2007-07-05
お部屋1280/今日のマツワル40
本日2本目の配信分です。これで「『東村山の闇』を読む」シリーズは終了です。
この勢いで、宇留嶋瑞著『民主主義汚染』を紹介しようと思っていたのですが、困ったことになりました。
今月は7月です。つまり、年に3回の新規購読者募集の月です。今の購読者の更新が明日で終了するので、明後日から募集を開始するところですが、これをやると、購読者を増やすために、「東村山問題」を転載していたようです。
そうだとしたって、とやかく言われるところではないのですが、こんなもんばかり配信しているのは、購読者にも申しわけないので、一週間ほど間をあけて、落ち着いたところで新規購読者募集を開始し、それが終わったところで、「『民主主義汚染』を読む」シリーズに進みます。
それまでは薄井議員の支援サイトに書き込みますので、あっちを読んでいてください。
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< 東村山セクハラ捏造事件10>
ここまで書いてきたように、矢野穂積と朝木直子が『東村山の闇』で展開している「朝木明代は殺された」という主張には、人を説得できるだけの根拠がありません。「反学会」だったらウソでもデマでも掲載するメディアはともあれ、私にとってはそうでした。
「こいつもあいつも学会員」といくら言おうとも、学会員がこの国には多いという事実を確認するだけのことです。東村山市には学会員が多いと彼ら自身が書いているのですから、多いのは当たり前。それだけのことなのに、謀略であると騒ぎ立て、殺人事件にまで飛躍させていく。どうかしてます。
「なんとしても殺されたことにしたい、そうするしか選択肢はない」という意思によって、言わなくていいことまで言ってしまったのが彼らが言う「謀略」なのだと感じます。「殺されたわけではない」ってことを矢野穂積と朝木直子は気づいていたがために、一か八かで、ありもしないことを言って自分たちを守ろうとしたとしか思えないのです。
仮に万引きが冤罪だとしても、「無実の罪で責め立てられて自殺した」という可能性もあるはずですが、そのような主張はしてません。「殺された」と飛躍させないと、この賭けには勝てないという判断なのだと思われます。飛躍すればするほど、食いついてくるメディアがあることを知っているのでしょうし、その通りに、食いついたメディアが多数あった。
なんで学会を敵にした時には、こうも杜撰になるメディアがあるのかな。これでは教祖のためならなんでもする宗教の信者と一緒だべ。私も学会には批判的ですから(正確には公明党に批判的と言った方がいいか)、こうならないように気をつけないと。
実のところ、私は朝木明代の死について報道されていた記憶があまりありません。ひとつふたつ雑誌記事を読んだような気がする程度です。しかし、人によってははっはきりと記憶していて、「朝木」という苗字まで覚えている人がいて驚きました。そういう人ほど、「殺された」と信じていたりもする。それなりには報道されていた事件のようだし、「殺された」と受け取る程度にはその方向で報道されていたようです。
この事件において、メディアが果たした役割は非常に大きくて、ここで矢野・朝木コンビの言い分に乗ってしまったメディアこそが、彼らを延命させたことは間違いがない。「反学会」の魔力であります。
運良く私は学会員ではないので、中立の立場から、当時、「週刊新潮」や「週刊現代」がどんな報道をしていたのか、検証してみたいとも思ってます。大宅文庫に行ってみるかな。
さて、この本を読んで今も私が気になっていることがあります。矢野穂積と朝木直子がひどい人物であることは十分に皆さん理解していると思いますが、朝木明代はどうだったのでしょうね。
朝木明代がいた時代の「草の根」と、矢野穂積・朝木直子のコンビが牛耳る今の「草の根」は別物であるとの意見は、東村山では根強くあるようで、「おはら汁」でも同様の意見が紹介されてました。
その一方で、「どちらも同じ」との意見も地元の人から寄せられてます。そう思われても仕方がないでしょう。
「議席譲渡問題」は、朝木明代が生きている時のことです。もし朝木明代がまっとうな神経の持ち主であれば、住民票を移動させることで娘の朝木直子に議員辞職させることに反対するってものでしょう。
仮にふたりの関係から、矢野穂積の意見に刃向かえなかったのだとしても、なにがしかの責任はありますし、娘が当選したのだって明代の力と言えますから、無関係とはとうてい言えない。
また、万引き疑惑についても、アリバイ工作までやったとなれば、単なる万引き以上に悪質です。アリバイ工作をやったということは、万引きもやったということです。にもかかわらず、やっていないと主張するのですから、二重に「ウソをつく」ということです。
それをやったのだとすると、朝木明代も矢野穂積・朝木直子同様の人間だったと私には思えます。だから、一緒に行動していたわけで。
しかし、万引きをしたであろうこと、ウソをついて自分を守ろうとしたであろうことで彼女は苦しんだのではないか。その痛みの上に、いよいよウソが破綻しかけて、朝木明代は自殺をした。断定はできないですけど、それがもっとも説得力のある見方です。この見方を覆すような論を『東村山の闇』ではまったく提出できていません。
娘の議員辞職にしても、アリバイ工作にしても、もし自分の判断ではなく、誰かの指図であったなら、その苦悩はさらに強かったことが想像できます。自殺であろう、この死をどうしても「殺人」だと言いたいのであれば、その指図をした人間こそ「犯人」の名にふさわしい。誰かは知らないですけどね。
以上、『東村山の闇』を読んだ私の感想でした。
以下、補足です。この本については、中身とは別に、ちょっと気になることがあります。『東村山の闇』をアマゾンで検索したのですが、ひっかかりません。なんでだろ。
「創価学会の圧力か」と疑いたくなりますが、この本を読まれたくないなら、学会は訴えればいいだけです。確実に勝てましょう。表現に対して訴訟で対抗するのが好ましいとは思いませんが、これまでさんざん学会は訴訟を起こしているのですから、いまさらためらうことはないし、相手は訴訟マニアですから、その意味でもためらうことはない。学会はなぜこんな本を放置しているのでしょう。
その辺の事情を探ってみました。どこに探りを入れたかは内緒です。ワハハ本舗じゃないですよ。
学会としては、かつてさんざんこの問題を批判し、法廷でも彼らの主張に根拠などないことを明らかにしてきました。事実、裁判では圧勝しており、反学会メディアたる「週刊新潮」でさえも、もはや「学会の陰謀だ」なんてことは書けない状態です。
なので、これ以上、矢野・朝木を相手にする必要がない。すでに結論が出ているのに、それから何年もしてから、懲りもせずに『東村山の闇』を出すことについては、「まだ言っているのか」と脱力しつつ、学会員には十分に情報が浸透していますから、放置でいいだろうと判断しているようです。
また、矢野・朝木がいかにデタラメな人たちであるのかをああも明らかにしたのに、なお当選してしまうところに学会側の諦観もあります。だったら、もう触れないでおこうという空気もあるようなのです。
「反学会層」は、学会の言うことに耳を貸さず、叩けば叩くほど頑なになる。それをいいことに、矢野・朝木はなおも『東村山の闇』のような本を出している。虚しくもなりますわね。
ヤツらの狙い通りとも言えますが、学会が言っても受け入れられないという判断は半ば正しくもあります。学会が出張ってくると話がこじれそうなので、今回も黙って遠くから見ていてもらいたいものです(続く)。
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追記:その後はアマゾンで検索できます。一時的なものだったのでしょう。