でした。さすがです。

    「お玉おばさん」(彼女は、チベットについて、「独立はともあれ、弾圧と情報統制が問題」、靖国については「わたしたちは見てから語ろうよ」と発言してる点で、松沢さんとベクトルは一致しています)

    彼女のブログで、猫まんこさんがいみじくもおっしゃっておられたのですが、「見てもいないのにいろんなものが見えるのですね~」という意見に同意です。

    わたしも、中国在住なのでDVDでも出ない限り見れそうにないのですが、松沢さんの「見る人自身が問われる映画」というご意見だけでも、すっごく刺激的な映画だと予想してますので、「苅谷氏の肖像権」問題も含め、実際に見るまでは意見を保留したいと思ってます。

  4. あら、なめぴょんさん、こんなところでも。

    リンク先の鈴木邦男の文章は素晴らしい。さすがに、表現の場を確保するために奮闘してきた人だけのことはあります。

    右や左だのといった枠組みの中だけ発想し、自分の判断をしないで済ませる省力思考の「週刊新潮」の記者、政治家、「サンケイ新聞」の記者とは格が違います。サラリーマン・マスコミ人や税金の無駄遣い政治家たちは、表現の自由を確保することの意義など考えたこともないのでしょう。

    でも、「靖国 YASUKUNI」は決して刺激的な映画ではなく、靖国神社と日本刀を淡々と描いた映画です。岩波映画みたいなもんなんだけどな、ホントに。あれが反日ねえ。

  5. なめぴょん様。
    そうです、なめぴょん様にお礼を言うのを、すっかり忘れていました。
    申し訳ありません。
    なめぴょん様のご紹介がなければ、今ごろ、阿比留氏のブログから撤退していたでしょう。
    感謝しております。(今ごろ、おそいけれど)