2008-02-19

お部屋1409/今日のマツワル74

誰も取りあげないようなものは別にして、「マツワル」ではタイムリーな社会問題をあまり取りあげないようにしています。いろんな人たちが論じているのに、何も私がその上言葉を積み重ねる必要はあるまいと。

しかし、昨年11月に北京に行った時の話である「今年の旅」シリーズを始めてから、ひどくて面白い国、中国の動向が気になり、毒ギョーザ事件についても度々腹立たしい思いを書くようになってました。

それに対して、在中国の読者からメールが届きました。直接には私を批判したものではなく、日本の新聞報道を批判したものだったのですが、私はこれを弁護して、読者に反論。

しかし、よくよく考えると、私は「一体どういう時に政府を批判できるのか」「一体どういう時に個人の問題として語れるのか」について、明確な線引ができないことに気づきます。

読者を批判した以上、この問題をジックリ考えてみようと思い立ち、ちょうどその時起きた沖縄の強姦事件をからめて、「一軍人が業務外で引き起こした事件について、基地に抗議するのは正当か否か」から始まって、「どこまで集団は個の責任をとらなければならないのか」「個の性質を集団の性質と見なすことがどこまで可能か」「集団の性質をどこまで個に落とし込むことが可能か」「そもそも我々は属性を離れて存在することは可能なのか」「すなわち、私は私として強姦することが可能か」なんてことを論じる「餃子と米兵」というシリーズを開始。

誰もが語っているタイムリーな社会問題のシリーズですが、社会問題をネタにして、より普遍的な法則を探ろうという趣旨です。

本編は話が込み入っているし、長いシリーズなので、転載は諦め、今回はその番外編をお届けします。

中に出てくるように、中国人は、窓に鉄格子をつけ、ドアにいくつも鍵をつけ、ドアを二重にし、アパートではガードマンを雇ってます。なおかつ野菜は念入りに洗う。このあと「マツワル」で配信する予定ですが、ヨーロッパにおいても「日本人は無防備」という見方があります。だからといって襲われていいわけがないべ。

今回だけを出すと勘違いされそうなので、この続きも転載する予定です。私は強姦事件において、自己責任論を言うヤツらを批判するだけでなく、それを新聞で批判している人も批判してます。どっちも敵に回してみました。暴力団を敵に回すし、警察も敵に回すし。中国政府を敵に回すし、米軍も敵に回すし。

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< 餃子と米兵・番外1>

これは困ったもんだなと。

http://www.asahi.com/national/update/0216/SEB200802160003.html?ref=rss
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自己責任論にNO 女性団体、立ち上がる 米兵事件

2008年02月16日11時31分

 在沖縄米海兵隊員が女子中学生を暴行したとして逮捕された事件で、沖縄や東京の女性団体が抗議行動に立ち上がる。米兵による性犯罪が起きるたび、「ついてゆく方も悪い」などと被害女性に責任を転嫁し、根拠もなく中傷する物言いが繰り返されてきた。今回もインターネット上などで同様の現象がある。その風潮が変わらない限り被害はなくならない、との思いが集会に参加する女性たちにはある。

 「危険な場所に出かけていくような行為は慎むべきだ」「うろうろしてたらアメジョと思われるだけ」。インターネットの掲示板には海兵隊員の逮捕直後に事件を語る投稿欄がいくつもできた。被害者や米兵と親しい女性たちに関するそんな書き込みであふれている。

 「アメジョ」は、米兵と親しくする女性たちを快く思わない人たちが反感を込めて使う言葉だ。

 「沖縄のことも被害者のことも何一つ知らない人たちが、被害者を中傷することだけは、絶対に阻止したい」

 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代さん(67)はそんな思いも込め、19日に沖縄県北谷町で緊急女性集会を開く。

 事件直後に出した抗議声明で、米側への要求の一番目に「被害少女への精神的ケア」を掲げた。「あなたは悪くない。痛みを共有しています」と少女に伝えたかった。

 会を仲間とつくったのは、95年の米海兵隊員ら3人による少女暴行事件がきっかけだった。

 数年前にあった米兵による暴行事件の公判を傍聴したときのことが忘れられない。証言台に立った被害女性に、米兵の弁護人が尋問した。「あなたはアメジョですか」。被害を訴えればこういう目に遭う、という見せしめだと感じた。

 基地内に連れ込まれて乱暴された女性が、周囲の中傷に遭い、県警に出した被害届を取り下げたケースも見てきた。

 今回、被害に遭ったのは14歳の中学生。日曜日の午後8時半、アイスクリーム店から友達と出てきたところを米兵に声をかけられた。店の場所は繁華街とはいえ、家族連れも出入りする商業施設。基地の集中する県中部の沖縄市では、市民の生活圏と米兵たちが余暇を過ごす場が重なっている。街に出れば米兵と行き会うのは日常のことだ。

 同世代の子たちはどう感じているのか。

 県中部の高校2年の女子生徒(17)は「繁華街に出かけると、米兵にプリクラや携帯電話の番号を交換しようと話しかけられることも多い」と言う。米兵の友達もいるが、危険な目に遭ったことはない。「米兵の友達を作ることが悪いんじゃなくて、悪いのは性犯罪をする人でしょ?」

 犯行現場近くに住む女子中学生(15)の門限は午後8時。でも、被害少女が「夜遊び」をしていたとは思わない。「米兵ってどんな人たちなのか、知ってみたくなったんじゃないのかな」

 女たちの会の高里さんは「沖縄の生活も知らずに『夜出歩く方が悪い』と非難していては、なぜ米兵の性犯罪がなくならないのか問題の本質を見誤る」と言う。高里さんらと連動し、東京でも19日、「アジア女性資料センター」など三つの女性団体が抗議デモをする。

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私もネットで検索してみましたが、たしかに「アメ女だ」という指摘が出てますし、根拠があるのかどうかわからん話がいろいろ出てますね。

で、彼女がアメ女だったとして、それがどうかしたか。「今日は誰と遊ぼうかな」と思ってついていったら、イヤなヤツだったので帰ろうと思ったところで強姦されたと。これは強姦以外の何ものでもない。彼女がアメ女ではないかと推測するところまではいいとして、強姦という罪が消えるわけはなく、被害者でなくなるわけでもない。

商品を買おうとして店に入って、気に入ったのがなかったので帰ろうとしたら、奥から怖い人が出てきて、「お客さんねえ、このまま帰れると思っているんですか」と監禁されて、無理矢理商品を買わされたと。これは犯罪であります。そんな店に入った方が悪いわけではない。「入ったんだから、買う気があったんだろ」と言われても、買いたいものがなかったんだからさ。

あるいは、アメ女であるかどうかを問わず、「ついていったのが悪い」というニュアンスの意見も多数ありましたが、アメリカ兵が高率で強姦をするというデータがあるわけもなく、あったところで、どのみち、そんなのは一部でありますから、米兵の全員を強姦犯をと警戒する必要はない。まして昼間ですから、警戒心が働かなかったとしても、そうおかしなことではない。ある人々から見れば、おかしなことだとしたって、なんで被害者が責められ、犯罪者が免罪されなければならんのでしょうか。

こんなバカな話が成立するなら、海外で強盗に遭ったり、かっぱらいに遭う日本人たちはことごとくそのことを非難され、犯罪は帳消しになってしまいましょう。

「今年の旅」シリーズを読んでいただければおわかりのように、わしら日本人はどう考えても甘い。警戒心がなさすぎ。人を信用しすぎ。この国においてはそれでよかったりしますし、それこそがこの国の人々の美徳だと私は思ってますが、その美徳が海外では餌食になるだけ。あるいは日本に来ている外国人の餌食になるだけ。

米兵についていったのが悪いという論理からすれば、それら外国人の被害に遭うのは被害に遭う側が悪いわけです。空き巣に入られるのは、ドアに鍵をひとつかふたつしかつけず、防犯カメラを設置せず、窓に鉄格子をつけない被害者が悪い。飲み屋でカードをスキミングされるのは、そんなところで安易にカードを渡す方が悪い。スリに遭うのはポッーとしているのが悪い。

外国人犯罪じゃなくても、オレオレ詐欺を筆頭に、疑わない日本人の性質につけ込む犯罪が増えている以上、警戒をした方がいいに決まってますが、だからといって警戒をしない人たちをどうして非難できましょう。警戒をしない人につけこむ方がが悪いんじゃないんか。

スタンガンも持たずに夜の街を歩いたり、人をすぐに信用してしまう日本人の美徳が悪いというのなら、それはそれで一貫した姿勢です。そりゃよござんした。外国人犯罪に限らず、ほとんどすべての犯罪は、被害者が悪いってことでおしまいにすればよろしいでしょう。

毒ギョーザも、製品となったものを信用して食べるバカな消費者が悪い。自宅で豚を飼って、ニラを育てて、自分でギョーザを作ればいいだけです。農薬野菜も、たいして洗わずに使う日本人が悪い。野菜を念入りに洗ってから使う中国人を見習いましょう。

私はこんな考えに与する気はないです。

倖田來未の発言に対する反響を見ていたら。「こんな発言をしたら、どういう反応があるのかわかるだろうに、倖田來未は何を考えているのか」といった内容の意見を書いている人たちがたくさんいて呆れました。どこがどういけないのかを指摘した上で、これを書くのはいいとして、内容には触れず、それだけを書いている。

なんでこうも安易な発想をするヤツらが増えてしまったのでしょう。前々からこんなもんかもしれず、ネットによってやっと表面化しただけかもしれないですけど、何事かを言った気になる言葉として、こういうフレーズは便利なのでしょうね。

この論理で倖田來未を叩いていいのなら、中国で逮捕されている民主運動家も、その行動や思想が叩かれるべきです。北朝鮮から脱出しようとして処刑される人たちもこの人たち自身が悪いってことになります。それぞれ、「そんなことをしたら、どういう反応があるかわかるだろうに」ってことに相違ない。

こういう予測をしないことは無謀といわれてしかるべき部分もあるのですが、それと事の是非とは別です。

「こんな時期に首相が靖国神社に参拝したら、アジア各国からどういう反応が出るのかわかるだろうに」と批判されるのは、事の是非とは別に、現実的な対応をせざるを得ない政治においては、一定の意味があると思いますが、これと事の是非とはやっぱり別だと思います。「アジアの反応を考慮すると慎むべきだが、本来首相の靖国参拝にはなんら問題はない」という意見があり得るわけです。

といったように、この記事にある「自己責任論」とやらは強く批判しますけど、この記事、あるいは記事から見える高里鈴代さんの考え方にも大いに問題ありです。

私が「困ったもんだ」と頭を抱えたのは、自己責任論をかざす人々とともに、自分の信じる正義を疑わない人の存在でもありました。詳しくは次回。

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