2008-04-11

お部屋1450/あれやこれやの表現規制 4

いろんなもんが間に挟まってしまいました。話を肖像権に戻します。

聖火ランナーの背景に見物人が写り込んでいたとしても、これまた公共の場で顔を晒している以上、写されてもしょうがない。一人一人に許可を求めることは不可能ですし。

たまたま写り込んでしまった男女が不倫関係にあり、それが公開されたことによって妻にバレて離婚に追い込まれ、相手が上司の妻だったために会社もクビになったとします。しかし、公の場に出ている以上、誰に見られてもいいと覚悟しておくべきであり、そんなところに顔を晒して出かけた方が悪い。写真を撮られなくても誰かに見られるリスクがあるわけですから。

顔を見られたくない不倫カップルは5メートル以上離れて歩くべし。または変装をすべし。

提灯ライターの私は提灯写真を大量に撮っているのですが、時々人が写り込んでしまいます。人間には興味がないので、邪魔です。

しかし、これも風景の中の写り込みですから、公表したところで問題にはなりません。

ただし、あくまで風景に写り込んでしまった場合に限り、望遠で人物をアップにすると問題が生じます。風景ではなくなりますから。いくら誰に見られるのかわからない場所で顔を晒していても、すれ違いざまにどこの誰かを確定することは難しい。顔を間近に見るわけでもなく。対して写真は固定されてしまい、確認が容易ですから、意味合いは違ってきて、その意味合いの違いとして「アップはいけない」ということになっています(法的にそういう理由になっているのかどうかは知らん)。

また、特定の人物を撮るのであれば、「撮影していいですか」と聞くことが通常は可能ですので、無断で撮って無断で公開する意味は薄い。

ここでは、「望遠で」というのもポイントです。近くから撮った場合は、さすがにわかるってものです。「撮らないで」と言うなり、顔を隠すなり、その場所から離れるなりして意思表示が可能です。

提灯を撮っている時も、私が写真を撮っていることに気づいた歩行者は、私の背後に回るか、撮影し終わるまで待ちます。街頭で記念写真を撮っているような時に、多くの人はそうするはずです。

邪魔をしてはいけないと思うのと同時に、自分が写りたくないからです。目の前を通る時に顔を手で隠す人もいます。撮影の邪魔をしても、撮影はされたくないってことでしょう。

それができるにもかかわらず、それをしなかった場合は、「黙示の承認」が成立し得ます。黙っていることで承認したと見なされてしまうわけです。

ずっと先に、表現を規制するものとして「セクハラの範囲拡大」を取りあげる予定ですが、ここでは、「暗示の承認」を根底から覆す論理がまかり通ってしまってます。「イヤだと言えなかったが、本当はイヤだった」とあとで言ってもセクハラが成立すると主張する人たちがいるのです。そんなバカな。子どもじゃないんですから、イヤなことはイヤと言え。これについては半月くらいあとで。

テレビで街頭インタビューをする場合に、「ちょっとよろしいですか。日本テレビの××という番組ですが、インタビューをお願いできますでしょうか」くらいのことは説明しているでしょうが、「誰が司会で、どんな趣旨で、何曜日の何時からオンエアするか」なんてことまで説明して、「つきましては、これからのインタビューする映像を放送していいでしょうか」なんて確認をとったり、誓約書にサインしてもらうことはまずないでしょう。

カメラがあること、時に知っている顔のアナウンサーであること、スタッフが何人もいることを見れば、そんなことは説明するまでもない。「いいですよ」と言った時点で、あるいはそれを言わずにインタビューに答えたとしても、放送されることまでを承諾していることになります。

あとになって、「まっさかテレビに流れるとは思わなかった」「テレビに流れることは予想がついたが、まっさかみのもんたの番組だとは思わなかった」「まっさかうちの女房が観るとは想像してなかった」などとクレームつけても無駄ってことです。

まだまだ続きます。