2008-02-22

お部屋1413/今日のマツワル77

「アメ女」について、元購読者から補足情報をいただきました。

彼は沖縄在住で、彼自身、長らく「アメ女」だと思っていたのですが、最近、「アメリカーじょーぐー」の略だと聞いたそうです。「アメリカ人好き」の意味です。つまり、もともと「米兵を好きな女」に限定する言葉ではなかったらしい。

もしこの説が正しいのだとすると、「アメ女」ではなく、「アメジョ」という表記の方が適切で、「アメジョー」「アメじょー」の方がさらに適切。ここから「アメ嬢」という表記が生じたとも考えられます。

ネットで検索すると、「アメリカーじょーぐー」がこの言葉のルーツであるとの指摘はチラホラありますが、その根拠となる話が出ているものは見当たらず、どっちが正しいのかよくわかりません。

まぶい組編『沖縄キーワードコラムブック』にこの言葉が説明されていないかと思って確かめてみたのですが、見当たりません。

また何かわかったらお知らせするとして、ここでは引き続き一般に使用されている「アメ女」という表記を使います。

「餃子と米兵・番外編」は今回でおしまい。ある部分だけ取り出すと「ネット右翼」みたいで、ある部分だけ取り出すと「プロ市民」みたいなので、誤解のないように、この番外編は4本とも「黒子の部屋」に転載してみました。

どちらの立場をも批判しつつ、どちらの立場とも重なる部分はあって、どっちと思われてもかまわないですが、こういうレッテル貼りは不毛です。どっちも間違っているということもあって、どっちにも属さない答えが正しいということもあるわけですから。

「マツワル」では、このあと「餃子と米兵」の本編に戻ります。2月中に全部は終われないと思うので、最後の方だけでも読みたいという方は、間もなく始まる新規購読者募集にお申し込みください。

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< 餃子と米兵・番外4>

1854号「餃子と米兵2」では、新聞記事を出しつつも、事件の具体的な状況を描写した部分は削除しました。凄惨だからではなく、私が論じる内容にとって必要がないと思ったためです。

しかし、ここではそこに触れざるを得ないので、改めて書きますが、私も記事を読んで、「アメ女じゃないか」と思いました。本土の人間が想像するのと違って、米兵との日常的な交流が一切ない人の方が多い沖縄で、そうも簡単についていったのであれば、アメ女の可能性があることを否定はできない。

「アメ女ではないか」と推測してもおかしくない状況にありますから、そう推測し、表明することは非難されるべきではないと思います。

もちろん、違う可能性もありますけど、ここではそう推測することを非難するのでなく、「そうだとして何が悪い」「そうだとして、そのために強姦という強姦を免罪する論理を言ってみよ」と迫ることが有効なのだと思います。

もしこれを中傷だと非難した場合に、彼女が本当にアメ女だったら、どうするんですかね。「事実だったじゃないか」と向こうは勢いづくだけです。

それをしきれていない高里さんはアメ女に対する強い蔑視を抱いているようにしか私には見えません。あの記事だけから、そう言っているのではない。

覚えている人はいないでしょうが、かつて私は「マツワル」が始まるずっと前の「黒子の部屋」で、この人の言葉を激烈に批判したことがあります。

では、それを再録するとしましょう。

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『水曜フリートーク・アジアと私・第4回/テーマ:買春・性の商品化にどう対応する?』という冊子を読んでいて呆れた。これは、「アジアの女性たちの会」(松井やより代表)の主催によるセミナーの様子を採録したもので、この回の講師は高里鈴代さん。プロフィールを紹介しておく。

【沖縄県宮古島出身。東京都電話相談員などを経て、沖縄に戻り、女性グループによる「うない(姉妹)フェスティバル」実行委員長、那覇市議会議員、日本キリスト教団・性差別問題委員会委員長】

差別問題委員会とやらがどの程度の団体か、この委員長の発言がすべてを物語る。

【今の法律では、2種類の女性を作りました。1つは拘束されている女性、これは被害にあっているから自由にし、もう一つは、例えばある女性が渋谷か新宿でネオンの下で男性の袖を引いたとします。するとこれは売春防止法5条違反です。公序良俗を犯した罪になります。立っていた女性は直ぐしょっぴかれて、社会の風紀を乱した女性ということで刑務所に行くんです。
 みんな精神的に問題を抱えていたり、知恵遅れといわれる人だったり、多くの問題を抱えているんです。普通なら逃げますよ。うまくやって。それに捕まる可能性がある表になんか立たないですよ。大体彼女達の後ろにはヒモがいたり管理する男がいます。一方ソープランドの女性は保護されるんです。】

この人の、現実と掛け離れた決めつけは、他のところでも遺憾なく発揮されている。

【ソープランドをみていると、みんなインタビューには応えてくれるけど、現実はかなり暴力団に管理されていたり、麻薬だけでなくて精神的な薬でまひしているパーセンテージは、決して低くないのです。】(アジアの女たちの会編『水曜フリートーク・アジアと私・第5回/テーマ:女性の人権・売買春』より)

こういう人が、またこういう発言をさせてそれを印刷して堂々販売する団体が、「人権派」などと自分らを位置づけているのだからあいた口が塞がらない。この文章を読むと、この人自身がソープ嬢に直接インタビューをして、暴力団支配、麻薬の蔓延を確認したかのようだ。しかし、そんな作業はやっていないだろう。やっていたら、こんなこと書くわけないですもん。

もし自分で確かめたというのなら、高里さんには、このようなことを公然と断ずる根拠を提出するよう即刻要求する。神経が麻痺し、脳天が腐れきっているのは一体どこの誰なのか明らかにしようではないか。

この人の指摘は、売春をめぐるさまざまな事例の中で、この人にとって都合のいい事実だけをかきあつめ、その確認作業もしないまま野放図に拡大して、他人を愚弄するものでしかない。この人にとって都合のいい事実とは「無垢な女がソープランドで働くのは、覚醒剤などの薬で神経を麻痺させて判断力をなくしたり、暴力団が脅したり、暴力をふるうなどして強制されたものである。一方、街娼は、薬を使うまでもないような精神的な問題をもっていて、それを男らが利用している」というものになろう。

女たちが自分の意思で働くことなど一切想定されていない上に、どうして、ヒモや暴力団が関与することがあるのかについての考察が一切なく、そのために、こういった考え方こそがヒモや暴力団の関わりを加速させていることにまるで気づいていないのだ。この無自覚さは、愚鈍、愚劣、悪辣、悪質、卑怯、卑劣、低劣など、私がすぐに思いつく悪罵の言葉ではとうてい言い表すことができないほどだ。

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ナンボ言っても無駄だと悟ったので、今だったら、「あーあ」でおしまいですが、この頃はこういうことを平気で書く人たちにいちいち怒ってました。このくらいは理解できるだろうとの期待があったので。

キリスト教徒にもいろいろですけど、この人はキリスト教的倫理観で世界を解釈できると信じて疑っていないのではなかろうか。

【普通なら逃げますよ】という言葉が象徴するように、この人は自分の感覚がすべての人に通用すると思っているようです。「私だったら逃げる。だから、売春をするような女たちも逃げるはず。逃げないのは『知恵遅れ』か、拘束されているか、シャブ中に違いない」ってことでしょう。

「こんなことを書く人は沖縄にはいない」と決めつけるのと一緒。自分の感覚を誰もが共有していると信じて疑わない点で、「米兵の誘いに乗ったら強姦されることはわかるはず」と決めつける人たちとまったく同じです。

いい加減なことを言っているので、正しく売防法を説明すると、売防法はもっぱら管理売春を取り締まる法律ですから、そこで働く側は参考人になるだけです。「拘束されているか否か」はここには何の関係もなく、これは監禁罪や脅迫罪で取り締まるべきものです。

しかし、勧誘に関しては、単純売春であっても罰せられます。主体的に客を引くと、売春する者自身が罰せられるわけです。

売防法以前から、規制が強まれば強まるほど、女たちは外に出にくくなり、専門の客引きが活躍する余地が出てきます。女たちが捕まったら商売が成立しませんが、客引きであれば代わりがいます。

その客引きたちを暴力団が仕切るといった構造が生まれます。なおかつパンパンたちの自助グループが崩壊して、それぞれがヒモをつけて、自分らを守るしかなくなっていったわけです。

自ら街に立つと、逮捕された上に「知恵遅れ」とされ、そのリスクを回避するために、店に所属すればシャブ中扱い。女たちの主体的な意志をまったく認めず、こーんないい加減なことを吹聴する人が、どうして【沖縄のことも被害者のことも何一つ知らない人たちが、被害者を中傷することだけは、絶対に阻止したい】なんて言えるのでしょう。

そりゃ精神的な病を抱えている人たちやシャブ中はいますよ、どこの社会にでもいるように。シャブ中がいると、警察が介入してきますから、薬物検査までやっている地域や店があるわけです。そういうことを見ずして、偏見を広げるようなことはやめてはどうでしょう。

たしかに暴力団と直結している名古屋のブルーグループのような風俗店だってあります。しかし、高里さんのような考え方では、決して暴力団を追放することはできず、それどころかバックアップすることにしかならないのだと改めて指摘しておきます。

「風俗産業はすべてあってはならない」という立場から規制を強めると、目の届かないところに潜って、悪質な業者が活躍する余地が生じます。それに対して、「悪質な業者がいけないのだ」と当たり前の対応をしてきた人たちによって、現に浄化されていたところがあります。

にもかかわらず規制はさらに強まって、メディアに対する規制までも強まって、その蓄積がすべて水泡に帰した。つまりは、高里さんのような人たちによってこそ、ここまでの努力を潰されたとの実感が私にはあります。

結局のところ、この手の人たちは、「売買春はいけない」という結論を導くために、暴力団の存在を利用して、「女たちは暴力団に拘束されている」と、万にひとつの例を取りあげ、あたかもすべての女たちがそうであるかのようなデマを流しているだけです。

つまりは、悪質な一部風俗店の被害に遭った女たちをも、自分らの主張のために利用しているのです。そういう意味では悪質な店が消えたら困るのは彼らでしょう。名目がなくなってしまいますから。

本人は「私はこの仕事が好きです。だからこそ、悪質な風俗店を追放したいのです」と思っていたとしても、彼女の意志を無視して、それを「売買春がいけない」という話にしてしまう。

過去にこういった発言をしていたところで、それはそれ、これはこれという対応をすべきですが、今回の報道を見ても、結局、そういう人なのだと結論を出すしかなかったのでありました(番外編はこれでおしまい)。

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